第八話 先輩のおうちにお呼ばれ、頑張りましょうっ! 中編
リビングに戻って、二人でソファーに座ると。
「それで、ひと通り見終わってからの感想は?」
早速ですか、しかも並んでではなく向かい合って座るなんて。
自宅で、大きなベッドが誘っている寝室だってすぐそこにあるのに。
やっぱり、朴念仁なのかしら?
「新婚生活を送るおうちの点数としては、百点満点で百二十点ね」
おうちそのものについては、何ひとつとして文句はないわ。
ほとんど新築でピカピカな上に、設備だって充実しているし。
文句があるのは、子供部屋とか寝室をこれからどう使うかってことよ。
「気に入ってもらえたなら、良かった」
「十分すぎるほど広くて奇麗なおうちで、何もかもそろっているけれど」
「けれど、何だ」
「このおうちって、思いっきり生活感がないわね」
「そんなことを言われても、仕方ないだろ」
「どうして?」
「ここには寝に帰るだけで、生活らしい生活はまったくしていないんだから」
「どうしてこんなに広いマンションにしたの、独身なのに」
「結婚の準備をするのを口実にして、家を出たんだぞ」
今のわたしと、似たり寄ったりじゃない。
「おかしいだろ、家族で住める広さじゃないと」
「まあ、ね」
「そうじゃなきゃ、独身で3LDKのマンションなんて買わないよ」
ええっ!
「ここって、賃貸じゃないの?」
「ああ、おふくろが頭金を出すって言うんで買ったんだ」
「へえ、気前がいいお母さまね」
「よっぽど、俺に結婚をさせたかったんだろ」
「なのに、お見合い話が復活したのはどうしてなの?」
「しびれを切らしたんだ、マンションまで買ったのに一向に結婚しないから」
ふうん、それでわたしが持ちかけた偽装結婚の話に乗ってきたのか。
それじゃあ、今ってわたしにとってはラッキーなタイミングだったのね。
「でも、これだけのマンションだと毎月のローンが大変ですね」
「そうでもないさ、うちの会社は持ち家手当が出るから」
たとえ、手当があったとしたって……。
「俺が出しているのは、実質的に六万円だから」
六万円って、この立地でこの間取りなのに?
「たったの六万円でこんなおうちに住めるなんて、借りるより安いじゃない」
これは、三ポイントをプラスね。
「緊張がとけたらおなかがすいちゃった、そろそろ食事をしに行きましょ」
「まだ六時半か、おまえの門限を気にせずにゆっくりできるな」
残念でした。
今日に限れば、先輩がわたしの門限を気にする必要はないんですよ。
「それじゃ、行こうか」
玄関に向かおうと、立ち上がった先輩が。
「何をやっているんだ、運んできた荷物をしまい忘れているぞ」
ソファーに置かれたままの、わたしのバッグを指差している。
「しまい忘れてなんかいませんよ、置いていくんです」
「荷物をしまうために、わざわざここに戻ってくるのか?」
「ええ、そのつもりです」
荷物をしまうため、ではないですけれど。
「出かける前に中身をしまって、バッグを持ってそのまま帰ればいいだろ」
「だって、しまうもしまわないも」
バッグから中身を取り出して、リビングのテーブルに並べてみせると。
「何だよ、この下着や化粧品は」
「お泊まりセットです、女物の下着や化粧品なんてここにはないでしょ」
もしもあったとしたら、それはそれで大問題だけれど。
「はあ?」
「食事を終えたら戻ってくるもの、今日はお泊まりをするんですから」
今後のためにと持ってきた荷物だって、あるにはあるけれど。
荷物の大半は、今夜のためのお泊まりセットですから。
いえ、今日のためだけじゃないわね。
結婚をするまでの間には、何度もお泊まりをすることになるんだから。
「こっ、ここに泊まるだとっ!」
そんなに驚かなくてもいいでしょ。
「彼氏がいる感じを出すために、適度に外泊するって決めたばかりでしょ」
「そりゃ、そうだが」
「旅行はしないって言うから、先輩のおうちにお泊まりをするんです」
「いきなり外泊なんてしたら、おまえの親だって心配するだろ」
「そんな心配は無用です、親には未来の家に泊まるって言ってありますから」
未来とは、会社の同期で仲良しの佐々木未来。
システム部員で、先輩のサブをしているの。
「泊まるって言われても、余分な布団はないぞ」
「別に構いませんよ、わたしは寝室のベッドで寝ますから」
「おまえがベッドに寝たら、俺はどこで寝るんだ」
「わたしと一緒に寝ればいいじゃない」
「一緒に寝るって、ふざけるなよ」
「あんなに大きいベッドなんだもの、端と端に寝れば何も問題はないでしょ」
「問題だらけだろ」
「どこが?」
「偽装結婚なんだし、その偽装結婚すらまだしていないんだぞ」
頑張れわたし、ここは譲っちゃだめよっ!
「恋愛経験すらない女の子が、覚悟を決めて泊まると言っているんですよ」
しっかりと先輩の目を見て、最後まで言うのよ。
「覚悟を決めたわたしの気持ちを、先輩は踏みにじるんですかっ!」
「そこまでは言っていないだろ」
初めてのお泊まりを覚悟した、その重さぐらいは理解しているみたいね。
でも、小声で言っているのが聞こえるわよ。
「誰が彼女だ、それに覚悟と言っているがこいつが勝手に……」
「わたしを自宅に連れ込んでおいて、よくもそんなことが言えたものね」
ここで大げさに目頭を拭ってみせて、と。
「分かったから泣かなくてもいいだろ、泊まってもいいから」
へえ、効果はてきめんね。
女の涙は武器って聞くけれど、本当なんだ。
「泊まってもいいけれど、俺はリビングのソファーで寝るからなっ!」
「別に、構いませんよ」
問題ないわ、寝室からソファーまでどれだけの距離があるっていうのよ。
とにかく、お泊まりをすること自体は認めさせたんだし。
これ以上の議論をするのは、得策ではなさそうね。
「そんなことより、早くご飯を食べに行きましょ」
先輩にしてみれば、そんなことではないでしょうけれど。
食事に連れていってくれたのは、歩いてすぐの商店街。
「すぐ近くに、こんなに大きな商店街があるのね」
「大概のものはここで買えるし、上がアーケードだから雨の日には便利だろ」
「お店がいっぱいあるから、探索するのが楽しみだわ」
「俺がいないときでも、当分の間は暇つぶしには困らないだろ」
「食事ができるお店も多いし、どのお店もおいしそうね」
「この町に決めた一番の理由が、それだよ」
そう言いながら、しゃぶしゃぶ屋さんに入っていく先輩。
「ちゃんとしたしゃぶしゃぶ屋さんね、商店街の中なのに」
「値段は手頃なのに、かなりうまいんだ」
お料理を注文して、ビールを飲みながら相談を開始。
「ひと通り見た上で、必要だと思ったものは何がある?」
「衣装だんすは、クローゼットがあるからいらないけれど」
「けれど、何だ?」
「それでも、小さめの整理だんすが欲しいな」
「整理だんす?」
「下着や靴下とか、細かいものを入れるんです」
「細かいものって?」
「やぼなことは聞かないの、女性にはいろいろとあるんですよ」
「後は?」
「そうねえ、お化粧用のドレッサーかな」
「洗面所にシャンプードレッサーがあるだろ、あれじゃだめなのか」
「あれは、通勤をするときとかの簡単なお化粧用だもの」
「だからって、ドレッサーまで」
「本格的なお化粧のための化粧品を置けるし、アクセサリーもしまえるのよ」
「面倒なんだな、他には?」
「そんなものかな」
「じゃあ、あとはおまえのベッドと布団一式か」
「わたしのベッドについてだったら、二人で一緒に寝れば買わなくてすむわ」
「諦めが悪いやつだな、まだそんなことを言っているのか」
まだどころか、この問題については譲るつもりは毛頭もありませんからね。
そんな相談をしながらも、しゃぶしゃぶを食べお酒を飲んで。
先輩が褒めるお店だけあって雰囲気がいいし、何よりお肉がおいしいの。
ご機嫌で舌鼓を打っていると。
「泊まると言うが、下着と化粧品以外に必要なものは持ってきたのか?」
「持ってきたのは、基本的なものだけですよ」
「基本的?」
「会社に行くのに必要な、最低限のものだけを持ってきたんです」
「どうして、全部持ってこなかったんだ?」
「置く場所には困らないとは思いましたけれど、一度に運ぶと重いからです」
「まあ、結婚をするまでは実家で暮らすんだし」
「どうせ何度も泊まるんですから、足りなければ買いそろえてもらいますよ」
しらっと次回以降のお泊まりについて口にしたけれど、文句も言われずか。
ということは、お泊まりについては容認するってことよね。
「明日の服は、会社に着ていく服はどうするんだ」
「バッグは下着と化粧品でいっぱいなんですよ、お洋服を入れる余裕なんて」
「着替えがないって、まさか今日と同じ服を着て会社へ行くつもりなのか?」
「好都合じゃないですか、お泊まりをしたのがばればれで」
「あのなあ」
「それに同じ服だからって、先輩の家に泊まったなんて誰も思わないでしょ」
「だからって」
「そこまで言うなら、これから買ってもらおうかな」
「俺が買うのか、意外とちゃっかりしているな」
「センスを試すいいチャンスだもの、お洋服は先輩に選んでもらいますから」
どうせ明日になれば、服を変えても変えていなくてもばれちゃいますよ。
計画どおりなら、わたしが先輩の家にお泊まりをしたってことは。
「後は、歯ブラシね」
「持ってこいよ、そんなものくらい」
「歯ブラシこそ買うべきでしょ、おそろいを」
「寝間着もないんだろ、買っていくか?」
「買わなくてもいいですよ、先輩のYシャツを借りますから」
「どうせ買い物をするんだから、パジャマくらい買えばいいじゃないか」
「夢だったんですよ、男の人のおうちに泊まって借りたYシャツで寝るのが」
「ふっ、つまらない夢だな」
「鼻で笑わないでください、どうせ男の人には分かりませんよ」
「分からなくて結構だ」
「先輩だって、うちに泊まったときはお父さんのパジャマを借りましたよね」
「借りたといっても、結局は小さくて着なかっただろ」
「ほら、パンツ一丁で寝た先輩よりもYシャツを借りるわたしの方がましよ」
「どっちもどっちだろ、パジャマは買わなくていいんだな」
「ええ」
追加したお肉をあっという間に食べ終えて、残りのビールを飲みながら。
「そういえば、ヘアアイロンはあります?」
「何だ、そりゃ」
「朝の髪の毛を伸ばすための、おしゃれ家電です」
「ないに決まっているだろ、そんなもの」
そりゃそうよね、聞くまでもないか。
「じゃあ買わなくちゃ、近くで買えるところは?」
「表通りに複合施設があって、三階が家電量販店なんだ」
「複合施設?」
「二階の専門店で服も買えるし、一階はスーパーマーケットだから」
「じゃあ、そこへ行きましょうか」
そんな相談をしながらも、食事は続いておりまして。
「ごまだれは使わないんですか?」
最初から、ぽん酢しか使っていないもの。
「ああ、昔からぽん酢しか使わないんだ」
「ふうん、ごまだれは嫌いなの?」
「口にしたことがないだけだよ、ぽん酢が専門で」
「じゃあ、ぽん酢を使うお料理は好きなんだ」
「そういえばそうだな、カニにフグに鶏の水炊きに」
「へえ、ごまだれもおいしいのに」
「欲しいなら、俺の分をやろうか?」
「いいの?」
「どうせ、俺は使わないし」
「頼むお肉は、牛肉ばっかりね」
「どうも、豚しゃぶってのが……」
「嫌いなの?」
「そこまでじゃないが、しゃぶしゃぶといったら牛肉だろ」
「豚は豚でおいしいのに」
「一人前を食べられるなら、頼むか?」
「今からわたし一人で一人前を食べるのは、ちょっと」
しゃぶしゃぶを食べただけで、これだけのこだわりか。
ぽん酢しか使わず、ごまだれは使わない。
牛しゃぶしか食べず、豚しゃぶは食べない。
しかも、もみじおろしと薬味のネギはたっぷりと使うの。
細かい食のこだわりが、いっぱいありそう。
今後もこんなことが続くようなら、場合によってはポイントのマイナスも。
先にお店を出たわたしに、お勘定を済ませた先輩が。
「どうだった、この店」
「おいしかったわ、また連れてきてね」
「良かった、一軒目から気に入ってもらえて」
気に入るどころか、満足感でいっぱいよ。
お店については、文句なしに一ポイントをプラス!
Copyright 2026 後落 超
「千里の道も歩いてみれば」は、全二十四話。
毎週、木曜日と金曜日の十六時五分に投稿予定です。
投稿済の「くまさんの春から」「難ガール」と同様に、お楽しみいただければ幸いです。




