第39話 解放
白毛はふらふらとした足取りで家畜小屋へと歩を進める。
それは通い慣れた道であるにも関わらず、白毛は足元がおぼつかず何度もつまずき、転んでしまう。目の前がグラグラと揺れ、距離の感覚が掴めない。
「っ!」
何度目かの転倒。地面に手を突き、起き上がろうとするが足に力が入らない。
先程から起き上がる為に相当な時間を要している。
(どうやら俺は、自分が考えていた以上に憔悴しているらしい)
ようやく白毛がそんな事実に気付いたころには、陽が西に沈み、空が朱色に染まり始めていた。
たかだか数キロメートルを歩くために、自分はいったいどれだけの時間を掛けているというのか。
何とか白毛は起き上がるも、数歩進んだところで再びその場に倒れてしまう。それは転んだというより、力尽きて倒れたと言ったほうがいいものだった。
白毛は起き上がる気力も尽き、呆けたように紅い空を眺める。
俺は、こんなところで何をやっているんだ?
オーク族を滅ぼす―――ただ、その一念のみで白毛はここまで動いてきた。
なのに、どうしてだろう?
白毛の脳裏には仲間たちの笑顔が次々と浮かんでしまう。
片目、頬傷、ギザ耳、鼻欠、顎割、牙折、歯抜。
自分が殺したり、自分のせいで死んだり、これから自分が殺すつもりの仲間たち。
自分を受け入れ、守り、共に生きてきた誇り高い仲間―――自分の最も愛しい人を汚し、その肉を喰らった忌々しい仲間。
「母さん………」
白毛の目から一筋の涙が零れる。
それは、何を思って流れたものか白毛自身にもわからない。
「母さん、母さん………!」
白毛の目から次々と涙が溢れる。彼はもう疲れきっていた。
まるで幼体であった頃のように、泣きじゃくる。
でも、あの頃のように、優しく彼を慰めてくれる人はもういないのだ。
だって、その人はもう、自分のせいで死んだのだから………。
「……………行こう」
白毛は木に寄りかかるようにして立ち上がると、憔悴しきった表情で家畜小屋へと再び歩み始める。
「俺はもう引き返せない。俺にはもう、後も先もない。
俺は、俺の結末を手に入れなければいけない………」
その後、彼が家畜小屋へと辿りついたのは、闇を空を包み始めた黄昏時となった頃であった。
◇
白毛の紅い瞳に目的地である小屋が目に入る。
集落の端の端、普段は目につかない場所にそれはある。
汚らしい、粗末な小屋だ。
小屋の側では腐臭と虫の羽音が混じり、不快極まりない―――そんな場所だ。
白毛は無造作に小屋のドアを開くと、よろよろと中へ入っていく。
小屋の中は正面に長い廊下が続いており、沢山の小部屋のドアが並んでいた。
白毛はフラフラと夢遊病者のような動きで、その廊下の一番奥、隅にある部屋へと向かっていった。
ドアの先は小さな部屋になっていて、藁を敷いただけの粗末な寝床に、白毛の掌にも及ばない小さな窓が埋められていた。
それは暗く狭く、陰湿で、まるで独房を彷彿とさせるような、そんな部屋。
そんな部屋の中心に―――1人の少女が座っている。
それは金色の、蒼い少女であった。
プラチナのように輝く、白金色の鮮やかな長い髪が風に揺れ、
陶器を思わせるような白い肌を、月明かりが青く照らしている。
そして、暗闇の中でもはっきりと分かる、瑠璃色の瞳が小窓の外、闇が広がる世界に向け注がれている。
無表情に窓の外を見つめる少女は、まるで幻想のように儚く、見る者によっては夢を見ているのではないかと錯覚させるようなものであった。
「―――!!」
白毛は思わず目を擦る。
一瞬ではあるが………そこにいる筈のないエルフの影を見た気がしたのだ。
しかし、その少女があのエルフのように白毛へ笑いかけることは、決してないだろう。
ドアの開いた音に気付き、少女はゆっくりと白毛の方へ目を向け………そして厳しい眼差しで睨みつける。
「白色のオーク………!」
蒼い眼差しは、白毛に対する嫌悪と殺意に満ちていた。
◇
「白色のオーク、いったい何をしに来た?」
女騎士は刺すような鋭い視線でそう問いかける。
昨夜の白毛であれば、彼女に対し憎まれ口の一つも叩いたかもしれないが、今の白毛にはそんなつもりも、気力も無い。
ただ、全てを終わらせたい。その一念のみで白毛は動いていた。
だから、白毛は女騎士の問いかけには答えず、無言で彼女へと近づいていく。
無言で迫る白毛に対し、女騎士は一瞬ひるむような表情を見せるも、すぐに瞳へ力を宿し、再び真っ直ぐに白毛を睨みつける。
(気丈な娘だ。この状況に置いてなお、瞳に光が宿っている)
白毛はそんな女騎士が少しだけ羨ましくなった。脆弱な自分に比べ、この女騎士はなんと気概に溢れていることか。
白毛はよろよろと、女騎士の前に立つと、彼女の首を拘束していた鎖を鍵を開けた。
「―――!?」
それは一瞬の出来事であった。
女騎士は鎖から解放された途端、体を反転させ―――次の瞬間、白毛の首元へは短刀が突きつけられていた。
「大したものだな………」
白毛は素直に感心の言葉を述べる。
この女騎士は一瞬で白毛の腰にさしていた短刀を奪い、瞬時に彼の首元へと突きつけたのだ。
女騎士は短刀を突きつけたまま、緊張した面持ちで白毛へと言葉を放つ。
「どういうつもりだ?」
「別に………」
剣呑な様子の女騎士に対し、白毛は投げやりに答える。
何だか、どうでも良くなってしまったのだ。
このまま、女騎士に殺されると言うのなら、それでもいいとまで白毛は思い始めていた。
白毛は懐に手を入れると、地図を取り出し、無造作に女騎士へ放り投げる。
「それはこの森の地図だ。俺たちの集落には朱色の印がついている。
持って行け。その地図は本物だ、鼻欠に託したものとは違う」
「………?」
女騎士は訝しげな目で白毛を見つめるが、白毛はくたびれた笑みを浮かべ言葉を続ける。
「いま、この集落にオークたちはいない。彼らは、集落の外れにある倉庫へと身を隠している、歩いて帰ったところで見つかることはないだろう。
さっさと仲間たちの下へ帰るがいい」
「―――っ!」
女騎士は地図を掴むと、白毛へ油断なく目を向けながら部屋の外へと進んでいく。
そして踵を返すと、小屋の出口へ向けて走り去って行った。
遠ざかっていく女騎士の足音をその耳に捉えながら、白毛は小さくため息をつき
「なんだ、俺を殺していかないのか」
と呟く。
女騎士はどうやら、小屋の外へと出て行ったらしい。白毛の計画もこれで全て終了だ。
後は騎士団がこの集落へ攻め込んで来るのを待つだけでいい。
「なんだか、疲れたな………ひどく、疲れてしまった」
白毛は独り、そう呟くと、その場にごろりと横になる。
これで全て終わり。
これが俺の結末。望んだもの。
なら、それでいいではないか。
フェイトには人間たちも滅ぼしてやると嘯いたものの、白毛にそんなつもりは残っていなかった。
もう、どうでもいい。さっさと自分に破滅を与えてくれ。
それが、白毛の正直な思いであったのだ。
◇
ヴァイスは闇に包まれた森の中を走っていた。
その手には白色のオークから渡された地図が握られている。
(やった、やったぞ! これがあればオークたちを殲滅出来る! 騎士団に勝利をもたらすことが出来るんだ!)
彼女の胸には勝利への確信と、それによる高揚が湧き上がっていた。
(きっと団長やブルーたちが心配している。早く元気な姿を見せなければ!)
白色のオークが何故、自分を解放しあまつさえ地図まで渡したのかはわからない。
だが、そんなことは彼女にとってどうでもいいことだ。
ついにオークたちの集落を突き止めたのだ。
一刻も早く騎士団拠点へと帰還し、オーク共に引導を渡してやらなければいけない。
『あいつにとってここのオーク共は、母親と天秤にかけても釣り合うほどのかけがいのないものだったって訳さ』
そんな思いと裏腹に、ヴァイスの脳裏には昨夜、菖蒲色のエルフから聞いた言葉が浮かんでくる。
そうだ、何故あの白いオークはこんなことをしたのだろう?
これは群れに対する、完全な裏切り行為ではないか?
ヴァイスは浮かんだそんな考えを振り払うように、頭を振る。
(オークの事情など知ったことか! 重要なのは集落の位置を手に入れたという事実だけだ)
『プリムラを殺してから、あいつは壊れたように人が変わってしまった。
私自身はあいつと多くの言葉を交わした訳じゃないし、私の中のあいつ像は、プリムラの言葉を介して知ったものだけど………それでもあいつが豹変したことはわかる。
まるで、悪魔にでも取り付かれたみたい』
あの白色オーク。まるで死人のように疲れきった顔をしていた。その目には虚無しか映っていなかった。
いったい何が彼をそこまで追い込んだのだろう?
(私は人間で、オークたちを殲滅するためにやって来た騎士だ。これから打ち倒す敵のことなど、どうでもいいだろう!)
『あいつがプリムラを慕っていたのだけは、間違いないと思う。
あいつは自分の母を、愛していたよ』
慌てていたせいであろうか、不慣れな道を全力で走っていたヴァイスは窪みに足を取られ盛大に転倒してしまう。
「ちぃ!」
彼女はすぐに起き上がり、再び騎士団拠点へ向けて駆け出そうとするが………その足は動かない。
「………くっ!」
ヴァイスは白色オークから受け取った地図を握り締める。
本当なら一刻も早く、この地図を騎士団へと届けるべきだろう。なのに、彼女は足を止めてしまったのだ。
(なぜ、足を止める? なぜ、前に進まない? 私は―――!)
菖蒲色のエルフも知らないプリムラの痕跡を、ヴァイスは知っている。
それはあの白い花に託された、きっと彼女から白色オークに対する最後の伝言。
それをあの白色オークに伝えてやる義理などない。
だけど―――
「あぁぁぁ!! 私は馬鹿です! 大馬鹿です!! 団長、みんな、すみません!
私は一度、家畜小屋とやらへ戻ります!!」
ヴァイスは騎士団拠点の方向へそう怒鳴ると、踵を返し、今走ってきた道を引き返す。
ヴァイスは甘い騎士であった。
非情になれない騎士であった。
誰かを憎悪することが出来ない騎士であったのだ。
だから彼女は引き返す、あの白色のオークの下へ。
まるで悪夢のような、家畜小屋と呼ばれる場所へ。
―――だって、あの純白のオークは、まるで泣き出す寸前の子供のような顔を浮かべていたのだ。
◇
白毛は夢を見ていた。
それは幼い頃の些細な記憶。取るに足らない小さな思い出。
夢の中の白毛は泣いていた。
泣いていた理由については、もう覚えていない。
思い返せば、小さい頃の自分は泣き虫であった。
『泣かないで、もう大丈夫だよ。白毛』
夢の中の母は、白毛の記憶と同じままに彼を抱きしめる。
泣くのはいい。
自分が泣くと、母はいつだって自分を抱きしめてくれる。
幻影の母に抱かれながら、白毛はどこかでこれが夢であると理解していた。
だけど、それでもいい。
時間の許す限り、この優しい夢を見続けたい。
もう、自分の残された温かいものは、記憶の中にしか残っていないのだから。
バタバタとした音がどこか遠くから聞こえてくる。
それは夢の中ではない、意識の外から聞こえる音。
その音は、微かな夢に浸っていた白毛の意識を現実へと呼び戻す。
白毛は目開く。視線の先には見慣れた天井。
どうやら母の部屋で仰向けになって眠っていたらしい。
(目など覚めなければよかったのに………)
そんなことを思いながら、白毛は億劫な様子で寝転がったまま顔を部屋の入口へと向ける。
自分を起こした騒々しい足音。その正体を探るために。
視線の先には、よくわからない者が居た。
先程立ち去り、騎士団拠点へと帰った筈の女騎士。
彼女がぜぇぜぇと息を切らしながら、壁に手を掛け呼吸を整えている。
「あ、あの程度の距離でここまで息を切らしてしまうとは………王都に帰ったらもっと走りこみをしなければいけませんね」
何を言ってるんだ、この雌は?
「お前………なぜ、ここにいる?」
白毛が訝しげにそう言うと、女騎士はにやりと笑みを浮かべ、白毛を真っ直ぐに見つめる。
「白色のオーク。貴方と話がしたくて、戻ってきました」




