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血の誓約をあなたと

 ごちそうを作ると言っておきながら、出されたのは残り物をかき集めたようなありあわせの料理で、しかもデザートは常備してある果物のシロップ漬けを皿に盛っただけのものだった。なんとも簡素な食卓に、両手いっぱいの薬草を抱えて帰ってきたヴィーは明らかに不機嫌になる。アイビーはそんな彼にお構いなしに、そそくさと夕食をかきこむと口をもぐもぐと動かしたまま席を立ち、物置小屋と化している小部屋に入って何やらごそごそとしはじめた。


「何やってるの?」


 アイビーの一連の行動を不審に思ったヴィーが小部屋を覗くと、アイビーは切羽詰った顔でいくつかの本とにらめっこをしていた。


「もう苦手だからなんて言ってられないわ。どれかひとつでも何とか売り物にしないと」


 『わかりやすい星の詠み方』、『護符を作ろう』、『水晶は語る――これさえ読めばあなたもあこがれの占い師に!』……どれもこれも初心者向けの教本だ。もともと下がり気味だったヴィーの機嫌は底辺まで落下し、その眉間には深いしわが寄った。


「小銭をためて、ワーラビットかなんだか知らないけど、性懲りもなく新しい使い魔を召喚しようってわけ? そっちがその気なら、僕にも考えが――」

「それどころじゃないのよ! なんとかして独立を認めてもらうくらいにならないと」


 今日一日で人生の危機を何度体験したかわからないほどの思いをしたアイビーにしてみたら、見慣れたヴィーの不機嫌面など屁でもない。


「五日おきとか、そんなにしょっちゅうお師さまの監視が入るだなんて魔女としての信頼ガタ落ちだわ」


 鬼気迫る表情で教本をとっかえひっかえするアイビーに対し、ヴィーは「独立?」と不思議そうな顔になった。

 魔女として独り立ちを認めてもらえたら、暁の魔女の系統のまま師の干渉を受けることなく生きてくことができるのだ。どこの国でどんな職業に就こうが、魔女としての道に外れないかぎりは自分の好きなように決められる。


「へえ、それで独立したあとの当ては? 何をするとか、あと具体的な場所とか」


 興味深そうなヴィーの問いに、アイビーは力なく首を振った。


「薬の調合は続けたいと思ってるけど、場所が問題なの。薬師は大勢いるから都会はもちろん、のどかな農村とかも意外と競争率が高いんだよね。めぼしい場所にはたいてい先輩たちがいるし」


 アイビーはもともと、独り立ちしようなどという気持ちを強く持ってはいなかった。一体目の使い魔を召喚する費用は師から負担してもらえる。使い魔と二人力を合わせながら、師から任せられた店をのんびりと営みつつ、いつの日か独立できたらと漠然と考えていたので、その後の展望などまったくなかった。

 いくら資金だけを貯めたところで、グロリオサが頼りない自分の独り立ちをそう簡単に認めてくれないだろうとアイビー自身もわかっている。だが今大切なのは、努力をしようとするその姿勢を師に見せることだ。独立に向けて苦手分野にも精力的に取り組む自分の姿は、少なからずグロリオサの心を打つだろう。順調に貯蓄でき、上手くいけば厳しい監視の目をゆるめてもらえるかもしれない、というのがアイビーの楽観的な考えだった。


「でもどうせ、稼いだお金はすぐに消えちゃうだろうから貯金なんて夢のまた夢だし。どこの誰のせいとはあえて言いませんけど! 特に食費とか、食費とか食費とか」

「はあ? 何そのあてつけがましい言いかた。そういうことなら協力してあげてもいいって、せっかく思ってたのに」

「ええっ! ほ、本気? 言っておくけど通販は禁止だから! 食事だって今までみたいにごちそうは食べられないけど、ヴィーは我慢できるの?」


 アイビーはわが耳を疑った。ヴィー自ら協力など、何か企んでいるとしか思えない。


「あのオバサンの顔をしょっちゅう見るくらいなら――」

「ちょ、ちょっと待って。その言葉、ぜったい禁止!」

「じゃあ、オバアサ――」

「それはもっと駄目っ」


 なんて恐ろしい。ここに話の当人である師はいないのに、アイビーの額に冷や汗がにじんできた。今日の修羅場が鮮やかに脳裏によみがえる。今後グロリオサとヴィーの二人を会わせるのは極力避けたい。ペピーナと連絡を密にとり、師が訪れる際にはヴィーが家にいないようにしようと、アイビーは固く心に誓った。


「とにかく、あの魔女は気に食わない。早いとこ縁が切れるならそれに越したことはないから協力しようって言ったんだけど、アイビーが疑うなら別に――」

「わ、待って! 疑ってないし、やっとヴィーがその気になってくれてすごくうれしいよ!」


 前言を撤回させてなるものかと、アイビーは慌ててヴィーの手をしっかり握って真剣な顔で語りかけた。


「確かに今までに比べて食卓は質素になるかもしれないけど、これからの二人の生活のためだもの。とりあえずの目標は、無駄な出費を控えること。そうすれば自然とお金は貯まるはずだわ。ね、一緒に頑張ろうね!」

「……」


 ヴィーはつながれた手をしばらくの間難しい表情で見つめた後、いかにも不本意といった感じで口を開く。


「一緒に頑張るのはいいとして。どうでもいいことだし、これはあくまでも提案にすぎないんだけど。さっき独立後の当てがないってアイビーは言ってたけど、実は僕にはある」

「えっ、どこ?」


 アイビーは即座に食いついた。


「……僕の領地。近くに紫水晶の海と蛍石の森がある」

「それってもしかして魔界? 行ってみたい!」


 握った手に力を込め、アイビーは目を輝かせた。

 魔界といえば力の強いもの=正義という弱肉強食を絵に描いたような世界だ。ありとあらゆる種族が混在し群雄割拠する混沌とした魔界に渡り、成功を収めた魔女の話など聞いたことがない。


(もしかしたら魔界に住む魔女として第一人者になれるかも? いや、なれる、はず!)


 アイビーがそんな大それたことを考えてしまうのは、ヴィーという心強い使い魔がいるからだ。 

 人生経験の少ないアイビーが知る魔族はごくわずかだが、ヴィーの領地というなら彼に似た気質の魔族が集っているのだろう。


 新しもの好きで通販好きの、美食家。コツはつかんでいる。


(まずは魔女通信。あれを普及させるでしょ? それからなんとかして人間界の食べものを簡単に魔界に運べるようにする。それからそれから――)


 まだまだ先の話にも関わらず、どんどんと夢がふくらんでいく。そんなアイビーに冷や水を浴びせたのは、ヴィーの次の一言だった。


「ただ、そうするには『血の誓約』を交わす必要があるけど」


 今まで耳にしたことがない、だがどこか物騒な響きに、アイビーは手をパッと離して後ずさりした。


「血!? ちちち、ち血って何? そ、それに誓約って、なんか重い!」

「ただの人間ごときが魔界の瘴気に当てられて平気で過ごせるとでも思ってる?」


 ヴィーは軽く肩をすくめた。


「アイビーが魔界に適応するための儀式と思ってもらってもいいよ。お互いの血液を少し交換するだけ、別に大したことじゃない」


 そう言いながらもどこか後ろめたそうに、ヴィーの視線はアイビーから逸らされる。


「ちょ、ちょっと! なんで目を逸らすのよ、よけい怪しいじゃない! もしかして誓約を交わした瞬間、魂を抜かれちゃうとか下僕にされちゃうとか、そういうんじゃないよね?」

「別にそんなことはないけど、ただ……」

「ただ、何?」


 血相を変えてアイビーはヴィーにつめ寄るのだが、


「……寿命は今より延びる、僕と同じくらいに」

「え、それだけ?」


 拍子抜けだった。もともと長寿を約束されている魔女の身としては、今さら寿命が延びると言われてもピンと来ない。


「あとは? たとえば、ヴィーとわたしの立場が入れかわって、わたしがヴィーの使い魔になるとかさあ。あ、でもそれは三食昼寝つきなら考えてあげなくもないかな。ほかに、脳みそ吸われるとか、一夜干しされて保存食になっちゃうとか、もしかして生のまま丸かじりとか。たしかに、わたしは前より太ったかもしれないけど、でもまだぜんぜん美味しくないから! 考えるのなんてお金のことばっかりだし、ぜったいおなか壊すと思うよ」

「人食の趣味はないって何回言えばいいんだよ。アイビーを食料として咀嚼したいと思ったことはないし、これからも思わない。食事はつくし、昼寝したいなら勝手にしたら。あと、アイビーはもう少し太ったほうがいいと思う。で? 誓約するの、しないのどっち?」 


 独り立ちに際しての貯蓄の話から、いつの間にか論点は『血の誓約』を交わすか否かにすり替わっていることにも気づかない。


「うーん、どうしようかな」


 アイビーは難しい顔で悩む、ふりをする。答えはとっくに出ていた。夢の新天地(魔界)での新生活、まだ見ぬ土地、まだ見ぬ素材。そして何よりも、


(もしかして、ワーラビットの集落にも行けるかも! 上手くいけば友だちになれちゃったりして)


 期待に胸はふくらむ。


「今の生活とそんなに変わりがないなら『血の誓約』だっけ? してあげてもいいかな」


 アイビーがわざと上から目線で答えても、ヴィーが気を悪くした様子もなく、むしろどこか安堵したように表情をゆるめた。


「誓約を交わしたら一生、それこそお互いの寿命が尽きるまで生を共にしないといけないけど。後になって破棄はできないし、させない。もちろんそれは承知の上で誓ってもらわないと――」

「そんなの当然でしょう!」


 これ以上見くびられてはたまらないと、ヴィーの言葉をさえぎり少しでも偉く見えるように薄い胸を張った。


「魔女はねえ、一生を添いとげる覚悟で自分だけの使い魔を召喚するんだから! 垂れ耳のワーラビットにはほど遠いけど、それでもヴィーはわたしの使い魔なんだから最後まで面倒見るつもりよ。破棄なんてするわけないじゃない」


 アイビーとしては使役者としての当然の心得と使い魔へのあふれる愛情を語ったつもりだった。


「それとはちょっと意味がちがうんだけど――」

「なによりもまずは資金よね。って言っても、ヴィーが協力してくれるんならすぐにお金は貯まるだろうし。とりあえずわたしは占いをもっと勉強するわ! あとはお師さま次第? ヴィーったら、そんな顔しなくてもきっと大丈夫。わたしが頑張ってる姿を見たら意外と早く独立のお許しを出してくれるかもしれないんだから」


 うきうきと期待に目を輝かせるアイビーとは一転、ヴィーは複雑そうな表情で黙り込む。


 


 ――あなたと『血の誓約』を交わしたい――


 魔界において、ごく一般的で王道の求婚(プロポーズ)の台詞だ。


 そんなこともつゆ知らず、軽々しく受けてしまったアイビーが、グロリオサからきつい叱責を受けるのは五日後のこと。


 それぞれが思い描く理想の未来への道は、まだ遠く険しい。


 

 

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