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2 クロティルドの平穏な日々とテウデリクの情報収集 ~~知ることは、命だ~~

開いて頂いてありがとうございました。

そのころ、ロワール川北岸から2リュー(約8キロ)ほどの距離、雑草が丘の上の館では、クロティルドが、お付きの侍女レイナと共に糸を紡いでいた。

糸紡ぎは、この時代から連綿と続くことになる女の仕事である。羊毛は雑草よりも早く伸び、それから無尽蔵に作られる糸と、糸から織られる布の需要は底なしである。したがって、このガリアの地では、よほどの高位の女でない限り、糸紡ぎの手を休めることはない。


農民は別だ。農家の女は、少なくとも昼間は畑を耕さなくてはならない。それに比べると、糸紡ぎは、楽な部類に入るのだが、それでも指先は荒れ、皮が剥け、血が滲むようになってくる。出来上がる糸に血が付着すると見苦しいから、女たちは、指に布を巻いて、作業を続ける。それでも、女たちは、友人とお喋りをしながら糸を紡ぎ、家族の衣服を用意すること、そしてできれば現金収入を得ることを、楽しんでいた。


クロティルドは、北イタリアの東ゴート族の戦士の家に生まれた。幼少時から、東ゴート王国は、東ローマ帝国に攻め込まれ、父もいつの間にか戦死していた。東ゴート王国が滅亡し、多くの東ゴート族は、東ローマ帝国に仕えることになったが、クロティルドの家には成人の男がなく、村に残って生活していた。その後も北イタリアでは紛争が絶えず、10年ほど前に、侵攻してきたフランク王の一隊に村を略奪され、そのときにジャケの所有物とされたのだった。


(あのころと比べると、今は幸せ、なのだろうか。)

北イタリアでの生活は貧しく心細いものだった。ジャケは、悪人ではなかったが、戦場を駆け巡る日々で、帰って来ては荒っぽくクロティルドを抱くだけの男だった。

それに比べれば、領主の妻という立場は、幸せな部類に入るのだろう。

実はこの館には水の手がない。雨を貯めておく水槽はあるが、清水しみずを使いたいときのために毎日、丘を降りて下の小川から水を汲んでこなければならない。ジャケの女だったころは、そういう仕事は自分がやらなければならなかったが、今は下女たちがやってくれる。その他の雑用も、あまり手を出さなくてもよい。


なによりも、息子がいる。


クロティルドは溜息をついた。


「どうしたの、クロティルド様。」

侍女のレイナが声を掛けた。レイナも糸を紡いでいる。

溜息は、女たちにとって、会話の出発点だ。ここから、話ははるか果てまで広がり、日が暮れるまで、女たちは糸紡ぎの辛さと退屈さを忘れる。


初夏の風を浴びながら、クロティルドは、もう一度溜息で前置きしてから、話し始めた。


「テウのこと」

そうそう、女は思わせぶりに話すのが大事なのだ。結論を言ってしまえばおしまいではないか。

「テウ坊やですか?元気だし、いい子ですし。あと・・・、ミーレとも仲良くやってくれていますし・・・。」

レイナが口ごもった。


「私にとって初めての子だから、分からないんだけど、他の子と違う気がするのよね。」

「ええ・・・まあ、ちょっと、その、大人びていらっしゃるわ。」

レイナがとりなすように言った。


テウデリクは、生後8か月くらいから、話し始めたが、全く自重しない話しぶりから、親を怯えさせてしまったのだ。

なにしろ、

「父者、母者、夜の件ですが、ちょっと私は、今後の見学は遠慮させて頂こうと思いますので、下で寝ます。」と言い出して、夜な夜な、BUKKAKE祭りを開催していた夫婦を青ざめさせてしまったのだった。


その上、誰が教えたのか分からないが、フランクの言葉を話している途中で、適切な語彙が見つからないときには、ラテン語で代用する始末だ。

「そうですね、その、すなわち、村で殺人が行われた時には、領主が『裁判権を行使』するのですね。」などと食卓でやられたので、ロゴも、「お、おぅ、そのとおりだ。その、『裁判権を行使』するべきだな。もちろん。俺もいつもそうやっている。」と動揺してしまっていた。


なお、領主裁判権はあるが、ロゴはそれを行使したことがない。

よほどのことがあれば別だが、ほとんどのもめ事は村の中で処理されてしまう。殺人事件などがあれば、流石に領主に持ち込まれるが、ロゴは、そういうときは、犯人に対し、「俺と決闘しろ!」といって殺してしまうので、それを領主裁判権といえるかどうか、少し微妙なのだ。


クロティルドはイタリア出身だから、ある程度のラテン語は分かる。それでも、裁判権とか言われても、ピンと来ない。自分で言った記憶がないのだ。


話す内容もそうだが、行動についても自重がない。

立って歩くことができるようになってから、館の内だけでなく、丘の上の柵の中をうろつきまわっては、「これはいかん。」だの、「なんたることぞ。」と呟くので、家の者も気になって仕方がないのだった。最近は、「なんとかせねばならぬ。」と勝手に決意しているので、何をどうするつもりか分からぬながらも、周りの人間は、少しびくびくしている。


あと、急ぐときなどは走るのだが、その走る速さが尋常でない。大人も追いつけないことがある。最近は、柵から出て、丘を降りて村にも行くことがあるらしい。


「はあ・・・。」クロティルドは、もう一度溜息をついた。

正直、テウデリクのことは、少し自慢には思っている。一方で、この異常なまでの成長具合に不安を感じているのも事実だ。

このようなときの女の扱いは難しい。いや、本当に難しい。しかし、女同士であれば、どう返事をするべきかは、すぐに分かるらしい。


レイナは、

「でも、テウ坊やは、とってもお利口ですし、体力もすごくありますよね。きっと立派な領主様におなりになりますわ。それにあんなに可愛らしいんですもの。」と言った。おそらくこれが正解だろう。もっとも、ちょっと早く出しすぎた感はある。もう少し、「溜め」があった方が理想的だったかもしれない。これでは、すぐに話が終わってしまうかもしれない。そうすると、クロティルドは、少し間を開けて、また溜息をつかなければならなくなる。


「あの子、文字も書けるようになってしまったら、どうしようかしら。」

クロティルドは不安感たっぷりに、そういった。


「まあ、文字も書けるようになるかしら!」

レイナは大げさに言った。


実のところ、クロティルドにとって、テウデリクが文字を書けるようになることは、もちろん誇るべきことだと思っている。もっとも、ゲルマンの気風からいって、文学などの学問に熱中することは、全然好ましくない。それよりは、剣を振るうことの方が百倍も大切なのだ。

いずれにせよ、誰にも習わないのに、文字が書けるようになったら、母親としては当然不安に思うだろう。

そのあたりの微妙な匙加減については、レイナもすっかり心得ている。なんだかんだ言って、クロティルドとレイナは、長い間一緒にいるわけで、お互いの気心もしれていて、そのあたりの阿吽の呼吸ができているわけだ。


二人の女たちは、その後も、終わりのないお喋りを続けていた。手は休むことがない。

なお、レイナも娘のミーレの愚痴を話し出したので、二人の女の話は、更に複雑な空中戦を繰り広げるのだが、それがどうして、実に楽しい時間になるのだ。


・・・


そのころ、テウデリクは、館の一階のテーブルについて、吟遊詩人のフォルトゥナトスと話し込んでいた。


「なるほど、東フランクの『戦好いくさずき』シギベルト王は、西ゴート王の次女、ブルンヒルドを王妃に迎えたのだな。」

テウデリクが確認する。かなり前の話なのだが、フォルトゥナトスがここに立ち寄るのは久しぶりなので、最新の情報を確認しなければならないのだ。


「そうです。私もお会いしましたが、大変美しいお方です。物腰も優美で、気品にあふれておられます。少し気の強いところがおありだとは思いますが、それはそれで、独特の迫力を感じさせます。」

フォルトゥナトスは、結婚式のような重大事には必ず顔を出す。そこで作った詩句が評判になることが、この吟遊詩人にとっては今後の飯の種になっていくのだ。


「独特の魅力、だ。」テウデリクが訂正する。


フォルトゥナトスが、この雑草が丘とかいう、身も蓋もない名前の付いた片田舎の領主館に立ち寄るのは、テウデリクに会うことが目的である。どういうわけか、この2歳を超えたばかりの幼児は、正確なラテン語を話すので、こうやって喋りながら、言い間違いなどを修正して貰っているのだ。


「独特の魅力、ですね。」フォルトゥナトスが言い直した。


「それで、キルペリク王も、西ゴートの王女を迎えたいと言い出したのですよ。」


「ガルスウィンドという王女だったか。」

テウデリクの情報源は、吟遊詩人だけではなかった。立ち寄る商人を捕まえては、情報を根こそぎ引き出していた。


「こちらは、それほど美人ではないのだろうな。」


「なぜ、そうお思いになるのですか?」フォルトゥナトスが驚いて聞いた。


「ガルスウィンドはブルンヒルドの姉だと聞いた。シギベルト王が西ゴートの王女を娶りたいと言ったとき、普通なら姉の方をやるだろうからさ。それなのにブルンヒルドを与えたということは、姉が容貌の点で劣るというのが、一番考えられる線だ。」


フォルトゥナトスは、

「大変にお優しく、誰に対しても丁寧に、誠実にお話しになるお方です。」

と言って、容貌に関しては慎重に言及を避けた。

このあたりが、この楽人がガリアの地で生き残る秘訣かもしれない。


「なぜキルペリク王は、ガルスウィンドを娶りたいのだ。」

テウデリクが聞いた。そこまでこだわる必要は全くない。西フランクの王は、西ゴートとこの時点では国境を接してもいないし、西ゴートの戦力など、なんとも思っていない。それが、この時代の実力の差だった。


フォルトゥナトスは、言葉を濁した。

「シギベルト王がブルンヒルド様と婚姻された際には、大変な祝典となり、おおいに面目をほどこされました。名声が一気に上がったのです。」


もともとシギベルト王の評判は良い。東フランク王国は、ラインを挟んでゲルマニアに面しているが、良くゲルマニアに攻め込んでは、部族を服属させている。キルペリク王も、シギベルト王の要請を受けて、一緒に遠征に赴いたこともあるが、最も戦争に熱心だったのはシギベルト王であった。そういう意味では、フランクの間でも評判が良い。

そして、ガロ・ローマ人、特に聖職者や小領主、旧ローマ貴族らの間でも、シギベルト王の比較的文明的な姿勢が支持されている。


そこで、この結婚だ。華々しいことの好きなフランク人も、この結婚を歓迎したし、神の道に従った、正式かつ真摯な結婚生活は、被支配民族からの評価が高い。


テウデリクは、そのあたりを察して、「要するに、自分も同じことをやってみたくなったのだな。」と欲しがり屋キルペリク王の心中を簡潔に述べた。

フォルトゥナトスは、慎重に首を傾げるに留めていた。しかし、その言葉を否定はしない。


この二人の会話は、微妙な事項については、常にこのようなやりとりで進められていた。そのような繊細なやりとりが、フォルトゥナトスにとっても、今後の創作活動の糧となるのだろう。そうはいっても、二人の間には、お互いの言った内容については、他言しないという信頼関係が確立してはいたが。


テウデリクの質問は多岐に及んだ。フォルトゥナトスも、かなり踏み込んで、各地の内情を話す。


フォルトゥナトスは、1年に一度程度の間隔で、この館を訪れていた。

夜は歓迎され、領主ロゴに歌(名前だけを変えた使い回しだが)を捧げ、戦士らに、面白い噂話などを披露する。そして、次の日の朝には、このようにしてテウデリクと密談をするようになっていた。


「さて、私はそろそろおいとま致しましょうかな。」

フォルトゥナトスの従者らは、既に荷造りを終え、館の玄関の外に座り込んで待っていた。


「そうだな。それでは、お見送りしよう。」

テウデリクは答え、「ミーレ!」と呼ばわり、それから、歯の間から、「シュッ」と鋭い音を出した。


「はっ!」と気迫の籠った声がして、5歳ほどの幼女が入ってきた。手には薙刀のような木の棒を持っている。その後ろから、大きな真っ黒の犬が入って来た。

「出るぞ。準備はできておるか。」テウデリクの問いに、ミーレは、片膝をついて、「いつでも。」と簡潔に答える。


そして、フォルトゥナトス、二人の従者と荷馬車、テウデリクとミーレ、そして黒犬は、雑草が丘を降り始めた。

ご一読ありがとうございます。

しばらくは、このペースで進めていけると思います。

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