9 機嫌取り
私こと、黒井瑞希は衝撃を受けていた。
グーたらな兄が動いた。
今まで何を言っても無駄だった兄が。
信じきれない私は後を追ってみることにする。
風呂の掃除やれ、1,2階の廊下掃除やれが終わった。
本当は風呂掃除くらいやっておけばいいかと思ったが、
時折、窺うような包丁が生えていたため・・・随分と手伝いをしていなかったと思い出し、
少しばかり機嫌を取ろうと頑張ったのだ。
そういえば、学校に行っているとき、買い物は俺の役目だったが、
春休みになって買い物に行ったのが1回きりだったように思う。
・・・それもその1回はアレだ。
流石にやる気というものも出ようものだ・・・ということにしておこう。
掃除中に空腹感があった気がしたがそれももうない。
またお腹がすくまで時間を潰さなくてはならなくなってしまった。
リビングを覗き、キッチンに視線を送ると、
包丁と瑞希がいなかったため、
再びここで一休みすることにする。
正直、自分の部屋が一番安心でき、休まるのだが、
休まりすぎて再びベッドに向かってしまうことだろう。
そして向かったということは当然・・・。
そうすると一体どれだけ食事抜きにされるか・・・やめよう。
恐ろしい考えが一瞬浮かんだので、頭を振ることでどこかにやる。
・・・それにここならば、そのうち瑞希が入ってくるなり、
休日出勤の母が帰ってくるなりで、
腹が減るまでの間くらいは、起きているくらいのことはできるだろう。
・・・と思ったんだが、
どうやらそれは甘かったようだ。
母は今日も泊まりという連絡が先ほどあり、
瑞希は俺がここにいるためかここに入ってこようとしない。
すると、程なくして睡魔はやってきた。
今日は十分寝たというのに、
程よい疲労からか、まぶたが重くなってくる。
先ほどまでの罪悪感からの無駄な抵抗を試みるも、あえなく・・・。
それからどれほど経った頃だろうか?
何かが体に掛けられる。
誰だ?そう思い目を開けると・・・
・・・瑞希が毛布を掛けていた。
俺は一瞬のうちに覚醒し、弁明しようと試みる。
「み、瑞希・・・こ、これは・・・。」
すると、
俺が眠気に負け、再び惰眠を貪った言い訳をするより早く、
俺の行為に対する答えが返ってきた。
「ごめん、起こしちゃった?
お疲れさま。こんなところで寝てると風邪ひいちゃうよ。」
「へっ?」
俺はてっきりひどく怒られるのだろうと思っていたのだが、
彼女の予想外の反応に驚きのあまり普段出さないような声をあげてしまった。
どういうことだと俺が困惑していると、彼女は笑顔を向けてきた。
「お兄ちゃんがちゃんと掃除できるなんて驚いちゃった。」
俺は照れくささからか目線を背ける。
「・・・まあ、昔は手伝っていたからな。」
「ああ、私が小さかった頃?
そう言えば、お父さんの手伝いしてたもんね。
ふむふむ、なるほどなるほど。」
彼女が納得したように何度か頷く。
その様子は変わらず機嫌が悪いそれのようには見えなかった。
もしかしたら怒りが収まったのか?
俺がこう淡い期待を抱いたその時、
「・・・でも、お兄ちゃん、本当に反省してるの?」
彼女はその感情を表に出してきたのだった。
・・・やばい・・・まだ怒ってた。
「お兄ちゃん、さっきまで寝てたよね?」
「・・・・・・。」
「今起きてから、何時間くらい経った?」
「・・・に、2時間。」
「そうだよね。たった2時間だよね。
お手伝いを断ってたくさん寝たのに・・・だよね?」
「・・・・・・悪い。」
俺は素直に頭を下げる。
それからしばらくそのようにしていると、
彼女は小さいため息とともに怒りを収めてくれた。
「・・・どうやら本当に反省しているみたいだね。」
俺はその言葉を聞き、顔をあげるも、
彼女の表情には俺には読み取れない感情があった。
「・・・でもまだ本当に反省しているかは私にはわからないかも。」
それは疑惑だった。
どうやら彼女は俺がとりあえず頭を下げているそう感じたようだ。
俺はこれを晴らさなければならない。
普段ならば、そうだっただろうが、今回は違う。
久々に掃除をしたことで彼女がどれほど頑張っていたのかその一端を感じ取った。
そのせいか、割と本気で反省していたのだ。
俺は彼女に問う。
「・・・どうすれば、許してくれるんだ?」
すると、彼女は俺をソファーの端に押しやった。
俺がその行動に頭に疑問符を浮かべていると、
彼女は楽しそうに笑いながら、
俺の太ももに向かって、そのまま身を任せるようにゴロンと寝転がる。
「ここまですれば・・・本当に反省しているんだったら、
やることはわかるよね?」
「・・・いや?」
すると、彼女は頬を膨らませ、
腹いせに俺の内腿を抓る。
「っ!!」
俺が痛みに声を失い、
代わりに抗議の視線を送るが彼女はどこ吹く風。
彼女は花が咲くような笑顔を浮かべ、どこか媚を売ったような可愛らしい声で続ける。
「わかるよね?」
「・・・な、撫でればいいの・・・か?」
すると彼女は先ほどとは一転、期待に目を輝かせ、俺を見つめる。
それが答えだった。
戸惑いを隠せなかったが、仕方がないと割り切り、
彼女の頭の上に手を乗せる。
そして、俺は彼女の頭に優しく数度撫で、加減を聞く。
「・・・これくらいか?」
「え、えっと・・・う、うん・・・。」
彼女の返事は煮え切らないものだったが、
どこか嬉しそうに身を震わせたので、俺はそれに安堵し、続ける。
だいたい3,4年ぶりくらいか?
確かこんなことをしたのは彼女が小学生くらいの頃が最後だったように思う。
それほど時間は経っていないが、感覚的にやはりどこか懐かしい。
そんな感傷に浸っていると、
どうやらリラックスしたのだろう先ほどより彼女の重さを感じ始めた。
視線を向けると、
日向ぼっこしている猫のように目を細めて心地よさそうにしている。
それにつられたのだろう俺の口元も緩む。
・・・やっぱりこういうところはまだ子供だな。
最近、随分しっかりしてきたなと思ったが、
今はそれが幻だったんじゃないかと思える。
俺は小さく笑みを浮かべ、
それからしばらくご機嫌取りに勤しむことにした。
普段お疲れさまという気持ちを込めて。
俺の誠意が伝わったのか、
夕飯にもありつくことができた。
俺は先日怒られたもう一人の兄貴に機嫌取りで膝枕でもしてやれとアドバイスを送ろうと思う。
・・・明くる日、そんな恥ずかしいことができるかと返信が返ってきたが、
忘れていてなんのことかわからなかった。
履歴を見るのは面倒だったのでやめた。