味を知る男
「すみません、今は休憩中なんです」
フェルリッサが席を立ち、扉に向かった。
「フェルリッサ、久しぶりだのう」
「え? あの?」
フェルリッサの名を呼んだのは、杖を付いた白髭の老人だ。
スーツを着て、シルクハットを被っている。
そして、その隣には、三十代と思われる男が付き添うように立っていた。
スーツを着ている隻腕の男だ。
老人と男は、フェルリッサに一礼して構わず店に入る。
老人はヴァンの前で、隻腕の男はエルザの前で跪いた。
「ヴァン様、お久しぶりでございます」
「お前! ルディか!」
「はっ。お約束の品が予定よりも早くできましたので、お届けに上がりました」
跪いたまま微動だにしないルディ。
「わざわざすまんな」
「とんでもないことでございます」
「頭を上げろ。もう俺に跪く必要などない。そうだ、お前飯は食ったか?」
「い、いえ。こちらでいただこうと思っておりました」
ルディが顔を上げた。
「そうか。じゃあ、ちょうどパスタを作ったんだ。食っていけ」
「ヴァ、ヴァン様の手料理ですか! い、いただいてもよろしいのですか!」
「もちろんだ」
「め、冥土の土産になりますうう」
涙を流すルディ。
千年に一人と呼ばれる大魔術師にもかかわらず、声を上げて泣いていた。
隣では、同じように涙を流す男がいた。
「エルフリーゼ様、ご無沙汰しております」
「あなた! ハルシール! ハルシールじゃないの!」
「またお会いできて光栄です」
元暗殺者ギルドの仲介人リヒターだ。
リヒターはスパイの名で、本名はハルシールという。
帝国魔術団の風の師団で師団長だった男だ。
「リヒター。いや、ハルシール。貴様は帝国に戻れたようだな」
「ヴァンか。お前には感謝しているよ。暗殺者ギルドを潰してくれたおかげで、混乱に乗じて帰国できたのだからな」
「今は何をやっている?」
「現在は風の師団を離れ、ルディ様の護衛だ」
エルザが手を叩くと、ホールに明るく乾いた音が響いた。
「凄いじゃない! 帝国魔術団の団長ってことでしょ!」
「はい。エルフリーゼ様のおかげです」
「私は何もしてないわよ。でも、本当によかった」
ハルシールの肩に手を置くエルザ。
聖女だったエルザを命がけで守っていたハルシール。
この二人の絆は固く強い。
突然、マルヴェスがテーブルを叩いて、立ち上がった。
ハルシールの前に立ち、睨みながら顔を近づける。
「リヒター。いや、本名はハルシールっていうのか。てめえ、よくも俺を騙してくれたな」
「マルヴェスか。お前を騙すなんて無理だっただろう? お前は引っかからなかった。お前が一番厄介だったよ」
「抜かせ。次会ったらぶっ殺そうと思ってたぜ」
「はは。残念だったな。会えて嬉しいよ」
「けっ、キザな野郎だ」
二人は固く握手を交わしていた。
「仲が良さそうで何よりだ」
ヴァンはそう呟きながら、満面の笑みを浮かべるルディに視線を向ける。
「ルディ。薬ができたのか?」
「左様でございます。まずはそこのマルヴェスで試しましょう」
マルヴェスが間抜けな表情を浮かべ、自分の顔を指差す。
「あ? 俺か?」
「そうだ。これを飲むがよい」
ルディが小さな瓶をマルヴェスに手渡した。
マルヴェスは蓋を開けると同時に、躊躇なく一気に喉に流し込んだ。
「な、なんか変わったのか?」
「ヴァン様のパスタを食べてみろ」
ルディに言われるがまま、パスタを頬張るマルヴェス。
「え?」
マルヴェスの動きが止まった。
「な、なんだこれ……。これはもしかして……。あ、味……」
パスタの大皿を見つめながら呟いている。
「うおぉぉぉぉ! 味だ! 味がするぞ! 味だ! 味だ!」
フォークを掴んだまま、両腕の拳を宙に向かって握りしめるマルヴェス。
「ヴァン! うめーぞ! お前のパスタ、クソうめーぞ! 最高だ! 最高だ!」
その様子を眺めながら、ヴァンは珍しく笑顔を浮かべた。
マルヴェスの気持ちはとても分かる。
なぜならば、ヴァンも昨年初めて美味いということを知ったから。
「爺さん! ありがとう! ありがとう! ありがとう!」
マルヴェスがルディの手を取り、握手をした。
「うめーよ! 止まんねーよ!」
マルヴェスの手は止まらず、大皿のパスタを平らげてしまった。
だが誰も文句を言わない。
むしろ、その姿を喜んで見つめていた。
エルザとフェルリッサは涙すら流していたほどだ。
「もっと食いてー! うめー! 味ってすげーな! 偉大だな!」
だが、残っている食材は夜の営業分だった。
マルヴェスが賄いに使える食材はもう残っていない。
「おい、マルヴェス。ムカデがあるぞ。焼いてやる。待ってろ」
「おお、頼むぜ!」
ヴァンはキッチンでムカデを焼き始めた。
香ばしい香りがキッチンに立ち込める。
実は味覚が戻っても、ヴァンはたまにムカデを食べていた。
その都度エルザは激怒していたが……。
今も苦虫を噛み潰したような表情で、ヴァンを睨んでいた。
殺し屋だったマルヴェスは、ムカデも平気で食べる。
いや、むしろ殺し屋の二人にとって、ムカデはご馳走の部類だった。
串焼きにしたムカデを頬張るマルヴェス。
「こ、こりゃ……」
その手が止まった。
「ま、不味い! 不味い! 不味い! おええええ!」
「もったいないなあ」
すかさずバケツを手渡すフェルリッサ。
マルヴェスは全てを吐き出していた。
「不味すぎんだろ! こんな虫みたいなもん食ってたのかよ!」
「虫みたいじゃない。虫だ」
「ぐええええ、最悪だ! お前、味覚が戻ってもこんなもん食ってんのかよ! 頭おかしいぞ!」
「美味いじゃないか」
「……こ、こいつ、信じられねえ。こいつと結婚したら、食卓にムカデが並ぶのか。エルザ、同情するぜ」
マルヴェスは水を含み、うがいをしながら何度もバケツに吐き出していた。
「あの、ルディ先生……。そ、そんな無理なさらず……」
エルザが額から汗を流し、ルディを見つめている。
ルディが涙を流し、ムカデを頬張っていたからだ。
「ヴァン様の作る料理は何でも美味しいのです。ありがたや。ありがたや」
「そ、そうですか……」
本気で美味そうに食べているルディ。
ヴァンも一本手に取った。
「美味いじゃないか。なあ、ルディ」
「はい。宮廷料理よりも美味しゅうございます。エルザも食べなさい」
さすがのエルザも後退りしていた。
「い、いえ、私はご遠慮いたします。ほ、ほほほ」
「不味い! くっそ不味い! おええええ!」
大騒ぎするマルヴェス。
だが、その瞳からは大粒の涙がこぼれていた。
「これが不味さか! 初めて感じたぞ! おもしれー! だが、二度とムカデは食わん!」
「良かったな、マルヴェス」
「おい、ヴァン。この薬、みんなにも分けてやろうぜ!」
マルヴェスの意図を汲んだヴァンは、ルディに視線を向ける。
ルディも察して深く一礼した。
「ご安心ください。すでにヴァン様のお名前で薬を送っております」
ルディは古い暗殺者たちの連絡先をまとめていた。
さらに、仕事まで斡旋しているという。
もちろん合法な仕事だから、ヴァンたちも安心していた。
「そうか。手間をかけたな」
「とんでもないことでございます」
返事をしながらも、ムカデを食べる手が止まらないルディ。
マルヴェスが口の周りを袖で乱暴に拭き、ヴァンの肩を叩いた。
「なあ、ヴァン。みんなを呼ぼうぜ! 味を知った殺し屋どもでパーティーしよう!」
「ふむ、いいじゃないか。みんなが来るのか。楽しみだな。お前の料理でもてなしてやれ」
「てめえも作るんだよ!」
マルヴェスがヴァンの背中を強く叩いた。
「俺も? まあいいが……。なら、ムカデを仕入れておくか。さっき全部焼いたからな」
「ねえ、ヴァン。山へ捕りに行く?」
フェルリッサが、ムカデをつまみながらヴァンの顔を見上げている。
フェルリッサは虫を気にしない。
それどころか、以前から普通にムカデを食べていた。
「そうだな。みんなが来るなら、百匹は捕っておこう」
「うん! 明日行こうね!」
「やめなさい!」
「ふざけんじゃねーよ! 死ね!」
叫ぶエルザとマルヴェス。
店内に笑いと悲鳴が響いていた。




