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白狐ノ草子   作者: つゆのあめ/梅野歩
▼雪の章:病ノ編(連載中)
75/77

たとえばの雪解けに花束を(四)

肩書きがあっても、ただの友人として接してくれる君に出来ること。




 三日後、日輪の社文殿にて。


 夕暮れと共に文殿を訪れた翔はかれこれ四、五時間ほどそこに籠って書物を開いていた。それこそ今宵は市井の妖らと交流を控えていたが、比良利に頭を下げて文殿に引き篭もっている。

 片っ端から開いている書物は、南北の土地柄について。


 それらには事細かに集落の場所や土地の特色、妖の縄張りについて記されている。


(広範囲な空き地がありそうな場所……どこも人間の住宅でひしめき合っている。かといって、寺近くの(かく)ろえはだめだな。ここは付喪神の縄張りになっている。墓場近くの(かく)ろえは、多種多様な妖らが集まっている集落だから勝手にお邪魔するわけにはいかない)


 あれこれ書物に目を通しては、それを閉じて床に積んでいく。

 そうしている内に翔の右隣は書物の山が出来てしまったが、それに目を配る余裕はない。一心不乱に書物に目を通していく。それこそ文殿に訪問者が訪れても、まったく気づかずに頁を捲る。


(はあ、やっぱり見つからないか。南北の地は都会だな。どこにも広い空き地がねえ)


 もう少しだけ自力で調べて、「クオーン」どうしようもなくなったら神職狐らに相談しようか。


 いやでも、もう少し自分で調べるべきだ。

 他人(ひと)に聞けば話は早いが、「クーン」まずは事前に自分で調べることが必要不可欠。翔は南の神主である。齢十九の未熟な妖狐であるが、「……クーン」何でもすぐに答えを他人に聞くのは頭領としてあるまじき姿だろう。「……クーン」そうそうクーン。


 え、クーン?


 弾かれたように視線を落とすと、銀狐のギンコがしょげ返っていた。

 耳と尾っぽを垂らして、今にも泣きそうで鳴きそうな顔でこちらを見つめている。いつからそこにいたのか?! 翔は慌ててギンコを抱き上げ、ごめんごめん、と謝った。


「ちょっと調べ物をしていたら、夢中になっちゃってさ。ギンコを無視したわけじゃねえんだぜ?」


 それでも耳と尾っぽを垂らしているので、たいへん良心が痛む。

 本当に無視をしたわけではないのだ。可愛いギンコを無視するわけないではないか!

 何度も銀狐の胴を撫でて、ギンコのご機嫌を取っていると、狐が文机に載った書物に目を向けた。何を調べているの? と言わんばかりの目だ。

 ころっと表情を変えているので、おおよそ本当の目的はこれなのだろう。


(まあ、みんなに言ってないもんな)


 『(かく)ろえ』を訪れて三日。

 翔は誰にも雪之介のことについて話していない。

 それこそ(かく)ろえを訪れた日は、てんやわんやあったので奉仕をサボってしまった。それについてこっぴどく叱られてしまい、翌日は二社の清掃を徹底的に命じられてしまった。きっと、事情を説明すれば免れた罰だろうが翔は黙ってそれを受けた。


 どうしても雪之介のことを話す気にはなれなかったのだ。

 おおよそ、それは翔自身が受け止め切れていないせいだろう。受け止められるわけないではないか。雪之介の身が春には消えてしまうやもしれないなんて。嘘だと思いたかったし、そんなバカな、と笑い飛ばしたかった。

 話せば嫌でも受け止めなければいけない。だから話せなかった。


 その一方で、翔は雪之介が患ったという雪消病(ゆきげびょう)について調べた。

 なんでもそれは雪の化け物が患う恐ろしい病で、常に体内で雪解けが起き、体が溶けやすくなるという。雪の化け物にとってそれは死の病も同然で、早急に対処しなければ命が危ぶまれるという。

 とはいえ、雪消病(ゆきげびょう)は簡単に治るものではないらしい。

 翔は医者ではないので、どういう風に難しい病なのか、それは図りかねる。

 さりとて簡単に治らない、ということが、どういうことなのか、それは未熟な妖狐でも分かる。


「……俺に何もできないのは分かっているんだけどさ」


 翔はギンコを抱いたまま、書物をひとつ掴むと、力なく眉を下げてしまう。


「分かっていても、じっとしてられないんだよな……俺は医者じゃないし、何もできないのは分かっている。一聴さんに任せればいいのも分かっている。神主修行を第一にしなきゃいけないのは分かっているんだけど」


 一聴曰く、雪消病(ゆきげびょう)の前兆はあったとはずだという。

 なのに雪之介はいつも通りの日常を過ごしていた。過ごそうとしていた。それは雪之介が雪解けを見て見ぬ振りをしていたということで。

 翔には雪解けの恐ろしさが分からないが、雪之介にとって雪解けはまこと恐怖でしかないはず。

 それを見て見ぬ振りをするなんて、ほんとうにばかだと思うし、心のどこかで怒りたい気持ちがこみ上げてくる。付き合いの短い翔がそう思うのだから、付き合いの長い天馬や夕立は腸が煮えくり返っているのではないだろうか。


(助けたい、なんて烏滸(おこ)がましい。俺は誰を救えるほどの力を持っていない)


 それでも願わずにはいられない。

 助けたい、否、助かってほしい。


 だって雪之介は翔にとって初めての、妖の友人なのだから。


 べろんと赤い舌が翔の頬を優しく舐めた。

 我に返った翔がギンコを見つめると、うんっと首を傾げて、鼻先で胸を突いた。かりかりと前足で翔の浄衣を引っ掻いて、自分はここにいるよ、と何度も鳴いて主張してくるので、小さく噴き出してしまう。

 ギンコはいつだって翔に大切なことを思い出させてくれる。まこと翔には勿体無い狐だ。

 銀狐の顔を舐め返すと、翔は胸につっかえていた思いをため息と共に吐き出す。


「正直動揺していた。だから誰にも言えなかったし、妙に意地張って自分であれこれ調べていた。おかげで気持ちは落ち着いたけどさ」


 ギンコは黙って聞いてくれる。

 最初から知っていたのやもしれない。雪之介のことを。

 となると、他の神職狐も? やだやだ。これだから百年も二百年も生きるおじいちゃん、おばあちゃん狐は。


 そろそろ観念してみんなを頼るとするか。

 調べていたことだって無駄じゃないだろうし、頼る前にまず自分で調べる姿勢は間違っていないと思うから。

 翔はギンコを抱えたまま立ち上がり、外の空気を吸うために回廊へと出る。


 するとどうだ。

 回廊の壁に寄り掛かって煙管を吸っている嫌味ったらしい狐がいるではないか。

 その狐は露骨に口を結んで不貞腐れ顔を作る翔を一瞥するや、含み笑いを浮かべて、銜えていた煙管で未熟狐の額を小突いた。


「ハナタレでも神主としての自尊心はあるようじゃのう。ぼんぼん狐」


 なりふり構わず他人に頼ることをしなかった。

 たいへん偉い、まことにえらい、なんぞ褒めてくれる比良利のそれは嫌味なのか。素直な褒め言葉なのか。

 どちらにしろ、今の翔には嫌味に聞こえたので、軽く舌を出した。ついでにギンコの尻尾で尾っぽ叩きもお見舞いしておくことにする。


「いつか俺が頼られる立場になってやる。安心して比良利さんは俺を頼ってよ」

「くくっ、負けん気だけは一丁前じゃのう。そうでなくてはわしも困るというもの」

「……聞きたくないけど、比良利さんは最初から知ってた? 雪之介のこと」

「雪之介は我が土地の氏子、ゆえに比良利の我が子も同然。無論、(かく)ろえの一件は耳にしておる」


 忘れていたが、雪之介は北の地に住居を置いている妖。

 ならば北を統べる比良利が(かく)ろえの一件を耳にしてもおかしくない。寧ろ、耳にしていなければおかしい。


「雪之介の雪消病(ゆきげびょう)が再発した話は一聴から聞いた。まことこの土地は雪の化生にとって、棲みにくい気候。それを承知の上で、雪の化生らはこの地の氏子となっておるが……」


「最初に雪之介が雪消病(ゆきげびょう)を発症したのは高校一年、三年前だって聞いている。その時は完治したと聞いたんだけど、実際のところはどうだったの?」


 紅の長い髪を揺らしながら、比良利が文殿に入る。

 翔も踵を返して文殿に戻ると、赤狐が棚から黄ばんだ書物を引き抜いた。ぱらぱらと頁を捲り、「これじゃ」と言って見開いた頁を翔に差し出してくる。

 両手が塞がっている翔の代わりに、ギンコが尾っぽでそれを受け取り、こちらに見えるように持ち上げてくれる。


雪中四友(せっちゅうしゆう)の汁? ……えーっと、せっちゅうナントカって薬草の名前?」

雪中四友(せっちゅうしゆう)とは雪が降る季節に咲く四つの花を指す。『玉梅(たまうめ)蝋梅(ろうばい)山茶花(さざんか)水仙(すいせん)』。これらの総称であり、人間の世界にもある花々じゃ」

「これらを煎じて呑ませたってこと?」

「要約すればそうじゃのう。さりとて、一聴が雪之介に呑ませたのはただの雪中四友(せっちゅうしゆう)ではない」

「どういうこと?」


「先ほども説明した通り、雪中四友(せっちゅうしゆう)は雪が降る季節に咲く四つの花を指す。それらは冬に咲き誇る花々じゃが、雪之介に呑ませた四つの花は雪が積もる土地で調達した」


 曰く、雪消病に効く雪中四友(せっちゅうしゆう)は最低でも十日十晩、風雪に晒さなければいけないそうだ。

 舞う雪に晒さらすことで、四つの花は雪の精を宿すのだとか。


「三年前、雪之介に呑ませた雪中四友(せっちゅうしゆう)には雪の精が宿っておった。これらをすり潰し、液状に呑ませることで、あやつの体内に新たな結晶を生み出し、結晶同士の隙間を埋めることに成功したわけじゃが……」


「今回は無理なのか?」


「そうは申しておらぬ。雪の精が宿った雪中四友(せっちゅうしゆう)を煎じ、雪之介に呑ませれば雪解けは止まるはずじゃて。さりとて問題はどのようにして調達するかじゃ。わしはこれらを手に入れるために、一聴や錦夫妻と共に他の土地へ赴いて交易を図った」


 珍しい獣の歯や薬となる真珠を持って土地土地の頭領に交渉し、頭を下げて四つの花を手に入れたと比良利は語る。なにせ南北の地は雪が降らない土地。稀にしか雪が降らないのだから十日十晩、風雪に晒した雪中四友(せっちゅうしゆう)がこの土地で手に入るわけがない。

 たいへん骨の折れるものだったと語る比良利は、今回は更に骨が折れるだろうと予想を立てる。


「今年はあまり雪中四友(せっちゅうしゆう)が採れぬと噂を聞いておる。果たして交易で譲ってもらえるかどうか」

「命が懸かっているんだ。ちゃんと説明すれば分かってくれるんじゃ」


「雪の精を宿した雪中四友(せっちゅうしゆう)はとても希少。たとえ風雪に晒しても、花に雪の精が宿るとは限らぬからのう。それゆえ土地土地の頭領は、これらを大切に守護しておる。雪中四友(せっちゅうしゆう)があるということは、我らの統べる土地より雪の化生が多い証拠。ならば、まずはその土地の妖を優先するじゃろう」


 何も言えなくなる。

 翔も頭領の立ち位置にいるので、他の土地の妖か、この地と妖か、どちらを優先するかと問われたら、間髪を容れずに後者を選ぶことだろう。


 現に雪中四友(せっちゅうしゆう)を得るため、雪之介を優先している思考があった。雪中四友(せっちゅうしゆう)が採れる土地なんだから、少しくらい譲ってくれても良いじゃないか、なんて安易な考えがあった。反省しなければ。


「ぼん。雪之介は(かく)ろえで、本能のまま妖力を使用したそうじゃな」

「すぐに意識を取り戻したけどね。今は一聴さんの下で入院している。最初こそ半日入院だったんだけど、本能が優ったから大事を取って診察所に七日くらい入院するって」

「左様か。一聴らしい診断じゃのう」


「市井の妖に被害は及んでいない。怪我人も出ていない。それは断言できる。もしもそうなってしてしまえば、俺は雪之介とただの友人じゃいられなくなっちまう」


 もしも市井の妖らに被害が出ていれば翔は頭領として走らなければいけない。

 それ相応のことを雪之介にしなければならない。


 じつは、それがとてもこわいし、思い返すとこわかった。


 苦々しく笑ったところで、ぐしゃぐしゃに頭を撫ぜられた。

 よっぽど情けない顔をしていたのだろう。腕の中にいるギンコも、己を見下ろす比良利も、それはそれは優しい眼で翔を見つめていた。


「我らには切っても切れぬ肩書きがある。それは変えられぬ。なおも、ただの友人として接してくれる妖がいる者が傍にいる。それはきっと幸せなことであろう。そんな妖に我らは何ができるのか――ぼん、多少の無茶振りはわしが背負おう」


「え」


「無鉄砲狐のくせに、何を躊躇っておる。確かにお主は南の地を統べる頭領。ゆえに常に市井の妖を(おもんぱか)るのは当然のこと。さりとて、お主も完璧ではない。特に此度のことはお主にとって、あまりに酷で心動じることであったろう。雪之介はお主を半妖時代から支えてくれている、心優しい妖。ぼんにとって必要不可欠な存在じゃて」


 長々と偉そうに喋ってしまったが、要するにもっと翔が思うように動いて良いと比良利。

 肩書きのせいで市井の妖やら、頭領としての振る舞いやらがシラガミとして絡みついているだろうが、時にそれらを振り払って翔けて良い。

 振り払った分の責務は双子の比良利が背負えば良い話。

 なんのために双子が、そして南の三職が翔の傍にいると思っているのだ。比良利は問うた。


「……何もできないのは分かっているんだ。比良利さん、俺は命を救う知識も技術もないし、土地土地の頭領と交易する力もない。分かっているっ、自分で分かっている……だけど」


 雪之介の雪解けを止めたい。

 助けたいのではない、助かってほしい。

 そのためにも神主修行や肩書きが邪魔だと、はっきり、大きな声で伝えた。

 翔は雪之介に助かってほしい。当たり前じゃないか。翔にとって彼は初めての妖の友人であり、半妖時代からずっと支えてもらった友。溶け消えるなんて冗談ではない。ふざけている。こんなことで友人を失いたくない。翔は神主ではなく友人として雪之介のために動きたい。


 気づけば心の底から吐露していた。三日間、我慢していた感情が爆ぜた。

 それを見守っていた比良利とギンコはそれでいい、と頷き、鳴き、尾をゆらゆら、ゆらゆら、と揺らしながら翔の肩に手を置いた。


「ようやっとぼんらしい顔つきになったのう。それで良い。心赴くまま翔けるお主の方が、わしも安心じゃて。この三日、お主が塞ぎ込んでしまった時はどうやってからかってやろうかと悩んだものじゃが」


 一変して顔を紅潮させる。


「ふ、塞ぎ込んでねえって! ちょっと話す気になれなかっただけでっ」

「うむうむ、そういうことにしてやろうか。のう、オツネ」


 クオーン。

 可愛らしく鳴くギンコは翔の顔を覗き込み、べろんべろんと何度も舐めた。


(ああもう、甘やかされているな。俺もまだまだだな)


 翔は比良利とギンコを交互に見やり、それはそれは小さな声で、けれど負けん気強く言った。



「いつかぜってぇ俺が頼られる立場になってやる……」



 笑い声が上がったのは間もなくのことだった。


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