第22話 初恋幼馴染は戻れない
「くしゅっ……!」
夜の静けさに抱かれた涼太の部屋に、控えめなくしゃみの音。
姫奈が両腕で自分の身体を抱いていた。
「流石に冷えたかなぁ」
涼太の好意を正面から聞かされたせいか、顔は信じられないほどに熱いが、冬の夜の寒さは気付かぬ間に体温を奪っていた。
「そりゃ、冷えるだろ。その脚とか、見てるこっちが寒くなるぞ」
「ふぅん……私の脚見てたんだぁ、リョウ君」
素肌が晒されたおみ足を少し内股気味にしながらも、意味ありげに口角を持ち上げてジト目を向けてくる姫奈。
涼太は決してやましいことを考えていたワケではない。
ただ単純に、この季節にショートパンツという格好は冷えて当然だと思っただけ。
(……まぁ、見てないこともなかったけど……)
目の前にあるものは見えてしまう。
仕方がない。
不可抗力だ。
とはいえ、ここで変に「見てないし」などと否定しようものなら、姫奈にからかわれるのは目に見えている。
だから、涼太は――――
「ああ。脚って良いよな」
――開き直った。
加えるなら、少々自分のフェチも公開した。
涼太は無遠慮にジッと目の前にある姫奈の生脚を見詰める。
まるで吟味するかのように、片手は顎に添えられていた。
予想外の反応だったのか、姫奈は一瞬目を丸くしたが、すぐに呆れたような表情を見せる。
「ちょっと、リョウ君。目がエロいんですけど」
「悪いが元からこういう目だ」
「もぅ……見るなって意味ね」
姫奈が少しでも脚を隠そうと、トップスの裾をキュッと引っ張り下ろす。
その甲斐あって膝辺りまでは隠されたが、代わりに――――
「ちょ、ヒメ……ばかっ……!」
「はい?」
涼太は慌てて視線を逸らした。
その反応の意味がわからず、姫奈は首を傾げてから自分の身体を見下ろした。
すると――――
「あっ……!?」
裾を引っ張ったせいで襟元も一緒に下がっていた。
元々襟元にはゆとりがあったが、引っ張ったことと、そのために少し前傾姿勢を取っていたことも相まって、青色のナイトブラだけでなく、そこにキュッと納められる二つの膨らみが作り出す谷間がチラリと覗いていた。
「み、見たよね……?」
右手を胸の前に持ってきて身体を隠しながら、恨めし気な瞳で睨む姫奈。
「見てないっ、見てないです!」
「じゃあ、何で顔逸らしたんですかね?」
「それは、見えそうだったから……!」
「見えそうじゃなくて見たから逸らしたんでしょ」
「い、言掛りだ! というか、ヒメがそんな無防備な格好してるのが悪いだろっ……!?」
自分だけ責められるのはおかしい。
責任は姫奈にだってある、と涼太は言われっぱなしでは終われないと反論する。
「そりゃあ、寝るだけなんだから無防備な格好でしょ、普通」
「寝るだけの格好で異性の部屋に突入してきたりしないんだよ、普通は」
むむむ、としばらく両者の睨み合いが続いたが、再び姫奈が「くしゅっ」とくしゃみをしたので、それも中断される。
「もぅ、リョウ君のせいで完全に冷えちゃった」
「何で俺のせいなんだよ……」
「これ以上ここにいると、無防備な格好をしている私はエロい目で見てくるリョウ君に何をされるかわからないので、退散させてもらいます」
つーん、とわざとらしく顎をしゃくった姫奈は、自分が入ってきた部屋の窓の方へ歩いていく。
窓を開けるために手を伸ばす。
しかし、その手は窓に触れる直前でピタリと止まった。
「どうした、ヒメ?」
「……そういえば…………」
姫奈がぎこちなく涼太の方を振り返る。
「このルート、一方通行なの忘れてた……」
「…………あ」
何とも形容しがたい間抜けな沈黙が、両者の間を通り抜けていく。
「…………」
「…………」
涼太の部屋の窓の下には一階部分の屋根があり、そこを足場に出来るため入ってこられるが、姫奈の部屋は違う。
窓から窓へ直接丈夫な板でも橋渡しするならともかく、それでも危険なことに変わりはないし、第一そんな都合の良い板はない。
姫奈の部屋の窓から涼太の部屋の窓へ入ってくるこのルートを最後に使ったのは、中学一年生になってまだそんなに経っていない頃。
ほぼ丸々三年間使っていなかったために、一方通行であることをすっかり失念してしまっていた。
この部屋からバレずに一階に降り、玄関を出ることはそう難しくないだろう。
だが…………
「ヒメ、家の鍵は……?」
「……持ってきてる顔に見える?」
「と、見せ掛けて?」
「ポケットないんだよね、このショーパン」
「マジか……」
つまり、清水家の玄関を出たところで、姫奈は自分の家の玄関から入れないということだ。
もちろん眠っている母親を起こし、中から開けてもらうことも出来るだろうが、そうなると事情説明と説教は免れないだろう。
説教はともかくとして、いくら仲が良いとは言っても、深夜に年頃の男女が同じ部屋で二人きりになっていましたなんて説明できるワケもない。
結論――――
「どうしよう、帰れないや」
と、いうことだ。
「い、いやいやいやいや! ヤバイだろ!?」
焦る涼太が首をブンブン横に振る。
さながら、目の前の現実を否定しているかのように。
「ど、どうにかならないか……!?」
涼太も窓の傍に立つ。
窓を開けて、身を乗り出し、辺りをキョロキョロ見渡すが、やはり帰る手立てとなりそうなモノは見付からない。
「りょ、リョウ君寒いんですけど……」
「あ、あぁ……すまん……」
涼太は諦めて窓を閉めた。
後ろを振り替えると、両腕で身体を抱く姫なの姿があった。
それは、寒いから身体を抱いているのか、それともこの状況で起こり得る何かしらの可能性に対して構えているからなのか…………
ともかく、このまま黙り込んでいても余計に気まずくなるだけだと判断した涼太が、若干早口になりながら言った。
「し、仕方ない。ヒメは俺のベッド使って寝てくれ。俺はリビングに降りてソファーで寝るから」
提案ではない。
そうするしかないという決断だ。
涼太はそれだけ言って姫奈の返事を聞く前に、部屋を出ようと扉の方へ脚を進めるが――――
「待って。それじゃ、リョウ君が風邪引いちゃうよ」
姫奈が涼太の後ろ手を掴んで引き留めた。
涼太は立ち止まって、気まずそうに振り返る。
「いや、でも……他に方法は……」
「……別に、良いよ。私は。リョウ君だし……」
「い、良いって……な、何が……」
思わず聞き返してしまったが、涼太の頭の中にはその答えが浮かび上がっている。
そして、それが姫奈の言わんとしていることだというのも、ほぼ確信している。
だが、万が一にも違うかもしれない。
涼太は違っていてくれと願いながら……それでも心のどこかでは、そうであってほしいと思いながら、姫奈の口の動きを注視する。
「一緒に寝ても……良いってこと……」
「……っ!?」
案の定、その答えだった。
「だって、よく考えてみたら今更じゃん。私達、今まで何回も一緒に寝てるし」
「いや、ちっちゃい頃の話じゃねぇか!」
「だから、今回もそのノリで――」
「――無理ってわかってて言ってるだろ」
「でも、それしかないし……」
「だから、俺はリビングで寝るって……」
「それはダメ」
「何で」
「じゃあ聞くけど、私がリビングで寝るって言ったら、リョウ君はどうするんですかねぇ?」
「そ、それは……ダメだ」
そういうことだよ、と姫奈はこれ以上の言い合いが無意味であることを示唆するかのように半目を向けてきた。
その間にも姫奈は身体を抱いて、擦っており、刻一刻と身体が冷えているのだろうということが見て取れる。
このままだとそれこそ本当に風邪を引いてしまいかねない。
迷っている時間はない。
「んあぁ、もう……わかったよ……」
涼太は諦めたように、ため息混じりで言った。
「でも、一人用のベッドだし、狭いぞ?」
「良いよ別に。むしろ、くっ付いてた方がリョウ君の体温であったかくなりそうだし、都合が良いよ」
けらけらと姫奈が笑う。
恐らく、言葉の意味なんて深く考えていないからそんな屈託のない表情が出来るのだろう。
そのせいで、涼太の心臓は今にも破裂しそうだ。
(あったかくって……マジでコイツなぁ……)
「ほら、寒いから早く入れてよ」
「あ、あのなぁ、ヒメ。お前はもうちょっと恥じらいをだな……」
何でこんなに気にせずにいられるんだ、と疑問をとっくに通り越して呆れを感じながら涼太が注意すると、ベッドに向かっていた姫奈がその前で立ち止まった。
「……恥ずかしいに、決まってるじゃん」
振り返った姫奈の顔は、見事に赤く染まっていた。
「もぉう、隠してたのにリョウ君が言うからぁ……」
ドッ、ドッ、ドッ……と涼太の鼓動が加速する。
それはもう、この静かな部屋にまで響いてしまっているのではないかと不安になるくらいには、高鳴っていた。
(お、俺の理性が……試されるな……こりゃあ……)




