最終第五話:流水あり
リュートは幼馴染たちと兵を挙げ天下を目指す:濁流戦記
最終第五話:流水あり
ファリンを喪ったリュートは、口数が大変少なくなった。
親友であるボルタはひとりごつ。
「こういう時、俺こそしっかりしなきゃならないのに――」
無骨な彼には、その思いと気遣いを伝えるすべがまだ無かった。
執務机を前にしても、リュートのペンは遅々として進まない。
やがて彼はふと思い出した――
かつて彼が学士として故郷をいっとき離れていたころ、このように紙を前に逡巡する時間があったことを。
それは――ファリンに手紙を書くときだった。
ああ、ああ、彼女を楽しませようと一心に、どんな日々を書き綴っただろう。
その物語も、今や天の果てには届かない。
部屋の入口にいくぶん小さな人影が訪れる。
「お前、また仕事さぼってるのか?」
遊牧民の娘カリンである。
「はは、バレちゃいましたか」
力なく笑う。
「お前さ、わかるか」
「何を――でしょう」
「あのファリンは、お前のそんな姿、夢に見たくないだろう?」
そう言われて振り返ると、逆に彼女には自分の弱さを見せていることの方が多い気がした。
「それとな、お前太陽を知ってるか?」
今度はリュートは返事をしない。
「大地を照らす太陽は、輝き続ける義務がある。――お前の夢、今はお前だけの夢じゃないんだ」
まだ言葉を飲み込めず――リュートは黙ったままである。
「皆も、ボルタも。お前のこと待ってるから、ちゃんとこっちに戻ってこいよ」
この不器用な励ましがリュートの胸に行き渡るには、まだ時間が必要だった。
だが、やがて再び燃え上がるだけの力は――彼の肉体の奥底に、そして彼の夢を担う人々の間に静かに流れていたのだ。
かつて相まみえた安南将軍ガリウスを覚えているだろうか――。
王宮のきめ細かな白壁に血しぶきが散る。
攻め手の兵が近衛兵を切りのけたのだ。
それを見た大公は怯え声を上げた。
腰を抜かして床を探る彼の元へ、鎧姿の男がかつかつと床音を立てて近づく。
「大公。遂に主役交代ですな」
そう、ガリウスである。
公は命乞いをしたが――
やがて、彼のでっぷりとした体からその醜悪な首が分かたれた。
「なに? 王が居ない?」
ガリウスの探す若き女王は、己の運命を知っていた。
野心家のガリウスは臣下の身に甘んじない。
必ず、騒動のうちに自分を殺すだろう――。
数少ない側近の者たちと馬車に乗り、混乱に乗じて都を脱出していた。
ゆき先は――遠方の血縁者の治める城である。
その車の馬は、急に進みを止められた。
道を阻まれているのが判ったのである。
武装した騎馬の一団が――一行を取り囲む。
半ば観念した女王は、せめて臣下たちだけでも救えぬ物かと思案しながら言った。
「お前たちは――何者か? 答えよ」
威厳のない王は、死ぬからだ。
すると一団の奥から一人の男が歩み出てきた。
彼は号令する。
「女王陛下の御前だ、馬を下りて屈しこうべを垂れよ!」
声の主はリュートだ。彼の目はまだ燃えている。
彼もまた王の前にひざまずき、述べた。
「陛下。ご無礼をどうかお許しください。臣、リュートが我が城まで護衛を致します」
女王は理解している。
これは護衛であり、また同時に武力による連行の意もはらんでいることを――
だが、臣下たちの命には代えられなかった。
彼女は本拠地であるカント城の、それまでリュートが座っていたあるじの座にかけた。
周囲の臣下を除けば、階下にはリュート一人がひざまずいている。
ひとこと、彼女は問うた。
「お前は、私に何を望む?」
わずかな思案の後にリュートが答える。
「――大地です」
女王はいぶかしげにした。
「大地? 領地が欲しいということか?」
「いいえ――あなたがもたらす恵みを、私が流れとなり天下に血を巡らせるのです!」
語気は熱を帯びている。
「ふふ、この小娘には荷が重いとは思わぬか」
彼女は自嘲気味に言う。
「そうは思いません。ですが――まずは万民の長たるあなた様が、健やかな夢をお持ち下さい」
夢。大公の圧政のもと彼女は久しく悪夢以外を見ていなかった。
夢、そう、夢。
翌朝カント城の寝室で彼女が目覚めると、リュートは変わらずその一室の椅子に腰掛けて自ら寝ずの番をしていた。
まったく、演技くささもここまで来ればほほえましい。そう思った。
彼女の様子に気づいたリュートは問いかける。
「陛下、昨夜の夢はいかがでしたか? よき夢は訪れましたでしょうか」
若き女王は、少し鼻で笑ったようだった。
「――ああ、いい夢を見たぞ」
彼女はゆっくりと続ける。
「余の――天下万民の、この“夢”を叶えよ。この人たらしめ」
ご意思のままに、とリュートはほほえんで答えた。
「ときに、我が臣下リュートよ」
「いかが致しましたか?」
「貴様にまだ臣従の証の品を下賜していなかったな」
剣を持て――彼女はそう部下に伝えた。
「私は夢を見た。お前は王のつるぎを手に天下に号令をする身となる」
なんと、一歩間違えれば王位の簒奪者ではないか。
きらびやかに装飾された王剣を受け取ると彼女は言った。
「剣など手ずからくれてやる。お前が我が剣となれ!」
彼女が両の手に横に持ち差し出した一本の剣を、リュートはうやうやしく受け取った。
数日ののち、彼は若き女王を領地の河べりへと誘った。
いつか彼が――冒頭に物思いをした場である。
今、彼は知っている。この流れにどういう意味があるか。
自分が何をすべきか。
彼は懐から一つの小さな木細工の首飾りを取り出した。
しばし、手元で愛おしそうに眺めたのちに――
かがんで静かに河面に沈めた。
全ての魂が、夢たちがやがてそうなるように。
未練は、しかと心中にある。
その証の涙が頬を伝う。
やがて彼は立ち上がり、腰の宝剣を抜き払った。そして吟じた。
~~ 灯火が映すは別離の涙
英覇の道は命脈を絶つ
剣音よ迷える民の心に響け
涼風よ胸中の思いを流せ ~~
天剣の歌の対句である。
女王は、黙ってそれを見守っていた。
さあ、時代に新たな水が流れる。
~ 完 ~




