09話□
―――その体の使い方を教えてやる。
などと、意味深なセリフでもって迫ってきた気がした望月博士であったが、結果としては、ふつうにレクチャーのようなものだった。
「PSたちと話すのに未だに筆談じみたことをしていたのが気になってな。おそらくお前が彼らとの通信手段を確立できていないのだろうと推察した」
望月博士専属らしきPSの少女が持ってきたコーヒーを飲みながら、そんな風に話は始まった。
うむ、これはきちんとドリッパーを使って淹れてある。芳醇でしっかりしているが、どこか爽やかな酸味……どこの豆だろう。
そんなことを片隅で考えているうちに、博士の言葉も進んでいた。
「お前がもし、我々に対して敵意を持つならば、もしくはその意志が無くとも外部の何かしらの勢力に利用され脅威となるのであれば、このまま何も知らずに唯人として……ソフェル管理下においてという限定された環境ではあるが、平穏に暮らすというのも一つの選択肢ではあると僕は考えている」
そんな風に博士が考えていたとは、俺にとっては意外の一言に尽きた。
人格そのもの(神谷恭司)の身元は判明しているとはいえ、得体が知れない事には変わりない。元になった人間が普通に生きているわけだし、俺の存在そのものが余分だ。
何度も言うようだが、彼らに危険因子として処分されても文句は言えないのだ。
『一年後の』バイトの帰り道から来ました、などと言えば、おそらくその危険度は跳ね上がるだろう。
だからこそ、余計な事は口走れない。
昔、父がたまに借りてきて見せてくれた古い映画をふと思い出す。
過去に行ける発明をした博士と、その友人の少年。
未来を変えてしまう行動をとったことで、自分の存在そのものを危うくしてしまうという展開。
それを思うと俺は幸運だったのかもしれない。
少なくともまだ、この海上都市の自分と、片田舎で普通に高校に通う自分とは接点が無い。この先も無いはずだ。何も無ければだが。
「それでも……俺はこの体を使って生きていくしかないわけですよね」
「……そうだな。
何も知らずに生きられるなど、幻想だ。
上月は納得しているんだがな、僕が確認をしたかった」
コト、と静かな音を立ててカップが置かれる。
自然とその手元に視線が寄せられ、そこから見上げた先にはどこか決然とした表情の望月博士の顔があった。
「神谷恭司、いや、神谷きよか。
お前は偶然にしろ必然にしろ、このソフェル最大の機密として生まれてしまった。
お前は決定的に部外者であるが、致命的に関係者だ。
何故なら、その体は我々の所有であり研究成果だからだ」
つい先日にも似たような事を聞かされた気がする。
実に面倒な話ではあるが、今までに聞いた情報を統合すれば、俺の存在の特殊さが如何に常識を逸しているかがわかるというものだ。
噛み砕いて、俺にも解るように言おうとしてくれているのが判る。
この人は自分の研究に対しても、人間に対しても、どこまでも真摯で真面目な人なのだろう。
だから―――
「しかし、お前は物ではない。人格を持ち、理性を以て僕らと対話した。
これがどういう意味を持つか解るか?」
「ええと……俺は、自分の状況がまるで解らなかったですし、なんとかして助けを求めたかっただけなんですが…―――」
「そうだ。そうやって考え行動出来るお前は、間違いなく人間だ。
よって選ぶ権利が、自由がある。その選択によって開かれる道も、閉ざされる道も、きっとあるだろう。
お前はどうしたい?
今の情報量では選択するに足るものではないだろう。
だから今すぐに答えは求めない。今後、見極めてほしい。
自分にとって最良の選択を」
もちろん、我々にとって懸念されるであろう選択肢に対しては警戒させてもらうがね。
そう望月は徹頭徹尾真面目に言い切った。
「話はわかりました。……少し勿体付けすぎじゃないですかね?」
「性格でな。しつこいとよく言われる……っやかましい」
「……ありがとうございます」
俺は、ここで目が覚めた事を良かったと思った。
「では、本題に移ろう。
この海上都市での一般常識の範囲で、最低限の機能を教えてやる。
一応ほとんどが機密扱いだからな。都市外への情報漏洩は避けたい。
しっかり聞いてくれ」
「はい」
「まずはーーー」
要点のみをまとめた解りやすい講義ではあったものの、全て話し終わる頃には窓の外が真っ暗になっていた。
ペンでタッチすることで記入出来るらしいパネルは、解説付きのメモ書きで埋め尽くされた。
後で同じデータを機動識へも送ってくれるという。ペーパーレスが徹底されている。
「ふむ、こんなところか。おおよそは理解出来たと思うがどうだ」
「はい、大丈夫です。博士の大事な時間を大分いただいてしまいました、ありがとうございます」
「そう思ってくれるなら、今後の働きに期待させてもらおうか。
それに話した内容は、ここで生活する為に必要な最低限だ。逆に知っていてもらわなければ、他の社員や住民にも迷惑がかかるだろうからな」
「そうですね、聞いていて俺もそう感じました」
要約すると、まず博士が教えてくれたのは、この都市の基本的なインフラについてだ。
通信、物流、取引etc・・・
この辺りはまた追々、実際に経験して学習していくしかない面も多い。
習うより慣れよ、というやつだ。
更に、先ほど預かった浮遊機動識、だが。
これは社内でも普及しきっていないもので、他の社員や市民は、この機動識の存在も知らない者が居るらしい。
何故そんな高機能かつ最新鋭の道具を貸してくれたかと言えば、まぁ監視の為なのだろうが。
それでも俺にとっては助けになるものだろうから感謝しかない。
そして、この体。
「基本的に人間と変わりは無いが、機能・性能が多少異なる。
絶えず防護機能が働いているから、滅多な事では風邪もひかないし、怪我もしないだろう。流石に核の直撃は多少危険ではあるだろうが」
まぁこの辺で既に常識の範疇を越えていたわけで。
「摂食は可能だが、エネルギーの取り込み効率が段違いだから、排泄は殆どしない。
一定量の余剰エネルギー物質が出来るとそれを排出する」
「それってつまり」
「もちろん体内を清潔に保つために定期的に排出されるものだし、擬態として普通の人間と変わりない排泄方法と内容だが、屁なんかは高純度のヘリウムガスになる」
それ絶対人前で放屁したらダメなやつだ。色々な意味で。
聞かなきゃ良かっただろうかもしや。
いや、聞いておかなかったらうっかり誰かを屁で害していたかもしれないから良かったのか。
屁で被害をまき散らすとか、心底嫌だ。
「何食か食べていて尿意も無いのは、そういうことでしたか」
「能力的に、その体なら3日4日程度食わずとも保つからな」
サバイバルモードならひと月だろうか、などという呟きには思わず瞠目した。
なんて経済的なんだろう。それについては良いことを聞いた。
今後しばらくは貯蓄も無い生活なわけだから、節約出来るならそれに越したことは無い。
「お前、この話を聞いた時が一番嬉しげだったな」
わずかに苦笑いを浮かべた望月に気付いて、なんとなく顎を掻く。
仕方なかろう。小市民の性みたいなものである。
同居の父がズボラだったので家事や家計簿など代わりにこなしていたからか、節約志向が身にしみついてしまっているらしい。
「しかし、いや・・・構築されてから今まで一度もとなると、釈然としないな・・・ストレスか?
おい神谷、解析したいからここで一度排泄ブゴッ」
なんか博士がデリカシーの欠片も感じない事を言い出した瞬間、お付きのPSの鮮やかな制裁が決まっていた。グッジョブ。
なんか博士が、上月め、とか唸っていたが。
そしてこれが一番難解だった。
『PSとの通信について』
通信チャンネルを開け、などと言われてもわかりようがない。
難しく考えるな、脳のこの辺にスマホをぶち込む感じだ、などと言われたら余計にこんがらがってしまった。
博士たちや一部の社員は、俺の体を構成するマイクロマシンと同じ物を使って脳に通信用の機能を付加しているらしい。
体に悪影響は無いのだろうか?
訊けば、博士たち謹製のマイクロマシンは注入先の人体を完全に模倣し細胞を再現する機能を有しているため、拒絶反応は理論上あり得ないそうだ。
まぁしばらくは浮遊機動識もあることだし、通信については追々学習していく、という事で一時中断となった。
つまるところ最新式のコンピューターに、旧世代のOSを入れてしまったようなものみたいだからな、今の俺は・・・
そして博士の部屋を辞したあと、居候先の第四の間に帰ってから早速、浮遊機動識という道具を分析し始めた。
排泄云々については、部屋に戻って安心したのか普通に出ました。はい。
詳細については割愛とさせていただく。勘弁してください。
強いて言うなら、色は普通だったけど臭いが全く無かった。これは良い事なのだろうか。
ついでに風呂も済ませたわけだが、女体に慣れ始めたのか最初と比べて抵抗を感じない自分になんだか溜息が出た。
どんなに綺麗でデカくても、自分に付いてると思うとな……
さて、『浮遊機動識』についてだが……主な機能を調べたところ、
・とりあえずインターネット出来る(接続出来るか試したがまだロックが掛かっていた)
・通話機能は対面通信(テレビ電話的な)か、音声通信か選べる。
・金銭の取引については、新規口座開設の手続きがあるらしいが、明日にはそれも終わっている。
・通常の電子マネー取引で使うような端末は必要ない(海上都市限定)
・メディカルチェックは適宜行われる。対処の必要があれば提案として識から報告がある。
・SP機能あり(グラサンに黒スーツ的なアレだろうか?)
・ほか多数
ふむ、機能の把握も一筋縄ではいかぬようだ。
機動識のAI……名前があった方が呼びやすくて良いだろうと思ったものの、俺にそんなネーミングセンスは無い。丸いし浮かぶし……と、反射的に、学校の友人に見せられた某アニメに出て来る自律式ロボットの名前が浮かんだが却下した。
これどうやって浮かんでるんだろうなぁ……。
そういえば、最初に上月博士と対面したときに唐突に現れたように見えたあの通信端末は、この浮遊機動識だったんだな……今更になって気付いた。
「うーむ……」
『何かお悩みですかマスター?』
唸ってみれば、気遣わしげな落ち着いたテノールが聴こえる。
目の前にはステルスモードを解いた浮遊機動識が中空で静止していた。
「ああ、君の名前を考えてた。やっぱり簡単に思いつくものじゃないな」
『私の事でしたらどうぞお好きなように、マスター』
「呼ばれたい名前は無いのか?」
『マスターが呼びたい名前が私の名です』
こんなやりとりがあり、
「白銀色で綺麗な球体だし、スフィアとかどうかと思ったけど」
さすがに安直過ぎやしないか?と自問する。
「月みたいだからそれ関連で……と思っても、イザナミとかは女性名だしな」
あまり奇を衒った名づけをせずとも良いように思えてきた。
好きに呼べと本人(?)も言っているわけだしな。
『マスター、もしご入り用でしたら、私の外見は変更が可能です』
え、そうなのか。てっきりその丸い状態がデフォルトかと。
『ご希望に応じて、ソフェル製パーツを購入いただければ組み込むことが出来ます』
そうして俺の眼前に投影された映像には、様々な形に変更されたらしい機動識たちの姿。
動物形態、アクセサリー形態、ウェアラブルPC形態等々。
少し疑ってしまうが全て目の前の球体から形状変更されたものらしい。
上月博士の浮遊機動識もそういえば形状が違っていた。
感心してそれらのモデル画像を眺めながら、ひとつ欠伸をする。
「へぇ、本当に色々なんだな……じゃあ、名付けはまた改めてするか。
明日も午前中にレストラン研修の続きが入ってるし、寝坊するわけにはいかない」
『そうですね、それがよろしいでしょう。
私は望月博士の仰っていた通り、日常生活をサポートする多くの機能を与えられています。
その説明にはまたお時間をいただくことになるでしょうから』
「わかった。その都度頼むが、よろしく」
『かしこまりました、マスターきよか』
「……そのマスターっていうのはなんとか変えられないか?」
『マスターはマスターですが?』
「普通に名前で呼んでくれていい」
『きよか様、ですか?』
う、うーむ……悪くは無いと思いつつも未だ慣れない女性名である。
「様もいらない。呼び捨てで良い」
『マスターがそう望むのでしたら、きよか』
まぁ慣れるしかあるまい。
少しの諦めと、仄かな覚悟。
もしかしたら二度と元の体には戻れないのかもしれない―――そんな不安を、頭を振って払う。
それほど寝なくても良いのかもしれない今の体だが、休めるときは休んでおくのが賢明だと思うし、眠気はしっかりと訪れていた。
もっと色々な事を考えなければいけないと解ってはいたが、身を包もうとする眠気に抵抗せずPS謹製の豪華過ぎるベッドにもぐりこむ。
「じゃあ、寝る」
『起床時間になりましたらお知らせいたします。
きよか、良い夢を』
「おやすみ」
落ち着いた音声に見送られて、俺の意識は眠りに沈んでいった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
とても小さな駆動音。
窓も無く明かりも最低限な室内の一角に、煌々と光を放つディスプレイがあった。
液晶でも有機ELでも無いそのディスプレイは、浮遊機動識がきよかに投影して見せた画面と同じ技術である。
ホログラフィック3Dディスプレイ。
この海上都市においては建設当初からありふれた日用品だ。
都市開発が始まったのは、もう一昔ほど前になるだろうか。
当時の優れた科学者・技術者・様々な分野の専門家が叡智を結集させた計画が、この海上都市開発計画だった。
その中枢頭脳とも言うべき鬼才、若干12歳にして合衆国最難関の大学院を卒業し、量子物理学を始め数多くの博士号を取得した望月衛博士。
今は20代も半ばを過ぎ、研究に没頭しながら唯一の肉親である妹にひたすら愛情を注ぐ姿に、近寄る女性は昨今皆無に等しい。
そんなゴーイングマイウェイを地で行く男は、ディスプレイ前で白髪混じりの頭髪をぐしゃぐしゃとかき回して珍しく溜息をついていた。
「あら望月博士。夜も更けたというのにまだお仕事?」
背後から掛けられた同僚の声に若干肩を震わせつつ、平静に務めた顔で望月は振り返る。
若い女性の落ち着いた声だというのに、籠る気迫は破落戸だろうと怯むほど。
矛盾を孕んだ声の主は、やはりその落ち着き様とは裏腹にゴテゴテとしたファンシーな衣装に身を包んでいた。系統として、いわゆるゴスロリとも言われる衣装に近いものである。
この風変わりな研究所の仲間は、普段着としてこういったフリルや装飾の多い服を好んでいた。
研究員として着るには少々、いや大分、違和感を感じなくもない衣装だが、彼女の場合は別だ。
どこかの有名な画家が描いた貴族の絵から抜け出してきたような、得も言われぬ存在感があった。
「そちらは上がりか、上月博士」
「ええ、微調整は明日に回して、PSたちに引継ぎを終えたところです。
貴方も早く寝ないと、明日に響きますよ」
「お前は僕の母親か」
軽い悪態にも、余裕を崩さず微かな笑みを浮かべる。
「調べものですか?……あの子の事は既に結論が出たのでは?」
「いや……そうなんだが」
歯切れの悪い返答に上月は首を傾げた。
いつも自信満々で持論を展開する彼の性格を熟知しているが故の疑問だった。
「貴方にしては珍しいですね、何が気にかかっているのですか」
「……少ない」
「はい?」
「少ないと思わないか。彼の―――神谷恭司の報告書が」
「彼はただ平穏に暮らしていた一庶民ですよ?妥当なのでは」
「いや、おかしな点もある」
軽い電子音と共に、ディスプレイが上月の前に映し出された。
顎で、見てみろ、と促す望月。
軽く息を吐いてから、画面に視線を落とした上月だが、読み進めるほどに怪訝な顔になっていく。
「これは……なるほど、貴方の言い分も尤もですね」
頭脳の一角『ソフェルの魔女』―――上月伽蓮の瞳には、隠し切れない好奇心が浮かんでいた。