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13 アオイ眼ヲシタオ人形ハ

 ――「私」は、時代がかった黒いドレスを身にまとっていた。

裾にレースのフリルが付いた、少女趣味な意匠の物だった。

まるで、おとぎ話に出てくる少女が着ている様なデザイン。

普段の私ならば絶対に着ない様な、ぎりぎり悪趣味の域を免れているドレスだった。

頭の上には、つばの広い黒い帽子。

その帽子からあふれ出している長い金髪。

私とはまるで違った外見なのに、それがまぎれもなく「私自身」であるという確証。

その異質な外見にもかかわらず、「私」の自我はその姿の中に存在していた。

…ただし、身動きは取れない。

首を動かすどころか、指先ひとつ、瞬きすらできない。

しかし私には、自らの置かれているこの状況を、自然に受け入れる事ができた。

だって――人形はそれが当たり前なのだから。

だから――そこに恐怖心が芽生える事もない。

人形が身動きなどするはずがない。

…たとえそこに「魂」が宿っているのだとしても。

瞬きなんてしない。

指先も動かさない。

言葉なんて話さない。

口元に微笑みがあったとしても、それは最初から固定されて作られた物に過ぎない。

自らの意志で笑う事はないのだ。

1体のドールと化した「私」は、どこかのお店の棚の上に陳列されていた。

微動だにしない瞳に映る店内の一角が、「私」が目にする「セカイ」の全てだった。

「私」の「セカイ」を、多くのニンゲンたちが通り過ぎて行った。

無邪気な子供は、「私」を欲しがって泣いた。

仲睦まじい若い恋人たちは、いずれ二人の暮らしはじめる新居の(いろどり)として「私」を求めた。

好色そうな酔客は、あろうことか「私」のスカートをめくって鼻の下を伸ばした。

腰の曲がった品の良さそうな老婦人は、「私」の姿に早世した孫娘の姿を重ねて涙した。

多くのニンゲンたちが、「私」の前を通り過ぎて行った。

…どれくらいの時が過ぎたのか。

いつしか忘れられて埃を被っていた「私」の前に、ある日、一人の少年が立ち止った。

少年は、背中にギターを背負っていた。吟遊詩人なのだろうか。

その少年はしばらく「私」を見つめた後、うん、と頷いて店の主人を呼んだ。

少年はいくばくかの金貨を主人に手渡すと、「私」を優しく抱え上げて店の外に連れ出した。

薄暗い店の中から屋外に出た瞬間、急激な光の乱反射による一瞬のホワイトアウトがあって…やがて視界が元に戻った時。

「私」の認識する「セカイ」は、それまでの何十倍、いや何百何千倍に拡大した。

それまで「私」が目にした事もない様な、カラフルで騒々しくて暑くて寒くて、臭くてとてもいい香りのする…そしてどこまでも続く、広大な「セカイ」がそこにあった。

「私」はガラス製の瞳を通して、未知の「セカイ」を認識したのだ。

これまでとは較べ様もないほど広大なセカイ。

そこには「私」が経験した事もない喧噪があった。

雑然とする町並み、行き交う数多くのニンゲンたち。

男、女、老人、子供。様々な表情。

そして―――果てのない青い天井。コレが「空」というモノなのだろうか。

そして「私」を手にした少年。

彼が「私」を覗き込んでいた。

どこか懐かしい様な、そして愛おしさを感じる顔立ちだった。

ああ。「私」は、彼の「所有物」となったのだ。

嬉しい嬉しい嬉しい。

「私」はこうなるコトを望んでいた。

彼と出会うはるか前から、こうなるコトを望んでいたのだ。

少年は、「私」を連れて、森の中にある彼の家へと戻った。

彼は、自分の部屋の棚の上に「私」を置いた。

その日から、彼の家は同時に「私」の新居となったのだ。

穏やかで代わり映えのない日常がはじまった。いや、その境遇は店の中に陳列されていた時も同じだったのだが、大きな違いができた。

少年が。彼がいるから。

「私」は少年の成長を静かに見守った。

彼は、昼間はどこかに出かけて働いている様だったが、夜になると家に帰ってきて、「私」が飾られている棚の前でギターを弾いて歌った。

その歌声は、次第に甲高い少年の声から逞しい男の声へと変わっていった。

それと一緒に、華奢だった体つきも、やがてがっしりとした体格になっていった。

「私」は静かに彼の成長を見守り続けていた。

彼の成長と共に、「私」の魂も育っていった。

希薄で曖昧な物に過ぎなかった「私」の自我は、自分でも気づかないうちに「意志」という物に変容していったのだ。

彼の身体に触れてみたい。その広い胸元に顔を埋めてみたい。唇を合わせてみたい。

「私」の意志は肥大化するばかりだった。

ある夜、「私」はついに耐え切れなくなって、身動きの取れない、不自由な作り物の身体から抜け出した。

あはは!あはははは!動けた動けた動けた!

瞬きができる。指先も動く。息ができる。

長い髪に触れてみた。その、あまりにもしなやかで柔らかな感触に驚く。

自分の胸に触れてみた。温かい。そしてこちらも柔らかくて蕩けそうな感触だった。

作り物の身体は少女の姿だったが、彼と共に成長した「私」の肉体は、彼との愛を交わすに相応しい、大人の姿になっていた。

「私」も成長したのだ。ふふふ。

「私」は、ベッドで眠っている彼の元に腰を下ろした。

ふふ。大人になっても、寝顔は可愛いのだな。

彼の頬に触れてみた。うっすらと伸びた髭のざらざらした感触。

彼の唇に触れた。やや厚ぼったい、艶めかしい肉感。

胸元に顔を埋める。…ああ、汗の匂いがする。私の好きな彼の匂いだ。

「○○君、○○君」

「私」は彼の名を呼んだ。

はじめて発した自分の声。

その声は彼の耳元に忍び込んで、彼の脳を刺激した。

彼の意識が目を覚ます。「私」はもう一度彼の名を呼んだ。

ベッドの横に腰かけている全裸の女の存在に、彼は驚いた様子だった。

「私」は彼の胸に手を置いて、だいじょうぶ、心配しないでと語りかけた。

「…誰?」

「『私』はキミのお人形。キミを愛するためにこの姿になった」

「嘘だ」

「嘘じゃない。キミを愛したい。キミに愛されたい」

「…愛する?」

「そう。キミとひとつになりたい」

すると彼は、私の髪を優しく撫でてきた。

「私」は歓喜に震えた。

あたかもギターの弦をつま弾く様な彼の優しい指遣いが、髪を通して「私」の脳を直接愛撫しているかの様だ。

髪は脳に最も近い場所なのだから、敏感にできているのだろうか。

「…あ」

思わず声が漏れてしまう。「私」の発した声に、彼の手が一瞬止まったが、次の瞬間。

――「私」は抱きしめられた。

裸の胸同士が押し付けられて重なり合った。

「私」の柔らかな膨らみは、彼の大きくて固い胸板の上。

彼はそのまま身体を横転させて、今度は「私」の上になった。

彼は少し身体を起こして「私」を見下ろしている。


…あれ?


以前にもこんな事があった気がする。

…いつの事だったか?

ええと…あれはまだ冬の事だったな。

あれはたしか、北側校舎の3階の階段の辺りだった。

ワタシは「彼」の命を狙って…返り討ちにあったのだ。

ワタシは「彼」に組み伏せられて…それからどうなった?

「私」は彼を見つめた。

彼は何か優しい言葉を呟くと…自分の唇を「私」のそれに重ねてきた。

ああそうだ、あの時、私は「彼」に唇を奪われてしまったのだった。

あの時から、私は「彼」のモノになったのだ。

「彼」…?「彼」って誰だ?

彼の唇は、そのまま私の首筋に降りてきた。

くすぐったい様な、痺れる様な不思議な感覚。

いいや違う。違うんだ。

あの時は、もっと乱暴で不器用で、もっともっと粗雑な感じだったじゃないか。

突然の衝撃と━━異性に対する恐怖。

「ワタシ」は…そう、私は、あの時、思わず泣き出してしまったっけ。

「私」?「ワタシ」。

そう、私、鬼橋 文は泣き出したのだ。

最凶の魔女の名を受け継いだ、最弱の魔女。

そうだ、私はお人形なんかじゃない。

私は。私の名は文。「鬼橋 文」。

その私を「文ちゃん先輩」などと戯けた名前で呼ぶ――「彼」。

「彼」。「彼」。「彼」。…「彼」!

彼は吟遊詩人なんかじゃない。

私の1年後輩で、ギターの事しか頭にないギター莫迦で――私の…恋人さん。

「志賀君!」

私は愛しい彼の名前を呼んだ。

すると、私の目に映るセカイは、その様子を一転させた。

「……え?」

最初に見えたのは、見慣れた私の部屋の天井だった。

周囲は真っ暗。どうやら夜らしい。

私は夢を見ていたらしい。

枕元に置いている、今日買ってきたばかりの目覚まし時計を手にしてみた。

「え…午前2時?」

色々あった今日…いや、もう昨日の事か。

昨日は疲れ果てて、たしか帰宅してから仮眠を取ろうとベッドに潜り込んだはず。

その時にこの目覚まし時計をセットしたつもりだったが…そう思い、目を凝らして文字盤を見ると、たしかに午後5時にセットされている。

…もしかして、これも壊れていて、鳴らなかったのか?

疑問は即解消、が私のモットーである。さっそくアラーム用のツマミを回して、今の時刻と重ねてみた。元々、永年使い慣れた物と同じモデルである。その扱いは手慣れたものだ。

ジリリリリリリリリ!

夜の静寂(しじま)に鳴り響く、無骨で大きなベルの音に、私は慌ててツマミをずらした。

いつぞやの様な失態は繰り返すまい。

うん。耳になじんだベルの音だ。これは壊れてなど…いない?

壊れてない?

このけたたましいベルの音は、私が永年なじんだ物だ。耳にすれば、もはや条件反射で目を覚ます…はず?

起きなかったはずはない。しかし起きたという記憶もなかった。

ふと気がついた。

私は、いつの間にかパジャマに着替えていたのだった。

夕方にベッドに潜り込んだ時は、私は着の身着のままだった…はず。

「…どういう事だ?」

…湿った下着の冷たさが、やけに気持ち悪かった。

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