第1話:ペナントに向けての祈願
春の深まりを告げる柔らかい風が、東京都千代田区・外神田の街並みを吹き抜けていく。
3月下旬。世界の精鋭が集結したあの熱狂の短期決戦――「ドリームチャンピオンシリーズ」の幕が閉じてから、数日が経過していた。
日本代表『荒武者ジャパン』が、怪物揃いの『夢の世界連合(DWA)』を最終第7戦の激闘の末に破り、世界一の座を掴み取った記憶は、今なお人々の胸に熱く焦げ付いている。だが、プロ野球選手にとって、一つの激闘の終わりは新たな戦いの始まりに過ぎない。
数日後に迫った2027年シーズンのペナントレース開幕を前に、埼玉ジャガースのエース格投手・銭形豹馬と、その従妹であり神速の守備を誇る内野手・猿飛英恵は、神田明神(神田神社)の境内に足を踏み入れていた。
「いやぁーっ! やっぱり神田の空気は落ち着くねぇ! 江戸っ子の根城っつったら、ここ神田明神様に決まってるってんだ!」
いつものように剃り込みの入った角刈り頭を撫でながら、べらんめえ口調で声を張り上げるのは豹馬だ。二刀流として世界大会でも縦横無尽の活躍を見せた男の顔には、長丁場のペナントレースを目前に控えてなお、一切の陰りもなかった。
「ちょっと豹馬、境内なんだから大声出さないの! 本当に相変わらず品がないんだから……」
隣を歩く英恵が、呆れたようにパッチリとした目を丸くして息をつく。ボーイッシュな髪を春風に揺らしながら、お気に入りのスニーカーで参道の石畳をトントンと鳴らした。
「何を言ってやがる、おはな! 勝ち運を引き寄せるにゃあ、腹の底から声を出すのが一番なんだよ! なあ、ロイ兄!」
豹馬が振り返り、見上げるように声をかけた相手――2人のすぐ後ろを歩いていた巨漢が、重厚な足音とともに立ち止まった。
チャコールブラウンの肌に、短く整えられたアフロヘア。身長2メートル、体重110キロという圧倒的な体格を誇る男、林崎朗威 (ロイ)である。
豹馬と英恵の従兄であり、ケニア人の父と日本人の母を持つこの男は、今季から埼玉ジャガースの支配下選手として登録され、クリーンナップの一角を期待されている新戦力であった。
「……神田明神か。子供の頃、お袋に連れられて一度だけ来たことがある」
ロイは深みのある低い声でつぶやくと、見上げるほど高い朱塗りの神門を静かに見つめた。
「そうだったな! 愛子伯母ちゃんと山形から出てきた時に寄ったんだっけか。あの頃のロイ兄は、俺やおはなにやたらとツンツンしてやがったが……まさか同じジャガースのユニフォームを着て、ここでペナントの祈願をする日が来るとは夢にも思わなかったぜ」
豹馬がニシシとニキビ面を崩して笑うと、ロイは照れくさそうに少し視線を逸らした。
「……昔の話をするな。俺はマイナーで泥水をすすってきた。日本に戻って育成枠から這い上がってきたのも、お前たちに追いつくためだ。裕福に育ったお前たちに負けたくない一心だったが……父さんを失った悲しみを背負いながら真っ直ぐ野球にかじりつくお前を見て、自分の小ささを知ったんだよ」
「ロイ兄……」
英恵が優しく微笑む。
「いいのよ、ロイ兄。過去がどうあれ、今のロイ兄はあたしたち自慢の兄ちゃんなんだから! それに、あの凄まじいフルスイングがあれば、達摩兄弟や伊達さん相手だって絶対に引き下がらないわ!」
3人は手水舎で手を清め、拝殿の前へと進み出た。
賽銭箱に銭を投げ入れ、鈴の音を響かせる。二礼二拍手一礼。
豹馬は胸の前で強く手を合わせ、心の中で静かに言葉を紡いだ。
(神田の神様、見ててくれよ。DWAとの死闘を制して、俺たちはまた一回り大きくなった。だけどな、ペナントは甘かねえ。達摩の厳兄に豪兄、伊達兄に、ホークスのムーンストーン兄妹……どいつもこいつも、俺のジャガーボールと銭形ツーシームを打ち砕こうと死に物狂いで向かってくるはずだ。だが、逃げてたまるかよ。埼玉ジャガースを必ずパ・リーグの頂点、そして日本一に導いてやるぜ!)
隣で英恵も目をつぶり、神速の守備と独自の打撃術にさらに磨きがかかるよう、真剣な面持ちで祈りを捧げている。
そしてロイは、巨大な両手を静かに合わせ、自らの胸に秘めた覚悟を神前に誓っていた。
(俺のバットで、チームを勝たせる。変化球に脆いという課題は分かっている……だが、俺のフルスイングは誰にも止めさせない。豹馬や英恵、そして別れたの親父にも胸を張れるようなシーズンにしてみせる)
参拝を終え、境内の授与所でそれぞれの「勝守」を受け取った3人は、境内の脇にあるベンチへと向かった。
「よしっ! 祈願もバッチリ済んだことだし、開幕に向けて気合い十分だな!」
豹馬が胸を叩くと、英恵が腕を組んで不敵な笑みを浮かべた。
「ふふん、あたしの“くノ一守備”も絶好調よ。権田さんや滝川さんとの二遊間連携も完璧だし、今シーズンは盗塁王だって狙っちゃうんだから!」
「へっ、大口叩きやがって! だがな、おはな。今季のパ・リーグは前作以上に化け物揃いだぞ。イーグルスの伊達兄は相変わらず俺の天敵だし、バファローズの達摩兄弟も変化球への対応力をつけてきやがった。それにホークスのダイアナの『ムーンライトボール』も、次当たった時にどう進化してるか分からねえ」
「分かってるわよ。でも、あたしたちにはロイ兄という最高の主砲が加わったじゃない!」
英恵に振られたロイは、ふっと口元を緩めると、力強い拳を握りしめた。
「ああ。俺のバットで、どんな魔球も叩き潰してやる。……そういえば豹馬、お前の兄さんの龍馬さんは元気か? 先日、警察署の近くで見かけたが」
「ん? 兄貴か? 相変わらず交通課で真面目にやってるぜ。……ただよ、最近なんか妙なんだよな」
豹馬が首を捻ると、英恵が「あはは!」と楽しそうに笑い出した。
「妙も何も、理由ならあたし知ってるわよ! ほら、DWAとの大会が終わった後、ダイアナさんがなぜか龍兄に恋心を抱いちゃったじゃない? 最近、ダイアナさんから龍兄に『日本の警察の治安維持について教示してほしい』なんて連絡が来てるらしくて、龍兄、顔を真っ赤にしてドギマギしてるのよ!」
「ゲッ!? まじかよ! あの『月の女神』が俺の兄貴に惚れたってのか!? 嘘だろおい!」
豹馬は目を丸くして叫んだ。
「あの冷徹なクローザーが兄貴にねぇ……へっ! 試合ではバチバチにやり合うライバルだが、身内になられたら照れくさくて堪らねえな!」
境内に3人の明るい笑い声が響きわたる。
だが、その穏やかな空気の中に、ロイがふと目を細めた。
「……笑っているのも今のうちかもしれないぞ、豹馬」
「あん? どういうことだ、ロイ兄?」
「今シーズンのパ・リーグには、俺やムーンストーン兄妹だけじゃない。各球団が凄まじい新戦力を補強してきているという噂だ。特にファイターズに育成から入ったという超俊足の男や、マーリンズが獲得した170キロを投げるという怪物左腕……」
「170キロの左腕だと!?」
豹馬の目の色が、一瞬で勝負師のそれに変わった。
「へっ……面白ぇじゃねえか! 170キロだろうが何だろうが、俺のべらんめえ魂とジャガーボールで全部なぎ払ってやるよ! 埼玉ジャガースの『荒武者』たちは、どんな壁だってぶち破って前へ進むんだ!」
春の陽光が、神田明神の境内に集う3人――豹馬、英恵、ロイの姿を強く照らし出していた。
栄光のドリームチャンピオンシリーズを経て、更なる進化を遂げた若武者たち。
待ち受けるは、143試合の過酷にして熱きペナントレース。
それぞれの誇りと絆を胸に、いま、彼らの「野球街道」がまっすぐに走り出そうとしていた。




