エピローグ:変わらないものと、増えていくもの
冬の朝。
屋敷の庭には、うっすらと雪が積もっていた。
吐く息は白く、澄んだ空気が静かに満ちている。
「こら、待ちなさい!」
その静けさを破る声。
小さな影が、庭を駆け回っていた。
「やーだ!」
元気な声。
茶色の髪がふわふわと跳ね、
金の瞳が楽しそうに細められている。
「リューク、走らないでって言ったでしょ!」
後ろから追いかける女性。
「……ほんと、そっくりね」
少し離れた場所で、侍女長
――アルトの母が、まだ小さな赤子を抱いていた。
厚手の布にくるまれた小さな体は、冷たい空気の中でも穏やかに眠っている。
白い息をかすかにこぼしながら、長いまつ毛が影を落とし、小さな手は胸元に寄せられていた。
視線の先には、雪の上を走り回る小さな男の子。
「見た目も、性格もそのまま」
ため息混じりに言う。
「手に負えないわね」
でも、その口元は少しだけ緩んでいた。
「捕まえた!」
リリナがようやく子供を抱き上げる。
「やだー!まだ遊ぶ!」
「だめ。朝からそんなに走り回ったら転ぶわよ」
「転ばない!」
「転ぶのよ、あなたは」
ぴしっと言い切る。
でも、抱き上げる腕は優しい。
そのまま、少しだけ額に触れる。
「……ほんとに」
小さく呟く。
(似すぎでしょ)
「リューク、おいでなさい。
――お母さんは、今日からお仕事なのよ」
「ほら、見て?――妹が起きちゃうわよ」
リュークは渋々足を止め、それでも気になって妹の顔を覗き込んだ。
横から手が伸びる。 アルトの母。
慣れた手つきで、子供の手をつなぐ。
「今日から、あなた仕事でしょ」
「はい」
リリナが一歩下がる。
その動きに、迷いはない。
「久しぶりの復帰なんだから、遅れないようにしなさい」
「分かってます」
一年前。
出産と育児のために再び、休んだ仕事。
そして今日、
正式に復帰する日。
胸の奥が、少しだけ緊張する。
その様子を見て、
アルトの母が少しだけ柔らかく言う。
「大丈夫よ」
子供をあやしながら、
「あなたなら、すぐ戻れる」
その言葉に、
リリナは小さく頷く。
「ありがとうございます」
その時。
「……朝から賑やかだな」
低い声に、振り返る。
アルトが立っていた。
外套を羽織りながら、
眠そうな顔でこちらを見る。
「お父さん!」
子供が手から離れ再び走り出す。
「お前は元気すぎるだろ」
アルトが片手で軽く抱き上げる。
慣れた動き。
「走ってた!」
「見りゃ分かる」
ぶっきらぼうに言いながら、
頭をぐしゃっと撫でる。
「やめてよ、それ」
リリナが口を挟む。
「髪、整えたばっかりなのよ」
「どうせまた乱れるだろ」
「乱さないの」
「無理だな」
即答。
いつものやり取り。
でも、その距離は近い。
アルトがふとリリナを見る。
「今日からだな」
「ええ」
一瞬だけ、間がある。
「……無理すんなよ」
低く言う。
昔と同じ言い方。
でも、少しだけ違う。
「分かってる」
リリナも短く返す。
でも、
その声は柔らかい。
「何かあったら言え」
「言う前に気づいてくれるでしょ?」
「まあな」
小さく笑う。
そのまま、自然に距離が縮まる。
「……ちゃんと戻ってこいよ」
ぽつりと落ちる。
一瞬だけ、
あの頃の空気がよぎる。
「戻るわよ」
即答。
「ここにいるんだから」
迷いのない言葉。
アルトが少しだけ目を細める。
「知ってる」
短く返す。
子供が二人の間で手をつないで、笑う。
「お母さんもお父さんも行こ!」
「誰のせいよ」
「お前だろ」
同時に言う。
一瞬、目が合う。
そして、同時に笑った。
冬の空気は冷たい。
でも、その中にある温度は、
確かにあった。
変わらないもの。
増えていくもの。
どちらも抱えながら、
日常は続いていく。
もう、迷うことはない。
ここが、
帰る場所だから。
エピローグ 完結




