第50話 小悪魔後輩はときめく?
「んなぁ、機嫌直してくれよヒメ」
「別に直す機嫌なんてありませんけど~?」
翌朝。
いつものように姫奈に起こされた涼太は、学校に向かうべく家を出て、地元の駅のホームで電車を待っていた。
隣に立つ姫奈は、一見いつも通り。
胡桃色の髪は綺麗にハーフアップに結われているし、やや目尻の垂れ気味な榛色の瞳はまっすぐ前を見詰めている。
表情だって険しいわけでもなく、視線を向ければ相変わらず息を飲む美しさの横顔がそこにあった。
しかし、涼太にはわかる。
幼馴染として長い時間を共に過ごしてきた涼太には。
やはり原因は昨日姫奈から直接指摘があった通り、涼太が女心をわかっていないことになるのだろうが、わからないものはわからないのだから仕方がない。
「いや、素っ気ないし」
「いつもじゃん」
「当たりキツイし」
「それもいつも」
「言葉が鋭い」
「はぁ、この人しつこいなぁ~」
ため息を吐いた姫奈が、呆れたような半目を涼太に向ける。
「機嫌悪い人に頼んで機嫌直してもらうより、機嫌直すためにどうすればいいのか考えた方が有意義なんじゃないでしょうか?」
うっ、と涼太の喉から情けない声が漏れる。
そのタイミングで、ホームに笠之峰高校方面への電車がやってきた。
「か、返す言葉もありません……」
姫奈は肩を竦めて、先に一歩踏み出して電車に乗り込んでから背中越しに言った。
「リョウ君。私の機嫌悪くした理由がわかるまで、話し掛けてくるの禁止ね」
サッ、となびく艶のある胡桃色の髪を前に、涼太は絶句して立ち尽くす。
「ま、マジですか……!?」
「…………」
電車のドア側に立つ姫奈が向けてくる無言の冷ややかな視線が、嘘ではないことを物語っていた。
「わ、わかりました……」
あからさまに肩を落とした涼太は、朝から沈んだ気分で電車に乗り込んだ――――
◇◆◇
『ドアが閉まります。ご注意ください』
プルルルルルゥ――と、機械音声のアナウンスのあとに聞き馴染んだ電子音が鳴り響く。
そんな音を耳に入れながら、涼太はパタパタと足音が一つ駆けて近付いてくるのが聞こえて、落ち込み気分に従って俯き気味だった顔を持ち上げた。
すると――――
「ふぅ、間に合った……」
扉が動き出す前に何とか滑り込んでくることに成功して一息吐くのは、笠之峰の制服を着込んだ見覚えのある少女――彩香だった。
「あれ、彩香……?」
「へ? あっ、涼太先輩~!」
涼太の声に一瞬遅れて反応した彩香が、一気にパァッと表情を明るくして振り向いてくる。
「それに姫奈先輩も! おはようございます!」
少し興奮気味ながら、ここは電車の中。
彩香は最低限の声量と動きで、涼太と姫奈に朝の挨拶をして頭を下げる。
二人もそれに快く返事をした。
「彩香この駅から乗るんだな」
「ですです。正直自転車でも通えない距離ではないんですが、夏は暑いし冬は寒いのに加えて、スカートなのでちょっと……」
彩香はそう答えながら少しスカートを押さえる仕草を見せて、気恥ずかしそうに笑う。
「お二人はどこから乗られるんですか?」
「俺達はこの一駅前だな」
「あ、近いですね!」
ここまで涼太と姫奈が向かい合うように立って気まずい空気を漂わせていた中にやってきた彩香は、まるで荒廃した土地に突如咲いた可愛らしい花のようだった。
涼太は純粋に慕ってくれている後輩とのコミュニケーションは大切にした方が良いという考えと、多少はこの雰囲気も和むかもしれないという一縷の望みも含めて、彩香とのキャッチボールを続ける。
「そういや、彩香って姉がいるんだよな? 一緒に登校しないのか?」
昨日の話によれば、彩香には笠之峰高校三年生の姉――優香がいて、更にその優香は蓮がお世話になった人らしい。
しかし、その人物らしき姿は周りに見えない。
第一、彩香は一人で電車に乗り込んできた。
疑問に思って涼太が尋ねると、彩香は首を振った。
「しませんね~。お姉ちゃん、絵を描くのが本当に好きで美術部にも入ってるんですけど、朝早く登校してはスケッチブック片手に校内をうろついていますから」
へぇ、と涼太は興味深そうに反応を示したが、彩香は「そんなことより――」と涼太の傍に寄って、身長差を埋めるためにつま先立ちをした。
涼太が少し身を屈めると、彩香が口許に手を添えて潜めた声を涼太の耳に届ける。
「(涼太先輩、姫奈先輩と喧嘩してるんですか?)」
「(……やっぱそう見える?)」
「(これは誰がどう見てもわかりますよ……)」
あはは、と彩香が呆れ笑いを浮かべた。
「(昨日の女心がどうとかの話ですか?)」
「(だと思う)」
「(これは何というか、深刻ですね……)」
チラリ、と彩香が姫奈の方を盗み見れば、姫奈は興味なさそうに電車のドアの向こう側に見える景色を見詰めていた。
「(でもまぁ、私が涼太先輩の力になるので、いつでも頼ってくださいね)」
パチッ、と見事なウィンクをしてみせる彩香。
涼太は心強いと思いながら、助かるという意味を込めて片手で拝むようなポーズを取った。
そんなとき――――
ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタッ!!
「きゃっ……!?」
線路の曲がる場所で電車が大きく揺れた。
壁にもたれるように立っていた姫奈は何ともなかったが、どこに掴まるでもなく立っていた彩香は呆気なく身体のバランスを崩してしまう。
そのまま後ろに倒れそうになるのを、涼太が咄嗟に腕を伸ばした。
「……っと」
「……っ!?」
彩香の背中に回された涼太の腕。
再び彩香が体勢を崩してしまわないように、涼太は彩香を引き寄せた。
彩香は突然涼太の胸の下辺りに顔を埋める形になり、大きく瞳を見開いた。
純粋な驚きも、もちろんある。
しかし、それ以上に、身体に回された腕やピタリとくっつく身体の感触、そこから伝わる体温、ふわりと香る自分と異なる匂いが、胸の奥を騒がしくする。
「大丈夫か?」
「あっ……は、はい……」
ありがとうございます、と彩香は消え入りそうな声でお礼を口にして、涼太のブレザーを片手でキュッと掴みながら一歩距離を取る。
「ここの手すり掴んで。俺そっち行くから」
「わ、わかりました」
誘導されるままに、涼太と立ち位置を入れ替わる彩香。
そして、込み上げてきた熱で妙に火照った顔を隠すため、不自然に思われない程度に涼太から顔が見えないように背を向けて立った。
対して、彩香が転ばなくて良かったと一安心していた涼太は、何気なく視線を向けた先で、姫奈にムッとした表情を見せられたあと、すぐに顔を逸らされた。
(な、何かどんどん機嫌悪くなってるんですけど……)
涼太はどうしたらいいんだよと、困ったように後ろ首を撫でた――――




