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花の唄が聴こえる  作者: FRIDAY
壱:夢を映す花
20/64

6 旅の道標とアドバイス

「滞在は三日か。宿は決まっているのかね?」

 コラルの問いに、ハルカは小さく首を振った。

「えっと、まだ、です。この国に来てからすぐこちらに伺ったので」

「そうなのか。それは気を遣わせてしまったね。――ふむ、それならば、友人が宿屋を営んでいる。ちょっと待っていてくれ、いま紹介状を用意しよう」

 玄関口で、コラルは一度家の奥へ戻り、すぐに戻ってくると、持ってきた便箋をハルカへ手渡した。

「あ、ありがとうございます」

「なに、院長から言伝を運んでくれた礼だ。これくらいでは軽いけれどね」

 コラルは軽く肩をすくめた。

 幻燈花の見せる幻は、とても長い時間だったような気もするが、実際は数分程度だったかもしれない。その映像が終わった後、コラルの後片付けを多少手伝い、先の言葉どおりココアをもらった。ハーブが利かせてあるのか、すっかり暖かさを取り戻したのだった。

 コラルの印で封蝋された便箋をハルカが仕舞ったところで、紅茶を片手に持ったコラルは小首を傾げる。

「時に、観光するとのことだが、この国の名所は既に御存知かな?」

「あ、いえ、これから調べてみようかと」

「成程。差し支えなければ、私の方からいくつか紹介させてもらってもよいだろうか」

 お、お願いします、とハルカが恐縮しながら頷くと、コラルは笑みをひとつ浮かべて再び部屋の奥へ戻り、書棚から丸めた紙を持ってくるとハルカへ手渡した。

「これを君へあげよう。この国の地図だ。まあさして広い国でもなく、この王都の周辺はいくつかの砦があるばかりでね。旅人へ勧める名所と言えば、ほとんどが王都内部にある」

 手元で地図を開いたハルカの手許を、コラルは指で指し示す。

「まず何をおいても見るべきは、王宮直下の庭園だ。王家の管理下にある庭園だが、この国一流の魔法使いの実験庭園でもある。……一流の、と紹介してから言うのも口幅ったいが、私も一画を任されている。いずれにしても、庭の造営もまた一流の魔法使いが行っているから、その景観は圧巻の一言に尽きるな。無料で一般開放されているから、気兼ねなく尋ねるといい。いろいろと勉強になることもあるだろう。そう、ここから庭園までの間にあるワーラー広場に立ち寄ったなら、そこに屋台を出しているガラエのアイス屋には立ち寄り給え。あそこは絶品だからな。それから――」

 次々とコラルの示す名所を、ハルカは聞き漏らさないようメモしていく。

 ひとしきり紹介して、ふとハルカを見たコラルは、人見知りがゆえに言葉にはできないながらも、高揚を抑えきれずキラキラと瞳を輝かせるハルカに、眉尻を下げた笑みを浮かべる。

「水を差すようでとても心苦しいが……これから先、道中はくれぐれも気を付けたまえ。これは、先に多少なりとも世界というものを歩いた先達からの、老婆心だ。

世界には美しいものが多くあるが、醜いもの、危ないものもとても多いのだ。女子のひとり旅となればなおさらだな。くれぐれも油断なく、その両面を見るんだ。美しいばかりが世界ではなく、汚いだけが世界ではないのだと。その両端を知って初めて、世界というものを知ることになる」

 はい、とハルカは頷いた。世界が優しいばかりではないことは、ハルカはよく知っている。「ボクもいるから大丈夫だよ!」と猫が言っているが無視。「え、酷い!」

 それでも、ハルカは、幻燈花の見せたあの景色が脳裏から離れなかった。

 あの光景を目にしたときの高揚も。

 世界には、こういうワクワクするものがいっぱいある。

 まだ見ぬもの、未だ知らぬもの。

 それを、これから知りに行くんだ。

 フフ、とコラルは笑った。

「私も老いたつもりはないが、君の高揚している姿を見ると、自分の若かった頃を思い出す。かつて、旅に出たばかりの頃だ。どこまでも行けると思ったし、どこまでに行けると思った。実際に、広くいろいろなところ旅して、様々なところへ行き、見て、知った。あの時間は、今の私にとっても掛け替えのない経験だ。願わくば、どうか君にとってもそうなることを」

 コラルが右手で象るのは、幸運のおまじないだ。市井で一般的なおまじないだが、一流の魔法使いが行うならば話が違う。

「――ありがとうございます」

 謹んで、ハルカはそれを受けた。

 うん、と頷いて、コラルはそういえばと思い出したように言った。

「私も方々(ほうぼう)旅したものだが、目標にしていたいくつかのうち、結局見つけられなかったものがあってね。まああれとの出会いは全くの運頼みだから、もし見かける機会があれば是非寄ってみるといい。シヴュラの空中庭園というのだが、聞いたことはあるかな?」

 コラルの問いに、えっと、とハルカは記憶を探る。

「シヴュラ……という名前は、た、確か、魔導院の年鑑で、かなり最初の方に、見かけたことがある、気がします。花の魔法使い、ですよね。空中庭園というのは、魔導院にいた頃に耳にしたことはあります。いくつかある都市伝説のひとつだと思っていましたが……じ、実在するんですか?」

 ハルカの問いに、コラルは頷いた。

「そうか。今ではあまり伝えるものもいないのだな。都市伝説か。――空中庭園は実在する。シヴュラというのは、魔導院を卒業した数多の天才の中でも格別でね。古い時代、まだ今ほどはっきりと魔法が分化していなかった時代に、今でいう花の魔法のほか、天象科、鉱石科、精霊科、音楽科に当たる魔法なども修めていたという」

「そ、そんなに……」

 系統が違うということは発想が違う。世界へ働きかける想像を異にする複数の魔法を、全て修めるなどというのは紛れもなく天才の所業だが、しかしそれほどに至る天才など聞いたことがない。天才どころか、神の御業とすら思える。

「そのシヴュラはいくつも傑作を残しているが、中でも最高峰とされているのが空中庭園だ。一説には王都が丸ごと収まるほどの広大な庭園を、浮島のように空へ浮かべているという。花の魔法だけではとてもできるものではなく、天象、鉱石の魔法も用いた、シヴュラならではの、かつ彼女にしかできないわざというわけだ。その上、庭の管理は精霊に任せているというのだから、彼女を超える天才は、さらに時代を遡りでもしない限り、彼女以来彼女だけだろう」

「え、もっと遡れば、もっと凄い人もいるの?」

「そりゃあ君、さらに遡ればその時代はもう神代だからね」

 黒猫の問いに、コラルは肩をすくめて応じた。うひゃあ、と黒猫は驚嘆するが、それを横にハルカも問う。

「そんな、神話の時代の遺跡のようなものが、実在するんですか?」

 コラルは、大きく頷いた。

「するとも。あれは間違いなく実在する。今もこの世界の空のどこかに浮かんでいるんだ。世界各地の歴史書や、冒険家の記録にたびたび登場する。まあ、かなり上空なので足を踏み入れた者ともなるとそうそういるものではないがね。しかしいずれも、“空に浮かぶ島を見た”という点では、時代を超えて一致する。そして神話以降、そんな島はシヴュラの空中庭園をおいて他にはない」

「それを、探していたんですか?」

 ハルカの問いに、コラルは肩をすくめた。

「旅の目標のひとつとして、ね。世の中には、あれを探すことだけに生涯を費やす冒険家も少なくはないが、私はそこまでではなかった。他にも見たいものは山ほどあったからね。ただでさえ、あの庭は常に移動している。庭を訪れるどころか、垣間見ることでさえ至難だ」

 と、黒猫がちょいちょいとハルカの脚をつついた。何よ、と見下ろすと、あのさ、と黒猫は問う。

「さっきからコラル博士、その空中庭園のことを“あれ”って、まるで見たことあるような口ぶりなんだけど、博士は見たことあるの?」

 言葉の綾では、とハルカは思うのだが、見ると、

「まあ、な」

 果たしてコラルは苦笑していた。

「遠目に、本当に遠目に垣間見ただけだ。それも偶然、旅の途中でとある山に登り、遠見の魔法で周囲を見渡していたときのことだ。数百か、数千は離れた先の上空。薄青に染まった雲の隙間から、あれが見えた。幻かとも思えたが、今思い出しても、あれは確かにシヴュラの空中庭園だったんだ。私は大慌てで全力で、魔力が尽きる寸前まで飛んでそこを目指したが、あまりに遠く、しかも庭は遠ざかっていっていたため、私はとうとう辿り着くことはできなかった。そしてそれ以来、私はあれを目にすることができていない。本当に、幸運だったよ」

 残念、という感情は見えるが、しかし不思議と清々しさも伴っていた。それがどういう気持ちなのか、今のハルカには判然とはしない、が、

「憶えて……おきます。私はそれほど運の良い方ではないので、出会えるとは思えませんが……」

「なに、どこで何と巡り合うかなど、誰にもわからないものだ。ただ少なくとも、その機会が訪れたときには絶対に逃さないことだ。そしてもし君が彼女の空中庭園へ足を踏み入れることが叶った暁には、その様子を私に語り聞かせてくれ。楽しみにしているよ」

「は、はい。そのときには、必ず」

 思わず身を固くしてしまったハルカの肩に、コラルは笑みで軽く手を置いた。

「すまない、ちょっとプレッシャーになり過ぎてしまったかな。別に義務ではないから、あれを積極的に探すことはしなくて構わないよ。一生かかっても出会えない冒険家も多いのだから――次は、どこの国へ向かうんだい?」

「えっと……とりあえず、東へ、向かってみようと思っています。ツェテラ大街道に沿ってあちこちを見て回りながら、ゴルゴドア山脈を越えることが当面の目標です」

「それはなかなか難所だな。ゴルゴドア山脈は標高こそそこまで高くはないが、道が入り組んでいるうえに険しい。備えをしっかりするのは勿論だが、可能であれば旅の行商などと同道させてもらうのがいい。商隊は馬車だし、用心棒も雇っているものだからね。多少の金銭を取られるかもしれないが、旅の安全や利便性を買うものと思って払ってしまっても良いだろう。明らかに吹っ掛けてきているのではなければね」

 あれこれと、コラルは旅のアドバイスをくれる。根が勉強熱心なハルカはしっかりと訊いているが、ふと不思議に思い、あの、と声をかける。

「うん?」

「どうして、そこまで、いろいろと教えてくれるんですか?」

 ハルカの問いに、コラルは、意外なことを訊かれた、という顔になった。それから、ううむ、と考え込み、

「やはり、私が教員であるということが大きいのだろうな。教えたがり、というのはもはや職業病のようなものではある。それに加えて……君のその探求心を見ていると、自分の若い頃を思い出す。だから、若い頃の私が経験した失敗や、今思えばもっと上手くできたはずというような事柄を、若者には最初から上手に乗り越えてほしいのだ。だから平たく言えばこれは……やはり老婆心、という奴だよ」

 ふふ、と自分で言ったことが可笑しいというように、コラルは笑った。

「では老婆心ついでに、君にもうひとつ、私から旅の門出を贈ろう」

「い、いえ、そんな、既にいろいろいただいてしまっています」

「まあ遠慮することはない。裏や打算があれば別だが、もらえるものはもらっておくのも長旅のコツだ。――すぐには用意できないのだが、君がこの国を出立する頃には用意できるだろう。すまないが、もう一度ここへ立ち寄ってくれ。次に訪れるときは、過集中の魔法などは使わなくていい。君にはここが見えるようにしておこう」

 まだハルカにはぎこちなさは残るが、それでも最初よりは打ち解けた。だからこそ、ハルカは、黒猫に促されずとも、少し強張ってはいるけれども精いっぱいの笑顔で、応じることができた。

「ありがとう、ございます。いただいたもの全部、大切にします」

 まずはコラルに教わった名所を巡ろう。ワーラー広場のアイスも食べよう。コラルには珍しいものを見せてもらっただけでなく、旅のコツまでいろいろと教わった。そしてこれからも、もっとたくさんの珍しいものや、景色や、知識に出会えるのだ。

 そのことが、いま何よりも、ハルカの胸を高鳴らせているのだった。


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