第2章 8節
結局、勝負はレイディ・オリヴィアの組が勝った。エリザベスにはそうして良かったのかどうか疑問が残った。レイディ・オリヴィアはテディがいかさまのようなことをしていたのを知っていて黙っていたのではないかという気がしてきたからだ。しかし今更取り返しはつかない。たかがゲーム。あまり深く考えるのはやめよう。エリザベスはゲームが終わった後、レイディ・オリヴィアが古い友人たちと話をするのを壁際に座って眺めていたが、さっきとは逆に今度は閉め切った部屋がむっとしてきていたので部屋からテラスの方へ移った。
フィッツハーバート邸のテラスの先は小さな庭になっていて、植わっている草木はよく手入れがされていた。ただし、それはこの大都会での話で、テラスから続く生垣もその先にある薔薇のアーチも、等間隔できれいにそろえられたアイリスも、まるで庭師のスケッチブックか、子供の絵本の挿絵からそのまま写したようだった。ロンドンではどこもかしこもこんな庭ばかりだ。確かに美しい。手入れも行き届いている。けれど……
エリザベスは思わず、サウスハンプトンのローウェルの庭を思い出していた。
ローウェルの屋敷の今の庭の原型を作ったのは曾祖母だったらしいが、エリザベスはその曾祖母を知らない。母が手入れをしていた時期はほんの短い間で、その母もエリザベスが物心ついたころから体が弱く、思ったようには出来なかったのだ。エリザベスは自分が遊ぶ広大な庭が好きで、遊んでいるうちに屋敷の庭師たちと仲良くなり、その仕事を覚えた。最初は曾祖母の植えたという花々を何とか枯れさせないようにするだけで精一杯だったが、だんだんやり方がわかってきて、荒れていたところは何年も何年もかかって開墾を続けた。森で植わっていた植物や、鳥の糞から思いがけず生え始めた樹木を大切に育て、自分で作ったと胸を張って言える庭。それが自分の物でなくなるのは一瞬だった。私はその代わりにずっと思いつづけてきたシルヴィのところへ来た。それなのに……
メイフェアのグロブナー邸には狭い庭しかない。ロンドンの真中なのだからそれは当然のことだ。四方を隣の建物に囲まれたまるで箱庭のような庭は、それでもきちんと庭の体裁をとっていた。確かに庭ではあった。他人に言わせれば。
庭の中心に噴水はあったし、人が歩くところには芝が植えられ、その周りをぐるりと背の高い垣根が整然と埋めている。噴水に至るまでには所々にベンチやあずまやが配置され、その周辺には小さな植え込みがいくつかはあった。けれどそれは本当に定規で測られたように正確なのだ。だいたい、植木のあるところに土が見えない。全て白い砂かきれいな丸い石で地面が覆われている。この庭を造った人間は土が嫌いだったのだろうか。エリザベスはその冷たい感じのする庭の端に自分の地面を持とうとしたが、それも叶わなかった。
月明かりだけのテラスで、エリザベスは瞳を閉じた。
私には何もない。庭もないし、シルヴィもいない。一体自分はどうしてこんなところへ来てしまったのだろう?
「そんな顔をされたら、あなたをさらって逃げようかと思ってしまう。あまりにも美し過ぎて。マダム」
声の方を振り返ると自分が立っているテラスの反対側でテディ・フィッツハーバートが燃えるような目で自分の方を見ていた。エリザベスは暗闇の中の、そのぎらぎらした視線に驚いて声をだせなかった。
「ぶしつけなのは承知の上です。けれど、あなたはまるで世の中に絶望した尼僧のようだ。さっきはあんな風に私を追い詰めたくせに」
ああ、怒っているのか。当然だわ。私はカードテーブルについていたあの人たちに周知の事実を、わざわざもったいぶった芝居でやめさせたのだから。エリザベスうつむいてつぶやくように言った。
「余計な事をしましたわ。ただの遊びでしたのに」
エリザベスは視線を持ち直してテディに微笑んだ。しかしテディは真剣な面持ちで言った。
「どうしてそんな風に悲しげに微笑むのです。あなたにそんな顔をさせているのはやはりロード・シルヴィなのですか?」
エリザベスはその名前を聞いてびくんと身体を震わせた。この人、一体何を知っているの?
「図星か。ロード・シルヴィがそんな男だとは思いませんでしたよ。じゃあ、あなたが結婚してからただ、メイフェアのお屋敷に捨て置かれているという方が本当のことだったんだ」
エリザベスはテディの話に驚いて眉をひそめた。
「あなたはロンドンの社交界で噂話がどんなに早く伝わるかご存じないようだ。今週、ロード・シルヴィは今週、パリで新しい奥様と一緒だったと噂になっていたのですよ。一方で、結婚式の後からロード・シルヴィの奥様はロンドンにより外には出ていないとも言われていた。お屋敷から逃げ出した庭師がいたとか。もちろん、あなたは今日ここにいたのだから、そのパリの女性ではない。ロード・シルヴィは有名人だから、新しい奥方がどんな女性なのか、どうやって知り合ったのか、どんな風に生活しているのか、人の噂にはきりがない」
エリザベスは大きくため息をついた。パリで一緒にいた女性……
「私は確かに、ロード・シルヴィの後妻ですし、ロード・シルヴィがあれほどの人物であれば人々の噂にのぼることも仕方の無いことですわ。私自身も田舎者ですから、きっとどこへ出かけても、何か田舎くさいことをしているのでしょう。もう外へ出かけるのはやめます。教えてくださってありがとう」
「そんな。僕はそんなつもりで言ったのでは……それより、なぜロード・シルヴィはあなたを放っておかれているのです。結婚したばかりの新婦がこんな仕打ちを受けるなんてひどいじゃないですか」
「エリザベス」
テディに何と答えようか迷っていたエリザベスを、背後からレイディ・オリヴィアが呼んだ。オリヴィアのところからはテディは見えない。暗がりから声が聞こえるだけだ。
「そろそろお暇しますよ。久しぶりにイサベラにあえて良かったわ」
エリザベスはただ小さくテディに礼をしてテラスを後にし、部屋に戻った。
帰りの馬車の中、レイディ・オリヴィアは疲れきって眠っており、エリザベスは何も言わずに黙って座っていた。テディアス・フィッツハーバートが言ったことが心の中に重苦しく残っていた。ロード・シルヴィはパリで、自分ではない女性と一緒にいる。自分はきっとロンドンの社交界で面白おかしく語られているだろう。雇っていた庭師に逃げられ、夫にも見捨てられた場違いな女と。
一体このまま、いつまでこうして過ごすの。
エリザベスは馬車の窓に頭を寄せて目を閉じた。




