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第五七話 過去編「ラウル」


「くっ……」


 苦痛にうめくフリーダが現状を確認しようと顔を上げる。するとそこへ、か細い声が耳に届いた。


「フリーダ……様……」


 勇者に蹴り飛ばされた先には、もう虫の息となって転がる、マリナの姿があった。


「マリナ……もう、しゃべるな……」


 マリナの命は、もうあと数分と持たないだろう。出血は止まっていても、心臓が半分以上も失われている。即死していないのが奇跡だった。


「わたしを……勇者様の、元へ……」

「マリナ……っ!」


 そんな状態でも、マリナの瞳は何もあきらめてはいなかった。


「伝えなければ……ならないことが、あります……!」

「……まったく」


 フリーダは鈍痛に呻く腹部を抑え、立ち上がる。


「人使いの荒いこと」


 そして、次の獲物を探し薄ら笑いを浮かべる勇者にこう言った。


「かかって来いよ、馬鹿勇者」


 鈍痛は体全体を襲っている。中でも胴体がひどい。肋骨が数本は確実に折れているし、内臓にも傷がついているかもしれない。それでも、足が動く。手も動く。ならば何の問題もない。


 まずは武器だ。先ほど蹴り飛ばされた際に騎士のサーベルは手放してしまった。現在地から最も近い場所にある武器は――と、そう思い周囲を見渡すと、勇者が地に突き立てたままの聖剣が目に入る。


 聖剣は選ばれたものにしか扱えない。


「博打だな」


 そう言って笑うと、フリーダは聖剣めがけて駆け出した。当然、勇者の動きの方が素早い。フリーダと聖剣の一直線上に立ちふさがると、勇者はフリーダの移動先を予測し、そこに貫手を打ち込む。が、勇者の予測は戦闘経験に裏打ちされたわけではない、いわば野性の勘。数多の実践を潜り抜けてきたフリーダのフェイントには遠く及ばない。


「あまいっ」

「ッ」


 ひねるような体の動きと足さばきで裏を突かれ、この日初めて勇者の顔に驚きが浮かぶ。


 フリーダが聖剣の柄を掴むと、大剣の姿をしていたそれは光り輝き、一本の反りのある片刃の剣に変貌する。


「これは……」


 美しい。戦闘中だというのに、フリーダはそう考えることを止められなかった。それと同時に、聖剣に含まれる多くの魔力量に驚嘆する。聖女であるフリーダ自身は魔力を持たない。それゆえに魔力を感じることすら普通はできないのだが、フリーダは過去の経験から大きな魔力であればある程度感じることができる。


 聖剣には、勇者の魔力が込められていた。


「この魔力と、聖法術があれば……あるいは」


 フリーダの脳裏にある考えがよぎる。それは博打なんてものの騒ぎではない、文字通り一か八か、成功する保証などどこにもない、ただのアドリブ。だが、現状を打破できる唯一の希望でもあった。


「どちらにしろ、あんたの動きを止めないとね」


 右手に聖剣を持ち、半身に構える。先に動いたのは勇者だった。一瞬の予備動作の後、消えたように移動する勇者。フリーダはその予備動作から勇者の動きを予測し、そこに聖剣を置くように構える。


 甲高い音と共に、聖剣と勇者の爪が交錯する。フリーダは勇者の動きを予測するのが精一杯で、攻めには転じられない。だが足を使い、じりじりと戦いの場所をマリナのいる場所へと近づけてゆく。


 勇者が正気に戻る瞬間があるとすれば、それはマリナの最後の言葉を聞く時だ。


 そう確信しているフリーダは、何とか勇者をマリナの声が届く場所まで誘導しようとする。


「くっ、いい加減に――!」


 防御に徹する中で、一筋の光明が見え始める。勇者の動きは速い。だがその速さに勇者自身の技量が追いついていないのだ。一瞬でいい、一瞬だけ勇者の速さを上回ることができれば、その隙に勇者に組み付いて見せる。


 幾重にも重なる勇者の攻撃の中、勇者の背後に光が見える。この一瞬しかない。フリーダは確信した。


 勇者が瞬間移動じみた速度で正面からフリーダに迫る。まっすぐに構えた聖剣を勇者が躱そうとした、その瞬間――


「――ッ」


 勇者の背後から一本の折れた剣が飛んでくる。――クルトの投擲した剣だ。その剣は赤い直線を描き、寸分の狙い違わず勇者の首元へ吸い込まれる。勇者は反射的にその剣を右腕で払いのける。が、そのすぐ正面には聖剣を構えたフリーダの姿があった。


「これで、終わりだ――」


 至近距離で見せた一瞬の隙。フリーダにとってはそれで十分だった。普段であれば魔力抑制装置が覆っている勇者の左胸を、フリーダは聖剣で貫いた。


「かはっ」


 初めてのまともなダメージに、勇者は血を吐きその身を震わせる。聖剣を握ったまのフリーダにもたれかかるように、その体からはだんだんと力が抜けていった。


「勇者……様……」


 マリナが最後の力を振り絞り、その体を起こす。勇者の頬に手を添え、慈しみに満ちた笑顔が勇者の瞳に刻まれる。



「――ラウル」



 そうつぶやいたマリナの瞳には、もう、勇者しか映ってはいない。


「狼のように、強く、孤独で……けれど」


 マリナの手が、勇者の頬から落ちる。けれど、その瞳はまだ力を失わずに勇者を見つめていた。


「誰よりも、優しい。そんな……勇者、に……」


 それで言い残し、マリナの身体は力なくその場に倒れ伏した。


「ああ、ああああああ――」


 勇者の手がマリナに伸びる。まだ失いたくない。まだ手を握っていたい、まだ、ぬくもりを感じていたい。そう言わんばかりに、力なく、けれど確かにマリナに向けてその両腕が伸びる。


「あああああああああああ――!」


 勇者の瞳からこぼれるものを勇者自身は知らないのだろう。生まれて初めての感情に、勇者はただ、その瞳を濡らし続ける。


「『Was ich suche, ist Heilung für die Seele(求めるは魂の癒し)Ich selbst,(わが身)Oh heilige Kraft, die in meiner Seele wohnt(我が心に宿りし聖なる力よ)Schenke denen, die vom Bösen befallen sind, das Licht der Reinigung(魔に侵されしものに浄化の光を捧げ給え)』」


 マリナの前でうずくまる勇者に、聖剣を勇者の左胸に突き立てたままのフリーダが詠唱を開始する。それはまだ誰も知らない聖法術。フリーダがたった今、勇者の魔力を抑えるためだけにアドリブで唱えている、まったく新しい聖法術だった。


「聖法術『Alles kehrt zum Ursprung zurück(すべては根源へと還る)』」


 柔らかな、薄青色の光が詠唱の完了と共に聖剣へと収束していく。まばゆいばかりに光り輝き、謁見の間そのものを光が呑み込んでいくような錯覚さえ覚えた。


 そして光が収まった時、勇者の左胸には砕け散る前の魔力抑制装置が、しっかりとその左胸を覆っていた。


 聖剣はいつの間にか勇者の胸から外れ、フリーダの手の中に。勇者は何事もなかったかのようにすやすやと寝息をたて、マリナの遺体の上にかぶさるようにして眠っていた。


「ふう――」


 緊張の糸がほどけたフリーダは、聖法術の反動もあり、その場に崩れ落ちた。安堵と共に、いままで我慢できていた体中の痛みが一気によみがえってくる。


「被害は……甚大だな」


 横になりながら、血にまみれた謁見の間を見やる。


 死者は枢機卿、大司教若干名、騎士数名、魔法師十名以上、重傷者はフリーダと騎士団賞のクルト含め多数。教皇も負傷。下手な魔族に襲われるよりも甚大な被害が、今日一日で生まれてしまった。


 教会は、今後勇者の扱いをどうするだろうか。そう考えて、フリーダは一部、考えを改めた。


「勇者じゃなくて、ラウル――か」


 後にこの事件は血の惨劇と呼ばれ、表向きにはアイエルツィアに侵入した魔族による奇襲として記録されることとなる。その後の勇者ラウルの扱いは聖女フリーダに一任され、教皇を含めたハイリアの重鎮は勇者に一切かかわろうとしなかった。




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