22 ハロー・ドーリィ!
「――さて…おねえちゃん」
私の口から出た声は、自分でも驚くくらいしわがれた物だった。
「なぁに?」
「説明…して…いただき…たいんだけど」
「何を?」
「今回の一件。最初から詳らかに…詳しく…詳細に…です」
「…ぜんぶおんなじ意味じゃない」
私が眠っていたのは、およそ1時間くらいだったらしい。
気がついたら、保健室の窓の外は真っ暗だった。
だいぶ陽が伸びたとはいえ、2月の夕暮れはまだまだ早い。
目を覚まして、床から上半身だけ起こした私が口にしたのは、まず己が身に起きた一連の災難についての説明を求める言葉だった。
まだ、頭と胴体が癒着しきれていないのか、声を出すのにも苦労する。接合部が完全ではないのか、ひと声出すたびに、ひゅーひゅーという空気の漏れる様な不気味な音が聞こえてくる気さえするのが恐ろしい。
…おねえちゃん、本当に大丈夫なんですかこれ?
その疑問を口にするのは憚られた。もし仮に、おねえちゃんの返答が「うん。とりあえずくっつけただけだから。うっかり転んだりすると取れちゃうよ」なんてのだったらどうしよう。
「うーん。まだ声を出すのは難しいかもね。せめて今夜くらいは声も出さずに大人しくしてた方がいいかもよ?でないと…」
え…やはりそうなんですか?取れちゃうんですか?
「あはは。取れはしないけどね」
鮎子おねえちゃんは、そんな私の心の内を読み取ったかの様に笑って答えた。
「取れはしないけど」
…は?
「取れはしないけど、よくない事が起こる」
そ…その「よくない事」って何ですか!?
声を出すのも怖くなった私は、目を見開いて口をぱくぱくさせた。
「うーんとね、『デュラハン』って知ってる?」
……。おい。
いくら魔導の道を歩んできた私だとは言え、17歳のこの身空で、そんな「首のない死の告知人」みたいな異形などになりたくはない。
首を横に振って否定の意を表明したくても、それすら怖くてできはしない。
迂闊に首を横に振って、それこそぽろっと落ちたりしたら堪ったものではないのだ。
「…ふ‥ざけない…で…せつめい…」
畢竟、声を出すのにも、こんなに躊躇してしまうのだ。
「あーごめんごめん。ちょっとふざけ過ぎちゃった。首の方は、一晩ぐっすりと眠れば、目が覚める頃にはすっかりよくなってると思うよ?」
…そんな、風邪の初期症状みたいに軽く言わないでほしいのだけど。
私はせめてもの抗議の意を示そうと、おねえちゃんを上目遣いに睨んでみた。
「あーはいはい。説明、ね?でも、どっから話そうかなぁ」
だから、最初からだと申し上げたはずですけど。
鮎子おねえちゃんは、しばらく何か考えていたかと思うと、口を開いていった。
「…実はね、私もよく分からないんだ、あいつらの正体」
…もしもし?
「分かっているのは、あいつらが『文字』だって事」
文字…?
「厳密には『象形文字』。古代の民族が使ってた、物のカタチを模した文字」
象形文字?あの、ヒエログリフとかヘブライ文字みたいな?
「文ちゃんは魔導師だから、文字には魔力が宿っているのは知ってるよね?」
私は頷くわけにもゆかないので、親指と人差し指で輪を作り、「OK」の意を示した。
「そして、ニンゲンの手で進化させた現代の文字よりも、原初の文字の方が、より純粋に魔力が強かった事も」
これにも指の輪で応えた。
そうなのだ。「文字」は、ニンゲンが自らの力で進化・発展させてきた代償として、それらが本来持っていた魔力は薄まっていった。
本来、「文字」には魔力があふれていた。文字によって紡がれた言葉は、文字の魔力を何らかの目的のために「実行」させるための物だ。
これを大系的にまとめた物が、いわゆる「魔法」。
私たち魔導師が魔法を使う時、現代の言葉でなくギリシャ語やラテン語を用いるのは、より強い魔力が必要なためだ。現代語に残った僅かな魔力では不十分に過ぎる。
幸い、わが国でも日常的な「漢字」、これも象形文字の流れをくんでいるために、それなりの魔力が残っている。
この国に移住してきたわ鬼橋家のご先祖には、先見の明があったに違いない。おかげで私自身も、ずいぶんと助かっている。やはり自分が使っている言語を、そのまま呪文詠唱に仕えるというのはありがたいものだ。
咄嗟の詠唱にも抵抗なく口にできるし、それに、自分なりの詠唱を、独自に構築する事も容易なのだ。
「あいつらは、そういった存在。今は喪われてしまった、どこかの民族が作った物。おそらくはセカイでも最古の部類のひとつになるんじゃないかな」
より原初の文字の方が、よりカミサマの領域にも近い。それに比べれば、私が呪文詠唱に使っているギリシャ語やラテン語など、所詮は「現代語」に近い脆弱な物だ。
――より強力な魔力を持つ、古代の文字、かあ。
なるほどね。それならば納得も…いやいやいや。
だからといって、文字そのものが「意思」を持つなんて事があるのか…?
…待てよ?
少し考えて、ひとつ思い当たる事があった。
古代アッシリアで起きた、ある事件。
無数の粘土板を納めた図書館から、夜な夜な囁き声が聞こえるというので、時の王は老博士ナブ=アベ=エリバに調査を命じた。
研究を進めるうちに老博士は、「文字には精霊が宿っており、その文字は単なる線などではなく、文字によって紡がれた言葉は、ニンゲンを操っているのだ」という仮説に至る。
「文字が普及した事で、ニンゲンは自分の頭で考えなくなった!文字は、ニンゲンを知らず知らずのうちに侵略してきているのだ!!」
この仮説に恐怖した老博士は、それを王に告げたものの、彼の不興を買ってしまい、自宅での謹慎を命じられてしまった。
そして数日後。
突如、彼の国を襲った大地震で博士の家は倒壊、老博士は崩れ落ちた粘土板の下敷きになって圧死してしまったという。
…それは、真相を知った博士の口を塞ぐための、文字たちの復讐だったのだ――
魔導師たちの間で伝承されてきた伝説。
幸いと言うべきか、その後の歴史では、ニンゲンたちはその文字を、自らが使い易い様なカタチへと作り替えていった。
文字は次第に複雑になり、象形文字では表現できない「カタチのない物」、たとえば「概念」といった物までをも文字で表現できる様に発展させた。
その結果、ニンゲンは高度な文明を築き上げる事ができたのだが、代わりに文字が本来持っていた精霊の力、言い換えれば「魔力」は喪われていったのだ。
おねえちゃんは、アレも古代の文字だという。
魔力にあふれ、ましてや自らの意思を持つ原初の文字。
そいつらが現代に蘇り、再びニンゲンを支配しようとしている…?
「…まぁ、あいつらには、そんなに深い考えなんてないとは思うけど」
私の懸念を知ってか知らずか、おねえちゃんは呟いた。
「あいつらにあるのは、自己の眷属を増殖させようという意識だけなんだ。自分たち象形文字だけでは表現できない物――たとえば『情念』とか『嫉妬』『愛情』なんて概念なんかを、宿主に取り付く事で構築して新たに生み出す、自己増殖本能みたいなもので蠢いているんだと思うよ」
…その「宿主」に選ばれたのが、よりによってこの私だった、というわけか。
「ま、文ちゃんは魔導師だし、あいつらとの親和性も高かったみたいだね」
…滅相もない話だ。迷惑千万この上ない。
第一、何でそんな太古の骨董品どもが、この現代に蘇ってきたというのだろう。
何かきっかけとかあったはず…たとえば、私の好きなマックス=フォン=シドーが出ていたホラー映画で、イラクの遺跡から発掘された像に宿っていた悪魔が、アメリカの少女に乗り移った話みたいに。
私は、いまだにタッパーの中でわらわら蠢いている「文字」どもを見つめた。
首だけを曲げるわけにはゆかないので、身体ごとそちらを向いたのだが。
「…でね、あいつらが何で出てきたのかというとね」
ふむふむ。
「あいつらが刻まれていた粘土板、アレ、私が昔、さる筋から譲り受けて悠久堂に置いてたんだけど」
…やっぱりおねえちゃん絡みだったか。
その、あまりにもありえそうなカミングアウトに、妙に納得できてしまう自分が悲しい。
怖れ多くも「カミサマ」である鮎子おねえちゃんの周囲には、何かと人知を超えた出来事とか異形どもが常にまとわりついている。
それはそれで、おねえちゃんにとっては「日常」なのだけれど。
カミサマならぬニンゲンに過ぎない私には、時折手に余る事もある。
「でね、この間それを久しぶりに思い出して、お店から持ってきたんだけど、置き場所に困っちゃってねえ」
…ちょっと待った。
「どうしたものかと考えながら、ベッドの上でぽーんぽーんと投げて遊んでたら」
…何だか嫌な展開になってきたぞ?
とっても嫌な事に、その先が容易に想像できてしまう。
「ちょっとした拍子に落っことしちゃってね」
ほらやっぱり。
「割れた粘土板から、あいつらがわらわら逃げて行っちゃったの。てへ」
いや「てへ」じゃないでしょ!?
「でもね文ちゃん。おねえちゃんは慌てなかったよ?すかさず空間に穴を開けて、あいつらをそこに封じ込めたんだ。えっへん」
さあ褒めていいよとばかりに胸を張るおねえちゃん。私とは比べ物にもならない、豊満なふたつの丘がたゆんと揺れる。
「でもね、ひとつだけ問題があってね」
…ほらきた。決してそれだけで終わらないのが鮎子おねえちゃんの「日常」だもの。
「あんまり急に開けた穴だったから、それがどこにつながったのか、まーるで分からなかったんだよねー、実は。くすくす」
いや「くすくす」じゃないでしょお?
…やっぱりね。どうせそんな事だと思いましたよ私は。
伊達に四代、私個人でも11年間、おねえちゃんに仕えてはいないのだ。
「でもね文ちゃん。おねえちゃんはそれから一生懸命探したんだよ?これでも。どうせ私に深く関わってる場所だろうと思って、学校の中も隅から隅まで、ね?おかげで埃まみれになっちゃったんだもん」
いくら見た目が若くとも、実年齢70代半ばのおねえちゃんに「なっちゃったんだもん」とか言われてしまうと、返答にも困る。
困った所で、今の私には反論する声も出せないけれど。
…それにしても、なるほどね。あの日、朝の校内清掃で私が物置を開けた時に、そこにいたおねえちゃんと出くわしたのも、空間を渡り歩いて「文字」どもを探していた最中だったのだろう。
納得はできたが納得したくはなかった。
あの時、志賀君の質問に対して、おねえちゃんはたしかこう言った。
『大した物じゃないんだ、気にしないで』
…カミサマのおねえちゃんならいざ知らず、ニンゲンの私たちにとっては、まったくもってご大層な物でしたよ、アレは。いや本当に。
その「文字」どもは、いつの間にか私の身体の中に入り込んでいて…私をして良からぬ数々の所業を引き起こさせ…挙句の果てがこのアリサマだ。
腹立たしい事この上ない話だった。
おねえちゃんの不手際にもだけれど、それ以上に、私に醜態を晒させたあの「文字」どもには怒りを覚えた。
すぐにでも呪文詠唱して、あいつらをすべて焼き払いたい衝動にかられたが、残念な事に今の私は呪文を唱える事もできそうにない。
それに、たとえ魔法を使っても、私が使う様な脆弱な言語が生み出す魔力で、あの原初のチカラにあふれる文字どもに効果があるのかどうかも定かではない。
私は悔しくて、もう一度タッパーを見つめた。
「んー、じゃあお話も終わったし、処分しちゃおうか、これ」
まるで集めたゴミをダストシュートにでも放り込む様な気軽な口調で、おねえちゃんがそう言った瞬間、タッパーの中の「文字」どもの動きが活発になった。
やはりこいつらには意思があって、私たちの言葉も理解しているのか。
自我とか意識を持つ異形となると、消滅させるのにも多少は抵抗があるものだが、少なくともこいつらに掛ける憐憫の情など、今の私には微塵もなかった。
どうぞおねえちゃん。存分にやっちゃってくださいな。
さあ!どーん!と。
「あはは。何だか文ちゃんも殺る気まんまんみたいだし、さっさとやっちゃおうか」
おねえちゃんはくすくすと哂うと、保健室の片隅にある棚から一本の薬品の瓶を取り出してきた。
ラベルには「HCL」とある。塩酸か。しかもどうやら濃塩酸みたいだ。透明な瓶の中身の液体が、無色ではなく薄く黄色味を帯びている。濃度は35パーセント。すでに飽和状態の濃塩酸だ。
一応、医療にも用いられる薬品だが、何で保健室に危険性の高い濃塩酸が置いてあるのだろう?
少々物騒だとも思うし、生徒会長としては、これがここに置いてある理由を問いただしたい所ではあるが、今の私は黙認する。黙認するともさ。
何せあのタッパーの中身は、塩酸などよりもずっと危険な代物なのだ。
アレに振り回された私が認めるのだから、間違いない。
おねえちゃんは、瓶の中身の液体を無造作にタッパーに注ぎ込んだ。
濃塩酸には強力な腐食性がある。すぐにキナ臭い、何かが焼ける様な嫌な臭いが部屋の中に充満した。
余程の魔力でないと倒せそうもない原初の文字どもといえども、現代の化学薬品には抵抗力がないというわけか。人類の英知に感謝したいものだ。
タッパーの中は阿鼻叫喚のアリサマだった。
溶解されながら暴れる無数の文字ども。
それはまるで、地獄の血の池の中でもがく亡者の如くだった。
それらの断末魔の動きも、次第に緩慢な物になってゆき…やがてはどす黒くなった塩酸の水溶液の中に溶けていった。
それが、太古から現代まで存在し続けた、意思を持つ奇怪な文字どものたどり着いた終着だった――はずだった。
「はーい。終了終了。これにて一件落着!なーんてね」
ひと仕事を終えたおねえちゃんがにこやかに笑う。
敵に向ける「嗤い」ではない。いつもの優しいおねえちゃんの笑顔だった。
終わってみれば呆気ない様な、実に単純な作業ではあったが、その対象どもの存在を思えば、それは決して軽い物ではない。
おねえちゃんの手で、ひとつの「文化遺産」とも言える物が、今消滅したのだ。
しかしそれは致し方ない。アレは、存在してはいけないモノだったのだから。
おねえちゃんは、文字どもが溶けた水溶液を、備え付けの水洗い場に流そうとした。
…え?ちょっとちょっとちょっと!?
それはマズイでしょ?
慌てた私は、ぶんぶんと手を振っておねえちゃんを制止した。
下手に流して、どこかで何か別の薬品とでも混ざったりしたら、それこそ大変な事になってしまう。
「え?ダメなの?」
おねえちゃんだって一応は養護教員免許取得の為に大学を出ているのだから、こういった方面の知識もありそうなものだが…まったく、これだから化学に疎い人――おねえちゃんはカミサマだけど――のやる事は危なっかしくて見ていられない。
しかし私の制止は、いささか遅かった様だ。傾けられたタッパーの隅から、どす黒い溶液が、半分くらい流れ出していた。
…あれ?まだ完全には溶けきっていないはいなかったのかな?半溶解した黒い塊も、どろりとこぼれ落ちていった様だ。
「んー、だいじょぶだいじょぶ。たぶんもう死んでるし」
いや…あの、ソレ、元々生きてるとかそんな存在じゃなかったと思うのだけど…って、そういう問題じゃなくて…
「ほら。見てみる?」
おねえちゃんは、文字の残滓が半分くらい残ったタッパーを私の前に差し出した。
強烈な薬品臭が鼻をつくが、我慢して中をのぞいてみると、なるほど、連中はもはや原形を留めてはいなかった。
これで、この最低な事件も終わってくれることだろう。明日から、連中に操られていた私が仕出かしたらしい数々の所業の後始末をする羽目になるだろうが、それも仕方ないだろう。とりあえず今晩くらいは安堵させてもらおうか――
「…ところで文ちゃん?」
ふと、おねえちゃんが私を見ていった。
「何で文ちゃんが『慰撫』なんて持ってたの?」
「慰撫」?何の事だろう。
「ほら、あれ」
おねえちゃんは、保健室の片隅に置いてある箱を指さした。
その箱の中には、私が文字に操られていた時に悠久堂で買った、あのアンティークなフランス人形がある。あ、そうか。あのお人形の名前は「慰撫」というのか。
そうか。悠久堂の倉庫で永い間眠っていた代物なら、それはきっとおねえちゃんが昔仕入れた物だったのだろう。おねえちゃんが知っているのも道理だ。
「まあ、どうせ文字が文ちゃん操って買わせたんだろうけど」
うん。たぶんその通り。
私はまたもや指で輪を作って答えた。
「しかし懐かしいなー。あのお人形にも、ちょっとした昔話があってね」
ええ、ええ。そうでしょうとも。おねえちゃんが絡んでいるのならば、たとえばそれが世にも奇妙な呪いの人形だったとしても驚きはしない。
おねえちゃんの語った昔話は、こんな感じだった。
この物語とは直接かかわりのない話なので、ごく簡単に記しておこう。
終戦直後の混乱期。東京・上野界隈で奇怪な事件が続発した。
路地裏など人気のない数か所で首のない「死体」が数体発見されたのだが、そのどれもが共通の特徴を持っていた。
その「死体」には首がなかった。無かったのである。
切り取られていたのではない。最初から頭部など存在していなかったかの様に、肩から上の部分のない「死体」だった。
…いや、それらを「死体」と言ってよかったのか。「それ」は死んではいなかった。
心臓の鼓動も脈もある。体温も正常。
そして、捜査員たちを何よりも驚愕させたのは、「それ」は時々、動いてさえみせた事だった。
警察の地下にある遺体安置室のベッドに横たわった「それ」は、時折、突如として何かを拒絶する様な仕草で痙攣したという。
子供が「いやいや」をしてみせる様な仕草だったという。
警察を大いに悩ませたこの怪奇事件の犯人は、ひとりの落ちぶれた賭博師だった。
ギャンブルに没頭するあまりに家庭をかえりみず、結果として一人娘を病死させてしまった賭博師は、冷たくなった娘を前にはじめて後悔した。
泣きわめく男の前に、悪魔――ある異形が姿を現してこう言ったという。
『娘を生き返らせたくば、お前の最も得意とする手段で生贄を捧げよ』と。
悪魔から魔力を帯びたナイフを受け取った男は、彼のもっとも得意とする方法――麻雀で生贄を集めはじめたのだった。
その当時は上野界隈に、雨後の筍の如く雀荘ができていたから、「生贄」を探すのに苦労はなかった事だろう。
男は「生贄」に麻雀で勝負を挑み、負かした相手の首を次々と刈り取っていった。
哀れな首なしの「それ」は、男に首を刈り取られた犠牲者だったのだ。
男はニンゲンの首を麻雀牌になぞらえて並べる事で、「役」を完成させようとしていたのだ。
犠牲者たちの苗字には、「東西南北」の方角か、「白」「発」「中」の文字があった。
その犠牲者の数は13名。
男は、ニンゲンの頭部で役満「大四喜」を作ろうとしていたのだった。
警察の中にいる協力者の依頼を受けた鮎子おねえちゃんが、事件の真相に迫った時。
男は最後の「牌」として、自らの首をも切り落とした。
その男の名前は「倉中丈二」。彼の苗字にも「中」の文字があったのだ。
男の願いは叶えられた。
彼の愛した娘は確かに蘇った――ただし、人肉を喰らう「屍体」としてだったが。
蘇った「娘」は、父親の倉中を含めた、地下室の棚に並べられた犠牲者たちの頭部に喰らいついた。
犠牲者の頭部を喰らい続ける度に、「屍体」の姿は生前のものに戻っていったという。
その時「娘」はこう言った。
『…オトウサン…オトウサンノ頭ガ一番オイシイヨ…』
惨劇の幕を引いたのはおねえちゃんだった。
おねえちゃんは「娘」を焼き払い、その悍ましき動きを止めたのだが、娘の素性を不憫に思った先々代の「鬼橋 文」が、「娘」の魂を人形の中に封じ込めたという。
――それが「慰撫」。
この部屋の片隅で微笑している、あのフランス人形の由来だった。
…ああ、そういえば第二代目、先々代の「鬼橋 文」が得意としていたのは傀儡を使った魔法だったっけな。
魔力とは別に、職人的な技術も必要とするこの系統魔法は、残念ながら私は不得手なのだった。今では、こっちはご本家の従妹・真礼の得意とする分野だ。
おねえちゃんの不気味な昔話を聞き終えた私は、改めてフランス人形――「慰撫」を見つめた。
そうか。このお人形にも、そんな悲しくも奇妙なエピソードがあったのか。
思わず合掌して人形に黙祷を捧げる…む?
ちょうど私が目を開けた瞬間だった。
何かとても小さな黒い物が、部屋の隅から飛び出してきて「慰撫」の口元に飛び込んだのが見えた。
…え…?アレって…
カタカタカタカタカタカタ……
「慰撫」の小さな身体が痙攣しはじめた。
「ん、なーに?」
今さらになって異常に気付いたおねえちゃんが、それでも呑気な声で聞いてきた。
私は慰撫を指さした。
「あらあらあらまーまーまー」
私たちが狼狽えている間にも、慰撫」のガラス製の瞳が異様な光を放ちはじめた。
「慰撫は」すぅー…っと小さな腕を上げると、「けけけけけけけけけ…!!」という奇怪な笑い声を上げた。
「あらあら。まだ文字の生き残りがいたみたいねえ。『慰撫』の中に入っちゃってどうするつもりなのかな」
いや、そんな呑気に構えている場合じゃ…
今や自律行動が可能になった「慰撫」は箱の中から飛び出して…目にもとまらぬ勢いで窓の外に飛び出して行ってしまった。
外はすでに真っ暗な帳が降りている。黒いゴシック調の洋服を着た「慰撫」の姿を見出すのは難しかった。
あ…追いかけねば!
「ダメよ文ちゃん!」
ベッドから飛び出そうとした私を、鮎子おねえちゃんが珍しくも強い口調で制止した。
「今夜は動いちゃだめ。じっとしてなさい」




