7 ブリトン半島について ~~ケルト人とドワーフの王国~~
開いて頂いてありがとうございました。
本日は短い目のものを2話投稿します。
これが1話目です。
ローマ時代、ガリアにはローマ人との混血が進んだ、いわゆる「ガロ・ローマ人」が住んでいたが、ブリテン島南部ではそれほど混血が進んでおらず、ケルト人(ガリア人と同民族である。)がほぼ純粋な形で居住していた。
しかし、西ローマ帝国瓦解時には、ゲルマン系のサクソン人の侵略を受け、ケルト人はそれに隷属するようになった。その支配を逃れ、一部のケルト人は海を渡り、ガリア北西部に突き出した半島で自分たちの国を作ったのだった。半島の森奥深くには、ドワーフ族が住んでいたが、難民同様のケルト人をドワーフたちは寛大にも迎え入れ、平和な共同国家が成立した。
ケルト人の王とドワーフの王が共同で統治し、この時代の割には優れた工芸技術を持っており、かなり強力な軍事力があった。フランクの王たちは執拗に攻撃を繰り返したが、その都度撃退されている。逆にブリトン人も何度もフランクの領域に攻め込んできている。雑草が丘は、ブリトンの半島から少し離れてはいるが、数年に一度程度は襲撃されることがある。
どの国とも国交はなく孤立しているが、痩せた土地に魅力はなく、諸勢力も本腰を入れて侵攻しようというつもりもなかったことから、この時代にも独立を保っている。後にブルターニュ公国となる地域である。
ご一読ありがとうございました。