第52話 初恋幼馴染の好感度?
「…………」
「…………」
非常に気まずく居たたまれない空気が充満するのは、ここ――涼太の自室。
学校が終わったあと、姫奈は結愛に誘われてどこかへ行ったので、涼太は今日慣れない一人での帰り道を歩くことになった。
帰宅後、いつもそこにある何かが足りないような自室で、あまり集中出来ないままに学校の課題をやっていると、日暮れ頃に姫奈がやって来た。
しかし、姫奈は特に何を言うでもなく、特等席とも呼べる涼太のベッドに寝ころんでは、静かにスマホを弄り続けていた。
(き、気まずい……)
涼太の手に握られたシャープペンシルは、ここ数分ノートに文字を綴っていない。
機嫌を損ねてしまった姫奈が一体何をしに部屋に来たのかもわからず、かといって下手に振り返って確かめることも出来ない。
(姫奈を怒らせた理由がわかるまで、話し掛けるの禁止って言われてるしなぁ……)
涼太なりに考えて考えて考えて……頭を悩ませてはいた。
事の発端は先日――入学式及び始業式があった日。
帰宅していつものようにこの涼太の部屋で話していると、姫奈が何やらむくれてしまったのだ。
結局、『もうちょっと女心の研究をしておいてください』と言い残して帰ってしまった。
何が姫奈の機嫌を損ねたのか。
あのとき話していた会話の内容から察するに、やはり新しく出来た後輩――彩香が関係しているのだろう。
姫奈はやたらと涼太が彩香についてどういう印象を抱いているのかを追及してきた。
だから、涼太は思うまま素直に『可愛い』と答えた。
涼太は別に世間とかけ離れた価値観を持っているような人間ではない。
百人が見て百人が『可愛い』と称賛するものに対して、涼太も同様に『可愛い』という感想を抱くのは自然なことだ。
しかし、もしそう答えたことで姫奈が機嫌を損ねたならば、その原因はやはり――――
「……嫉妬、か……?」
無意識のうちに、心の声を自分の口が言葉として呟いてしまった。
一瞬遅れてそのことに気付いた涼太は「あっ……」と慌てて口を手で塞ぐが、既に発せられた呟きが戻ってくることはなく、静まり返った部屋に虚しく響いたあとだった。
決して充分な声量とは言えなかった。
もしかすると聞こえていないんじゃ……? という淡い期待を抱いて、涼太は椅子に座ったままゆっくり姫奈に振り返った。
しかし、そんな期待は、手元のスマホから視線を外して丸く開いた榛色の瞳をジッとこちらに向けてきていた姫奈の姿に否定された。
涼太は恥ずかしくなって赤面しながら、慌てたようにわざとらしく笑う。
「あ、あはは! んなワケないよなっ!? いやぁ、俺どんだけ自意識過剰なんだよって感じだよな! すまんすまん。あはは……はは……」
取り繕った笑いは最後まで持たず、尻すぼみに声は小さくなって、最後には後ろ首を撫でた格好のまま俯く涼太。
(何やってんだ、俺……)
代わりに表情に浮かんでくるのは、自嘲気味な笑み。
ひたすらに自分が情けなくなってきた。
「……はぁ」
涼太のものではない。
深閑とした部屋に溶け込むように響いたのは、姫奈のため息。
(ほら見ろ、完全に呆れられた。折角姫奈に少しずつでも異性として見られるようになってきたかなってのに、台無しだ……)
ギィ……、とベッドが軋む音。
姫奈が動いたのだろう。
静かな足音が、一歩、また一歩と近付いてきて、俯く涼太の視界の端にそのつま先が映った辺りで立ち止まった。
(いや、違うな。全部俺の勘違いだ。都合の良い思い込みだ。俺が姫奈に一人の異性として見られるようになってきただなんて、俺の一方通行な想いが創り上げた甚だしい思い上がり――)
トンッ……!
頭頂部に喰らった軽い衝撃に、涼太の身体の奥底からせり上がっては凍てつかせようとしてきていた冷たく重い感情が取り払われる。
涼太が呆然と顔を持ち上げれば、仄かに紅潮した曖昧な表情を浮かべた姫奈が、涼太の頭の上に手刀を当てた状態で立っているのが見えた。
「……違わない。違わないけど、何かそうやって言語化されると恥ずかしい……」
手を下ろした姫奈の瞳は気恥ずかしさと不満が混ざったような半目にされている。
「えっ……?」
涼太は間抜けな声を漏らす。
姫奈の言葉が意味することが、まだよく頭の中で理解出来ずにいた。
「ち、違わない……? 違わないってことは、えっと……」
「ねぇ、わざとやってる? ……いや、普段頭良いのにこういうときに限って鈍いのがリョウ君ですよねぇ~」
やれやれ、とあからさまに呆れて肩を竦める姫奈。
上手く状況が飲み込めずにいる涼太をジッと見詰めて……でも、やっぱり目を合わせたまま口にするのは気恥ずかしくて、姫奈は赤らんだ顔をそっと背けて言った。
「だから……嫉妬、してたんじゃないですかね。私は」
そこまで明確な答えを言わせて、涼太はようやく言葉の意味を理解した。
しかし、同時に戸惑いが生まれる。
姫奈が嫉妬していたことを肯定したからこそ、そのことが素直に納得出来なかった。
「い、いやいや。え、冗談だろ……?」
「何が?」
「いや、ヒメが俺に嫉妬とか……ないだろ」
「はい?」
姫奈自身が嫉妬だと認めたことに対して涼太が食い下がったので、姫奈は怪訝な視線を向ける。
「俺はするよ、嫉妬。そりゃ、俺はヒメのことが好きなワケで、愛想良く振る舞ってるだけってわかってても、ヒメが他の男子に笑顔を向けてたりしたらモヤッとする」
でもさ……と、涼太はどこか自嘲的に口許を歪めて続けた。
「ヒメにとって俺は、好意を向けてくる沢山の男子のうちの一人に過ぎないからさ……イチイチそんな俺に対して、特別に何かを思ったりはしないだろ?」
そんな言葉に、姫奈は悩まし気に眉を顰めた。
片手を額につけては「うぅん……」と唸り、色々と脳裏に過る感想に、右へ左へ顔の向きを変えていく。
そして、最終的に口を衝いて出た言葉は――――
「もぅ、リョウ君めんどくさいなぁ~」
ジト目を作る姫奈。
「まぁ、確かに私、男子に人気みたいですし? 割と告白とかもされますけど。でもリョウ君がその中の一人に過ぎない?」
涼太の自嘲気味な笑みを崩すように、姫奈が両手でその頬を抓って引っ張る。
「本当にそう思ってるなら、謙虚通り越して自己評価低すぎ」
「い、いひゃいいひゃい……!」
涼太が抓られる痛みを訴えてきたので、姫奈は最後にグニグニと伸び縮みさせてから手を離した。
僅かに目を潤ませて頬を擦る涼太。
姫奈はそんな涼太をどこか申し訳なさそうに見下ろした。
「でも、それって私が素直に自分の気持ちを言わないせいでもあるだろうから、リョウ君ばっかり責められないね」
「ヒメ……えっ、ちょ――」
涼太が不思議そうに顔を持ち上げさせると、姫奈はその顔を覆うように両腕を回して自分の胸に優しく抱き込んできた。
視界が奪われた代わりに、仄かに甘い姫奈の匂いや、程よく膨らんだ双丘の柔らかな存在感、普段より少し高めな体温がじわり、と伝わってくる。
「恥ずかしいから、一度しか言いません」
「んぇ……?」
胸に涼太の頭を抱き抱えた姫奈は、一呼吸分間を置いてから口を開いた。
「まだ、この気持ちが、私の中で恋に達しているのかはわからないけどさ……」
胡桃色の髪の合間から覗く耳の先端までが朱に染まった姫奈の顔は、涼太には見えない。
「私、多分……リョウ君が想像してるよりずっと、リョウ君のこと好き……になってると思うよ……?」
「……っ!?」
ビクッ、と涼太の身体が小さく震えた。
その動揺を、姫奈も腕の中で感じ取る。
そのことが可笑しく思えたのか、姫奈はクスッと小さく笑った。
「あはは、恥ずかしいですねぇ……」
「お、俺が一番恥ずかしいんだが……!?」
胸に抱かれているせいでくぐもった声でそう訴える涼太。
「そろそろ離してもらっても……?」
「ん~、ダメ」
「えっ」
姫奈は涼太の頭頂部に軽く顎を乗せた。
「聞こえるでしょ? このドキドキが嘘じゃないってリョウ君がわかるまで、このままだから」
姫奈の胸の奥で早鐘を打つ鼓動。
意図的に偽ることの出来ないその素直なリズムが、涼太の耳をくすぐる。
「わ、わかった! わかりましたっ……!」
「ううん、わかってないよ。リョウ君は。なんせ鈍いからね」
恥ずかしさに耐えかねた涼太は離脱の許可を姫奈に申請するが、あえなく却下される。
このあと、涼太の耳に姫奈の鼓動がしばらく語り掛け続け、涼太がその腕から解放されたのは、姫奈の顔に籠った熱が落ち着いてからのことだった――――




