【聖女の育成って何ですか?】後編
私は一週間、ゆったりと休み休み聖女の勉強を午前中に済ました後、いつものリハビリ散歩に出掛けた。
今日は月石の塔の赤毛ちゃんの姿は見えなかったが、マテオGの温室にはルベンが噴水の前で仁王立ちしていた。
私は面倒臭いので、Uターンしてバラ園に向かおうとした。
「待てい!」
「あら? ルベン様、いらしたのですか? 気が付きませんでした」
「嘘をつけ・・・今、ワザと気が付かないフリをしただろう?」
「さあ?」
にっこりと上品な笑顔で、首を傾げて見せた。
「・・・・・・・・・」
おうふっ! 魔王ルベン様がじっとりと疑いの眼で私を睨んでおられる・・・。
しかし、この初夏に暑苦しい長髪野郎だな。
「ミリアン・・・報酬は何が欲しい?」
「ほう・・・しゅう?」
私は再び反対側にコテンと首を傾げる。
「さすがはヒロコ様が選んだ侍女候補だ・・・どんな魔法を使ったのだ?」
「魔法?」
そして再び私は首を傾げる。
「ノエミ様が、正気を取り戻し始めたのだ」
「しょ・・・正気って・・・そんなにひどかったんですか?」
「こちらへ」
魔王ルックスのルベンが、温室の奥の開けた場所に、テーブルとお茶菓子セットを準備していた。
(ふおっ! 超おしゃれ・・・何これ、アフタヌーンティーセット?)
何故かそこには侍女のクレーが控えていた。
「クレー先輩、何故ここに?」
クレーは静かに笑顔をこぼし、私に優しく語った。
「ミリアン、今日はあなたがおもてなしの主役よ? さあ、座って」
「え・・・でも・・・」
「ルベン様はあなたが怯えないようにと、私をご指名されたの」
あ、そういう気遣いをしてくれたんだ魔王・・・て、私の中で何故かルベンの魔王呼びが定着してしまいそうだ。
これはいかんいかん、直さねば!
うっかり心の声が漏れたら一大事だよ!
「では、お言葉に甘えて、座ってもよろしいでしょうか?」
「どうぞ、ノエミ様の心の恩人、ミリアン」
静々と白いテーブルセットの椅子に座り、その向かい側にルベンが座った。
クレーが香りの良いジャスミンティーを淹れてくれたので、それを口にしてお互いにほっと一息ついた。
「ノエミ様のご体調はその後いかがでしょうか?」
「体調というよりは、精神面で参ってしまっているようで、こちらに来てから私の事を“マティアス”、マクシスの事を“アレクシ”、ナトンの事を“リュカ”と言って・・・会話が成立しなかったのだ」
「・・・ノエミ様にはお会いした事はありませんが、見た目よりとても幼い方なのでしょう。きっと異世界召喚のショックで、夢と現実の境目が曖昧になってしまっているようですね」
「その通りだ! そなたからのあのメッセージを半信半疑で渡したら、何故か私達をきちんと認識し始めたのだ・・・一体どんな魔法を使ったのだ?」
「あれは、ノエミ様の故郷の言葉です。ヒロコ様から教えて頂きました」
「そうなのか! だからノエミ様が元気になられて・・・」
チロリと私が横目でクレーを見ると、表情はポーカーフェイスを気取っているが、口の端と腹筋がピクピクとしている。
相当笑いをガマンしているようだ。
(スマヌ・・・クレーさん、こんな茶番に付き合わせてしまって!)
「あの・・・つかぬ事をお伺いしますが、ノエミ様は聖女としてこちらの一般常識の勉強はどれぐらいお進みですか? ヒロコ様はお体が弱く、少しずつしか進められていない状況なのですが」
ティーカップを持つルベンの指が、ピクリとだけ反応した。
どうやら答えたくないぐらい、西の聖女の育成は進んでいないらしい。
「そうですか、確かにヒロコ様はノエミ様に比べてお体も小さいですし、来たばかりに召喚士を介抱し・・・倒れられて三日以上床に臥っていたとお聞きしました」
(ウツ症状が出ちゃって、脱力して起き上がれなかったんですよ~)
「・・・はい、でも、毎日1ミリずつ進んでいますからきっと大丈夫ですよ」
「は? 1ミリ? 一歩ずつではなく?」
「あ、ヒロコ様は一歩進む前に倒れますから、1ミリずつ頑張ってもらってます」
「1ミリ」
「それでも1年間は520日ですから、1年後には確実に520ミリは進めます!」
「520ミリ」
「欲張って無理して進むと・・・倒れて休養が多く必要になってしまいますもの」
「いい事言った!」と自負しながら、美味しいマカロンをバクバク食べていた。
もうひとつ・・・と、マカロンに手を伸ばそうとしたら、クレーに「ペチッ」と、右手を叩かれた。
彼女の顔を見ると「食べすぎ!」と、書いてある様だった。
「本当は、今日ここへお連れしたかったのですが、どうもフラフラとして危なっかしてくて・・・」
「うん、その症状だと・・・まだ私とは会わない方がいいかもしれませんね。まだ、夢と現実の境目が不安定・・・」
クレーが睨んでいるので、これ以上マカロンのおかわりは無理だとあきらめた。
私は高級ジャスミン茶をひたすら啜る。
「もしかして、ノエミ様って夜はあまり眠れていないんじゃないですか?」
「そう言えば・・・昼寝はちょくちょくしてますが・・・」
「夜は不安で寂しくて眠れてないのかも」
「不安? 寂しい? なぜ・・・隣室には私も警備の者も控えてますし・・・」
あちゃ~! と、私は手で目を覆った。
「ノエミ様の食欲は」
「少食です・・・ほとんど飲み物しか受け付けず、今は私が“調合の才”で栄養満点の飲み物で体力的に問題はないかと」
(な、何よそれ!)
「散歩とかは?」
「部屋に閉じ籠りっきりです」
(おい、それ・・・アカンやつ!)
「とりあえず最近は、ちゃんとみんなを正しい名前で呼ぶようになったのですね?」
「はい・・・」
「ノエミ様の世話係はルベン様以外に決まっているのですか?」
「今は、確定しているのは私だけです」
「髪色に変化は?」
私は段々と、言葉遣いが素に戻っていくのを感じていた。
「・・・私の忠誠は、まだ受け入れて頂いていません」
「じゃあ、ノエミ様は身も心も独りぼっちじゃないの!!」
私との会話でどんどんと下を向いて行くルベンに、手を差し出した。
ひょんと、彼は顔を上げる。
「あの・・・何でしょうか?」
「手紙をよこせ!」
「な・・・何故それを知っている!」
「なぜ隠す! 解読できないから? 私が敵国のスパイだと疑っているから? 声を上げて読んであげるわよ! 文句ある?」
「・・・・・・・・・」
図星を突かれたルベンが悔しそうに、懐から手紙を出した。
かわいいハート型に折りたたんである。
私は遠慮なく、素早くそれをルベンの手から取り上げた。
ハート型の折り目を崩し、手紙を広げた・・・多分、ルベンはこの形に何か意味があるのだろうと勘ぐって、開けずにいたようだ。
「読むわよ!」
と、意気込んで手紙を開いたが、声を出そうとして開けた唇は・・・そのまま止まり、それよりも私の眼が先に語り始めてしまっていた。
「どうした! なんと書いてある・・・なぜそなたが泣くのだ?」
私は泣いていた・・・ボロボロと両目からたくさん涙をこぼしていた。
「・・・て・・・けてって・・・」
「よく聞こえん! ちゃんと言ってくれ」
ぐしゃりとした顔で、私は叫ぶように声を出した。
「“助けて”―――っ!!」
「え・・・そんな、私は何もノエミ様に危害を食わるような事はしていない!」
「バカじゃないの? 何もしていない? 充分“罪”だわ! どうせノエミの話を理解しようともせず、聞き流して、ノエミの方がおかしいと決めつけて閉じ込めていたんでしょう!?」
「だ、だがノエミ様の話は飛び過ぎていて、私達の理解が追い付かない」
(ダメだ、これはダメだ! 作戦変更だ、緊急出動決定だよ)
私は席を立ち、いつもの温室の噴水に顔を突っ込み、顔を洗った。
すっとクレーが、タオルを差し出した。
「ありがとうクレー」
私はふわふわした心地好いタオルに顔をうずめ、大きなため息を出した。
そして、決意を込めて顔を上げる。
「ミリアン様、ご指示を・・・それとも・・・」
彼女の赤茶の瞳が柘榴石のように輝き始めた。
「今は、“ミリアン”のままで彼女とちゃんと話をしたいの、この姿の方が多分受け入れ易いと思うから」
「かしこまりました。ご一緒いたします」
「うん、ファーストコンタクトは地味めにしないと、みんなに心配かけちゃうもの」
「左様ですね」
クレーはニコリとする。
「ちょっと、そこの腰抜け魔王! 今すぐノエミちゃんに会いに行くわよ! しっかりなさい!」
「ま、魔王だと! なんという事を・・・」
「“マティアス・ルート”はね、ムツノクニを皇帝陛下から奪う為に“魔王”になるのよ!」
「ノエミ様と・・・同じことを・・・なぜ?」
「その質問には答えない、貴方はノエミの話を聞かなかったんだから、私から聞いても意味がないでしょう?」
ルベンに案内されながら、私とクレーは西の聖女の部屋に向かった。
本当はもっと時間をかけたかった・・・彼女と打ち解けるまで、かなり時間がかかると思ったからだ。
私達聖女は“特別な才”がある、お互いにその全貌は理解できてないし、もし派手にぶつかり合うことになれば、回りを巻き込むことは火を見るより明らかだった。
それに・・・もう一人の聖女にとって、私が悪役設定になってしまったら、最悪の事態が起こる。
自分がもしノエミだったらどうだろう?
先に着いた聖女が生命の水を浄化し、自分の力ははっきりせず、お飾りとして城の奥に閉じ込められる。
1人目の聖女は成果をしっかり出して、三人の世話係はすぐに決まり、自分の憧れたアレクシと婚約までしている。
しかも大好きなキャラは自分に向かって“気持ち悪い”とまで言ったのだ。
聖女としての力が感情にまかせて暴走するかもしれないし、「あの聖女のせいで!」と、恨んでしまうかもしてない・・・。
まあ、私は何もかもポイして、城出コースまっしぐらだろうね。
でも、聖女も性格によりけりだろう。
絶望して死んでしまう子もいるかもしれない。
それに、若い少女ならば、城下で生活するという選択は難しいかもしれない。
自分で一度、生活基盤を作り出したことのある私だからこそ、城出の選択ができるのだから――――。
コンコンコン
聖女ノエミが閉じこもっているという寝室を、ルベンがノックしている。
私とクレーは、少し離れた客室で、侍女フォームで姿勢正しく二人並んで美しく立っていた。
そこ大事! どこに諜報部員の眼があるかわかんないからね?
パタパタとした足音が聞こえ、そちらに視線を向けると・・・どっからどうみても、今時の可愛らしいJKがこちらに向かって駆け寄ってきた。
頭がチョコプリンなとこが、まさにJKだよ!
私よりすらっとしていて、背も高くてスタイルもいいし、胸も・・・負けた。
そして、JKノエミは立ち止まらず・・・何故か私に向かって突進してきた。
「ひえ!?」
ノエミは両手を広げて、私を客室のソファーの方へと押し倒してきた。
「いやぁ~ん!! 本当に居た! チュートリアルの幻のミリアン様っ!?」
クレーはきりっとした立ち姿のままで、顔面氷結を決め込んだ。
ルベンは呆然と右手を伸ばしたままのポーズで固まっている。
「お・・・重いっす! ノエミ様、体重かけすぎです! 肋骨折れるから」
「あ~ん! ごめんごめん! もう、うれしくって泣いちゃうよ」
とりあえず、乗っかっている体をずらしてもらい、なし崩し的にソファーで二人並んで座る事となった。
ウルウルと私に縋りつくノエミは、この世界の人間を恨んでいるような様子はない。
私はノエミの頭を撫でて、抱き寄せた。
「ノエミ様は偉いね、がんばったね・・・独りで辛かったでしょう? すぐに貴方のところに来れなくてごめんね」
「うぁ~~ん! ミリアン様ミリアン様ミリアン様あぁぁっ!!」
びーびー泣き、鼻水がずるずるのノエミの状態を見兼ねたクレーが、私に洗い立てのタオルを差し出した。
「あ、ありがとう、クレー・・・」
このタオルは一体どこからいつも出てくるのだろう?
とりあえず、子供のように泣きじゃくるノエミに渡す。
ノエミは柔らかなタオルに顔をうずめ、少し安心したように見えた。
(このままだと、ノエミの目元が腫れちゃうなあ・・・)
「お~い、イスマエルさんや~い!」
「は? ミリアン殿・・・ここからはさすがに東の聖女の区域には声が届かないのでは・・・」
すすっと、クレーは客室の扉に近づき、扉を部屋の内側に開いて見せた。
「呼んだか? ・・・ミリアン」
灰色の髪はオールバック、四角いマジ眼鏡のイスマエル先生が登場した。
「イ・・・イスマエル、いつからそこに?」
心なしかルベンの声が上擦っている。
「早いね? 助かるわ・・・クレー、タオルを渡して」
クレーが一回り小さめの白いタオルを懐から出した。
(ドラ〇〇ん?)
「・・・冷やせばいいのか?」
タオルを渡されたイスマエルは理解が早かった。
いい感じでシャリシャリになったタオルを瞼に乗せ、ノエミは私の膝枕に頭を乗せ、ソファーに横たわり完全にリラックスモードになった。
ほっとした表情になったのは、ルベンだった。
彼も先ほどまで緊張と疲労が張り付いた顔をしていたのだ。
眉間に皺を寄せたイスマエルが、向かい側のソファーでルベンと並んで腰かけた。
「で? 何がどうなってこの状態なのか、説明してもらおうか? ルベン」
まるでゴル〇みたいな睨みを利かせて、イスマエルは唸るような低い声で言った。
(あ、この声好きかも! きゃは!)
私のフトモモの上のノエミも、嬉しそうに口角を上げていた。
(仲間仲間!)
「その・・・ノエミ様は召喚されて以来、ずっと元気がなく、食事もほとんど手を付けない状態で・・・私が悪かったのです、ノエミ様のお話をちゃんと受け止めず、ただ突然の事で錯乱しているだけだろうと思い、落ち着くまでそっとしておこうとしました」
「・・・ヒロコ様も最初はそうだったな」
「そうなのですか?」
「ただ、ヒロコ様の世話係は三人で多少なりとも分担できたし、私の父の協力もあった・・・それに、侍女のクレーも召喚の時からずっとヒロコ様の傍に仕えているので、とても助かっていた。ルベン、そなたも辛かったであろう・・・目の前で自分の大切な聖女が弱っていくのを見るのは・・・」
(たたたたたた・・・大切な聖女っ!)
なんか、背中がムズムズする・・・ドキドキする・・・なんかすごく照れるんですけど?
ナニコレ!?
「イスマエル様、よろしいでしょうか?」
クレーがすっと右手をきれいに上げて見せた。
「なんだ? クレー」
「ヒロコ様は私にとって特別な方です」
「特別?」
イスマエルが眉を顰めた。
「はい、私は以前、神官職にたずさわっておりましたが・・・どいつもこいつも“神に仕える身だ”“この星の意思だ”なんだのと御託や説教ばかりを並べて、助けが必要な人間に手を差し伸べる者は誰一人いませんでした。けれどヒロコ様は違いました!」
(止めてぇ! 本人の前で、なにヲ・・・羞恥プレイ? これは新手の羞恥プレイですかっ!?)
「そうだな、聖女ヒロコは目の前にる相手に、ちゃんと必要な言葉をかけ、自分が倒れるかも知れないのに、か弱く小さな体で他人を懸命に支えようとする方だ・・・」
(小さいは余計! そして私を持ち上げ過ぎ! どこで私を地面に叩き落とすおつもりですか?)
「何がどうなってこの状況なのかは、アタシから説明するわ・・・ルベン、色々ごめんなさい、ちゃんと最初から話すから――――」
落ち着いたノエミは、顔から冷えたタオルを外し、ソファーにきちんと座り直した。
「アタシってば、いつも自分の世界に入っちゃって、相手の身になって言葉を選ばないから、アタマおかしいとか思われてもしょうがないかなって思ってる・・・」
アタシの名前は砂賀コズエ、身長は162センチ、年齢は16歳。
スマホゲームの[ムツノクニ下克上]でのニックネームは“ノエミ”でプレイしていた。
マジで課金しまくりで、お母さんに怒られる事が多かったけど・・・お母さんは私の好きなものは認めてくれてて、今は育ててくれた感謝しかないわ。
課金制度はフルネーム・ニックネーム・パスワードでセットだから、アタシはたまたまその作用でこちら側でも本名を忘れずに済んだみたい。
その[ムツノクニ下克上]がラノベ化して、初回限定のキャラクターポストカードがランダムにオマケで付くって言うんだから、お金のあるOL女子の買い占めバトルは壮絶極まりなかった。
貯めたお小遣いと、バイト代を握りしめて、池袋の大きな書店に電話で在庫確認をして、塾の帰りに買いに走った。
乗用車のスマホの脇見運転で、信号無視のノーブレーキでアタシは軽く吹っ飛んで、対向車の大きなトラックに更にバーンっ・・・よ・・・泣けてくるわ!
運転中は自動車だろうが自転車だろうが、ましてや歩きスマホだって人間の反応速度は死人同然よね?
まったくいやんなっちゃうっ!!
これって、みんなスマホゾンビ状態よね?
それともスマホ画面見ていないと死んじゃう病気なのかしら!
別に、気晴らしでベンチに座ってとか、部屋のベッドに転がって、とかなら全然オッケーなんだけどさ・・・だいたい、人と話しながらスマホ弄ってるなんて失礼じゃない?
アンタなんかスマホとデートしてれば? って感じ!
「すごく嫌な人間関係に疲れた時は、ムツノクニで癒されてたの・・・特に俺様アレクシ様はさ、天使な顔してすっごい意地悪なコト言うけど、動物に好かれまくりだし、結局は一番国民の事を考えて皇帝陛下を下しちゃうところがサイコー・・・ってゴメン、また自分の世界に入りかけてたアタシ!」
召喚時にルベンを世話係として紹介され、翌日に世話係の決まり事の説明を受けたノエミは、迷いなくマクシスを指名したが・・・「気持ち的に無理だから辞退します」の一言で切って捨てられたらしい。
そして、自分を否定されたと思った彼女は心が病んでしまったのだ――――。
ノエミの話を半分も理解できない、ルベン・イスマエル・クレーは、口を開けてポカーンとしていた。
だが、私は先ほどからびしょ濡れのハンカチを握りしめながら号泣している。
「わかる! わかるよ・・・推しキャラは心の拠り所だもんね! それをリアルな立体画像で、自分自身を否定したセリフを浴びせられるなんて! 辛くて耐えられないし、明日への希望も無くなっちゃうよっ!!」
クレーが懐から小さめのタオルを出し、イスマエルに渡し、冷え冷えになったタオルをクレーが確認して受け取り、そっと私に渡した。
既に一連の作業がスムーズに行われるように、システムが確立されているらしい。
そして、廊下から誰かのすすり泣く声が聞こえてきた。
クレーは無言で再び扉を開いた。
マクシスである・・・しかも両膝を抱えているバージョンである。
これはちょっと面倒臭い展開かもしれない。
「ルベン、ここの音響設定は大丈夫か?」
「ああ、聖女と信用ある世話係レベルでしか音は伝わらないが・・・マクシスは“音楽の才”があるからな、どうしても音は拾ってしまうのだろう」
「なるほど、本当に厄介な能力だな、聞きたくない声まで拾ってしまうとは・・・なあ、マクシス?」
イスマエルはソファーから立ち上がり、扉の前に両膝を抱えてうずくまっているマクシスをヒョイと持ち上げ、そのポーズのまま、構わずお誕生席の一人ソファーにポスンと置いた。
(慣れている・・・さすがはイスマエル先生・・・)
クレーは静かに扉を閉め、イスマエルと紅茶を淹れる準備を始めた。
何故か二人とも、この西の聖女の部屋にある茶葉やティーポッドの位置を熟知している。
多分、どちらの聖女にも対応できるようにしっかり教育を施されているのだろう。
冷え冷えのタオルを顔に押し当てていたのを外し、出てきた紅茶を戴いた。
今日は涙をたくさん流したので、水分補給をしておこう。
私の左側に座っているノエミが、硬直したままマクシスを見つめていた。
(ああ、そっか・・・)
「ノエミちゃん・・・これが、あのアレクシ様に見えるのかい?」
「え・・・と・・・」
「この、両膝を抱えて、泣きべそかいて、鼻水もたらして、病的な落ち込みオーラを醸し出す、フリーズモードの超根暗男子が、あの“俺様、超完璧! アレクシ様”に・・・見えるのかい?」
「み、見えません・・・絵面的にこれは在り得ません!」
「でしょう? これってノエミちゃんの世界で何て言ったっけ?」
「こ、これは・・・“残念なイケメン”です!」
「そう・・・これはね、ムツノクニ下克上のアレクシ様ではないのだよ?」
「すごく納得しました! 流石はチュートリアルのミリアン様! 見事なご説明です」
まるで何かに祈りを捧げるように、ノエミは顔の前に両手を組んだ。
「マクシスさんや?」
ビクリと、私の声にマクシスが反応した。
「あ・・・え?」
「“ごめんなさい”は?」
私はメイドの衣装で足を組みながら踏ん反り返り、片腕をソファーに掛けたまま、紅茶を啜っていた。
「う、う・・・その、どれに対して?」
「全てだね。私に対しても、聖女ノエミ様に対しても、そして・・・マテオ様にもナトン君にも・・・他にもあるよね? けっこう自分勝手に引っ掻き回してくれたよね?」
両膝を抱えていたマクシスのポーズが段々と正座の形へと変形していった。
「も・・・申し訳ございませんでしたぁっ!!」
今回の“聖女ノエミ様、引き籠り事件”はマクシスの土下座で終了した――――。