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#050 始まり

 紫京院教授が悪戯っぽく指し示したその場所。

 その名を僕は忘れるはずもなかった。

 東都工業大学、地下最深部。第七ドック。

 かつてプロジェクト・アンファングの全てが始まった場所。

 僕は覚悟を決め、隔壁の先へと足を踏み入れた。

 そこは以前と全く変わらない光景だった。

 巨大な縦穴構造のドック。キャットウォーク。そしてオイルと金属の懐かしい匂い。

 ただ一つだけ違っていたのは。

 そのドックの中心に、全ての戦いを終え、今は静かな眠りについている純白の巨人が、美しいライトアップに照らし出されて安置されていたことだった。

『アンファング』。

 そしてその巨大な足元に一人静かに佇む、緑色のポニーテールの女性の後ろ姿があった。

 僕はゆっくりと彼女の元へと歩み寄った。僕の足音に気づいたのか、彼女……美生奈さんがゆっくりとこちらを振り返った。

「……来てくれたんですね、物部君」

 その笑顔は僕がこれまで見てきたどの時の彼女よりも美しく、そして穏やかだった。

 彼女は再びアンファングを見上げた。その姿はまるで古い大切な友人に語りかけるかのようだった。

「……時々、ここに来るんです」

 静かなドックに彼女の澄んだ声が響く。

「そうすると思い出すから。私たちが何のために戦ってきたのか。そしてこれから何をすべきなのかを」

 僕も彼女の隣に並んだ。そして同じように、僕たちの始まりの全てであったこの白き巨人を見上げた。

「……僕は」と、僕は静かに口を開いた。「この機体が憎いとさえ思ったことがありました。僕たちから普通の学生としての日常を奪った元凶だって」

「でも」

 僕は続けた。

「……今は感謝しています。この機体がなければ、僕はあなたと出会うことさえなかったのだから。ここは僕たちの始まりの『揺りかご』です」

 僕はそっと彼女のその温かい手を取った。彼女は驚いたように僕の顔を見上げた。

 その美しい青い瞳を真っ直ぐに見つめ返して、僕は僕の人生の全てを賭けた問いを投げかけた。

「……美生奈さん」

「僕の残りの人生という、まだ誰にも観測されたことのない不確定な未来を……」

「……あなたの隣で、共に観測させてはもらえませんか」

 それは僕が生まれて初めて口にした愛の言葉だった。

 彼女の瞳から一筋美しい光がこぼれ落ちた。

 そして彼女は僕が今まで見た中で最高の満開の笑顔で頷いた。

「……はい、喜んで」

「私の不器用で愛しい観測者さん」

 僕たちはどちらからともなく顔を近づけた。

 そして僕たちの始まりの揺りかごのその足元で、誓いの口づけを交わした。

 始まりの場所で、僕たちの新たな物語が始まった瞬間だった。


 ――それから幾年かの時が経った。

 とある大学の最先端の研究室。

 そこには明るい子供たちの声が響いていた。

「だから言ってるだろう。勝手に子供たちを研究室に入れてきちゃダメだって」

 白衣を着た一人の男が呆れたように、しかしその声に隠しきれない笑みを含ませながら言った。

「ごめんなさい、あなた。でもこの子たちがどうしても私たちのお仕事を見たいって聞かなくて……」

 同じく白衣を着た一人の女が困ったように微笑んだ。

「すごーい!」「これ、お父さんとお母さんが作ったのー!?」

 二人の幼い男の子と女の子が、ガラスケースの中で美しく脈動するハイブリッド植物のプロトタイプを、目をキラキラと輝かせながら見つめている。


 その家族の喧騒を見守るかのように。

 研究室の片隅に置かれたデスクの上には、一枚の家族写真が飾られていた。

 アンファングの手のひらの上で寄り添う二人の若き日の姿。その数年後のウェディングドレスとタキシードの姿。そして小さな二つの命をその腕に抱きしめる現在の姿。

 その写真立ての隣には。

 世界にただ二つだけしか存在しない金属で作られた、二つの指輪が静かに重ねて置かれていた。

 その内側にはこう刻まれている。

『MANATO』

『MIONA』


 ――これは始まりの物語に終わりを告げた彼らが紡いでいく、終わりのない未来の物語。

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