23 存在価値と「原動力」。
次の日。
鮎子おねえちゃんが言っていた通り、首と胴体の接合部の傷跡はすっかり消えていたが、まだ不安の残っている私は、大事を取って首にコルセットと包帯を巻いて登校した。
こんな格好をして歩いていると、どうせまた真子辺りが、
「うっわぁーかいちょ!どっ、どうしたんですかぁ!?」
などと大騒ぎする事だろう。さて、どう言い訳したものか。
「ですから、どうしたんですかってばかいちょ!」
そうそう。こんな感じにしつこく聞いてくる事だろう。…むぅ。どうしたものか。
「むー。わたし、そんなにしつこく聞いてないですよぉ」
…ずいぶんと念入りなシミュレーションになったものだ。いかにも真子が言いそうな言葉ばかり出てくる。私の分析力も捨てた物では――
「ですからかいちょ!」
「む…?何だ真子。本当にいたのか」
「いましたよぉ」
「すまないな。気づかなかった。…何せ、この有様であまり横を向けないのだ」
「寝違えでもしたんですか?」
「寝違え?…あ、ああ、そうだ。それでいこう」
「それでいこう…?何ですそれ」
「いや何でもない。昨夜、ちょっと…ね」
「痛々しそうですねえ…あ、もしかして、この間、床に頭ごんごん打ちつけたのがよくなかったんじゃないですか」
「…あ…ああ。そうかもしれない」
いくら何でも、「昨日、ちょっと鮎子おねえちゃんに首を刎ねられちゃって」などと言えるはずもない。
「お大事にしてくださいよぉ?」
「あ、うん。そうする。ありがとう真子」
「どういたしまして」
真子はぺこり、とお辞儀をした。何かと騒々しいが、基本的には悪い子ではないのだ。
「でも、そんなご様子じゃあ、今朝のお掃除は中止しましょうか?」
「いいや大丈夫。これくらいでお休みするわけにはゆかない。それに」
「それに?何です?」
「うん。それに志賀君もいる。彼がいるから私は頑張れる」
「はいはいごちそーさまです」
そんな他愛ない会話を交わしているうちに、私たちは校門前にたどり着いた。
駐輪場の方を見たが、志賀君の「自由の翼」号はまだ来ていない様だ。
仕方ないので真子と二人で物置に行き、清掃の準備に取り掛かっていると、耳に馴染んだ彼の自転車の音が遠くから聞こえてきた。
「む?そろそろ来たみたいだな」
「えー?かいちょ、分かるんですか」
「うん。志賀君の自転車の音が聞こえた」
「へぇ。わたしにはなんにも聞こえませんけど…」
「私には分かるんだ」
「ほほぉ…やっぱ愛の力ってあるんですね…って、あらま、ホントに来た」
かいちょすごーい!らぶらぶですねぇとはしゃぐ真子だったが、何の事はない。「鬼橋 文」としての聴覚が、常人の何倍も優れているだけの事なのだ。
そう。「鬼橋 文」の身体能力は、御初様が自らに施した数々の魔導によって、常人をはるかに凌駕した物になっている。加えて、その魔導の知識も生まれた時から刻み込まれている。その知識を有益に用いるためには、それなりの学習と努力が必要になるが、私は幼い頃からこれに真摯に向かい合って克服してきたつもりだ。
そうだ。私はすでに「鬼橋 文」として十分にやってゆけるだけの素養を身に付けたはずなのだ。…この発展途上な身長と…その、何だ…未成熟の胸部を除いて。
私は自分の真っ平らな胸に手を当てた。
この…この平面が恨めしい。
しかし何だ、これはあくまで「発展途上」で「未成熟」に過ぎない。いわば現在進行形というわけだ。きっといつかは…いつかは私だって…
明日はなろう、きっとなろう理想の私。
「わー、かいちょったら乙女ちっくぅ!そんなに志賀君の事が待ち遠しいんですか?」
己がフィジカル面に葛藤する私の姿は、しかし真子には「恋する乙女の夢見るポーズ」とやらに見えたらしい。
つい先日までの私だったら、照れ隠しに彼女の頭を小突いていた所だが、今は、とりあえず彼女の思い違いを好意的に受け止めておこうか。
「自由の翼」号に乗った志賀君は、校門を抜けるとそのまま私たちの前にやってきた。
「あ、おはようございます文ちゃん先輩。今日も早いんですね」
「あ、うん。志賀君も」
「それよりも、どうしたんですか、その首」
「うん…ちょっと寝違えちゃって」
「本当ですか?」
そう言うと志賀君は、自転車を降りて私の耳元で囁いてきた。
「…昨日、鮎子先生から『今日の見回りには行かないでね』なんて言われたんですけど…その首、本当はどうしたんですか?」
う…さすがは志賀君。鋭いな。
「ま…まぁ、本当は、ね」
気がつくと、真子がにこにこしながらこちらを見つめていた。きっと恋人同士の秘め事の相談か何かと思っているのだろう。
「あ…後で詳しくお話しますね?」
「…はあ」
志賀君は、自転車を押して駐輪場に向かっていった。
「いやー、かいちょと志賀君、ホントにラブラブなんですねぇ」
「ま…まあ‥ね」
私は苦笑するしかなかった。
鬼橋 文の身体能力も知識も優れた物だ。
しかし、それでもどうにもならない事だってある。
先の倉澤さんの一件も。そして今回の「慰撫」の事も。
…闇に紛れて逃亡した「慰撫」――「文字の残党」を、一体どうやって探せばよいのか。
しかも鮎子おねえちゃんの昔話だと、「慰撫」の中には人肉喰らいの少女の魂が封じ込められているとも聞く。
「慰撫」の中に、その少女の思念がどれだけ残っているのかは分からない。
それに、「慰撫」を支配したのが、一体どんな「文字」だったのかも不明だ。
おねえちゃんの話では、どんな「文字」が取り憑いたのかによって、その行動パターンもある程度は予想もつくとの事なのだが、その大前提が分からないのでは、仮説のひとつも立て様がない。
結局、朝の清掃作業は、私の身を気遣ってくれた真子がいつも以上に頑張ってくれたおかげで、予定よりかなり早く終了した。
用具を物置に片付けて解散となってから、私はこっそりと彼に声を掛けた。
「…志賀君、ちょっと」
「はい?」
「…昨日の事をお話しますから…教室に行く前に、ちょっと私に付き合って保健室に寄ってくださいね」
「分かりました」
もう、鮎子おねえちゃんも来ている事だろうと想定しての申し出だった。
物置と保健室は目と鼻の先の距離だ。私は真子の姿が見えなくなったのを確認してから、志賀君を促して保健室に向かった。
「あー、おっはよー文ちゃん。それに志賀君」
私の予想通り、保健室にはおねえちゃんがいた。
ストーブも点けられていて、部屋の中は暖かい。それに淹れたての紅茶のカップが3個、テーブルの上で心地よい香りの湯気を立てていた。まるで私たちがここにやってくるのが分かっていた様に。
私はとりあえず、昨日の不始末を詫びる事にした。
「…昨日はお騒がせしました」
「ん?ああ、いーのいーの、あれくらい」
…「あれくらい」と言いますか。アレを。
やはりカミサマの基準という物はよく分からない。
「…本当に何があったんですか。文ちゃん先輩、怪我してるみたいですし」
気が気ではないといった体の志賀君。やはり恋人に心配されるのも悪くはないのだが。
「あはは。悪いのに取り憑かれた文ちゃんの首切り落として、ピンセットで取り除いただけだよ?」
「…はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…!!???」
あ、志賀君の目が点になった。さすがに常人の理解を超えてるものな。
…当事者、ましてや魔導師である私すら、内心、まだ抵抗が抜け切れていないくらいだもの、それは仕方もなかろう。
「…だって…文ちゃん先輩の首、ちゃんとつながってますけど…」
「うん。私がちゃんとボンドで貼り付けといたもん」
「…嘘でしょ?」
「あはは。ホントは『チカラ』でだけどね」
「さ…さすがはカミサマ…」
志賀君は感心した様に、しきりに頷いている。
最近、キミはすべてその言葉で納得してしまうクセがついたみたいだな。
マコトに安易でよろしくない傾向だ。悪癖と言えよう。
…むぅ。前にも感じたのだが、キミはどうも最近、超常現象に対する寛容度が高過ぎる気がする。…相変わらず本人は「オカルト否定派」を自称しているみたいだが。
あまりにオカルトに対する抵抗が無くなってしまうのは考え物だ。「好奇心猫を殺す」なんて言葉もあるくらいだし。
…もしキミが危険にさらされたなら、その時は私が全力で守るけれど。
「…あの…」
「なぁに?」
「文ちゃん先輩ご本人を前にして、とても聞きにくい事なんですけど…」
「ん?」
「その…文ちゃん先輩、大丈夫なんでしょうか?その…この間の倉澤先輩の時みたいに、『元のカタチに戻しただけで、生き返らせてはいない』なんてのじゃ…?」
う…。そこに踏み込むかキミは。何とも豪直球な質問だ。…私の影響か?
たしかに、それは私自身も気になっている所だ。ぜひ知りたいが、同時に聞いてしまうのが恐ろしくもある。
「ああ、その事?」
鮎子おねえちゃんは笑った。
「志賀君が本気で心配してるから、真面目にお答えするね?」
私は固唾を飲み込んだ。
ごくり、という嚥下音が、やけに大きく聞こえる。
この音がする以上、以前と変わらず、食道の機能も正常に働いていると信じたいが。
「…正直に言うとね、あの時、私は文ちゃんを殺しちゃいました。ごめんね?」
いいっ…?!
「だぁってぇ、そうでもしないと、あの『文字』どもを取り出せないんだもん」
こ…言葉も出ない。
「ご…ごめんですみますかぁ~~~~!?」
「あら文ちゃん。いつも『鬼橋 文は御主様の為に生き、御主様の為に死ぬ』って言ってるじゃないの」
「え…あ…それはそうですけど…だって私が死んじゃったら、志賀君が…その…悲しんじゃうし…?」
私は彼の顔色をうかがった。彼も目を見開いてこっちを見ていた。
「あはは。ごめんごめん。ホントにごめんね?からかい過ぎちゃった」
まったく悪びれた風もないおねえちゃん。
「首を刎ねれば、そりゃあニンゲンは死んじゃうよね、普通。だから、おねえちゃんは文ちゃんが死んじゃわない様に、それはそれは苦労したんだから」
「…どういう事なんです?」
志賀君は、まだ怪訝な顔をしていた。
「…わたしはね、『文字』どもを取り除いている間、ずっと自分のチカラを文ちゃんに注ぎ込んでいたんだ。肺が無くなっても呼吸ができる様に、血液が循環しなくても、脳が活動できる様に」
おねえちゃんは、まだ乾いた血がこびりついている膿盆を手に取った。
「切り落とした文ちゃんの首を置いたこの膿盆。この血はもちろん文ちゃんの物だけど、これだって、常に新しい酸素を送り続けたりもしたんだよ?血が固まっちゃわない様に。それこそ至れり尽くせりの大手術だったんだから…だから勘弁して、ね?」
おねえちゃんは合掌して、私に頭を下げた。
…カミサマに合掌されて、拝まれてしまった。
何だかとても恐縮してしまうではないか。
「…ま…まぁ、死んでない…生きているのならいいのですけど…」
「わー、ありがと文ちゃん!」
おねえちゃんは私に抱きついてきて、頬にキスをしてきた。
はじめておねえちゃんと会った日の事を思い出してしまう。
「ちょ…ちょっとおねえちゃん!」
「あはは。でも、安心しちゃった」
「何がです?」
「文ちゃんのひと事。『自分が死んだら、志賀君が悲しんじゃう』って」
……あ!
思わず志賀君を見る。…彼は目を逸らせてるけど、顔が赤いな。
多分、私の顔もおんなじ色を色をしているだろうけれど。
「うんうん。可愛いなぁ文ちゃんは。でもね、それでいいんだよ?」
「…おねえちゃん?」
「うん。それでいいの。文ちゃんは、わたしのために命を落とす事なんてないの」
…鬼橋 文の「御主様」、鮎子おねえちゃんはそう言って微笑んだのだった。
「――ところで今回の騒動って、やっぱその『文字』って連中の仕業なんですか」
私の「デッド・オア・アライヴ?」問題も解決した所で、志賀君はおもむろにそう聞いてきた。
「この間の…ええと『情欲?』でしたっけ…アレみたいな」
彼の質問には、私とおねえちゃんで説明する事となった。
文字どもに操られていた時の私の記憶には、一部空白部分もあるからなのだが、むしろその部分は彼から補完してもらった部分もあった。
この顛末の背景にある壮大な歴史的経緯は、私と違って「文系の権化」みたいな彼には中々に衝撃な内容だったと見える。
「…うーん…そうかぁ…文字にはそんな秘密がねぇ…何だか、これから文章ひとつ書くのも怖くなってきましたよ」
「うーん。まぁ、そんなに気にする必要もないんじゃないかな?志賀君が象形文字も使って文章書くのなら話は別だけど」
「あはは。さすがにそんな機会はないと思いますけどね」
「それにね、『意思』を持ってるのは、本当に原初からある様な文字くらいだし」
「…どういう事?」
これは私も興味がある。
私を操っていただけでなく、「私」のフリまでしていたくらいだから、その「文字」には自我らしき物もあるのだろうが、逆に「意思」を持たない「文字」とはどんな存在になるのか?
私たちが日常的に用いている現代語その物に「意思」が残っているわけもないが、では今回の顛末を引き起こした魔力を持つ「文字」どもの中にも、「意思」を持つ奴と持たない奴がいるというのはどういう事なのか?その区分けは、一体どこにあるのだろう。
「それはね、『象形文字』の在り方にあるんじゃないかな?」
「『象形文字の在り方』?どういう事ですか」
「はい。では文ちゃん?じゃあ、まず『象形文字』の定義を述べなさい。簡潔に」
「へ…?ええっと、それはやはり『物のカタチ』を表したモノ…かな?」
「うん、そうだね。その通り。『オトコ』『オンナ』『イヌ』『ネコ』なんての。それにもうちょっと複雑な物になると『兵士』とか『神官』なんてのもありそうだし。道具だってコレで表現できるよね?『天秤』とか『刀』とかも」
「うん」
「じゃあ、『愛情』とか『憎悪』なんて言葉は、どういったカタチになるのかな?はい、志賀君?」
「ええっ!?僕ですか…うーん…象形文字じゃ難しいんじゃないですか?」
「どうして?」
「だって、そういった物は『概念』であってカタチなんてないですし…うーん、漢字だったら書けますけどね」
「そう、その通り。さすがは志賀君だ。はい、ご褒美のクッキー。美味しいんだよ?」
「あ、どーも」
「原初の象形文字って、あくまでも形而下――『カタチ在るモノ』からできていた。カタチ在るモノ、つまりは存在が確定しているって事だよね。存在が確定しているから、そこには『存在価値』ってモノが生まれてくる。『我は何者なのか。どんな価値があるのか』ってね。それが、原初の文字に『意思』が芽生えたきっかけ。『原動力』」
「…何だか哲学めいた話になってきましたね」
「逆に、さっき言った様な『概念』なんてのは、もっとずっと後の時代になって生まれてきた『新しい言葉』だし、カタチもないから自我も持ち様がないの」
『概念』とは「原初の文字」どもにとって、エネルギー源の様な物なのだろうか。
生物の細胞内における、ミトコンドリアみたいな役割の。
「…む?ちょっと待っておねえちゃん」
「なぁに?」
「その『存在価値』だって『概念』じゃない。『意思を持つ文字』の原動力が『ずっと後の時代になって生まれた言葉』というのはおかしいよ」
「どうして?」
「だって、その理屈だったら、まずは原動力である『概念』って言葉が出来上がってないと、原初の文字も意思を持てないじゃない」
「あ、それもそうですね。さすが文ちゃん先輩」
「ふむふむ。いい所に気がついたね」
おねえちゃんはまた笑った。本当によく笑うカミサマだな。
「そこが肝心なの」
おねえちゃんは話を続けた。…あれ?私にクッキーは?
「端的に言うとね、『概念』って言葉は、原初の文字どもが造ったモノなんだ」
「…どういう事?」
「『概念』なんて言葉ができる前にだって、その言葉に相当する物はあったでしょ?ただ、それを表現するだけの『言葉』が存在していなかっただけで」
「うーん…何だか、僕にはちょっと難しい話になってきました」
…こら。そこで頑張れ文系少年。
「つまりね、原初の文字どもは、自らの内にある原動力をより明確に表現できる様にする事で、より純度と効率の高いエネルギーを精錬しようとしたの」
「…じゃあ結局、『概念』なんて類の言葉は、ニンゲンじゃなくて文字そのものが造ったって事なんですか?」
「半分だけ正解」
「半分だけ?」
「うん。半分だけ。所詮、『文字』はどこまでいっても『文字』でしかない。別に、文字その物に生活とかあるわけじゃないし。第一、文字同士の恋愛とかセックスなんて想像ができる?」
セックス、という刺激的な単語には、純情多感な私たちは赤面させられたが、おねえちゃんの言わんとする事は分かる…様な気もする。
「カタチもない『概念』…たとえば『愛情』『嫉妬』…それに『信仰』なんて抽象的な言葉は、あくまでもニンゲンが、日々進化してゆくその文明の中で自ら考え、作り上げてきたんだよ。そこは間違いない。ただ…」
「ただ?」
「その根底には、常に『文字』があった。文字がニンゲンに取り憑く事で、文字の中に含まれる『概念』を表現し得る『新たな言葉』を発明させてきたの…より純粋で、より効率の高いエネルギーを得るために」
そこまで大人しく話を聞いていた志賀君は、ふぅ、と深いため息をついた。
「うーむ…壮大な話ですねぇ…一介の高校生にゃ手に余ります」
「でしょでしょ」
…なんでそう楽しそうなのかな、おねえちゃんは。
「ふふ。まあ、結局、文字とニンゲンは共存関係にあるから、余程の事がなければ敵対する事もないと思うけど」
「たしかに、ニンゲンが滅びたりしちゃったら、文字の存在意義もなくなっちゃいますものね」
「そうそう」
…なるほど。それもそうか。志賀君の言う事は理解できる。
文字とニンゲンは共存関係…か。
では、あの「慰撫」に取り憑いた文字は…これからどうするつもりなのだろう。
「――それはね、たぶん」と、おねえちゃんは言った。
「…え?」
「アレは多分、放っておいても文ちゃんの元にやってくるよ。近いうちに」
「え?どうして?どうしてそんな事が分かっちゃうの?」
「だって『慰撫』の中にいるのは、文ちゃんを操っていた『オンナ』って文字だもの」




