表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/103

7 ブリトン半島について ~~ケルト人とドワーフの王国~~

開いて頂いてありがとうございました。

本日は短い目のものを2話投稿します。

これが1話目です。

ローマ時代、ガリアにはローマ人との混血が進んだ、いわゆる「ガロ・ローマ人」が住んでいたが、ブリテン島南部ではそれほど混血が進んでおらず、ケルト人(ガリア人と同民族である。)がほぼ純粋な形で居住していた。


しかし、西ローマ帝国瓦解時には、ゲルマン系のサクソン人の侵略を受け、ケルト人はそれに隷属するようになった。その支配を逃れ、一部のケルト人は海を渡り、ガリア北西部に突き出した半島で自分たちの国を作ったのだった。半島の森奥深くには、ドワーフ族が住んでいたが、難民同様のケルト人をドワーフたちは寛大にも迎え入れ、平和な共同国家が成立した。


ケルト人の王とドワーフの王が共同で統治し、この時代の割には優れた工芸技術を持っており、かなり強力な軍事力があった。フランクの王たちは執拗に攻撃を繰り返したが、その都度撃退されている。逆にブリトン人も何度もフランクの領域に攻め込んできている。雑草が丘は、ブリトンの半島から少し離れてはいるが、数年に一度程度は襲撃されることがある。


どの国とも国交はなく孤立しているが、痩せた土地に魅力はなく、諸勢力も本腰を入れて侵攻しようというつもりもなかったことから、この時代にも独立を保っている。後にブルターニュ公国となる地域である。


ご一読ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ