11 鈍色空
――戦の音がした。
空が、燃えていた。
新月の夜闇に、あかい光が満ちる。
鉄格子のはまった窓から見えたのは、鮮烈な赤色と、それと対象的に、限りなく暗い闇だけだった。
何だろう。外が騒がしい。
そんな思いで目を向けた窓の外に迫るそれが炎だとは、とっさには気づかなかった。噛み付くように鉄格子の元へと走った。ひたりと張り付くようなつめたさが手には伝わっているというのに、外の世界では考えられないほどの熱が私の体を照らしていた。
どこもかしこも、燃えている。ごうごうと音を轟かせる、つめたい炎。狭い部屋の中に暗く落ちた炎の影が、ゆらゆらと揺れていた。
馬のいななきが、近くで聞こえた気がした。か細く響いたそれは、確かに助けを求める悲鳴だった。
――かわいそうに。
私はあなたを解き放つことはできない。私もあなたと同じ、冷たい鎖でつながれているの。
ここには「生」がない。あるのは「死」だけ。
私もいつかはそれに飲まれて消えてゆく。
生まれたときから、存在意義などなかった。わけも分からず、この部屋に押し込められた。鉄格子から見える景色だけが、私のちいさな世界。私を見る人々の瞳は、いつも恐怖の色に染まっていた。鉄格子の内側の私と目が合うと、何も見なかったふりをして逃げて行く。
私のちいさな世界は、ただ残酷だった。そこから見えるもののすべては、どんなに手を伸ばしても掴めないものだった。ちいさな女の子だった私は、次第に何も望まなくなっていた。
鉄格子から手を離し、ぺたりと床にしゃがみ込む。すべてに目を背けてしまいたかった。
村が燃えていることも、誰の声も聞こえないことも。私がここから出られないことも。火の手がすぐそこに迫っていることも。
その時だった。
開くはずのない扉が、音を立てて崩れた。真っ赤な炎を背に、立っていたのは――。
* * *
目が覚めた。ほっとしたのか、覚めて欲しくなかったのか。自分でもよくわからなかった。心臓は早鐘を打っており、脳みそを誰かにぐちゃぐちゃにかき混ぜられたかのように頭が重く、何かを考えようとしても、纏まりかけた考えがばらばらと崩れてゆく。一度瞳を閉じて波がすぎるのを待った。
いつも同じ夢。村が襲撃されるのを、私はひとりで見ている。そして、燃え盛る炎をバックにあの人が現れる直前で、夢はいつも覚めてしまう。私とあの人が再び出会うことはない。そう暗示しているかのような夢。
この夢をみると、私は決まって泣きたくなる。どんどんと時が過ぎる中で、あの人の顔や声がおぼろげになり、そしていつか消えてしまう。それなのに、この夢のおかげで私のあの人への思いは消えることはない。忘れたい記憶のはずなのに、私はこの夢が見られなくなることを恐れている。この夢の存在がなければ、私はきっとあの人のことを忘れてしまう。長い年月をかけてこれほどまでに膨らんだあの人への思いを、私はきっと忘れてしまう。それが怖い。何よりも怖い。この身体が朽ち果てるその日、私は何を思うのだろう。魔女である私には老いはない。あの人のことを忘れてしまう前に、あの人が生かしてくれたこの身体を自ら殺すのではないか、そう思ってしまう。あの人が何より嫌ったことを、最後にしてしまう。それが怖い。
どうすればいいのだろう。
私には分からない。
人には平等に死が訪れるし、時も平等にすぎて行く。けれど、魔女である私は違う。人の一年と私の一年は違う。人には長い一生だろうと、私にはほんの一瞬にしかならない。
イシアと出会ったことも、イシアの暖かさと触れたことも。すべて、私にとってはほんの一瞬。
英雄……レイとの時間は、決して甘い幻想に浸っていられたわけではなかった。レイの兄、カイさんは、私のことを良く思っていなかった。私は魔女の一族だから。たとえ、一度も魔術を使ったことがないとしても、私は皆から恐れ、忌み嫌われる魔女なのだ。
レイも初めはカイさんと同じだった。なぜ私を生かしたのか。そう尋ねた時、レイはただの興味本位だ。と答えた。それだけ。それだけでも、私は嬉しかった。いままで、私の周りにいた人々は皆、私をいないものとして扱ったから。私の存在する意味など分からなくて。そんな中でかけてくれた言葉。レイにとってはきっと、私を拒絶するための言葉だったのだろうけれど。私は、レイを知りたいと思った。ちっぽけな優しさをくれたレイを好きになった。
――もう戻らない。懐かしい夢。
「お目覚めになりましたか!」
嬉しげな声がした。驚いて辺りを見渡すと、そこは知らない部屋だった。私が住んでいた家の倍ほどもある広い部屋。私が寝ているベットも天蓋付きで、羽毛でくるまれているかのように、寝心地が良い。淡い色彩で統一されたカーペットや、カーテン。大きな窓枠から見える空は、鈍色だった。ここに住んでいる人は、かなり身分の高い方なのだろう。体を半分起こして、先ほど声がした方を見ると、茶髪をうえに束ねた勝気そうな美人の女性がいた。着ている服は、豪奢な装飾のある文官のものであり、身に纏う雰囲気からは、かなりやり手であることは容易に想像が出来た。
「魔女さま、ですよね?」
彼女は私に尋ねた。なぜ私を知っているのだろうと思ったが、とりあえず頷いた。
「良かった。私は、イシアの補佐官を務めております、イリナと申します。主の命により、魔女さまを保護いたしました。今までのこと、覚えていらっしゃいますか?」
途端に、記憶が蘇る。吹雪の中、イシアに連れられて、逃げ出したこと。イシアと別れて、ひとり吹雪の中を走ったこと――。
「イシアは、イシアは大丈夫なんですか?」
掠れた声が漏れた。イリナの顔が、途端に強張るのが見えた。
「イシアは、死んではいません。でも、それに近い場所にいる。とだけお伝えします」
「……!? それは、イシアは捕らえられているということですか。それなら、助けなくちゃ!」
「魔女さまは、どうかここでご療養なさってください。そうでなければ、イシアが体を張ってあなたさまを守った意味がなくなります」
「でも!」
「私どもの部下が、いま全力でイシアを助けようとしています」
ピシャリと、冷たい言葉で跳ね除けられる。久しくそんなことをされていなかった私は、直ぐに口をつぐんだ。
「イシアの意志を、尊重して下さいませ」
イリナも言い過ぎたと思ったのか、静かな口調で付け足した。
その時だった。
こんこん、と切迫したノックの音が響いた。
「イリナ殿。至急の連絡があってまいりまし」
イリナはその声に一瞬だけ、表情をなくしたあと、入りなさい、とだけ言った。入ってきた使者は、酷く慌てた様子でイリナに耳打ちをする。それを聞いたイリナの表情が変わった。
「そんな……! 簡単にここが分かるはずがありません」
「しかし、陛下からの使者が来ております」
「……分かりました。すぐ支度します」
頷くと、使者が去って行った。
イリナは深くため息をつき、私をみた。
「魔女さま。何があっても、ご自分の命を尊重して下さい。私とともに、王城に参りましょう。そこで、陛下が貴女様にお話があるとの仰せです」




