あかね様は闘う乙女だった
ゆうべ夜遅くに誰かが刀自様を訪ねて来たようで、東の対の刀自様がいらっしゃる辺りで低い話し声がしていた。
大神官様の召喚祈祷の結果を誰かが報告に来ていたのかもしれない、どうなったのだろう、とあたしは朝から気掛かりだった。
すると、隣の屏風の陰で独特の間延びした声が聞こえた。
三郎様の館の侍女頭をしているかえで様が東の対に来ているのだ。
かえで様が召喚祈祷の結果報告に来たに違いないと思って、声のする方に近寄ってみる。
「かえで様、大神官様のご祈祷はいかがだったのでしょうか?」
かえで様は、普段のゆっくりした動作に似合わず、バッと振り返ると
「存じ上げませぬ。刀自様にお聞きください」と、冷たく言う。
喋るスピードも早くて、別の人みたいだ。何だか目付きも険しいように感じる。
いったい、かえで様はどうしたのだろう。
あたしは刀自様から詳しいお話をお聞きしたかったのだけど、刀自様はもう何処かに出かけられてお留守だった。
仕方がないので、習字の練習に来たまつ様に聞く。
まつ様はこのお屋敷に来たのが五年ぐらい前なので、詳しい話は分からないらしい。
今朝は何となく、お屋敷の雰囲気がピリピリしているようだ。
久我根館に来てから何回か聞いたことがあるのだけど、今日は一段とドドドドドと地面が揺れるような音がする。人が号令をかけているような声もする。
「まつ様、何度もドドドドドと音がするのですが、あれは何の音でしょうか?」
習字の手を休めてまつ様に聞いてみる。
「あれはお屋敷の北側の馬場で、武者が馬駆けをしておるのでございます。傍には弓場もあれば、鍛練の為に一族の方々が集まっていらっしゃるのでしょう」
集まって訓練をするのであれば、本当に那加国との戦いが迫って来ているのかと思う。
「久我根館は日見国の南の端にあって、国の第一の要害(防衛地点)にして富貴なるお館でございます。
なればこそ此春様や栗山様が大街道の入口に館を設けてお護り致しておられるのです。
いずれも武勇の誉高き侍大将なれば、那加国も容易くは攻め来たれませぬ」
刀自様から久我根一族が大金持ちだと言うことを聞いて、あたしが無料でお世話になっている心苦しさは少し解消していたのだけれど、那加国と戦いになったら、ここが最前線になるってことなんですね。
お金持ちで一番最初に狙われるなら、お金持ちもあまり嬉しくないかも。
「今日はあかね様も三郎様や郎党の武者と共に鍛練されているそうでございます」
何ですと?あたしの聞き間違いですよね。
「あかね様?......あかね様が鍛練って、ホントですか!?」
「あかね様は幼き頃より他のお子様達と共に馬にも乗られ、弓も引いたそうでございます。どのお子様達にも負けず馬を乗りこなされたと、お聞き致しました」
確かにあかね様はがっちりした体で、動作も素早い気がするけれど、久我根館のお姫様ですよね。
それに去年お子様を生んだばかりじゃなかったでしょうか。
あたしが散々叩き込まれている『姫様の禁止行動一覧表』の第一条から第五条ぐらいの禁止行動を、あかね様は堂々としていると思いますが、一体どういうことなんでしょうか。意味不明過ぎる。
「刀自様がお許しになっていることでございますから、わたくしからは何とも申せませぬが......」
まつ様は明らかに不服そうに言う。
今まであたしが受けてきたお姫様教育は一体なんだったんだろう。
しばらくすると、そのあかね様が足音も軽く東の対にやって来られた。
頬当てのある兜を小脇に抱え、以前刀自様が履いていたと同じような裾を縛った袴を履いて、胴体には鎧までつけている。
長い髪は一つに束ねて、途中で折り返すように髻に結んでいる。
顔の化粧は汗でほとんど落ちていて、上気した頬にかかる髪はウエーブがかかって少し乱れている。
見とれてしまうぐらい実に美しい。
眉を描くために自分の眉を剃っていることと、お歯黒で歯が黒くなっている事がとても残念だ。
何故、せっかくの美貌を損なうような真似をするんだろう。
でも、今の人がアイシャドーやツケマツゲを使う化粧をしているのを見たら、この世界の人はせっかくの美貌なのに勿体ない、とか言うのかもしれないね。
「久しぶりの馬駆けでございましたが、大層心が晴々といたしました。
ただ長く馬に乗りてなければ、身体の慣れるまで手間取りました。
馬駆けの勘を戻す為にも、毎日の鍛練が必要なようでございます」
なんて、サラッという。
「あかね様は馬にも乗られるのですね。聞いて驚きました。まさか弓まで引いたんでしょうか?」
あかね様はちょっと恥ずかしそうにすると
「弓は下手なのですが......」という。
やっぱり弓まで引けるんですね。あかね様のイメージがすっかり変わってしまった。
恋する乙女じゃなくて、闘う乙女だった。
「都のお貴族様の家ならともかく、此春は武門の一族ゆえ、わたくしも三郎様のお方様としての心構えはしておかねばならぬのでございます」
あかね様は嬉しそうに言う。
あかね様は刀自様のお子様の中で、一番刀自様に似ているのだと思った。
刀自様は、こういうお嫁さんが欲しいのだと思う。
あたしは絶対無理だ。
あかね様は、兜をかぶって目から下を覆う頬当てを付ければ、お顔を他人に見せたことにならないという謎理論で、行動を正当化されました。
あかね様のイメージがガラガラと崩れてしまったのでした。




