第18話 敗北者の帰還
昇りかけの朝日が、白く染める薄明の空。
早朝の清涼な空気に包まれた、騎士団拠点。
その見張り台の上でただ1人、ヴァイスが仲間たちの帰還を心待ちにしていた。
オークの集落を殲滅するため、意気揚々と森に入っていった300人の仲間たち。
彼らのことを思うと、ヴァイスは夜も眠れないほど心配な気持ちになるのだ。
そんなヴァイスの瞳に、森から出てくる一団の姿が映る。
それは、彼女が懸念していた仲間たち。強襲作戦に向かっていた騎士団たちの姿と相違ないものだった。
彼らは拠点から出て行った時と変わらず、傷も無い様子である。
良かった―――
ヴァイスは思わず安堵する。
今回の強襲作戦、どうやらうまくいったらしい。
ハナカケと話してから、複雑な思いを抱いているのは事実だが、ヴァイスにとって大切なのはやはり騎士団の仲間たちなのだ。
彼らの無事な様子は、彼女が安堵を覚えるには十分であったのだ。
―――もっとも、ヴァイスは気付いてない。
森から拠点へ戻る一団の体には傷こそ無いものの、その心は慙愧の念に満ちていた。
森から戻ってきた一団―――彼らはブラウンが指揮する220名の騎士団本隊。
仲間を見捨てて、戦場から撤退してきた敗残兵たちなのである。
騎士団本隊が拠点に辿りつくころ、ヴァイスは迎えの準備を終了し、揚々と彼らを迎えようとしていた。
ヴァイスは本隊の中にブラウンの姿を見つけると、笑顔を浮かべて駆け寄っていく。
「団長、お疲れ様でした!
此度の勝利、私もうれしく思います。
お疲れでしょう、食事と寝具の準備は出来ています、ひとまずお休みになってください」
「おい」
「はい?」
ブラウンの一声に、ヴァイスは違和感を感じる。
ブラウンの声は、まるで咽喉の奥から搾り出したように低く、震えていたのだ。
「ハナカケ―――あのオークを、逃がしたりはしていないだろうな?」
「は、はい………団長の支持どおり、拠点内のテントに軟禁していますが………」
「わかった」
ブラウンは素っ気無くそう言うと、ヴァイスの横を素通りし、拠点の中へと入って行こうとする。
「ま、待ってください! 団長!」
そんなブラウンの前に、ヴァイスは立ちはだかる。
「どうされたのですか? 団長も、みんなも、何だか様子がおかしいです!
オークたちを殲滅してきたのではないのですか!?」
「ヴァイス」
ブラウンがヴァイスを睨みつける。
その目は血走り、獣のようにギラついていた。
「どけ」
「……………はい」
俯き、佇むヴァイスの横をブラウンは無言で通り過ぎる。
今度はもう、彼を呼び止める気持ちになれなかった。
何を考えているか、わからない時もあるけれど………
率先して悪ふざけをしたり、それで怒られて落ち込んだり、
それでも、いつも笑っていたり………自分たちの団長は、そんな人だと思っていた。
なのに、先程のブラウンはいつもと違う。
彼はあんな目をする人ではない、あんな風に話す人ではない。
怖かったのだ。
声や目を通して伝わってくる、彼の怒りが、悔恨が。
堪らなく恐ろしかったのだ。
ヴァイスはその日、初めて自分の団長に対し、恐怖した。
◇
ザッザッザ、とテントに近づく足音が聞こえる。
とうとう来たか………と鼻欠は自らの拳を握り締める。
覚悟は決めたつもりだ、それでも体が震えるのを止めることが出来ない。
「ぐ……うううぅぅ」
あまりの恐怖と不安から、勝手に唸り声が漏れる。
奴らが帰ってきた、帰ってきてしまった。
自分はどうなってしまうのだろう?
そんな鼻欠の思いとは関係なく、テントの幕がばさりと開けられる。
そこには、茶髪の騎士が温和な笑顔を浮かべて立っていた。
それは、以前鼻欠と言葉を交わした時に見せたモノと寸分変わらぬ張り付くような笑い顔。
しかし、その目はこの間よりもずっと冷たく、氷のように冷えている。
「やあ、オークさん。ご機嫌は如何かな?」
「あ、ああ………」
「いやあ、やられてしまったよ。
あなたの甘言に乗せられて、俺はとんでもない数の仲間を死なせてしまった。
正直、誰にも合わせる顔が無いんだ。
穴があったら、埋め殺されたい気分だよ」
「そ、そうかい?」
鼻欠が震える声でそう答えると、ブラウンは鼻欠の喉元を掴み力任せに引き起こす。
「がはっ………!」
「よくもやってくれたな、豚野朗。
殺された仲間の無念、お前らを皆殺しにすることで晴らしてやる。
俺はどんな手を使ってでも、お前に集落の位置を吐かせるからな。
楽に死ねると思うなよ?」
「う、うう………」
(白毛……うまくいったんだな。どうだい? 俺もちょっとしたもんだろう?)
喉元を掴まれ、呼吸を止められながらも、鼻欠は白毛の作戦が成功したことを知り、安堵する。
自分はもう、仲間の下へは帰れないのだろうが、最後に仲間たちへ役立てることが出来たのだ、何を後悔することがあるというのだろう。
◇
「ねえ………」
「………なに?」
プリムラは壁の向こう側から届けられた声に対し、緊張した声音で答える。
壁の穴に目を向けるが、いつかの菖蒲色は覗いていない。代わりに紫色の髪が穴の端から少しだけ見えた。
どうやら、菖蒲色のエルフは壁に背を預けて座り込んでいるようだ。
「あんたの名前って、何て言うの?」
「あなたになんて………教えたくない」
エルフの声は、前に言葉を交わした時と比べ幾分かやわらかくなっているが、プリムラは彼女に対する警戒をゆるめるつもりは無く、素っ気無い様子で答える。
しかし、エルフはそんなプリムラのつれない返事に気を悪くした様子もなく、むしろ楽しげな調子で言葉を続ける。
「じゃあ、当ててあげようか?
あんたの名前は………プリムラ! どう、合ってる?」
「………知らない」
即座に正解をつかれ、プリムラはやや動揺してしまう。
「ふふん、その様子だと、どうやら正解だったみたいだね。
あんたの部屋にある白い花。それ、プリムラ・シネンシスの花でしょ?
前から、そうじゃないかと思っていたんだよね」
「むぅ………」
プリムラは何だかエルフの手玉に取られているような気がして、少し口を尖らせる。
「それがあんたの名付け花ってわけね。あんたの部屋って色んなものがあっていいよね。
私の部屋なんて、寝床代わりの藁しかないよ」
「白毛が………色んな物を持ってきてくれたの………」
「ふうん、その花も? オークが花を摘んでる絵面は、ちょっと想像出来ないなぁ」
「ふふふ」
エルフの言葉に釣られるように、プリムラは思わず笑みを漏らす。
確かに、大柄で厳つい風貌の白毛が花を摘んでる姿は………ちょっと面白い。
「あんたがあのオーク―――白毛を自分の子供だって言っているのはわかったよ。
あいつ、あんまりオークっぽくないもんね」
「えっ?」
突然のエルフの言葉に、プリムラは不思議そうな声を上げる。
あれだけ敵意に満ちていた筈のエルフが、なぜそんなことを言い出したのだろう?
エルフはしばし無言となったあと、先程とは打って変わっておずおずといった調子で口を開く。
「プリムラは………何で、白毛を自分の子供だと思えたの?」
「何でって………どうして?」
「いや、別にどうしてって訳じゃないんだけどさ………」
エルフは「うー」と考え込むような声を上げたあと、ため息とともに口を開く。
「私はここに攫われてから、4匹のオークを産まされたよ。
だけど、一匹だって自分の子供だなんて思えなかった。
当たり前だよ、どいつもこいつも醜悪なオークだ。私を犯して生まれてきた豚野朗だ、子供だなんて冗談じゃない。
殺してやろうとさえ、思ったさ」
「…………」
「だけど、あんたは違う。
白毛を子供だと思って、母親として愛まで注いでいるみたい。
どうしてあんたがそう思えたのか、私にはわからないんだよ」
「わ、私も………」
「うん?」
「私も、最初は白毛のこと………殺そうと思ったよ。
白毛がまだお腹の中にいたとき、「こいつが生まれたら絶対に殺してやる」って思ってた」
プリムラは意を決したように、話し始める。
思えば、彼女が白毛以外の者とまともに会話をするのは、これが初めてかもしれない。
「だけど、私には白毛が殺せなかった。
だって、生まれたばかりの白毛は小さくて、か細くて、放っておいたら死んでしまいそうなほど弱々しくて………私が守ってあげなくちゃ、なんて思って………」
「…………」
プリムラが話しているあいだ、エルフは黙って彼女の話に耳を傾けていた。
その顔は無表情であるが、前にプリムラを見つめていた時の嘲るようなものでも、馬鹿にするようなものでもない。
「白毛は一晩で、他のオークに連れていかれちゃったけど、私のことをちゃんと覚えていたの。
この部屋によくやってきては、私のことを「お母さん、お母さん」って、私に沢山のことを話してくれたんだ」
プリムラの話を聞き終えると、エルフは無表情のまま、ぽつりと口を開く。
「私は始めて産んだ一匹目、こいつは生まれた直後に殺してやった。
暴れやがったけれど、こう首を絞めてね」
「え………?」
「当たり前だよ。忌々しいオークのガキだもの。許せる訳がないよ。
だけど、その時ね………そいつは泣いたんだよ。「う゛ぅぅぅ」ってきったない声を上げてさ、苦しそうに、悲しそうに………」
「…………」
「私………その声がどうしても忘れられなかった。
それから3匹、私はオークを産まされたけど、そいつらは殺せなかった。
相変わらず、殺してやろうとは思っていたんだけど………生まれた直後のオークを見ると、あの一匹目の泣き声が耳鳴りみたいに響いて、足が竦んでしまうの」
エルフの声が震えている。その声には少し嗚咽が混じり始めていた。
「今だってそう。夜眠っている時も、部屋に1人でいる時も、まるで責め立てるみたいに、あいつの泣き声が聞こえてくるの。
だけど………どうすればいいって言うの!? 私はプリムラとは違う!
あいつらを許せないし、ましてや愛するなんて出来る訳がない。
私はあんたみたいに慈悲深い訳でも、優しい心を持っている訳でもないの………」
「もういいよ………あなたはきっと、悪くない」
涙声になりながら、とうとうと語り続けるエルフに、プリムラはそっとそう告げる。
オークたちを許せる訳が無いのは彼女とて同様だ。プリムラが白毛を子供だと思えたのは、別に彼女が愛情深かったからという訳ではない。
(むしろ、私なんかより、あなたの方がずっと愛情深いエルフだと思うけどな………)
だからプリムラは、エルフに対して言葉を放つ。
「………私は慈悲深いわけでも、優しいわけでもないよ」
「…………?」
プリムラの言葉に対し、エルフが不思議そうな様子で黙り込む。
「私はこんな姿だったから、エルフの里にいた時も話してくれる人なんていなかった。
笑顔を向けてくれる人も、ましてや優しくしてくれる人なんていなかった。
白毛は初めて、私に笑顔を向けてくれた人だったの」
プリムラは、へへへと困ったように小さく笑う。
「前にあなたが言ったとおりだね。
そうだよ、私は今まで誰かに愛されたことがなかった………白毛だけが唯一、私に優しくしてくれた。
だからだよ。ただ、白毛が私に優しくしてくれたから―――だから私は白毛を自分の子供だと思えた―――いや、思いたくなった。それだけの話なんだよ」
「プリムラ………」
菖蒲色のエルフは、少しだけ黙り込んだ後、意を決したように再び口を開く。
「プリムラ………ごめんね。
私、アンタに酷いことを言っちゃったね」
「本当だよ! 今更謝ったって、許してあげないんだから!」
そんな言葉とは裏腹に、プリムラは楽しげな笑い声を上げる。
屈託なく笑う、プリムラのそんな様子に、エルフは呆れたような笑みを浮かべると
「やっぱあんた………なかなかいい性格してるわ」
と嘯くのだった。




