第10話 初雪
「それでは、初陣の勝利を祝して………乾杯」
「おおぅ!」
夕闇に染まるオークの集落。
その中央で、ささやかな宴会が催された。
「くっそー、臭ぇ! 本気でこんな肉を食うのか!?」
「ガタガタぬかすな! これからはこれが主食になるかもしれねぇんだぞ!?」
「ひえー」
顎割の言葉に鼻欠が悲鳴を上げる。
初陣で手に入れた人間の4人分の死体と、その側に転がっていた1人分の死体。
計5人分の死体が、本日のオークたちの夕食だった。
臭い臭いと噂されていた人間の肉だが、その臭気は噂以上に凄まじく、とても食べられるようなものではない。
歯抜が時間を掛けて悪戦苦闘した結果、ようやく食事と認識できるレベルまで臭みを消すことに成功したのだ。
「ほら、鼻をつまんで食えば何とかなるだろ?」
「俺にはつまむ鼻がねぇーよ!」
鼻欠が何やら騒いでいる。
「何でエルフの肉は、あんなうめぇのに、人間はこうも臭いんだろうな?
あいつら、ほとんど似たようなもんだろ?」
「まあまあ、匂いさえ目を瞑れば、食えないこともないぞ?」
そんな鼻欠を尻目に、白毛とギザ耳が人間肉のスープを口へ運ぶ。
歯抜が趣向を凝らして作ったらしいが、いかんせん素材が悪く、食事を楽しむという気分にはなれない。
「よう、英雄の2匹じゃねぇか」
「片目?」
そんな2匹の背後へ、片目がずいっと割り込むように座り込んできた。
「大層な活躍だったらしいな? 白毛、ギザ耳」
「まあな!」
「別に………」
対照的な英雄たちの言葉に片目は、少しだけ笑みを漏らすと、すぐに真剣な顔つきへと戻り、白毛に尋ねる。
「それでだ……今回は騎士団を退けた訳だが、今後どうなると思う? 白毛」
「うん………」
白毛は目を閉じ、暫し思索に耽ったのち、口を開く。
「多分、今回は騎士団にも俺たちのことを見くびっている部分があったと思うんだ。
オークってのは愚鈍で知能が低い………それが人間族の常識だからね」
白毛は焚火のもとで踊り始めた仲間たちを見つめながら、更に言葉を続ける。
「だけど、この戦いで騎士団が俺たちを甘く見ることは無くなるだろう。
俺たちは早急に人間を生け捕りにしなければいけない」
「また生け捕りの話か? お前らは生け捕るのが好きだな!」
「うるさいな………俺たちが今後も群れを存続するには、人間族の雌がどうしても必要なんだよ!
………それでさ片目、一つ作戦を提案していいかい?」
話の腰を折ってきたギザ耳に対し、文句を飛ばしつつ、白毛が片目に問いかける。
「今更お前の提案を無下にしたりしないが………言ってみろ」
「群れのみんなの力が必要な作戦なんだ、聞いてくれ。
ギザ耳………お前の協力も絶対に必要だからな!」
「何だよ?」
そして、白毛は片目とギザ耳に自らの「作戦」について話をする。
それは、群れ全体を巻き込む、壮大な計画だった。
◇
「おい、ヴァイス。いつまで外にいるつもりだ?
もう陽が沈むぞ?」
ブラウンが心配そうな調子で、見張り台に立つヴァイスへ声を掛ける。
そんなブラウンをヴァイスはキッと睨みつける。
「団長は………心配ではないのですか?
ブルーは未だに帰らないのですよ」
「わかってる………」
「彼らの偵察任務………正午には帰還する予定でした、それが戻ってこないということは……」
「わかってるって言ってんだろ!!」
「―――っ!」
ヴァイスの言葉にブラウンが激昂する。
普段、見せないその態度に、ヴァイスは思わず怯んでしまった。
ブラウン・カスタード。
常に飄々とした態度を崩さない一風変わった騎士である。
時に、何を考えているかわからない変人と揶揄されることもあるが、ヴァイスは自分たちの団長が、部下を思いやる繊細な心の持ち主であることを知っていた。
「………すいません、不躾な言葉を吐きました」
「いや………俺も悪かった。その………やっぱり心配でな」
お互いに謝罪するものの、暗澹とした空気が2人の間を流れる。
いや2人だけではない、未だ帰還しない特攻部隊を案じて、拠点全体に陰鬱な空気が流れていた。
「まあまあ、2人とも。あのブルー殿のことです。
ひょっとしたらオークの集落を見つけて、偵察ついでに壊滅させているのかもしれませんよ?」
チェスナットがそんな空気を取り去るように、務めて明るい声音で軽口を言う。
ヴァイスもその言葉に乗るように、あえて明るく答える。
「そ、そうですね! まったく、ブルーには困ったものです!」
そんな乾いた言葉を発した時、オークの森からトボトボと出てくる一団の姿がヴァイスの目に映った。
「!!」
ヴァイスは無言で見張り台から飛び降りる。
「ヴァイス殿!?」
チェスナットの驚いた声を無視し、ヴァイスは目に映った一団へと走り出した。
拠点から数百メートル、影しか見えなかった、一団の姿が徐々に明瞭になっていく。
「ブルー!!」
ヴァイスは一団の先頭に、懸念していたブルーの姿を見つけ出し、彼の元へと駆け寄る。
しかしブルーは、普段の彼からは想像も出来ないような精彩を欠いた表情で前を見つめ、ヴァイスの存在に気付かない。
「ブルー………どうしたのですか……?
酷い怪我ではないですか………?」
間近で見たブルーの姿はひどい有様であった。
利き腕はあらぬ方向へ折れ曲がり、口元には吐血したと思われる血が乾いてこびりついている。
身に纏った甲冑はみずぼらしく砕け、体のあちらこちらに血糊が付着していた。
そしてその目は焦点が合っておらず、虚無を映しているかのように濁っている。
早朝、拠点を出立したときとは、あまりに異なるその痛ましい姿に、ヴァイスは言葉を失ってしまった。
「ブ、ブルー………?」
「……………ああ、お前か」
ブルーの肩を抱き、震える声でヴァイスが問いかけた時、ようやく彼は彼女の存在に気付いたようであった。
「何とか、帰ってこれた………みたいだな」
その言葉を最後に、ブルーは意識を失い、ヴァイスにもたれかかるように倒れる。
ヴァイスはブルーの体を抱きかかえ、彼の背後にいる団員たちへ声を掛ける。
「彼は………どうしたのですか? あの森で、何があったのですか?」
「すいません、ヴァイス隊長。任務は………失敗しました」
「そう………ですか」
ヴァイスは呆然と答えると、ブルーを抱えたまま、オークの潜む森へ目を向ける。
森は変わらず、深く、暗く、そして陰惨とした空気を放っていた。
◇
プリムラは夢を見た。
ひどく懐かしく、そして儚い、そんな昔の夢だ。
夢の中の彼女は妊娠していた。
オークたちからの絶え間ない陵辱によって宿った、望まれない子供。
自分の膨らんだ腹にどれほど嫌悪しただろう。
どれほど憎らしいと思っただろう。
それでも、プリムラが妊娠したと判明した途端、オークたちからの待遇は大きく変化した。
まず、誰も彼女との交尾―――強姦をしに来ることが無くなった。
これはプリムラにとって実に僥倖である。
また、彼女に渡される食事もこれまでと違い、豪華な物へと変わった。
オークの主食である肉、希少な果物、どうやって取ってきたのか知らないが魚まで渡されることがあった。
要するに、オークたちにとって性交とは、欲望や欲求によるものでは無く、子孫を残すため、群れを大きくして勢力を拡大するためだけの行為に過ぎないのだろう。
オーク族、彼らに愛は無い。
愛、という物を彼らは知らない、持たない、認識できない。
だからこそ、こんな下衆で凄惨なことが出来るだろうと、その時プリムラは思っていた。
いいだろう。
そんなに子供が………勢力を広げるための駒が欲しいのなら。
この子が生まれた時、奴らの目の前で殺してやるのだ。
残虐に凄惨に、引き裂いて、殺してやる。
その結果、自分が殺されることになろうと知ったものか。
こんな人生に何の意味がある。
プリムラは膨らんでいく自分の腹を撫でながら、そんな悲壮な決意を固めていた。
もっとも、当時のプリムラは知らなかったことであるが
オーク族は母体が子供を殺したところで頓着しない。
母の殺意から逃れることが出来なかった、脆弱な固体であったと思うだけだ。
それがオークの最初の試練、乗り越えるべき選定。
子供はまた母体に孕ませればいい。
それだけのことなのだ。
程なくして行われた出産。
それは身を切るように肌寒い冬の日のこと。
周りに誰もいない、1人きりの出産だった。
永劫と続くかと思われた苦痛の先に、彼女にとって呪わしい一匹の赤子が生まれる。
その赤子は泣かなかった。
その赤子は動かなかった。
その赤子はあまりに脆弱だった。
そして、その赤子は醜悪な外見の化け物で………母親譲りの雪のように白い体毛を持っていた。
プリムラは赤子に近づいてすぐ、この化け物の命が尽き掛けていることに気付く。
羊水が喉につまり、窒息状態に陥っていたのだ。
死に欠けている赤子の化け物を、プリムラは冷めた目で見下ろす。
この手で殺してやりたかったのに………。
勝手に死にそうになっている。
自分の体の弱さが、この子にも受け継がれたのか。
自分の体はこんな時でさえ、私を裏切るのか。
そんなことを思いながら、プリムラは赤子を見つめる。
赤子の閉じかけた目からは、微かに紅い瞳が覗いていた。
それは、彼女と同じ紅い瞳。
呪われた、忌み子の印。
破滅を呼ぶ者が持つ刻印。
その時、彼女は何を思ったのだろう、今になってもプリムラにはわからない。
ただ、彼女は赤子の口に自らの口を当てると、喉に詰まった羊水を必死で吸い出した。
それはもう、ただただ、必死に。
何度も何度も、プリムラは赤子の口から、鼻から、詰まった羊水を吸出しては外に吐き出し、また吸い出すという作業を繰り返す。
何度繰り返したかわからなくなったころ………喉に詰まった羊水が吸い除かれ、赤子が小さな産声を上げる。
良かった。
本当に………良かった。
プリムラは安堵する、どういう訳か、安堵する。
そして、彼女は寒さに震える赤子を両手で触れると。
己の胸に抱きしめ、ゆっくりと揺らす。
そんなプリムラに対して、赤子が唇を歪ませる。
それは、微笑みというにはあまりに歪な、不器用な笑顔。
彼女が生まれて初めて、もらった笑い顔。
途端に、プリムラの目から大粒の涙がとめどなく流れる。
何で自分が泣いているのか、彼女にはわからない。
ただ、その涙は温かくて、決して悲しみから流れているものではない、ということだけはわかっていた。
「あ゛ー」
赤子はプリムラの胸に抱きしめられたまま、紅い瞳を窓の方へと向ける。
「どうしたの?」
プリムラがつられるように、窓の外へと目を向けると―――
窓の外に、白い小さな粒がちらちらと映っていた。
それは純白の雪。
今年初めての、初雪だった。
その白色は、自分が抱いている赤子と同じように真っ白で………
プリムラは何故かうれしくなって、せつなくなって。
赤子と共に窓の外を見つめ続けた。
いつまでも………こんな時間が続けばいい。
その時、プリムラは確かにそう思ったのだ。
◇
同じころ―――
プリムラは粗末な藁の上に羽毛の毛布を掛けて眠っている。
そんな彼女の部屋の中でガリガリ、と木を削る小さな音が響いていた。
その音はしばらく続いた後、メキメキという木の裂ける音に変質する。
そして、部屋の壁、となりの部屋との仕切りに小さな拳ほどの穴が開く。
穴の先には、菖蒲色の瞳が覗いていた。
「ふーん」
菖蒲色の瞳の持ち主である、エルフは隣の部屋を覗き込んでつまらなそうな声を上げる。
「あの、白いオークの母親がいるっていうから、苦労して穴まで開けたのに………」
エルフは穴を開けるために使った金属片―――オークが彼女の元へ交尾をしにきた際、掠め取ったものだ―――を放り捨て、ため息をついた。
「幸せそうな顔をして、寝ていらっしゃる」




