【エピローグ】第30話:『ひろがる空と、重ねゆく日々』
季節は巡り、都心の空はいっそう高く澄み渡っていた。
新作『繋がる音と、交差する人生』の発売日。全国の書店の店頭に私の新しい本がずらりと並び、発売と同時に異例の緊急重版が決まったと、佐藤さんから弾んだ声で連絡が入った。
読者ハガキやSNSには、全国から温かな感想が寄せられている。
『読んだあと、大切な人に会いたくなりました』
『自分の選んだ道を、もう一度信じて歩き出す勇気をもらいました』
子どもたちが自分の羽で飛び立とうとしていたあの時、私たちは迷いながらも新しい居場所を選んだ。あの決断から始まった日々のすべてが、いま私の文章となって全国の読者の元へ届いている。私の生み出した言葉が、どこかで誰かの新しい一歩にそっと寄り添えているのなら、これ以上の喜びはない。
大きな観葉植物が心地よい木陰をつくるリビングで、私はお気に入りのヨギボーに深く沈み込み、静かに胸をいっぱいにしていた。
◇
季節が巡る中で、子どもたちもまた、それぞれのフィールドで眩しいほどの輝きを放っている。
「薫さん! 今日も上からお邪魔しまーす! 重版おめでとうございます!」
オートロックを軽やかにくぐり抜け、変装用の帽子とサングラスをラフに外しながら二つ上のフロアから突撃してきたのは、すっかり我が家になじんだレンくん。手に下げた有名店の洋菓子箱を、我が物顔でダイニングテーブルへと置く。
「レンくん、また上がってきたの? 自分の部屋で大人しく原稿書くか歌の練習しなよ」
呆れ顔で突っ込んだのは、一眼レフのデータをPCに取り込んでいた真衣だ。インターン先のWebメディアで企画・撮影・執筆した記事がアクセス1位を獲得し、画面の中の『ミモザ』のクレジットは、今やプロとしての堂々たる顔つきを見せている。
「ええ真衣ちゃん厳しいー! 薫さんの顔見たら曲のアイディア湧くねん。……あ、真衣ちゃんその写真めっちゃいいやん。今度俺のオフショットも撮ってほしい」
「受託料、プロ価格で高めに請求するからね」
「容赦なさすぎるやろ!」
そこへ、陸上部のキツい練習から帰ってきたばかりの蓮が、大きなプロテインシェイカーをシャカシャカ振りながらリビングに飛び込んできた。
「あ、レン兄! 今日もメシ食っていくの?」
「お、蓮! 都大会3位おめでとうな。自己ベスト更新とか激シブやん」
「へへ、次は全国狙うから。レンくんも次のドームツアー、チケット取ってよね」
「任せとき! Wレンの絆でアリーナ最前列用意したるわ!」
「蓮、調子に乗らないの」とクスッと笑いながら防音室から顔を出したのは結だ。ソロアーティスト『YUI』として大きな野外フェスへの出演が決まり、その歌声とベースのグルーヴは日々深みを増している。
「あ、結。ロンドンの奏くんから連絡あった? あいつ向こうで『YUIの作るメロディラインはやっぱり唯一無二だ』って熱弁してたで」
レンくんの言葉に、結は少し照れくさそうに、けれど力強く微笑んだ。
「え!レンくん!奏くんとそんな頻繁に連絡とりあってるの?!聞いてない!知らなかったーー!ずるいー!私、さっき時差の合間にメッセージ届いてんだよ。……もぉ……でも仕方ない。奏くんに負けない音、もっと届けて、もっともっと……!」
賑やかに飛び交う声、皿を並べる音、ダイニングテーブルを囲む弾んだ笑顔。
「ダブルレン、プロテインとケーキを一緒に摂るんじゃないの」
「「はーい!」」
息の合った返事に、思わず吹き出してしまう。
かつて我が家の小さな思い出を一生懸命カメラで追っていた真衣はプロの表現者へ、肉まんを頬張っていた無邪気な蓮はストイックなアスリートへ、そして結は世界へと響く音を鳴らすアーティストへ。
立ち止まることを恐れず、自分たちの直感を信じてこの都内マンションへ引っ越してきた。
あの選択があったからこそ、子どもたちはそれぞれの羽でどこまでも自由に翼を広げ、そしてこの食卓には相変わらずの、けれどより深く温かな愛おしい時間が流れている。
変わりゆく未来と、変わらない我が家の温もり。
「さあ、私も負けていられないわねぇ」
愛おしい家族の笑い声と、防音室からふわりと溢れる心地よい音律をBGMに、私は静かにノートPCを開いた。
巡り合う言葉と、重なり合う物語。
玉木家の毎日は、これからも希望に満ちた旋律を奏でながら、どこまでも続いていく——。




