処刑の日
雨が降っていた。
冷たい雨が、私の頬を濡らしている。
けれど。
それが雨なのか、涙なのか。
もう私には分からなかった。
私は今、処刑台の上に立っている。
両手には枷。
足元には、赤く濡れた木の床。
目の前には、大勢の人がいた。
王都の民。
貴族。
騎士。
そして――。
私が最も会いたくなかった人たち。
「アリア・フォン・ベルク」
処刑執行人の隣に立つ裁判官が、私の名前を読み上げた。
「お前は王太子暗殺未遂の罪により、死刑を言い渡される」
「……違います」
声が震えた。
「私は、やっていません」
返事はない。
「私は殿下を殺そうとしてなんかいない!」
必死に叫ぶ。
けれど。
観衆から返ってきたのは、冷たい言葉だった。
「嘘つき!」
「悪女!」
「王太子殿下を殺そうとした女だ!」
違う。
違うのに。
誰も聞いてくれない。
私は震える手で、目の前を見つめた。
そこには王太子殿下がいた。
私の婚約者。
幼い頃から一緒に育った人。
いつか、この人の隣で王妃になるのだと思っていた。
「殿下……」
私は彼を見つめた。
「お願いです」
彼は何も言わない。
「私を信じてください」
沈黙。
「殿下……」
もう一度呼んだ。
すると彼は、ゆっくりと口を開いた。
「アリア」
懐かしい声だった。
けれど。
そこにあったのは、愛情ではなかった。
「私は、君を信じていた」
胸が痛んだ。
「……なら」
「だが、証拠が揃っている」
「違います!」
私は首を振った。
「それは誰かが私を陥れるために――」
「もういい」
その言葉で。
私の声は止まった。
王太子の隣には、一人の女性が立っていた。
美しい金色の髪。
青い瞳。
そして。
私が一番信じていた人。
「……エレナ」
私の親友だった。
彼女は悲しそうな顔をしていた。
「アリア……」
「あなたまで、私が犯人だと言うの?」
エレナは目を伏せた。
そして。
静かに頷いた。
「……はい」
その瞬間。
胸の奥が、ぐしゃりと潰れた。
「どうして……?」
「私は見たのです」
「何を?」
「あなたが、殿下の部屋に入っていくところを」
「それは!」
私は必死に説明した。
「あの日は殿下に呼ばれて――」
「嘘です」
エレナが遮った。
「私は聞きました」
「……何を?」
彼女は私を見る。
そして。
小さく笑った。
「あなたが殿下を殺す、と言っていたのを」
「……!」
そんなこと。
言っていない。
一度も。
「違う……」
声が出なくなった。
「私はそんなこと……」
私は王太子を見た。
「殿下、覚えているでしょう?」
「……」
「私があなたを殺したいなんて、一度でも言いましたか?」
王太子は目を逸らした。
それだけで。
答えは分かった。
「……殿下?」
「すまない」
その一言。
それだけだった。
私は笑ってしまった。
「……ふふ」
涙が頬を伝う。
「すみません?」
何がおかしいのか。
自分でも分からない。
「それだけですか?」
返事はない。
「私は……あなたのために……」
何度も。
何度も。
王太子のために生きてきた。
毒を盛られたと聞けば、夜中でも駆けつけた。
敵国から狙われていると知れば、身を挺して守った。
それなのに。
最後に私を待っていたのは。
裏切りだった。
「……分かりました」
私は顔を上げた。
もう泣かなかった。
「では、最後に一つだけ」
裁判官を見る。
「私の家族は?」
「……」
誰も答えない。
「お父様は?」
沈黙。
「お母様は?」
沈黙。
「……妹は?」
やはり。
誰も答えなかった。
そのとき。
観衆の中から声がした。
「アリア」
父だった。
私は目を見開いた。
「お父様……!」
助けて。
そう言おうとした。
けれど。
父は私を見つめたまま。
冷たく言った。
「お前が罪を犯した以上、ベルク家とは何の関係もない」
「……え?」
「二度と私を父と呼ぶな」
頭の中が真っ白になった。
「そんな……」
母もいた。
妹もいた。
なのに。
誰も私を見ていなかった。
私はようやく理解した。
この国には。
私の味方が一人もいない。
「……そう」
小さく呟いた。
「そういうことだったんですね」
全部。
最初から。
仕組まれていたのだ。
証拠。
証言。
家族の沈黙。
そして。
婚約者の裏切り。
誰かが私を消したかった。
そして私は。
そのために選ばれた。
「……アリア・フォン・ベルク」
裁判官が再び告げる。
「何か最後に言い残すことはあるか?」
私は空を見上げた。
雨が降っている。
灰色の空。
十年前。
母に手を引かれて、この王都へ来た日も。
こんな雨だった。
私は幸せだった。
家族がいて。
友達がいて。
婚約者がいて。
未来があると思っていた。
――全部、嘘だった。
「……あります」
私は言った。
「一つだけ」
そして。
私は王太子を見た。
「殿下」
彼がこちらを見る。
「もし来世があるのなら」
私は微笑んだ。
「私は、絶対にあなたを信じません」
彼の顔が僅かに歪んだ。
私は続けた。
「家族も」
父を見る。
「友人も」
エレナを見る。
「誰も信じません」
そして。
最後に。
自分自身へ言い聞かせるように。
「今度こそ、自分の人生を……自分で選びます」
処刑執行人が剣を構えた。
冷たい風が吹く。
私は目を閉じた。
怖い。
死にたくない。
もっと生きたかった。
もっと――。
幸せになりたかった。
「……神様」
最後に。
私は願った。
「もし、本当にやり直せるなら――」
涙が一粒、落ちた。
「次は、誰も信じない」
剣が振り下ろされた。
その瞬間。
世界が白く染まった。
音が消える。
雨も。
人の声も。
何もかも。
そして。
どこからか。
女の声が聞こえた。
『――本当に、それでいいの?』
私は目を開けた。
真っ白な世界。
目の前には。
銀色の髪をした、見知らぬ少女が立っていた。
「……あなたは、誰?」
少女は微笑んだ。
『あなたに、もう一度だけ人生をあげる』
「……え?」
『ただし――』
少女の瞳が赤く光った。
『二度目の人生では、あなたを殺した人間が……あなたを救うことになる』
「そんな……」
『だから、選んで』
少女が手を差し出す。
『もう一度、生きる?』
私はその手を見つめた。
そして――。
「……生きたい」
私は手を伸ばした。
「今度こそ――」
その瞬間。
世界が砕けた。
――そして私は。
十年前の朝に戻った。




