夏の夜の妖怪(?)
あたしは塗籠に入って眠ろうとしたけど、蒸し暑くて眠れない。
すずちゃんは宴の後始末に駆り出されて台所に行っている。
せめて妻戸を開けてくれたら風が通るのだけど、刀自様が寝室に入られたので格子も下げられ妻戸も閉められているのだ。
あたしは塗籠の戸を静かに開ける。
あたしの居間の隣の仕切りに燭台の明かりが点いているのは、まつ様があたしに来た手紙のお返事を書いているのだろう。
ありがとう、まつ様。
あたしももっと字が上手くなって、早く自分の手紙が書けるように練習しなければ。
そっと塗籠を抜け出して、妻戸の掛け金を外す。
細く妻戸を開けて、外を眺めた。
外から涼しい風が入ってきて気持ちが良い。
今日は月が出ていて外が明るい。
あたしはこの世界に来るまで、月や星空の明るさを実感してなかったけれど、満月の明るさはびっくりするくらいだった。
台所の方向を見ると、幾つも明かりが点いていて、片付けをしている女性達の姿や何かを喋っている声も聞こえて来る。
すずちゃんが戻って来るのはもう少し時間がかかりそうだ。
北の対の入り口に座っているはずの巽様を探す。
巽様は廊下の端にキチンと正座して、母屋の方を見ていた。
宿居の武者に交代するまでは、こうしていつも座っているのだ。
巽様が何かを見て、ハッと緊張した。
東の対から誰かが廊下を歩いて来る。
飛び抜けて背の高い影は高至様に違いない。
高至様の後ろを歩く侍女のさや様らしき姿も見える。
「かぐや様に是非ともお伝えすべき事柄があれば、暫しご対面をお願い申し上げる」
巽様は平伏したまま答える。
「刀自様もかぐや様も既にお休みでございます。ご用は明日改めて刀自様までお申しつけ下さいますように」
さや様が前に進み出る。
「それでは先ほどの高至様のお文にお返事があるはずでございますので、それだけでも頂きたいのでございますが」
「お待ち下され」
巽様は立ち上がると、あたしがいる妻戸と反対側の妻戸に行き、戸を叩いて侍女を呼ぶ。
妻戸が中から開かれると、侍女に何かを尋ねている。
その間に高至様があたしの方に歩き出して来るので、あたしは慌てて妻戸を閉めて掛け金を掛ける。
巽様が素早く高至様の方に戻って来る。
「三の殿様、勿体なくもこちらにはお入りになれませぬ。刀自様の『私的な』場所でございます」
巽様は高至様を止めている。
その時、別の声がまた聞こえた。
「これはこれは、三の殿。このような場所で何をされているのか。
何事が起きたかと来てみれば、警備の武者と争うとはどうされたのか」
「これは一の殿様。三の殿様はかぐや様からのお返事のお文をお待ちしているだけでございます」
侍女のさや様が高至様をフォローして言う。
「三の殿は抜け駆けをする積もりではないか。
いくらかぐや様を想われようと、三の殿のご容姿で何を血迷うておられるのか」
「一の殿様のあまりの言われ様よ。かぐや様はわたくしを美しきと言われたのだ」
「世辞をそのまま受け取られるとは、愚か者の世迷い言よ。寝言は寝て言え」
妻戸がバーンと開く。
ドスドスと廊下を歩く音がする。
「一の殿様、三の殿様、老い先短き刀自を殺されるお積りでございますか。
ようやく寝付いた所を何故にお起こしなさいます。
年寄りは早く寝ねば長生きできぬものを」
刀自様は怒りを抑えて丁寧な言葉使いだ。
逆に恐ろしい。
「いや、刀自様、これは失礼を致した。
無論そのような積もりは全くありませぬ」
「お休みの所をお邪魔致した」
「三の殿様へのお返事は明日の朝にもお渡し致します。有り難くも数多のお文を頂いて、お返事も滞っております故に」
あたしはそれだけを聞いて、直ぐに塗籠に戻って中から掛け金を掛けた。
廊下をゾロゾロと歩く音がして、後は静かになったので殿様方は帰ったのだろう。
塗籠の戸をドンドンと叩いて刀自様の声がする。
「かぐや様、もう寝ておられますか?」
あたしは戸の掛け金を外して塗籠の戸を開けた途端、思わず「ぎゃぁ~」って叫んでのけ反った。
刀自様が侍女も連れず、手燭台を持って立っていたのだが、髪は乱れ、目は血走って、宴のために施した白塗り化粧は斑に禿げて、おまけに紅が唇の下にダラッとはみ出て、まるで人を食った様だ。
心臓が止まるかと思った最初の驚きが収まると、刀自様はこんな格好で殿様方の前に出てお話されたんだと、別の心配が出てくる。
こんな顔で「殺す気か」なんて言われたら、殿様方じゃなくても怖れを為して逃げるよね。
「如何致しましたか?」
巽様が外の格子を叩いて大声で聞く。
まつ様も慌てて駆けつけて来る。
「何事も無し。寝ぼけた侍女が驚きて叫びたるのみ」
刀自様は冷静に大声で答えた。
まつ様が近づいてきて、刀自様のお顔をみると、さすがに驚く。
「刀自様、お顔が酷い有様になっておられます。お顔を拭われませぬと」
「いや、大事ない」
刀自様は平気でも、見た人が卒倒しますから。
「かぐや様は必ず塗籠で掛け金を掛けて休まれますように。
どなたが来られても、簡単にはお開けなさらないようにお気を付け下され」
あたしに注意をして刀自様は寝室に戻られた。
少しするとすずちゃんが戻って来た。
一の殿と三の殿のやり取りは既に台所中の噂になっているそうだ。
次の日、中将様が那加国に帰られるので、ご挨拶に出る。
中将様は自信満々のご様子で、那加国とご自身の素晴らしさを力説されてから、日見国のおもてなしに感謝の言葉を述べられる。
そして中将様は久我根様とあたしを那加国に招待した。
「必ずまたお会い致します」と断定的に言って、帰られた。




