第180話:悪臭とミラ
俺は後ろで震えている三人の女たちへと視線を向けた。
「……イリス。あの三人、この状況でパニックになって叫んだりしないだろうね?」
俺が小声で尋ねると、イリスは無表情のままコクリと頷いた。
「ご安心ください、ヘンドリック様。彼女たちには、私が『実戦向けの調整』を施しますので」
そう言うと、イリスはメイド服のポケットから、銀色に鈍く光る三つの腕輪を取り出し、三人の女たちへと無造作に放り投げた。
「ひっ……こ、これは……?」
「ヘンドリック様が以前、予備として作成されていた魔道具です。魔力消費の軽減と、魔力自動回復の促進効果が付与されています。直ちに装備しなさい」
イリスの冷徹な命令に、三人は慌てて腕輪を身に着ける。
「あなた方は、魔力消費の激しいレベル10の魔法を大艦巨砲主義で撃つことしか脳がない、極めて燃費の悪い欠陥品です。それでは数発撃てばすぐに魔力枯渇で足手まといになります」
「うぅ……っ」
「ですが、その魔道具があれば、数発程度なら余分に魔法が撃てるはずです。最悪の場合、あなたたちには敵の的として最低限の仕事をしてもらいますから、せいぜい魔力管理には気を付けることですね」
イリスの容赦のない、しかし極めて実用的なスパルタ指導に、三人は涙目で何度も首を縦に振った。
『……相変わらず、イリスの裏方管理術は徹底してるなぁ』
俺が内心で苦笑していると、不意に風向きが変わった。
広場の方から、血と、泥と、そして限界まで酷使されて焼き切れた魔石の、ひどく不快な焦げ臭さが鼻を突く。
「……っ!」
その瞬間、俺の右隣にいたミラが、耐えきれないというように俺の胸元に顔をうずめてきた。
「ボ、ボス……っ。ダメだ、この匂い、耐えられないんだゾ……鼻が曲がりそうだゾ……」
獣人族であるミラの嗅覚は、人間の比ではない。俺たちでも顔をしかめたくなるような死と鉄の匂いは、彼女にとって暴力に等しいストレスなのだろう。
俺の服の胸元をギュッと掴み、ガタガタと震えるミラ。
「……仕方ないな。少しだけ我慢しておいで」
俺はミラのしなやかな背中に腕を回し、安心させるようにギュッと抱きしめた。
「んぅ……ボ、ボス……?」
「【浄化】」
ミラを抱きしめたまま、俺は小さくスキルを呟いた。
俺の所持している【浄化】スキルは本来レベル1だが、今身に着けている特製の魔道具の効果により、実質的にレベル3相当の出力まで底上げされている。
俺はそこに、全快している自身の莫大な魔力タンクを直接接続し、湯水のように魔力を流し込み続けた。
シュァァァ……ッ!
俺たちを中心に、目に見えない清浄な空気のドームが展開される。
漂っていた血と焦げた魔石の悪臭が、俺たちの周囲数メートルから完全に消え去り、まるで新緑の森の朝のような澄み切った空気に包まれた。
「ぷはっ……! あ、空気が美味しいんだゾ! ボスの匂いもして、すっごく落ち着くんだゾ……!」
ミラがパッと顔を輝かせ、俺の胸にさらにグリグリと顔を擦り付けてくる。
「……ヘンドリック様。いくらなんでも、広範囲の空間浄化を常時展開し続けるなど、魔力の無駄遣いにもほどがありますわよ?」
「そうだぞ、閣下。空気清浄のために魔力を垂れ流すなど、常人のやることではない」
エリーゼとサンネが、呆れたような、それでいて俺の胸に抱き着いているミラに対して明確な嫉妬の目を向けながらジト目で睨んでくる。
「いや、ミラのコンディションが落ちたら前衛の要が崩れるからね。これくらいは裏方として当然のサポートだよ」
俺が涼しい顔で答えると、最後尾の魔王が豪快に吹き出した。
「がはははっ! 相変わらずおっさんの魔力の使い方はデタラメだぜ! だが、そういう過保護なところ、アタシは嫌いじゃないぜ!」
広場では、使い捨ての怪人たちが悲壮な呻き声を上げている。
だが、俺たち『黎明の森』の周囲だけは、完全に緊張感の欠落した、過保護でラブコメな空気が充満していた。
「あぁ、助かります……。さすがはヘンドリック様の魔法、命の洗濯ですね……っ」
血と焦げた魔石の悪臭から解放され、闇の商人がフラフラと清浄な空気のドーム内へと身を寄せようとした、その時だった。
足元の木の根に躓き、商人の体が大きく前のめりに倒れかける。




