第一話 渡良瀬凌
叔父が亡くなったとの報せを受けたのは、七月のとても暑い日だった。
叔父とは、つい先月、電話で話したばかりだった。
『また会いに行くからね』と、いつもと変わらない声で笑って、電話を切った。
叔父が死んだというその報せは青天の霹靂で、私はその事実をいまいち咀嚼しきれないまま、急いで鞄に荷物を詰めた。
少し悩んで、クローゼットから引っ張り出した黒い服も一緒に。
叔父はまだ三十代だ。持病があったとも聞かない。事故死等ではないと言われた。
……じゃあ、一体なぜ?
そもそも叔父は、本当に死んだのか……?
情けない話だが、離れて暮らす私には、叔父の普段の生活や詳しい近況が何一つわからなかった。
叔父は、私の話は聞いてくれるけれど、自分の話はほとんどしない人だった。
(叔父さん……叔父さん……)
心の中で、何度も祈るように呼んだ。
どうか、何かの間違いであってほしい。
血相を変えて駆けつけた私を『どうしたの?』と、いつもの気の抜けた顔で出迎えてほしい。
(冗談だって言って……。勘違いだって言って……)
兎にも角にも、どんな形であれ、叔父に会って真相を確かめなくては……。その想いだけで、家を飛び出した。
叔父の家は遠い。新幹線を降り、そこから在来線に揺られ、更に路線バスへの乗り換えが必要だった。
何もすることがないので窓の外ばかりを眺めていた。
ある一定の場所を過ぎると、景色は大体変わらなくなる。右を見ても左を見ても畑や田んぼの道が続き、時々トラクターが走っているくらいだ。
バスを降りると夏の匂いがする。汗がつぅっと背中を下りた。
ここから叔父の家に行くには、更に四十分程歩かなければならない。ちなみにこの先は電車どころかバスすら通っていない。
とんでもない田舎町だった。
「あと十分くらいかな……」
ただただ畦道を歩く。すれ違う人は未だにいない。救いなのは、東京に比べてだいぶ涼しいということくらいだ。
私が叔父の自宅に足を運ぶのは、五年ぶりくらいだろうか。
当時、中学生だった私は、夏休みで長期間自宅にいることを嫌がった母に、叔父の家へ遊びに行くように言われたのだ。彼氏を連れ込むのに、邪魔だったのだと思う。
叔父は、そんな私を快く受け入れてくれた。
――五年前
「いらっしゃい、沙耶ちゃん」
笑顔で迎えてくれた叔父を見て、私は息を飲んだ。
叔父は身内の贔屓目なしに美しい顔をしていた。少しだけ長い艶のある黒髪をゆるく結んでいる。それでいて生活感はなく、実年齢よりもだいぶ若く見えた。
母よりも十歳若いと聞いていたので当時で二十九歳だったと思うが、ハタチそこそこにしか見えない風貌をしていた。
母は「農業をしながら物書きなんて気楽なもんだ」と叔父のことを忌々しげに語っていた。
しかし当時の私には、作家活動をしながら好きな農業を楽しんでいる叔父が、やけに眩しく見えた。
叔父は昼間は農作業、時々執筆活動といっては自室にこもり、夜はなぜか毎日のように外出をしていた。
初めは畑でも見に行っているのだろうと思っていたが、二時間経っても三時間経っても一向に帰ってこない。
一度帰ってくるまで起きていようと布団の中でじっと待ってみたが、叔父が帰る頃にはすっかり空が白み始めていた。
そして叔父は大して眠ることなく朝ごはんの支度を始め、その一時間後くらいには何事もなかったかのように「沙耶ちゃん、朝ごはんだよ」と言って私を起こしてきた。
叔父の作るご飯は美味しい。こんがり焼けたパンに玉子焼き、ウインナーにちょっとしたサラダ、香りのいいコーヒー。家でこんなに豪華な朝ごはんはなかなか出てこなかった。
「いただきます!」
「いただきます。沙耶ちゃん、イチゴジャムいる?」
「うーん……。今日はバターにする!」
「了解」
バターがたっぷり塗られたトーストを一口かじりながら、叔父の方をちらりと盗み見る。叔父もトーストをかじりながら、朝のニュースをぼんやりと見ていた。
「ねえ、叔父さん」
「うんー?」
「叔父さんは毎晩どこへ行ってるの?」
叔父はかじったパンを喉に詰まらせて、急いでコーヒーを流し込む。「大丈夫!?」と聞けば、目にうっすら涙を浮かべ「だ、大丈夫だよ」と答えた。
そんなに変なことを聞いたかな……と、私もコーヒーをちびちび飲んでいると、叔父はマグカップを置いて私の名前を呼んだ。
私もマグカップを置いて、叔父の方へ向き直る。
「……沙耶ちゃんは、僕が出掛けていたのが視えたんだね」
「え、うん……」
叔父はどうやら、夜な夜な外出していることに私が気付いていないと思っているようだった。
それからすっかり黙りこくってしまった叔父を見て、子供ながらに聞いてはいけないことだったのだと気付いた。
「……あ、あの、叔父さん、ごめんね。言いたくないことだったら、別に……」
気まずい空気に耐えきれず、再びコーヒーを流し込む。
叔父もその空気に耐えられなくなったのか、徐に立ち上がると、近くの文机を開けて何かを持って戻ってきた。
「……沙耶ちゃん、手を出してごらん」
叔父に言われるがままに手を出す。
手のひらにそっと置かれたのは、繊細なガラス細工が美しいペンダントだった。
「わ、綺麗…………」
そのガラス細工は自然光に反射して、なんとも言えない輝きを放っている。
「綺麗、か」
「うん、すごく綺麗」
叔父は「……そっか」となぜだか少し寂しそうに微笑んだ。
なぜ叔父がそんな顔をするのかわからなかったけれど、このペンダントは、きっと叔父にとってすごく大切な物なのだろう。
「そのペンダント、沙耶ちゃんにあげるよ」
「……え?」
「僕よりも似合うし」
叔父はもう一度ペンダントを手に取ると、そっと私の首に掛けてくれた。
「えっ、えっ……いいよ! だってこれ、すごく高いでしょ? それに、叔父さんの大切な物なんじゃないの?」
慌てて首から外そうとする私の手を掴んで、叔父は首を横に振って、言った。
「――沙耶ちゃんに持っていて欲しいんだ」
五年前のあの日、叔父にそう言われて渡されたペンダントを首から下げて、私はこの田舎町へと再び足を踏み入れた。
「……会いに来たよ、叔父さん」
叔父の自宅がようやく見えてきた。
一人で住まうにはやや広い昔ながらの日本家屋という感じで、けっして新しくはないが、味があって私はこの家がとても好きだった。
ちらちらと人の出入りが確認できる。葬儀に来た人たちだろうか。
しかし、その人たちは黒い服などは特に着ておらず、着物だったり、カラフルで独特な民族衣装のような物だったりと様々な服を身に纏っていた。
「こんにちは」
挨拶をすると、入口に立っていた品のいい着物の女性はギョッとしてこちらを見た。その横にいたおじいさんも。
私は首を傾げながら敷地内に入る。
「……叔父さん」
黒い額縁に入れられた写真を見ても尚、私はどこかでまだ、叔父が死んだことを受け入れられていなかった。
しかしその手前、棺の中で眠る叔父を見た時――私の希望……いや、願望は打ち砕かれた。
「……叔父さん」
呼びかけても返事はない。
目も開けない。
「沙耶だよ。会いに来たよ」
花に囲まれ、青白い顔で眠るように横たわる叔父は、相変わらず綺麗な顔をしていた。
「ねえ、なんで、起きないの? 叔父さん」
私はその日、初めて叔父が眠っている姿を見た。
「ねぇ、叔父さんっ……。再来月、会う約束だったよね……? 叔父さんが行ってみたいって言ってたお店、私ちゃんと調べたんだよっ……!」
声が震えるが、涙はうまく出ない。
突然、死んだなんて言われても、心が追いつかないのだ。
母と上手くいかなくて泣いてばかりの私に、ただ静かに寄り添ってくれた。
『なかなか会いに来られなくてごめんね』
申し訳なさそうな表情を浮かべて、私の自宅付近のカフェまで会いに来てくれたこともあった。
カフェ、公園、レストランと場所を変えながら日が沈むまで話をした。
最近、良いことが何もないと暗い顔をする私に、手を握りながらおまじないをかけてくれたりもした。子供だましだと分かっていながらも、叔父がそうしてくれると、不思議だが一時的に不安は和らいだ。
年に二回程会いに来てくれて、月に一回は母のいない隙を見計らったような絶妙なタイミングで電話をくれた。
離れていたけれど、叔父がいたからここまで生きてこられた。大袈裟なんかじゃない。
「いやだ……。独りにしないで……」
手が白くなるほどペンダントを握り締めた。
このペンダントを身につけていると、叔父を近くに感じて、やけに落ち着いた。
「……渡し守の鍵……?」
近くで、そんな声がした。
なんだろうと振り向く前に「ねぇ、それ」と誰かに手を掴まれる。
驚いて手を引っ込めようとしても、思いのほか強い力で掴まれているせいで、びくともしない。
「ちょっ……なんですかっ……!?」
顔を見ると、高校生くらいだろうか。綺麗な白髪に、眠たげな赤い瞳が特徴的だ。何よりとても整った顔立ちをしている。
彼の視線は私ではなく、私の手元に向けられていた。
「それ、渡し守のだよね」
「わたし、もり……? いえ、これは叔父から頂いたものです」
「叔父?」
「この人です。渡良瀬凌」
白髪の青年は眠たげだった目を少しだけ丸くして「へぇ、血縁なんだ……」と呟いて、掴んでいた手をようやく離した。
「――あれ、獏、何してんの? もしかしてナンパ?」
突然、奥からメガネをかけた青年がぬるっと現れる。ふんわりした茶髪で、高身長の今風イケメンだ。
どうやら白髪の彼の知人のようだった。
「……これがナンパに見えるの?」
「見えないねぇ」
「めんどくさ」
茶髪の青年は、けらけらと笑うと、私に体を向き直した。
「……と、身内トークしちゃってごめんね。ボクは覚。こっちの白いのは獏」
「……はぁ、どうも」
茶髪の――覚と名乗った彼は一見礼儀正しいが、なんとなく軽薄な印象を受ける。
「えっと、私の名前は渡良瀬沙耶といいます。渡良瀬凌の姪です」
名乗られたので、一応礼儀として名乗った。
しかし、どうにも怪しい。
そもそもこの人たちは、叔父とどういう関係なのだろうか。
私は一切警戒心を隠すことなく、覚の顔を見上げる。
「………あの、申し訳ないんですけど、さっきから何なんですか? 今は叔父と……話してるんですけど」
思わず言葉尻が強くなってしまった。
なぜこの場所、このタイミングでこの人達はわざわざ話しかけてくるのだろうか。
「……話してる、ねぇ」
ちらりと棺を見て、含みを持ったようにそう呟く。
私がピリピリしているのが伝わったのか、覚と名乗った青年は「……ごめんね」と困ったように眉を寄せて謝った。
「叔父さんとのお話の邪魔はしないから、終わったら少しだけ話せるかな?」
「……はい?」
私の怪訝そうな声に覚という青年はハッとして「あ〜〜〜。ちがうよ。ナンパじゃないよ?」とヘラヘラしながら付け加えた。
なんにせよ気分は良くない。無視して再び眠る叔父へと視線を向ければ「大事な話があるんだ」と覚という男は言う。
(なに? ナンパじゃないなら勧誘……?)
明らかに怪しい。
「ちなみにナンパでも勧誘でもないからね? さすがのボクも、そんな罰当たりなことはしないから」
まるで私の心の中を読んだように、そんな言い訳をしてくる。
……ますます怪しい。
じとっと真意を確かめるような視線に居心地が悪くなったのか「怪しくない。ボクらは、君の叔父さんの仕事仲間!」と、やや声のボリュームを上げた。
「……叔父さんの仕事仲間?」
ぴくりと眉を動かす。
叔父の仕事仲間ということは、この人たち、このルックスで農家なのだろうか。
叔父含めて、だいぶ華やかだ。
『私が作りました』の生産者の顔の所を集める女子とか現れそう。
なんなら、町おこしとかできそう。
だいぶ飛躍したことを考えていると、覚はなぜか苦笑して「面白い子だね」と呟いた。
そして、さっきまでとは打って変わって、真面目な顔をして言った。
「……知りたくない? 君の叔父さん――渡良瀬凌の、本当の顔」
初めまして。
なろうでは初投稿です。
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