第106話 終わりなき旅
シュウの叫び声を耳にした三人は一斉に席を立ち、タスクの眠っている部屋に駆け込んだ。
「————タスクッ‼︎」
「————アニキ‼︎」
ドアを開けてリンファとジャンが同時に声を上げると、ベッドに横たわるタスクの足元でシュウが羽をバサバサと広げた。
「ピィピッ! ピピィッ!」
「シュウ! どうした⁉︎」
「ジャン、見てみい!」
リンファの指差した先に眼を向けると、タスクの指がピクピクと動いているのが見えた。
「…………う……」
呻き声を上げたタスクの手を左右からジャンとリンファが掴んで呼び掛ける。
「アニキ‼︎」
「タスク‼︎」
二人の懸命な声が届いたのか、やがて閉じられていたタスクの眼がゆっくりと開かれた。
「……う……、あ……」
「アニキ……ッ‼︎」
「タスク……! 良かった、ホンマに良かった……ッ‼︎」
「…………」
二人はタスクの手を力強く握り締めて涙を浮かべるも、眼を覚ましたタスクの反応は鈍かった。
「……タスクくん、私たちが分かるかね……?」
ここで初めてジゼルが声を掛けたが、その表情は何故か険しい。
「…………タスク……? 誰、だ……?」
『…………‼︎』
その返答にジゼルたち三人は驚愕の表情を浮かべた。
「……何も、思い出せない……。お前たちは、誰なんだ……?」
「ちょっと待てよ……。アンタのジョーク、面白くねえって……‼︎」
信じられないと言った様子で首を振るジャンへタスクは視線を向けた。
「……悪いが、名前を教えてくれないだろうか……?」
「————っざけんなよ! 俺だよ! アンタの相棒のジャン様だよッ‼︎」
「やめたまえ!」
涙を流しながらタスクの胸ぐらを掴んだジャンをジゼルが引き剥がす。力ない眼差しでその様子を眺めていたタスクは申し訳なさそうに眼を伏せた。
「……すまない……。何も、思い出せない……」
「リンファちゃん! 一発かましてやれ! アニキの眼を覚まさせるんだッ‼︎」
「…………ッ」
ジャンに声を掛けられたリンファは震える手を振り上げることなく、そっとタスクの身体を抱き締めることに用いた。
「……大丈夫じゃ、タスクのことはずっとウチが守っちゃるけえ……ッ‼︎」
「…………守る……?」
「そうじゃ……じゃけえ、なんも心配いらんわ……!」
「…………」
リンファは長い間、タスクの身体を優しく抱き締め続けた————。
タスクが再び眠りについたのを見届けた三人は、彼の元を離れようとしないシュウを残してリビングへと戻っていた。
「————記憶喪失……⁉︎」
「……ああ。あの様子では自分が何者であるのかも忘れてしまっている。かなり重い症状だ……!」
ジゼルが頭を抱えるその様子から、ジャンは事の深刻さを感じ取った。
「……なんで、アニキがこんな眼に遭うんだよ……‼︎」
「今までの症例からいくつか原因は考えられる。頭部に強い衝撃を受けたり、強烈なストレスやショックを感じた場合に脳が心を守るために記憶を遮断するそうだ」
「な、治るんだよな……⁉︎」
「……分からない。ある日ふと記憶が戻ったりする場合もあれば、一生戻らない事例もあったらしい」
「一生……⁉︎」
重い表情でうなずいてジゼルは続ける。
「重症ではあるが、彼は生活に必要な全ての記憶を失っているわけではなさそうだ。不幸中の幸いと言えるだろう」
「大丈夫じゃ。記憶が戻るまで————いや、たとえ戻らんでもウチが一生タスクを支える……‼︎」
「リンファちゃん……‼︎」
「……そうだね。なにも記憶が戻らないと決まったわけじゃない。とにかく、今は彼の傷が癒えるのを待とう」
ジゼルの提案にジャンとリンファは涙を拭ってうなずいた。
◆
————一筋の光も届かぬ完全な闇の中をタスクは宛てもなく歩いていた。
(……まいったな。何処を歩いているのか、此処がどれほどの広さなのか、何も分からない。……そして、何故歩いているのかも……)
不意に身体の疲労を感じたタスクはその場に腰を下ろした。
(……そうだ、俺は何かを————いや、『誰か』を捜して歩いていたんだ。だけど……)
眼を瞑りしばらく考え込んでいたタスクだったが、諦めたように首を振る。
(思い出せないということは、俺にとって大した人ではないということだ。このまま忘れてしまっても構わない————ッ⁉︎)
引き返そうと瞼を開けた時、突然眼の前が真っ白な空間へと様変わりし、タスクはあまりの眩しさに眼が眩んだ。
【————可哀想に……。『地球』の記憶が一気に流れ込んだことで記憶障害を起こしてしまったのね……】
『……誰、だ……⁉︎』
立ち上がったタスクが左手をかざしながらうっすらと眼を開けると、眼前に眩い光を放つ女性らしき輪郭が浮かび上がる。
【……でも、それも良かったのかも知れない……。『私』のことを思い出さなければ、あなたは何の憂いもなく彼女と穏やかに暮らしていくことが出来る……】
『貴女は……誰なんだ? 貴女が俺の捜している人なのか……⁉︎』
【…………】
光に包まれた女性はその問いには答えず、背を向けたようだった。
【……どうかお幸せに……! シュウのことをお願いね————……】
『待て! 待ってくれ————ッ‼︎』
◆ ◇
————眼を覚ましたタスクは右腕を天井に伸ばしていた。
「…………夢、か……⁉︎」
呼吸は大きく乱れ、全身に汗が伝う。半身を起こしたタスクは辺りが真っ暗なことに気が付いた。
「……まだ、夜中か————⁉︎」
足元からギラリと己を見つめる双眸にタスクは一瞬身構えたものの、すぐにその正体を悟ってホッと息をついた。
「お前か……、あまり驚かせるなよ。確かシュウだったな」
「…………」
シュウは答える代わりに物憂げな瞳をじっとタスクに向ける。
「すまないな。ここへ来て二週間ほどになるが、まだお前のことも思い出せないんだ」
「…………」
「だけど、ハヤブサなのに飛べないなんて、お前もつらいだろうな……」
「……ピッピ」
ここで初めてシュウが声を上げたが、タスクには彼の話す言葉が分からない。
「すまないが、お前の言いたいことは俺には分からないよ」
「ピピッ、ピッピッ、ピピィ!」
「……やめてくれ。分からないと言っているだろう……!」
「ピピピィ! ピッピ! ピィィッ‼︎」
「……やめろ……ッ、お前の……声は頭に響く……ッ」
何かを訴えるようなシュウの声が矢のように突き刺さり、タスクは頭を抱えた。その脳裏にシュウと戯れる黒髪の女性が映し出される。
「……あ、貴女は……いったい、誰なんだ————……」
◇ ◇ ◇
————翌朝、ジャンとリンファがタスクの部屋を訪れると、彼の寝床は綺麗に整頓されその姿は見えなかった。
「んだあ? トイレにでも行ってんのか?」
「————が無い……ッ」
「へ?」
いつになくか細いリンファの声に振り返ると、彼女が膝を突いて崩れ落ちている姿が眼に入った。
「どうしたんだよ、リンファちゃん⁉︎」
「……タスクのカタナが無い……‼︎」
「————‼︎」
その言葉通り、部屋の隅に置いてあった荷物と彼の義兄の形見の太刀が忽然と消え失せていた。
「……ど、どういうこったよ————⁉︎」
その時、ジャンは枕に挟まれたメモに気付いて、悲しみに打ち震えるリンファに差し出した。
「リンファちゃん、コレなんて書いてあんだ⁉︎」
「……わ、分からん。扶桑語で書かれとる……」
「————失礼」
背後からメモを掻っ攫ったジゼルはじっと眼を通した。
【いつかまた会おう。俺たちの絆はいつまでも変わらない】
ジゼルはメモをリンファに返して寂しげにつぶやく。
「…………彼は行ってしまった。『彼女』を捜す旅に————」
———— エピローグ ————
————突如、世界から枯渇した『晄石』産業は急速に廃れていった。
かつての利便性が忘れられない勢力は『晄石』に替わる新たなエネルギー源の発見・利用法の確立を提唱したが、議会で過半数を得られることはなく、人類の文明は数十年前に起こった『産業大変革』以前のレベルにまで落ち込んでしまった。
しかし、利便性と引き換えに傷付いた地球は緩やかに、着実に元の美しい姿を取り戻しつつあり、その生涯を環境問題に捧げたジゼル・オットー博士と助手のジャン=アラン・ノロの功績は後の世に語り継がれることとなった。
そして、もう一人————
恐ろしく長いカタナを携え、飛べないハヤブサを肩に止めた黒髪の男の姿が世界各地で目撃されていた。
栗毛の馬を駆り一人の女性を捜していると言う黒髪の男は、その旅路の中で苦難に陥った人々に救いの手を差し伸べていたため、民衆の間で『隼騎士』として英雄視された。
〜 Fin 〜
全106話で完結となりました『鏡合わせのミロワール』を最後までご覧いただき、本当にありがとうございました!
この作品を読んで少しでもあなたの心に残ったものがありましたら、評価・コメントなどいただけると次回作のモチベーションになりますので、どうかよろしくお願い致します‼︎




