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白狐ノ草子   作者: つゆのあめ/梅野歩
▼雪の章:病ノ編(連載中)
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たとえばの雪解けに花束を(五)

異種族から生まれる子もいれば、異部族から生まれる子もいる。それは半端者なのか否か。



 翔は雪消病に効く雪中四友(せっちゅうしゆう)の所在を探し始める。

 南北の地にないことは既に比良利から教えられているので、余所の土地で雪中四友(せっちゅうしゆう)を調達しなければならない。

 当然、余所の土地土地にその地を統べる頭領がいるので、勝手にその土地へ足を踏み入れること。ましてや雪中四友(せっちゅうしゆう)を探すなんぞ無礼な振る舞いは行えない。


 そのため、まず手始めに以前、交易で雪中四友(せっちゅうしゆう)の一つを譲ってくれた土地の頭領に(ふみ)を出した。


 そこは遥か北の山の奥地に棲む、雪が積もりやすい土地で出羽国にあるという。

 今の土地名で言えば、秋田県から山形県の土地を指すらしい。

 文を出した出羽国の頭領は、秋田県の田舎山にある土地を統べているらしく、聞けば雪之介の母の故郷なのだそうな。雪之介の父と母は異類婚姻ならぬ異部族婚姻をした者達で、彼の父親は天狗で北の地の氏子。母は雪女で出羽国の山娘だったのだという。


 出逢いなどの詳しい話は比良利も知らないらしいが、赤狐曰く、彼らの婚姻は険しい道のりだったそうな。天狗族からも、雪化生族からも反対の声が挙がっていたという。

 理由は単純明確で父親は天狗、母は雪女、好む気温もお家も部族も文化もすべて違う。結ばれた先の苦労や、各部族の信念や誇りを考えていないという声が大多数だったとか。


「あの当時、わしは出仕前じゃったが、両部族はとくにお家について口にしていた。なにせ雪之介の父、錦辰之助は木葉天狗族長の長子。雪之介の母、錦雪江は山神の娘じゃったからのう」


「山神の娘?」


「雪女は山神が生むの精霊から誕生することが多いそうじゃ。実際、雪女は雪の精と言い伝えられておる。錦雪江はまさしく山神が生んだ雪の精なのじゃよ」


「へえ。山神が生んだ精霊ねえ」


「とくに山神は石頭のよそ者嫌いでのう。異部族と結べば、これまでの部族の秩序が崩れる。暖かな南地方生まれの天狗は山神のお家に相応しくないと主張した。その土地の雪女は代々雪化生と結ばれておったそうじゃ」


「異部族や文化で反対するのは分かるけど、お家で反対する意味はあんまり分からないな」


「ぼんの生まれた時代は、心寄せた者と結ばれることが当たり前の時代じゃろう? ゆえに理解ができかねておるのじゃろうよ。さりとて人間の時代にもお家がすべてだった時代はあった。妖側の価値観は今昔、お家を重んじておる」


 妖同士、心を寄せて結ばれるは少ないと比良利。

 たとえばギンコとツネキが許嫁なのはある種、お家の都合によって結ばれたもの。双方に自由な恋愛は存在しない。いまは翔に恋心を寄せているギンコも、いずれは後継者を産むためにツネキと結ばれなければならない。これもお家事情だと赤狐は語った。

 妖の世界は個人の感情より、お家を重んじる。それは南北の地も一緒だ。


「また山神が反対する理由の一つに、雪女を守りたい気持ちがあった」

「守りたい?」


「その土地の雪女は稀に異部族や人間と結ばれることがあった。さりとて、寒さと雪を好む雪女と、日と暖かさを好む異部族・人間とでは結ばれた直後は良くとも、その先は上手くいかず。いつも悲惨な末路を辿った」


「悲惨な末路って」

「異部族や人間が凍え死ぬ、もしくは雪女が溶けてしまうのじゃよ。三年(みとせ)も続かぬと聞いておる」

「それは……」


 翔はそっと口を結んだ。

 なんと言えばいいか分からない。


「錦夫妻の婚姻を、当時の南北神主も反対を唱えた。争いの火種になりかねないのでは、と懸念してのことじゃった。かれこれ百と五十余り前の話じゃったかのう」


 それでも両者の気持ちは固かった。

 駆け落ちも心中も辞さない心構えだったので、両土地の頭領は山神や部族同士を取り持って婚姻を許した。最後まで山神は反対を意を唱えていたが、『決して雪女を溶かさない』『決して天狗を凍え死にさせない』『年に一度、夫婦は山神に顔を見せる』の三つを条件として結ばせ、悲惨な末路を辿らないことを約束させることで婚姻は認められた。


 それの名残で雪の土地とまったく縁がなかった村と交易をするようになったのだという。


「こうして錦夫妻は結ばれたわけじゃが、この百年間に木葉天狗が守護していた山が人間によって開拓されてしまってのう。錦夫妻は人里で身を隠すように暮らし始めた」


 これがまた山神の心配を煽り、すぐさま出羽国の山で暮らせと申し出たのが……。


「錦辰之助は申し出を快く受け入れたが、錦雪江の方が首を横に振った。雪の化生だからという理由で、いまの暮らしを終わらせたくない。人里の暮らしは意外と快適だと言い放って、山神の申し出を足蹴にしたそうじゃ。親心子知らずとは言ったものよ」


「……自分たちの暮らしに口出しされたくなかったんじゃねーの?」


 おおよそ錦雪江は、山神の心配を過保護だと思ったのだろう。

 似たような経験をしている翔は、しみじみとそう思ってしまう。


「ヒトの世界での暮らしが根付いたところで、雪之介が生まれたってことだよな……雪之介自身は生まれた時からヒトにまぎれて生活しているから、人里の暮らしは苦にしてねぇけど」


「心はそうかもしれぬ。さりとて身体はそうもいかぬ」

「どういうこと?」

「雪之介が雪消病を患った際、出羽国の頭領が身を引き取って氏子にする申し出てくれた。雪の化生にとって我らの土地はあまりに過酷だろうと。生半可な身体では雪消病になりやすいだろうと」

「生半可?」


「雪之介は生粋(きっすい)の雪化生ではない。天狗と雪女の間に生まれた子ども。それゆえ生粋の雪化生より暑さに強い一方で、体が脆く、雪消病になりやすい。あやつはよく腕や足を溶かして一聴に叱られておる」


「……あいつ、普通の雪化生より体が脆かったのか。知らなかったよ。言ってくれても良かったのに」


「言うと無用な心配を寄せられると思ったのじゃろう。お主とて、すぐ我らを過保護だと文句を言うじゃろ? 気持ちは分かるのではないか?」


 意地の悪いことを言われ、翔は口を結んでしまう。

 それを言われてしまえば反論することもできない。

 それこそ今しがた、山神は少々過保護だな、と思ったばかりなのに。


(というか、比良利さん……自分が過保護だって自覚あんのかよ)


 じゃあ、口うるさく言うのはやめてもらいたいものだが。

 喉まで出掛かった反論を、ゆっくり嚥下する。

 北の神主のこと六尾の妖狐、赤狐の比良利に口で勝てるわけがない。無用な争いは避けるべきだろう。


「出羽国の頭領はもちろん、山神も雪之介の身を出羽国に置くよう助言した。錦夫妻にこう伝えたと聞いておる。『結ばれた先のことを深く考えよ。半端な雪化生として生まれた子どもに対して、うぬらはどう責を取るつもりだ』と」


 やれこれからもヒトの世界で暮らしていくだの、やれ雪のない土地で暮らしていくだの、聞いていれば夫妻の都合ばかり。


 異部族同士で結ばれた結果、子は生まれた。

 それは生粋の雪化生にもなれず、生粋の天狗の子にもなれない。ましてやヒトの子にもなれない。なおも生を宿した子に罪はない。であれば、どうするべきか。子のために行動すべきだ。

 生粋の雪化生より暑さに強い一方で、生粋の雪化生よりも雪消病になりやすい子を慮ることはしないのか。

 これでは半端な部族の血を受け継いだ子があまりにも哀れではないか。


 山神は手厳しい言葉を錦夫妻に投げたという。


「夫妻は返す言葉もなかった、と言っておった」

「……俺が夫妻の立場なら、やっぱり何も返せないと思う」

「そして考えたそうじゃ。雪之介と共に出羽国に行くべきではないか。せめて息子だけでも出羽国で暮らさせるべきではないか、と」


 しかし、雪之介はこの地で生きていくことを選択した。

 人三倍、体に気をつけて過ごしていく。だから大丈夫、半端な部族でもやっていけると親を説き伏せたとのこと。

 けれども、現実はこれなのだから雪之介の想いは報われない。


「はてさて。出羽国に文を出したは良いが……今度こそ雪之介を出羽国に送らねばならぬやもしれぬのう」


「異種族の問題は何度も見てきたけど、異部族問題を目の当たりにしたのは初めてだよ。雪之介は結構、複雑な立場にいるんだな」


「妖とヒトが結ばれるより、異なった妖同士が結ばれる問題の方が根深いとわしは思っておる。同じ種族でありながら、異なった生き方、環境、価値観の在り方を持つ。それらを双方が受け入れるのは非常に難しいものよ」


 ヒトのように頭からこの種族とは自分達は“違う”と割り切っていれば、諦めがつくところも多いが、同種族かつ異なった部分があるとなると話はべつ。同胞でありながら、自分達とは“違う”部分を認めなければならない。それは簡単なようでまこと難しい話だと比良利。

 実際問題、異種族より異部族の方が衝突する頻度が多いと赤狐は語る。


「ぼんから見た雪之介は、半端な部族かのう?」


 比良利が問うた。

 翔はほぼ反射的に返事する。


「考えたこともないよ。あいつはいつも、友人の錦雪之介として俺の傍にいてくれた。それこそ俺が半妖だった時だって、あいつは俺をただの南条翔として見てくれた。半端者なんて言われたこともなかったし、雪之介のことを半端者だと考えたこともなかった。正直部族なんて括り、あんまり深く考えてないんだと思う」


 土地を統べる頭領がそのように考えでは叱られてしまいそうだが、まごうことなき翔の本音だった。

 青二才狐だからそう思ってしまうのやもしれない。

 比良利はそんな翔に苦笑いを浮かべると、「それも一つの正解じゃろうて」と言いつつ、部族を慮る妖らの考えも正解だと言った。これに明確な正解はない。きっと思い思いの考えが正解なのだろうと意見を述べた。


(半端な部族、か)


 いつも誰とでも隔たりなく仲良くする、雪之介の苦労を垣間見た気がした。



 閑話休題。

 出羽国の返事を待つ間も、翔は雪中四友(せっちゅうしゆう)の所在を探した。

 近隣の土地に片っ端から(ふみ)を出して、雪中四友(せっちゅうしゆう)の所在と伝手を求めた。待つ時間が惜しかった。翔は医者ではない。比良利みたいな立派な神主でも頭領でもない。まだまだ見習い未熟の神主狐だ。

 ゆえにできることなんぞ限られてくるが、やれることは全部やりたい。


 慣れない筆で(ふみ)を書いた。

 書き直しを命じられても泣き言云わず、崩れ字で(ふみ)を綴り続けた。


 交易に持ち込めた場合を踏まえ、相手が納得できるような代物を用意するために馴染みの商人(あきんど)に声を掛けた。

 青葉や紀緒と共に品を見極めて、妖火の宿った冬虫夏草や飛び跳ねる骨、陽炎の蝶や蛾の翅の束を買った。決して安くない代物だが、土地にしかない代物を交易の交渉として使用するのは当然のこと。これで友の命が救えるなら安いものであった。



 三日経つと、(ふみ)の返事がくる。

 最初に返事が届いたのは近隣の土地を統べる頭領から。

 三年前、雪中四友(せっちゅうしゆう)の一つを譲ってくれた頭領であった。

 四つほど山を越えた海沿いの土地を統べる頭領からの返事は、「(おの)が土地に雪中四友(せっちゅうしゆう)はない」であった。


 三年前は偶然交易で入手していた為、雪中四友(せっちゅうしゆう)の一つを譲ることができたが、いまは手元にないとのこと。

 お互い雪の積もらない土地に身を置いているゆえ仕様がない返事であったが、海沿いの土地を統べる頭領はこちらの気持ちを汲んでくれたのか、所有している土地がないか探してくれる旨と、交易に使えそうな代物を葛籠(つづら)に詰めてくれた。


 葛籠(つづら)の中身を見た、青葉は興奮しながら翔に教えてくれた。


「これはすごいですよ翔殿。海入道さまが塩真珠や磯貝殻、海石(いくり)の粉末が贈ってくださいました。どれも生薬として有名ですが、海のある土地でしか取れない貴重品ばかり。お手紙に交渉の役に立ててほしいとのことです。翔殿の(ふみ)からお気持ちが伝わったのでしょうね」


 翔にはこれらの価値はイマイチ分からないが、海沿いの土地を統べる頭領・海入道の気持ちは十二分に伝わってきた。

 (ふみ)でも礼を綴るつもりだが、いつか直接会って感謝を伝えたいな、と思った。


「青葉。向こうの海入道さんに、何かお礼の品を送ろう。貰ってばっかじゃちょっとな」

「ふふ、そう思いまして、ちゃんと用意していましたよ。南の地で有名なネズミの尾漬けと干しヤモリ。鯉の目玉盛りもありますよ」


 意気揚々と小壷を翔の前に置く青葉曰く、これは南の地が誇る名産品で、生薬にはもちろん滋養強壮にも効果抜群だとかなんとか。

 きっと海入道は喜んでくれるだろう、と笑顔で説明してくれる青葉をよそに翔は冷汗を流す。


 はっきり言おう、下手物である。


(南の地は俺が統べる土地だって自覚はあるけど……知らねえ……そんな下手物名産品があるなんて知らねえ……)


 ついでに思う。

 妖の価値観って理解できないことが多い、と。

 妖狐になって一年余り。気持ちは妖として生きているが、価値観すべてを受け入れられるかといえば、それは「いいえ」である。こんなものをもらって嬉しいのだろうか。たぶん嬉しいんだろう。化け物だもんな。うん。


「翔殿、如何しました?」

「あ、いや……初めて見たなぁって」


 我に返って、愛想笑いを浮かべれば、青葉が小壷と翔を見比べて手を叩く。


「おひとつ食べてみます? いっぱいありますよ」

「食べっ、勘弁してくれ青葉。俺はまだ死にたくないっ」


 ついつい本音を漏らしてしまう翔だった。



 翌日から続々(ふみ)の返事がくる。

 内容はどれも肩を落とす内容ばかりだったが、どの頭領も心遣いを示し、己が土地の名産や生薬を贈ってくれた。情報を掴み次第、一報を寄越してくれる心遣いも沢山ちょうだいした。

 翔は頭領達の情に感謝し、いつか必ず直接感謝を伝える旨を(ふみ)に綴った。そして自分も顔すら知らぬ土地の頭領に頼られた時、同じことを返したいと思った。


 一番待ち望んでいる出羽国の返事はまだ来ない。

 なにせ遠い遠い土地の田舎山に暮らしている頭領に(ふみ)を送ったのだ。時間は要するだろうと、頭では分かっていたが、理解と気持ちはどうしても反比例してしまう。

 出羽国の(ふみ)が来ていない度に落胆してしまった。


 こうして忙しく雪中四友(せっちゅうしゆう)を探している一方、翔は雪之介の様子が気掛かりだった。一聴が暮らす(かく)ろえの診察所で七日間、入院を強いられることになった雪之介は期間を過ぎても退院の許可が出ていないらしい。それだけ容態が悪いのだろう。

 噂を聞くかぎり、天馬や夕立が定期的に見舞いへ行っているらしいが……やはり気になる。

 (ふみ)に一区切りつけると、翔は雪之介を見舞うため、ひとり(かく)ろえへ向かった。


 雪之介の雪消病が再発した以来なので、じつに十日ぶりの再会だった。


「やあやあ翔くん。お見舞いに来てくれてどーも。浄衣姿ということは奉仕中だった? 見舞い品はハーゲンでいいよ」

「はあ、相変わらずで安心した。ったく、有り難く雪見だいふくを受け取りやがれ」


 手土産片手に一聴の診察所を訪れた翔は、患者用の座敷に足を運ぶと、とこに伏せている雪之介からいつもの調子で話しかけられる。


 十日ぶりではあるが、雪之介の声音は元気であった。


 未だに右腕は溶けたままになっているようで、彼の右腕は見受けられない。

 雪之介が上体を起こすと、彼の着ている着物の袖が右側だけ、だらん、と力なく垂れた。


「腕、まだ戻ってないんだな」


 努めていつもの調子で話し掛け、雪之介の枕元に腰を下ろす。

 雪見だいふくは食べられるかと尋ねると、「ごちです」と言って左手を出してきた。食欲は旺盛のようだ。いいことだ。


「右腕がないせいですごく不便だよ。よりにもよって、どうして利き手を溶かしちゃったかな。食事をするにも何をするにも不便……雪見だいふくなら左手でも食べられるけど」


 封を開けた翔は雪見だいふくを専用の菓子楊枝で刺して差し出す。

 雪之介はそれを受け取りつつ、小さなため息をついて、雪見だいふくにかぶりついた。


「右腕は溶ける。退院も外出も許してもらえない。大学の講義は休む羽目になる。極めつけに、両親に事がばれそう……もう散々だよ」


「親にばれそう?」

「一聴先生が知らせを出したらしいんだ。いつまでも黙っておくわけにはいかないからって」

「ご両親はいまどうしているんだ」

「仕事の都合で青森の恐山にいる。時期、知らせが届くと思う」

「そっか。覚悟しておかなきゃな」

「んっ、ほんとに。翔くんは僕のために雪中四友(せっちゅうしゆう)を探してくれているんでしょう?」


 ありがとうね。

 微笑んでくる雪之介は己の病が再発したことを知っているようだ。

 翔は雪見だいふくの一つを素手で抓むと、「三杯分のきつねうどんを奢ってくれ」と言って、おどけてみせる。

 変に気遣うよりも、冗談交じりに返す方が雪之介も気揉みしないことを翔は知っていた。


 こちらの気持ちに気づいているのだろう。雪之介は友情が現金だと笑ってきた。

 そして、たっぷりと間を置き、「たぶん春まで持たない」と言葉を重ねた。

 雪見だいふくを噛む口が止まってしまう。口内から甘味が一気に消し飛んだ。


「翔くんは雪中四友(せっちゅうしゆう)を探してくれている。だから僕の体のことを一聴さんから聞いていると思うから……敢えて言うね。たぶん僕は春まで持たない」


「一聴さんから言われたのか?」


「ううん。だけど、なんとなく分かるんだ。一聴先生から全然退院を許してもらえないこともそうだし、内側から聞こえてくる雪解けの音が日に日にひどくなっているから。ああ、前回よりひどいなって」


 今日あす消えるわけではないけれど、梅が咲く季節まで持ちそうにない。

 これは本能で分かること。誰彼に言われたわけではない。

 じつは、それがとても心苦しいのだと雪之介は苦々しく笑い、「内緒ね」と口元で人差し指を立てた。これを伝えたのは翔が最初だと言う。


「天馬くんや白木さんには言っていないんだ。雪消病の再発はたぶん察しているだろうけど、僕がどれくらい持つか二人は知らない。一聴先生にも言わないでほしいとお願いしている」


 言えば、きっと辛気臭くなる。

 それが嫌で嫌で仕方がないのだと雪之介。


「だけど、翔くんには言っておこうと思ったんだ。君は一氏子のために奔走してくれている。知る権利がある」


「それは俺が誰よりも、雪中四友(せっちゅうしゆう)を探せる立場にいるからだよ。俺とかたちは違えど、天馬も夕立もお前のために何かしら奔走している。雪之介、お前はそれを知るべきだ」


「そうだね。分かっている。ふたりとも暇さえあればお見舞いに来てくれるもの。彼らの心配は伝わってくる」

「特に天馬は怒ると思うぜ。あいつは不器用だけど情に篤い。お前が春先まで持たないなんて知ったら」

「激怒するだろうね、目に浮かぶよ……天馬くん怒ると怖いんだよなぁ」

「さっさとゲロって叱られろよ。その方が気が楽だと思うぜ」

「えー。翔くん、優しくないなぁ」


 へらりへらりと笑う雪之介は、「やっぱり言えないなぁ」と一変して力なく目を伏せる。

 その理由は辛気臭くなる空気になるから。心配されると妙な気持ちになるから。ド正論を言われて喧嘩になるから。否、いらぬ気苦労を背負わせてしまうから。


 ただでさえ名張天馬は生まれながらの業を背負っている。

 先祖の業を背負い、周りから差別的な目を向けられている。

 その苦労を誰よりも近くで見てきたからこそ、雪之介は天馬に事が伝えられないと吐露した。

 あれは無愛想だ。周りに無頓着で、自分の道を究めようと努力する烏天狗――のように見えるだけで、本当は不器用で情に篤い。他人の痛みを自分のことのように受け止めてしまうことがある。


 おおよそ天馬は雪之介のことを叱るだろう。

 なぜ、雪消病が再発するまで無理をしていたのか。今すぐ雪のある土地に移住すべきだ。命あっての物種だろう云々正論を述べてくるだろう。

 それに雪之介がおどけながら反論して、大喧嘩、大口論になる未来も見えている。前もそうだった。


「昔からそう。天馬くんは散々他人に正論パンチをするくせに、水面下では自分にできることはなんだろうって悩み苦しむんだ……普段からお家のことで苦労しているのに、僕のことまで背負(しょ)いこもうとするんだよ」


 自分はそれをあまり見たくない。

 名張天馬はすでに嫌ってほど苦労しているのだから、友達といる時くらいは苦労を忘れさせてあげたい。

 それが友達としてできる、精一杯だと雪之介。


「初めて彼に出会った日は今も憶えている。僕が七つの時、天狗族の集いに行く父に引っ付いた先で顔を合わせた。声を掛けても、挨拶をしても、無視の一点張りだったよ」


 どうして無視されるのか分からず、雪之介は意地で天馬に声を掛け続けた。

 あっちこっち移動する天馬に「僕は錦雪之介」と、「こんにちは」と、「名前はなんて言うの?」を繰り返した。

 ようやっと向こうが折れて、返ってきた言葉は「あっちに行け」。

 本当に愛想もクソもなかったと雪之介は苦笑いを浮かべる。


「名張の悪名を知っているくせに付き纏うなって言われたから、僕は反論してやったよ。『どうして僕のことを決めつけるの? 君は僕のことを何も知らないでしょう』って」


 実際、雪之介は名張一族の悪名を知らなかった。

 人間の社会で生まれ育ったうえに、七つだったのだ。知るわけがない。

 ゆえに雪之介は本当に困ったし、決めつけられたことに腹が立った。何も知らないのだからまずは挨拶だろうと言いのけたことを今でも思い出せる。


 やがて、天馬の置かれる立場を知ることになるが、雪之介は構わず話し掛けた。

 面白半分に声を掛けられていると勘違いされ、警戒されることも多かったが、態度を変えるつもりはなかった。周りがなんと言おうと雪之介は天馬と距離と縮めると決めていた。

 いま思い返すと、ちょっとした意地が入っていたのやもしれない。


 急激に距離が縮まったのは、日輪の社でちょっとした騒動沙汰がきっかけだった。

 いつものように境内で遊んでいたら、雪之介の身分のことで妖の子から大層からかって仲間はずれにしてきたのだ。


 お前は雪化生にも、天狗にもなれない半端な妖。新しい部族を作るべきだ。

 ああ、こっちに来るな。半端者が感染る、と子どもながらの感性でからかってきた。


 異部族を両親に持つゆえ、それは仕様がないことではあるが、雪之介は困ってしまった。自分にとって、それはどうしようもないことであった。

 仲間はずれにされた雪之介はとりあえず、向こうの興が醒めるまで、ひとりで過ごすことにした。反論するだけ馬鹿を見るのは分かっていた。

 なのに妖の子らは執拗に雪之介をからかいを面白がるばかり。ついには妖火を出して、本当に雪之介が雪化生なのか確かめ始めた。


「運悪く妖火が当たってね。直撃した僕は右足を見事に崩してしまった。それを見た妖の子らは、まずいと思ったのか一目散に逃げちゃって……代わりに、一部始終を見ていた天馬くんが僕をおぶって比良利さん達の下まで運んでくれた」


 その後、妖の子らは大人に捕まり、北の三職共々カミナリを受けた。


 本当にかわいそうなほど叱られていた。

 妖の世界観は慈悲深くも残酷なので、大人たちはみなみな雪之介と同じ思いをさせることで手打ちにすると言っていた。

 さすがに味が悪いのでそれは止めた。

 謝ってくれたらそれでいいと言った。


 すると天馬が不思議そうな顔で聞いてきたのだ。どうして輩を許せるのか、と。

 べつに許す許さないの感情で言ったわけではない。ただ後味が悪くなるのが嫌だったと返事し、雪之介はあの子らとはもう遊ばない旨を伝えた。

 残念だけれど、彼らと自分はソリが合わなかった。それだけだ。


 ああ、目を閉じると思い出す。

 彼とまともに話した、あの日を――――。


『彼らとは純粋に遊び仲間と思っていたんだけど、向こうは違った。僕を半端者と見ていた。じゃあ、お互いに近づかない方がいい。争いの火種になるだけだ』


『……偏見はどこにでもある』

『うん。だから僕は純粋に相手を見ようと努めたい』

『なぜ?』


『そんなの決まっているじゃん。僕がそうしてほしいからだよ。半端な部族だからこそ、僕は純粋に相手を見たい。そしたらいつか、純粋な自分を見てくれる人が出てくるかもしれない』


『……絵に描いた餅とはいったものだと思う』


『そんなことはないよ。名張くん、君は僕を分け隔てなく助けてくれたでしょう。ありがとう。良ければもっと君のことを教えてよ。周りの声じゃなく、僕は君の口から君のことを知りたいよ』


 そうして雪之介は天馬と友人として付き合う日々を送ることになる。

 かれこれ十年余りの付き合いになるだろうか。

 彼はいつも差別的な眼を向けられていた。自分はそれに何もできず、悔しい思いをした。

 だからこそ考えて、考えて、たくさん考えて、至った結論が「誰がなんと言おうと自分は名張天馬という男で評価する」であった。


 名張天馬はお堅い天狗だ。

 自分から話を振ることも少ないし、たいへん腰も重い。声を掛けなければ、なかなか近寄って来てくれない。

 だけど、他面からみた名張天馬は不器用で情に篤くやさしい。雪之介はそれを知っている。

 知っているからこそ、周りがなんと言おうと名張天馬の友人として傍にいることを心に決めている。それは昔から変わらない気持ちだ。


「彼は変わったよ、翔くんと出逢って。翔くんの武の師になって、天馬くんの表情は前より柔らかくなった。自分に自信を持ち始めている。それが僕はすごく嬉しい。これからもそうであってほしいと思う」


「だから天馬をよろしくな、とか言い始めるんなら俺はお前を殴る。ガチで」


 じろり、と雪之介を睨むと曖昧に微笑まれた。

 どうやら図星だったようだ。

 腹が立ったので、でこぴんをお見舞いしておく。強めにやったせいか、雪之介から「手加減してよね」と苦情をいただいた。やかましい。悪いのはお前だ、と心中で毒づいておく。


「俺が何のために必死こいて雪中四友(せっちゅうしゆう)を探していると思ってんだ。五杯分のきつねうどんを請求するぞ」


「らしくないのは分かっているんだよ。分かっているんだけど、ちょっとね」


 ちょっとだけ何もかも嫌になってしまっている。

 雪之介は雪見だいふくを口に押し込むと、それを咀嚼しながら布団に寝転がった。

 どんな時も前向きでのらりくらりと笑っている雪童子が、珍しく自己嫌悪の顔を見せた。本当に珍しい顔だった。


「体が溶けそうになる度に、雪の体がヤになるんだ……雪消病の再発は正直堪えた。数日前から予兆はあったんだ。妙に内側から雪解けしているなって。だけど、雪消病が再発しているだなんて想像もしていなかった。完治しているから二度と患わないと思っていたのに。なのにさ」


 また雪消病になってしまうなんて。

 一体全体、自分が何をしたというのだろうか。雪童子は愚痴をこぼす。

 その愚痴は止まらない。ああ、こんなことになるなら天狗の体を受け継ぎたかった。母には口が裂けても言えないけれど。でもこれは本音。奥底に秘めている嫌な本音。もちろん雪童子は雪童子で楽しいだ。それはホントのホント。だけれども。


「どうして僕は半端な雪童子として生まれたんだろう」


 それは本当に雪之介らしくない愚痴であり、本音であり、たどたどしい弱音だった。

 翔は溶け始めた雪見だいふくを口にすべて口に入れると、咀嚼しながら、掻いた胡坐のうえで頬杖をついた。


雪中四友(せっちゅうしゆう)を探しているのは、南の神主としてじゃない。南条翔としてだ」


 一市井の妖が、一氏子が危機にさらされているから、そのような理由で動いているわけではないことを知ってほしいと翔。

 一友人が必要としているから、一友人として雪中四友(せっちゅうしゆう)を探していると語り、だからこそ雪之介に『無茶を強いる』と言って、その目の瞳孔を大きくする。


「雪之介、お前は意地でも体を持たせろ。春までなんて辛気臭いこと言わないで、何が遭っても持たせろ。お前が意地を見せてくれたら、俺は意地でも雪中四友(せっちゅうしゆう)を持ってくる」


 それを飲んで体を治したら、晴れて雪之介は退院ができる。

 翔は三杯分、いやいや五杯分のきつねうどんを奢ってもらえる。

 あとはそうだ。天馬や夕立に存分に叱られてもらえ。内緒にしていた胸の内をすべて話し、二人から沢山叱られてしまえ。それでこの話は仕舞いだ。


「俺だけ意地張ってもうまくいかねえ。お前も意地を見せてくれねえと」


 額を軽く叩き、口角を持ち上げる。


「それとお前は遠慮しすぎだ。もっと俺に我儘言ってもいいんだぜ。なにもたもたしているんだ。さっさと雪中四友(せっちゅうしゆう)を持ってこい。明日にでも体が溶けそうだってな」


「翔くん」


「言えよ雪之介。布団の上で腐っていないで、じつは心が折れかかっていることも、不安に思っていることも、日ごろから不満に抱いていることも。ぜんぶ聞いてやっから」


 呆気に取られていた雪之介は、翔の言葉に噴き出し、「本当に無茶を言うね」と声を上げて笑った。

 こちとら体の限界を感じているというのに、春どころか何が遭っても体を持たせろ、なんてとんだ鬼畜発言だと雪之介。おちおち溶けることもできないではないか。うん、本当に翔らしい、と笑い、あれこれ考えた自分に対して馬鹿馬鹿しい気持ちになってしまった、と肩を震わせ、左腕で顔を隠す。


「翔くん。そのままでいてね。君のそのまっすぐさに救われる妖は多い。ううん、妖だけじゃない。きっと君に関わった多くの人達が、君のまっすぐさに魅力を感じる。僕が保証するよ」


 だって僕がいま救われたのだから。

 へらりへらりと笑う雪童子は、笑いながら弱音を吐いた。「溶けたくないや」と。

 さらに言葉を重ねた。「本能が優ったら止めてね」と。


 雪消病が再発したいま、自分は本能的に妖力を使う可能性が大きい。

 自己防衛が働いて少しでも自分に適した環境を作ろうと周りを顧みず、誰彼構わず、雪を降らせ、嵐を起こし、目に映るものを凍らせるやもしれない。みなを傷付けるやもしれない。それこそ大好きな人間の命を奪うやもしれない。それが怖いのだと雪之介。

 そうなる前に、どうか止めてほしい。市井の妖を守る南の神主として、そして錦雪之介の友人として。


「できる限り、君に意地を見せる。だから約束してほしい、僕が本能だけで動く化け物になったらその時は遠慮なく止めてくれるって。僕は特にヒトを傷つけたくないんだ」


 知っている。

 雪之介はヒトを愛し、ヒトの社会に溶け込んで生きている化け物。

 ヒトを思いやる気持ちは誰よりも強い。そしてヒトと共存共栄を願うのも。彼のつよい気持ちに共鳴したからこそ、翔もヒトとの共存共栄を目指して日々奔走しているのだ。雪之介の存在は翔の中で本当に大きい。


 けれども、翔が一番聞きたい言葉はこれじゃない。

 空になった雪見だいふくをパックをビニール袋に詰めると、翔はゆるりと腰を上げる。

 また見舞いに来る、と浄衣の袖を翻して座敷を出る、その背中に一番聞きたかった言葉を投げられる。


雪中四友(せっちゅうしゆう)をお願いね。翔くん、頼りにしている」


「ああ。任せろ。必ず持ってくる、かならず――だから意地でも体を持たせろよ。雪之介」




 診察所の屋根の上には、カラスを撫でながら天を仰ぐ烏天狗がひとり。


「春まで持たない、か」



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