第四十一話 獏の夢①(番外編)
獏というあやかしは元々、希少種になりつつあった。
時代の流れで多様性が当たり前になり、あやかしが異種同士で番うことも常識になった今。
俺の両親は獏同士での結婚だった。もちろん自由結婚ではない。
種を維持する為の強制的な婚姻だった。
母は俺を産んですぐ病気で死んでしまった。
周りのあやかしは口を揃えて言った。
「人間なんかと愛し合ったからバチが当たったんだ」と。
時折、幽世には魂ではなく、肉体ごと迷い込んでしまう人間がいて、母はその男と恋に落ちたのだという。
それを知った祖母は酷く怒り狂って、母と唯一同じ年頃だった獏の男――父と無理やり結婚をさせた。
そんな婚姻だから当然上手くいくわけがない。父は母が婚姻後も他の男を懸想しているに違いないと疑い、些細なことで母を叱責し、事ある毎に虐げていたと後から聞いた。
そして望まない結婚からわりとすぐ、俺を身篭り、出産をして――母は死んだ。
あやかしのほとんどは本来長寿だが、獏は悪夢を主食とする性質上、それ以外から栄養を摂取するのは難しく、短命であることも珍しくはなかった。
普通の獏であれば、悪夢の影を見ることができる。
それは今夜、この人間が悪夢を見ると事前に察知できる……悪夢を食らう獏にだからこそ備わった特殊能力だ。
けれど、時々、その能力を持たずして産まれてきてしまう落ちこぼれがいるらしい。
……それが俺だった。
「見てよ、あいつ……獏のくせに毛が白いよ」
「目も赤い。血みたいだ」
「普通の獏の毛は茶色か黒なのに」
「悪夢も自力で食えないらしいよ」
「無能ってみんな言ってる。あいつ、きっと呪われてるんだよ」
「本当に獏同士の子なの? 人間の血が半分入ってるんじゃ…? だってあいつの母親ってさぁ……」
数少ない同胞からそんな風に噂話をされるのはもう慣れた。俺は少しでも視線を避けたくてフードを深く被る。白い毛も、赤い目も、獏として欠陥の証だった。
希少種の獏は本来なら同胞同士で助け合い、固まって生きていく。
でも呪われていて、落ちこぼれで無能な俺は同胞から孤立していった。
「そんな赤い目で俺を見るな!! 気味が悪い!」
「父さん……あの、」
「見るなと言ってるだろう!」
「ぐぁっ……! や、やめて……もう叩かないで……」
「黙れ!」
自分の子ではないかもしれない。
そんな思い込みに囚われ、病んだ父は毎日のようにひどい暴力をふるってきた。
父に殴られ、転がり落ちた先の岩に頭をぶつけて気を失っても、誰も助けてはくれなかった。
目が覚めた時には、日はとっくに沈んでいた。
数時間、そこで気絶をしていたのだと知る。
父は次第に家へ帰らなくなった。
数年後、妖狐の女と異種結婚したらしいと風の噂で聞いた。
俺にはなんの報告もなかった。
その間も、俺はいつまで経っても半分が人間の子だと虐げられた。
半妖の半端者なんかいらない。
世間体を気にした祖母は家から俺を追い出した。
俺はその日から独りになった。
あやかしは通常、幽世が決めた区域にそれぞれ住むという決まりがあるが、身寄りのない俺が最終的に流れ着いたのは最下層と言われている幽世の中でも一番暗くて、ドブ臭くて、治安の悪い区域だった。
そこには同じように落ちこぼれた奴ら、はみ出してしまった奴ら、身寄りのない奴ら、刑務所上がりのろくでなし、もしくは刑務所には運よくまだ行っていないだけのクズが主に住んでいる。
家がある奴もいれば、その辺で寝転んでいる奴もいる。
殴り合いも盗みもそこでは日常茶飯事だった。
「くさ……」
鼻を刺すドブの匂いに慣れることはない。
初めは吐いていた。
それくらいこの辺は臭い。
……それでもここは父や祖母と暮らしていたあの家よりも、ずっと息がしやすかった。
♢ ♢ ♢
腹が減った。
原っぱに寝転んで雲を見上げても腹が満たされることはない。
この際、腹が満たされればなんでもいい。片っ端からなんでも口に入れた。蝉も、カメムシも、よく知らない葉っぱも。
魚を勝手に海から盗って、袋叩きにあった。
そこまでしたのに、腹は満たされない。味も美味くはない。
なんで生きてんだろう。このまま食わなきゃ死ねるのかな。
そんなことを考えた。
あやかしは無駄に長命だけど、俺が本当に半分人間の子ならもうすぐ死ねるかな。人間はすぐ死ぬんだってみんなが言っていた。
いつか同胞から情けで恵んでもらっていた悪夢の味を思い出しながら、近くの畑で向日葵を引きちぎって食った。
「――なぁ、お前、獏だろ? なんでお前みたいなレアキャラがこんなきったないエリアにいんの?」
しゃがみながら向日葵を貪っていたら突然、影が落ちた。
日陰ができて、じりじりと灼かれるように熱かった旋毛が助かったと言っている。
顔を上げると、やたらと派手な男がそばに立っていた。
鮮やかなピンク色の髪に、軽薄に歪む口元、首筋から胸元に向かって伸びた蔦に、蠍、蜘蛛の絵が墨で彫られている。
いかにもこの辺に住んでいる輩、といったような見た目だった。
「……獏だけど、俺は落ちこぼれだから」
「落ちこぼれ?」
「自力で悪夢を食うこともできない。見た目も変だ。母親が人間と恋をしたから、俺は半分が人間かもしれない。だから呪われてる。
……近づくとあんたも呪われるかもよ」
だから俺に関わるな。と言ったつもりだった。
そういう思惑で一息に自分の生い立ちをまとめて語れば、その男は声を上げて笑った。
何がおかしいのか。
俺は首を傾げて「なんで笑う?」と聞いた。
「お前、こんなに弱っちぃのに呪いなんか持ってるわけないじゃんねぇ? むしろ親とか一族の勝手でお前が呪われちゃってるじゃん。可哀想に」
男は目も口も半月型にして、にたにたと俺を見て笑った。
男の言っている意味がわからず首を傾げるだけの俺を見て、男はまた声を上げて笑う。
そして言った。
「……オレねぇ。悪魔なんだよ。人間に悪夢を見せて、で、中から弱らせて生命を吸う」
「悪夢を見せる……? そんなこと……」
できるわけない。
言おうとした。
その前に男は言い切った。
「できちゃうんだよねぇ、オレなら」
俺は唾を飲み込んだ。
それがもし本当に可能なら……
俺はこの飢えから逃れることができる……?
男は俺が唾を飲み込む音を聞いて、ねちっこい笑みを深める。
「お前、今、考えたよな? オレの能力があれば悪夢が食えるって」
図星だった。
俺は自分の中の卑しさを言い当てられ、目を逸らす。
「いいんだよ、それで! オレも同じこと考えてたから!」
「……え」
「いいか? まずはオレが選んだ人間に悪夢を見せる。それをお前が食う。あ、ぜんぶ食い切るなよ、弱らせたいから腹八分目くらいな。
で、精神的にも肉体的にも弱ったところをオレが……食う!」
男は興奮したように両手を広げた。
「お前の獲物は悪夢。オレの獲物は生命力。分け合って平和に生きられる。オレたち、いいビジネスパートナーになると思わない?」
「ビジネス……パートナー……?」
「利害の一致ってこと。今日からオレが食わせてやるよ、極上の悪夢を」
その瞬間、生まれて初めて目の前が開けていく感覚に陥った。
食える。
こいつがいれば悪夢を食える。
もう飢えることがない。
終わりを望むだけの人生が終わる。
鮮烈に咲くピンク色の光に酷く惹き付けられた。
まるで、あれだ。
街灯に惹き付けられて群がる蛾。
「お前、名前は?」
「獏」
「いや、獏は名前じゃないだろ。人間に名前を聞いて人間って返ってくるようなもんじゃん。ナメんな」
「名前は忘れた。あんま呼ばれたことない」
「は? やば。ウケる」
名前は確かある。
母親がつけたらしい名前。
確か「――――」
でも合っているかわからない。
物心がついた頃、俺の名前を呼ぶ同胞なんかいなかった。
みんな遠巻きに「あいつ」や「落ちこぼれ」や「出来損ない」と呼んでいたし、父や祖母は「お前」や「お荷物」や「半端者」と呼んだ。
名前なんかあっても意味がなかった。
「まぁいいや」
男はそれすらも楽しそうに笑い飛ばした。
それがとても、心地よかった。
「じゃあオレは夢魔ね。名前なんかいらねぇよ。オレは夢魔、お前は獏。エサは人間」
これが鮮やかすぎるピンク色との出会いだった。
あの日の俺は、救われたと思った。
――それこそが俺の後悔の始まりだった。




