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孤得集 ――届かなかった人たち

逆向きの人

作者: FU
掲載日:2026/05/10

透が初めて「逆ページ」というサイトを見つけたのは、とても寒い夜だった。


その日、彼は部屋をきれいに片づけていた。床を拭き、机を拭き、流しには皿を残さず、ゴミ袋も口を縛って玄関に置いた。冷蔵庫に残っていた半分ほどの牛乳まで捨てた。数日後に酸っぱくなるのが嫌だったからだ。


すべて終えると、彼はパソコンの前に座り、急に何をすればいいのか分からなくなった。


窓の外では風が吹いていた。隙間から入り込む音は、遠くで誰かが低く話しているようだった。画面は明るく、ブラウザには散らかったページがいくつも開いていた。彼は一つずつ閉じていった。最後に残ったのは、いつ開いたのか覚えていない古いサイトだった。


サイトの名前は「逆ページ」。


ページはとても簡素だった。十年前からインターネットの片隅に忘れられたもののように、推薦も、ランキングも、いいねの数もなかった。ただブログのタイトルが一列に並んでいた。


いちばん上の記事のタイトルは、


『まだ電気を消せない人へ』


透はなぜか、それをクリックした。


文章は短かった。


書き手は、ある雨の夜、朝まで座っていたことがある、と書いていた。何があったのかは書かれていない。ただ、窓辺に座っていたこと。やかんに水がなかったこと。スマホの充電が切れていたこと。外では雨が降り続いていたこと。そして夜が明けてから、彼女は下へ降り、コンビニに入ったこと。


店員が聞いた。


「おにぎり、温めますか」


彼女は書いていた。


> そのとき、急に泣いてしまった。

> あの言葉はとても小さかった。誰も救えないくらい小さかった。

> でも、世界がまだ私を完全には外に出していない気がした。

>

> もし今夜どうしたらいいか分からないなら、まだ決めないでください。

> 顔を洗って、水を飲んで、明日の朝まで灯りをつけておいてください。

> 明日の朝になってから考えればいい。


透は読み終えてから、マウスに置いた指を長いあいだ動かさなかった。


大きな道理に打たれたわけではなかった。


急に人生が明るく見えたわけでもない。


ただ、ふと水が飲みたくなった。


彼は立ち上がり、台所へ行って水を一杯くんだ。水は冷たかった。彼はそれをゆっくり飲んだ。どうでもいいけれど、しなければならないことをひとつ果たすように。


水を飲み終えても、彼は電気を消さなかった。


翌朝、彼はまだ生きていた。


そのことは後に彼の人生を変えることになるのだが、そのときはごく普通の出来事に見えた。三十歳の男が、夜明け前に一つの文章を読み、水を一杯飲み、灯りを朝まで残しただけのことだった。


彼は、その人の文章をもっと読みたいと思った。


プロフィールページへ行くと、画面に一行の案内が出た。


> 現在のアカウントレベル:0

> 閲覧可能アーカイブ:直近一年分

> 次の年度アーカイブ解放まで、364日23時間。

>

> 人の過去は、ゆっくり読むしかありません。


透は固まった。


登録し直し、更新し、別のブラウザで開き、掲示板で検索までした。後になって、「逆ページ」とはそういう奇妙なサイトなのだと知った。すべてのブログは最新年度から表示され、アカウントを一年使い続けるごとに、そのブログのさらに一年前の記事が解放される。課金はできない。権限は買えない。メッセージも送れない。コメントもできない。


ただ、待つしかない。


彼はパソコンの前に座り、「364日23時間」という表示を見つめた。初めて、一年後にやることができた気がした。


書き手のプロフィールは退会済みだった。


アイコンはない。性別もない。文字だけだった。けれど透は直近一年分の記事を読み終えるころ、なんとなく彼女は女性だと思うようになっていた。


彼女は三十二歳だった。


少なくとも、文章の中ではそう書かれていた。


仕事のこと、部屋探しのこと、歯の痛みのこと、階下のコンビニの店員が変わったこと、一人でご飯を食べるとき、つい箸を二膳取ってしまう癖のこと。彼女の文章は華やかではなかった。けれどとても具体的で、どこかの街で本当に生きている人の気配がした。


透はその一年分の記事を何度も読んだ。


その後、彼は働き始めた。


急に前向きになったからではない。家賃は相変わらず払わなければならなかったし、電話は鳴るし、銀行は彼が一つ良い文章を読んだからといって支払いを免除してくれたりしない。友人が、小さいが安定した会社の仕事を紹介してくれた。


入社初日、透は安藤千尋に出会った。


千尋は同じチームの先輩で、透より二年早く入社していた。彼女は業務の流れを教え、コピー機は二段目のトレイでよく紙詰まりを起こすこと、コーヒーマシンの左のボタンは壊れていること、水曜の定例会議はたいてい時間通りに終わらないこと、顧客が「検討します」と言ったときは、ほぼ断っているという意味だということを教えてくれた。


彼女は話すのが速かったが、人を緊張させなかった。笑うと目尻が少し下がる。先に言葉を柔らかくしてから相手に渡すような人だった。


透は最初、うまく返事ができなかった。


人と普通に接することから、長く離れていた。誰かに「ご飯食べた?」と聞かれると、それがただの挨拶なのか、誘いなのか、話題の始まりなのかを考えてしまう。千尋は彼が考え終わるのを待たず、資料を机に置いて言った。


「まずこれ読んで。分からなかったら聞いて。聞かなくても、私が分かったか聞きに来るから」


透は言った。


「ありがとうございます」


千尋は笑った。


「そんなにかしこまらなくていいよ。新入社員の教育係みたいになっちゃう」


透はうなずいた。


少しして、また言った。


「ありがとうございます」


千尋は彼を見て、笑った。


「はいはい、新入社員」


その一年、透は少しずつ、張り詰めた紙のような状態から、どうにか折りたたんでポケットに入れられる人間に戻っていった。


時間通りに出社し、時間通りに食事をし、時間通りに返信した。ときどき同僚と一緒に下の階へコーヒーを買いに行くこともあった。千尋はよく彼の隣を歩き、スマホで予定を確認しながら言った。


「いつもパソコンの後ろに隠れてちゃ駄目だよ。人間は表だけで生きられないんだから」


透は言った。


「ブログでは生きられます」


千尋は顔を上げた。


「何のブログ?」


透は説明しなかった。


まだ、その人の話を誰かにする準備ができていなかった。


一年目の解放日、透は半休を取った。


午前零時を過ぎ、ページを更新した。


彼女の三十一歳の記事が開いた。


その年、彼女は「青葉食堂」という小さな店について書いていた。炒飯は塩辛く、店主は記憶力が悪く、小盛りを頼むと大盛りが出てくる。けれど失業後のある午後、そこで一杯のご飯を食べ終えたとき、自分はまだ完全には壊れていないと思えた、と。


最後にはこうあった。


> おいしくないご飯もある。

> でもそれは、あなたを座らせて、ゆっくり自分を身体の中へ戻してくれる。

> だから私はそれを許す。


週末、透は二時間電車に乗って青葉食堂へ行った。


店はまだあった。古い暖簾がかかり、店主の髪は白くなっていて、確かに記憶力はあまりよくなさそうだった。透は炒飯の小盛りを頼み、結局、大盛りが運ばれてきた。


本当に塩辛かった。


透は真剣に食べた。


途中で、彼女もかつてここに座ったのだと思った。窓際だったかもしれない。隅の席だったかもしれない。黒いコートを着ていたかもしれない。化粧をしていなかったかもしれない。食べ終わったあと、目元を少し拭ったかもしれない。


ばかげていることは分かっていた。


それでもその瞬間、彼女に少し近づいた気がした。


月曜日、千尋が聞いた。


「半休どこ行ってたの?」


「ご飯を食べに」


「何の?」


「炒飯」


「おいしかった?」


透は考えてから言った。


「かなり塩辛かったです」


千尋は笑った。


「じゃあ何しに行ったの」


「それが存在していることを確かめに」


千尋はよく分からない顔をしたが、追及はしなかった。


ただ自分の買ったお菓子を彼の方へ押し出した。


「じゃあ今日は薄味のもの食べな」


二年目、彼女の三十歳の記事が開いた。


その年、彼女は引っ越しのこと、仕事がうまくいかないこと、一度失敗したお見合いのことを書いていた。あるカフェについても書いていた。窓が一本の木に面している店。彼女はそこで長く座り、ようやくこう書けた。


> もう誰の機嫌も取りたくない。

> 少なくとも今日は。


透は住所を頼りに探しに行った。


カフェはなくなっていた。


元の店舗はスマホ修理店になっていた。あの木も切られていて、丸い植え込み跡だけが残っていた。


透は店の前に立ち、長いあいだ動かなかった。


千尋から電話がかかってきたときも、彼はそこに立っていた。


「お客さんの資料、どこに置いた?」


「デスクトップです」


「どのフォルダ?」


「案件」


「あなたのデスクトップに『案件』が七つあるんだけど」


透は黙った。


千尋は何かを察した。


「どこにいるの?」


「ある場所です」


「また場所に会いに行ってるの?」


「なくなっていました」


電話の向こうが少し静かになった。


千尋は言った。


「近くにご飯食べられるところある?」


「あります」


「まず食べて」


「お腹空いてません」


「食べてからしんみりして」


結局、透は近くのワンタンの店に入った。


ワンタンはおいしかった。


スープも温かかった。


でもその日、彼が覚えていたのは、消えたカフェの方だった。


あとになってそのことを思い出すたび、彼は当時の自分を愚かだったと思った。


現実は温かい一杯をくれていたのに、彼はもうない窓のことばかり悲しんでいた。


三年目、彼女の二十九歳の記事が開いた。


それは彼女が失恋した年だった。


文章は少なかったが、一篇一篇が息を殺しているようだった。


一緒に買ったカップが一つ割れたこと。

仕事帰りにスーパーを通り、相手が好きだった洗剤の前で長く立ち止まったこと。

チャット履歴を消したあとも、いくつもの言葉を覚えていること。

ある日曜日、二人の写真を額縁から外すと、裏側に埃が溜まっていたこと。


彼女は相手を責めていなかった。


自分の痛みを大げさに書いてもいなかった。


ただ、こう書いていた。


> 人を失うことでいちばん難しいのは、その人が去ったことではない。

> その人の、もう存在しない部分とまだ暮らしていることだ。


透はこの文章を何度も読んだ。


明け方まで読み、目の奥が痛くなった。自分は彼女を理解していると思った。彼女のもとを去った男よりも、自分の方が彼女を理解しているとさえ思った。


自分は彼女を愛しているのだ、と彼は信じ始めた。


文章が好きなのではない。感謝でもない。愛なのだ、と。


同じころ、千尋との距離は少しずつ近くなっていた。


二人で顧客先へ行き、深夜まで残業し、コンビニの前でおでんを食べた。千尋は大根とつみれが好きで、甘すぎる出汁が嫌いだった。食べるときの彼女はとても真剣で、自分をきちんと世話しているように見えた。


ある夜、終電を待つホームで、風が強かった。千尋はマフラーを上まで引き上げ、ふと聞いた。


「透くんって、ずっと誰かを待ってるみたいな顔してるよね」


透は言った。


「そんなことありません」


千尋は言った。


「そう言うとき、誰かの秘密を守ってる顔になる」


透はうつむいて少し笑った。


千尋は彼を見た。


「あのブログ?」


透は驚いた。


千尋は言った。


「言ってないつもりかもしれないけど、けっこう話してるよ。青葉食堂とか、なくなったカフェとか、逆に読んでいく文章とか。そういう話をするとき、いつもと少し違う」


透はどう説明すればいいか分からなかった。


千尋は彼を追い詰めなかった。


ただ、こう言った。


「一つの文章に救われるって、いいことだと思う」


透は彼女を見た。


千尋は笑った。


「そんな顔しないで。からかってるわけじゃない」


「じゃあ、どうして」


「あなた、ときどき自分をその人に借りているみたいに見えるから」


その言葉は、透の胸にとても軽く落ち、けれど消えなかった。


彼は家に帰り、また失恋の記事を開いた。


「その人の、もう存在しない部分とまだ暮らしている」という一文を読んだとき、急にその先を読むのが怖くなった。


それでも、最後まで読んだ。


四年目、彼女は二十八歳だった。彼女は新しい会社に入り、上司によく叱られていた。階段の踊り場でパンを食べながら、そのパンが使い終わっていない消しゴムのように乾いていた、と書いていた。


透はその年、昇進した。


千尋は彼以上に喜んだ。


小さなケーキを買ってきて、「おめでとう」と言った。


透は言った。


「ただ運がよかっただけです」


千尋は言った。


「たまには自分がちゃんとやったって認めたら?」


透は言った。


「分かりました。今日はたまに認めます」


千尋は嬉しそうに笑った。


その夜、透は彼女が階段の踊り場でパンを食べた記事を読みながら、千尋もかつて顧客との会議のあと、彼と一緒に階段に座っていたことを思い出した。あのとき、彼は初めて顧客に大勢の前で提案を否定され、ひどい顔をしていた。千尋はチョコを差し出して言った。


「すぐに自分が終わったと思わなくていいよ。終わるときって、普通そんなに早く来ないから」


彼はそのとき笑った。


あとでその言葉をメモに残したのに、それもまた救援だったことには気づいていなかった。


五年目、彼女は二十六歳だった。借りた部屋に引っ越し、スーツケースを開けると教科書、古い手紙、捨てられない映画の半券が床いっぱいに散らばった、と書いていた。


透と千尋が顧客先を出たのは、雨の上がった夜だった。


街灯は黄色く、地面には水の光があった。夜の街は少し柔らかく見え、高層ビルのガラスもそれほど冷たくなかった。


二人は道を歩いた。どちらもすぐにタクシーを呼ぼうとはしなかった。


千尋がふいに言った。


「透くん、私、あなたのことが好き」


透は足を止めた。


千尋も止まった。


彼女は笑わず、うつむきもせず、ただ彼を見ていた。


「言わないでおこうと思ったこともある。でも、言わないことがそんなに賢いことだとも思えなくなった。すぐに答えなくていいし、困らなくていい」


透は長く黙った。


そして言った。


「すみません」


千尋はうなずいた。準備していたみたいだった。


「その人のせい?」


透は答えなかった。


千尋は尋ねた。


「会ったことあるの?」


透は首を振った。


「その人は、あなたが好きだって知ってるの?」


透はまた首を振った。


千尋は雨上がりの路面を見て、少し笑った。


「じゃあ、その人は安全だね」


透は顔を上げた。


「どういう意味ですか」


「拒まない。期待を裏切らない。急に変なことを言わない。年を取らない。疲れない。あなたに世話を求めない。ちょうどいい位置に、ずっと置いておける」


彼女の声は穏やかだった。とがってもいなかったし、責めてもいなかった。


それでも透は、逃げ場がないように感じた。


千尋は言った。


「その人が悪いって言ってるんじゃないよ。その人の言葉があなたを救った。それは大事なこと。私は違う」


彼女はそこで、先に少し笑った。


悲しそうな笑いだった。


「生きてる人間は、面倒くさいから。期待するし、引っ込むし、答えを待つし、がっかりもする」


透は言った。


「すみません」


千尋はうなずいた。


「分かってる」


彼女はタクシーを呼んだ。


車が来るまで、二人は道端に立っていた。まるで二本の道がここで分かれる、その分岐点に立っているみたいだった。


車のライトが近づいたとき、千尋は言った。


「私に借りがあるとか思わなくていいから」


透は言った。


「あります」


千尋は彼を見た。目に少し光があったが、声は変わらず落ち着いていた。


「じゃあ、ちゃんと生きて。自分を誰かの記念品みたいにしないで」


ドアが閉まった。


透はその場に立ったまま、車が遠ざかるのを見ていた。


それからも、二人は同僚だった。


千尋は彼を避けなかったし、わざと冷たくもしなかった。仕事ではこれまで通り注意してくれ、会議前には資料を送ってくれた。ただ、退勤後に一緒にご飯を食べるか聞くことはなくなり、夜道で二人きりでなければ出てこないような話もしなくなった。


彼女は自分の好意を引き上げた。


とても礼儀正しく。


そして完全に。


透はブログを読み続けた。


六年目、彼女は二十二歳で、大学を卒業していた。人生は自動的によくなっていくわけではないと初めて気づいた、と書いていた。七年目、二十歳の彼女は誰かに片思いをしていて、相手から返事が来ないことを書いていた。八年目、十八歳の彼女は受験後の夏休み、海辺に立ち、世界は広いのに自分がどこへ行けばいいのか分からないと書いていた。


彼女は、透の読書の中でどんどん若くなっていった。


一方、透は三十七歳になっていた。


彼はだんだん、彼女を恋愛の対象として読めなくなっていった。


二十歳の彼女を読むと、妹を見るような気持ちになった。


十八歳の彼女を読むと、夜に一人で遠くへ行かないように、誰かをすぐに信じすぎないように、返事をくれない人のせいで自分を疑わないように、と心配さえした。


その変化は彼を恥ずかしくさせた。


かつて彼は彼女を運命だと思っていた。


けれど彼女もまた、つまずきながら大人になっていった一人の人間にすぎなかった。


文字を書いて、自分を救おうとしていた人。


彼を救うために書いたのではない。


彼に愛されるために書いたのでもない。


彼女はあの記事を書いていたとき、何年も後に一人の男が彼女の人生を一年ずつ逆に読み、自分の方向だと思い込むことなど知らなかった。


それは彼女の罪ではない。


もちろん、完全に彼の罪でもない。


人はときどき、一本のロープをつかむ。


長くつかみすぎると、そのロープが本来は水から引き上げるためのものであって、一生岸に縛りつけるためのものではないことを忘れてしまう。


千尋はその後、恋人ができた。


昼休み、週末の予定の話になったとき、彼女は笑って「彼のご両親に会う」と言った。


透はそれを聞き、箸を止めた。


すぐに目を落とし、料理を取った。


千尋は気づいていたが、何も言わなかった。


恋人は後に、会社まで彼女を迎えに来たことがある。ごく普通の人だった。薄い色のシャツを着て、眼鏡をかけ、笑うと少し照れたような顔になる。彼は千尋のパソコンバッグを自然に受け取り、「今日疲れた?」と聞いた。


千尋は言った。


「まあまあ」


彼は言った。


「じゃあ、とりあえずご飯食べよう」


ただそれだけの言葉だった。


とても普通だった。


透は会社の入り口に立ち、二人が並んで遠ざかるのを見ながら、何年も前、千尋が電話越しに「まず食べて」と言ったことを思い出した。


ある種の優しさは、ずっと同じ形をしている。


ただ昔の彼には、それが見えていなかった。


千尋の結婚式に、透は出席した。


式は大きくないホテルで行われた。装飾は簡素で、花も多くはなかったが、温かかった。千尋は白いドレスを着て髪をまとめ、きれいに笑っていた。入場したとき、新郎はずっと彼女を見ていた。まるで人の群れの中に、彼女だけが残っているかのように。


透は同僚の席に座った。


皆が笑い、料理を食べ、写真を撮り、はやし立てた。


彼も笑った。


千尋が挨拶に来た。


「来てくれてありがとう」


「当然です」


千尋は彼を見た。


「最近どう?」


「元気です」


「まだ、あのサイト見てる?」


透は少し間を置いた。


「たまに」


千尋はうなずいた。


「そっか。ゆっくりでいいよ」


それ以上は言わなかった。


彼女が去ろうとしたとき、透はふいに呼んだ。


「安藤さん」


彼女は振り向いた。


透は言った。


「あの夜は、すみませんでした」


千尋は静かに彼を見た。


しばらくして、笑った。


「その日はもう謝ったよ」


「分かっています。でもあのとき、僕は何に謝っているのか、まだ分かっていなかったと思います」


千尋はグラスを持ったまま、目元を少し柔らかくした。


「今は分かった?」


「少し」


「それで十分」


彼女は新郎のもとへ戻った。


ライトが彼女の肩に落ちていた。透は急に泣きたくなった。


自分でも理由は分からなかった。


彼女を拒んだのは自分だった。自分が愛しているのは別の人だと、ずっと言い聞かせていた。今、彼女が幸せなら、祝福するべきだった。


それでも涙は落ちた。


彼はうつむいて拭った。


隣の同僚が聞いた。


「どうしたの?」


透は言った。


「料理が少し辛くて」


同僚は皿の上の白身魚の蒸し物を見て、黙った。


その夜、透は家に戻り、パソコンを開いた。


「逆ページ」はちょうど新しい年を解放していた。


彼女の十七歳の記事が開いた。


いちばん上の記事のタイトルは、


『私はこれから誰に会うのだろう』


透は開いた。


文章は短かった。若くて、少し不器用だった。


彼女は、高校の放課後、一人で教室に座り、窓の外が少しずつ暗くなるのを見ていたと書いていた。これからどこへ行くのか分からない。自分の本当の姿を好きになってくれる人に会えるのかも分からない。たくさんの人に理解されたいわけではない。ただ未来のいつか、もし自分がつらいとき、あまり長く待たせない人がいてほしい、と。


最後の一文は、こうだった。


> もし私が「大丈夫」と言ったら、その人にはすぐ信じないでほしい。

> もう一度だけ、聞いてほしい。


透は画面を見つめた。


部屋は静かだった。


その瞬間、多くの年が重なった。


千尋がコンビニの電話越しに、食べたかと聞いている。


千尋が雨の夜、「私はただの生きている人間だから」と言っている。


千尋が結婚式で、「ゆっくりでいいよ」と言っている。


そして昔の自分が、ある夜明け前に、「明日の朝になってから考えればいい」という言葉にすがって生き延びている。


彼はようやく分かった。


透はパソコンを閉じた。


次の記事は読まなかった。


数日後、彼はブックマークに入れていたリンクも削除した。


削除する前、最初に読んだ『まだ電気を消せない人へ』をもう一度開き、長いあいだ見つめた。


そして言った。


「ありがとう」


誰も返事をしなかった。


それでよかった。


本当に人を救ったものは、ときどき、自分が誰を救ったのか知らなくていい。


透はその後、会社を辞めた。


すぐに遠くへ行ったわけでも、何か驚くような決断をしたわけでもない。ただ、そろそろ別の生き方をしてみるべきだと思った。文章を追いかけるためでも、誰かから逃げるためでもなく、自分の足で少し歩いてみたかった。


退職前、千尋と昼食を取った。


彼女は妊娠していて、少し疲れやすそうだった。それでも相変わらず、言葉を先に柔らかくしてから人に渡すように話した。


「本当に辞めるんだ」


「はい」


「次は決まってる?」


「まだです」


「無謀だね」


「少し」


千尋は笑った。


「でも前より顔が人間っぽい」


透も笑った。


「前は何だったんですか」


「誰かのあとがき」


彼はしばらく黙った。


そしてうなずいた。


「たぶん、そうでした」


千尋はお茶を一口飲んだ。


「連絡、しなくてもいいよ」


透は彼女を見た。


千尋は言った。


「冷たく言ってるんじゃなくて。もう、無理につながっていなくてもいいと思う。あなたはあなたの生活をして、私は私の生活をする。それで、どこかで思い出せたら、それでいい」


彼女は少し考えてから、付け加えた。


「でも、本当に連絡したい日があったら、連絡してもいい」


透は言った。


「はい」


今回は、その言葉を信じることができた。


それが何かを保証していたからではない。


何も求めていなかったからだ。


のちに千尋のもとへ、一枚の絵はがきが届いた。


差出人住所はなかった。


表には、とても普通の通りが描かれていた。裏の文章は短かった。


> 青葉食堂があった通りへ行きました。

> 店はまだありました。店主は代わっていて、牛丼はやっぱり少し塩辛かったです。

> 隣に新しいラーメン屋ができていたので、それも食べました。

> おいしかったです。

>

> 今回は、向かいに誰かが座っている想像をしませんでした。

>

> どうやら僕は、ようやく自分の生活を始めたみたいです。

>

> 透


千尋は読み終えると、はがきを引き出しにしまった。


返信はしなかった。


その後、会社で透の名前が出ることは少なくなった。


南へ行ったらしいと言う人がいた。

海辺にいるらしいと言う人がいた。

業界を変えたと言う人がいた。

どこかの小さな街の古本屋で、彼に似た人を見たと言う人もいた。


本当のところ、彼がどこにいるのかは誰も知らなかった。


けれど千尋は、ときどきあの絵はがきを思い出した。


一つのブログを人生の方向だと思っていた人が、ある普通の午後に、普通のラーメンを食べ終え、それを過去にも遠くの誰かにも捧げなかったことを思い出した。


それは、とてもよいことだと思った。


人は、一生誰かに救われ続けなくてもいい。


ある瞬間に引き止められ、何年もたってから手を離し、また前へ歩けるなら、それだけで十分よいことなのだ。


「逆ページ」は、今もインターネットのどこかにある。


彼女の記事を今も読む人がいるのかは分からない。

「明日の朝になってから考えればいい」という一文で、灯りを朝まで残す人がいるのかも分からない。

彼女本人がその後どこへ行ったのかも分からない。


結婚したのかもしれない。

街を変えたのかもしれない。

自分があんな文章を書いたことさえ、もう忘れているのかもしれない。

いつか十七歳の自分の記事を読み返して、若かったなと少し笑うのかもしれない。


時間は、誰に対しても公平で、そして不公平だ。


透はかつて、一人の人の過去をたどって、長いあいだ逆向きに歩いた。


最後まで歩いて、ようやく気づいた。


自分が本当に行くべき場所は、彼女の文章の終わりにはなかったのだと。


彼はその後、「逆ページ」にログインすることはなかった。


けれど、ある夕方。


見知らぬ街の小さな麺屋で、窓の外を自転車が通り、子どもたちが下校し、店員が「ねぎ入れますか」と聞いた。


彼は少し考えて、言った。


「お願いします」


麺が運ばれてきて、彼はまずスープを一口飲んだ。


少し、塩辛かった。


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