第9章 仲間の無事を祈って【3】
魔法学研究所の食堂は、白衣姿の研究員たちで賑わっていた。奥側のカウンターに料理が並べられており、ビュッフェ形式の食事処になっている。六花は食が細い。これだけの料理を前にしても、手に取ったのは用意されていた皿の三分の二にも満たない量だった。
テーブルの向かいに腰を下ろしたセヴィリアンの皿は、料理が山盛りになっていた。
「リッカちゃん。この世界の料理はどう?」
「どれも美味しいです。僕の口によく合います」
「それはよかったわ。この食堂の料理は高級レストランにも劣らないと評判よ」
「ほんとですか?」
「ご賞味あれ」
セヴィリアンの笑みに表れる自信の通り、少量ずつ盛った料理はとても美味しく、六花の体を癒してくれるようだった。
周囲から笑い声が聞こえる中、六花はふと、フランクランの四人の顔が思い浮かんだ。
「みなさんは大丈夫でしょうか……」
「心配は要らないわ。なんせ、フランクランなんだから」
「……そうですよね」
フランクランは迷宮専門クランの中で“最高峰”の称号を得ている。六花のスキルがなかった頃からそう称されているからには、六花がいなかったとしても無事に攻略を完了して戻って来るだろう。それでも、六花には心配せざるを得なかった。
俯く六花に、もう、とセヴィリアンは頬杖をついた。
「今日は彼らのことを忘れるって約束でしょ。ただこの施設で過ごすことを楽しむだけでいいのよ」
「そうですけど……」
「リッカちゃんはとても真面目なのね。それに加えて心配性。アタシくらい無責任になったって、誰も怒りはしないわよ?」
セヴィリアンが片目を瞬かせるので、六花は思わず笑った。セヴィリアンは決して無責任ではないし、不真面目というわけでもない。ただ、六花はそれだけで少しだけ心が軽くなっていた。
「セヴィリアンさんはどうして魔法学研究員になったんですか?」
「うちは昔から魔法学研究員の家系でね~。アタシ、若い頃は親に反発しまくってたから、魔法学研究員になるつもりはなかったのよ」
「そうなんですか?」
「ほら、アタシ、こんな感じだし、研究員に向いてるって思えなかったのよね。王立魔道学院を卒業したら、服飾の専門校に行こうと思ってたの」
「その道は諦めたんですか?」
「諦めた、と言うとまた違うかもしれないわ。リッカちゃんの世界にはなかったと思うけれど、いまこの研究所で『魔法織』っていう、特殊な繊維の研究をしているの」
「魔法織……」
「そう。繊維の中に魔力を織り込んだ布地なの。その布地を使えば、装備の服による耐性や強化の効果がいまの数倍は期待できることになるわ。アタシはその魔法織で最上級のドレスやジャケットを作りたい。そうすれば、例えガーデンパーティで命を狙われたとしても、簡単にやられることはないでしょう?」
セヴィリアンが少し悪戯っぽく言うので、六花は小さく笑った。実にセヴィリアンらしい話のように感じられた。
「そう考えたら、魔法学研究も悪くないなって思うようになったの。だから、アタシは魔法学研究員になったのよ」
「……素敵ですね。ご家族も喜ばれたんじゃないですか?」
「どうかしらね。うちにとって、魔法学研究員になるのが当然だったから。やっとまともになった、って感じだったんじゃないかしらね」
セヴィリアンは小さく息をつく。どんな人にも何か抱えているものがある。六花はそれを知っているが、そう考えてみても、あのクラスメートたちが何を抱えて六花を夜の校舎に押し込んだのか、それだけはわからなかった。
「いまは魔法学研究も気に入っているわ。アタシってば、あれだけ反発したくせに、やっぱり研究者の血筋をしっかり受け継いでいたみたいね。いつか自分のブティックを開く夢も、諦めてはいないけれどね」
「目標があるって素敵ですね。僕は何もない……」
「なに言ってるの。いまのリッカちゃんの目標は、無事にお父様のところに帰ること、でしょ?」
六花はパッと顔を上げた。セヴィリアンは明るく笑って見せ、左目を瞬かせる。
「立派な目標じゃない」
「……そうでした。忘れるところでした」
「お父様はいまもリッカちゃんの帰りを待っているのよ。さっ、じゃあ気力を取り戻すために、おかわり行きましょ!」
「い、いや……もう、お腹いっぱいです」
「えーっ!」
* * *
昼食を終えたあと、六花とセヴィリアンは魔法学研究所を出て街外れに向かった。クォルツの診療所には相変わらず患者の姿はなく、クォルツ医師はのんびりとお茶を飲んでいる。
六花とセヴィリアンを招き入れると、クォルツはティーポットを手にした。
「ちょうどよかった。いまお茶を淹れたところですよ。どうぞお飲みなさい」
「ありがとうございます」
「食後のティータイムね」
クォルツの診療所は、医師の人柄を表すように穏やかな空気が流れている。治療を受けに来たというのに、こうしてお茶を飲んでいるだけでも心が落ち着きを取り戻すようだった。
「今日はいつもよりは顔色がよろしいようですな」
「はい。のんびりさせてもらっているので……」
「結構なことです。人間には休息が不可欠ですからな」
六花がこうしていつあいだにも、フランクランの四人は危険な迷宮内を走り回っている。それが彼らにとって当然のことであるのはわかっているが、どうしても思い出すと心配になってしまう。
「彼らにはなんの心配もありませんよ」
六花の内心を見抜いたように言うクォルツは、ひげを揺らして穏やかに微笑む。その笑みを見ると、六花は大好きだった祖父を思い出して少しだけ落ち着きを取り戻すことができる。
「今回の依頼はそう難しいものじゃあ、ありません。何事もなく、無事に戻って来るでしょう」
「そのあいだにリッカちゃんがしっかり休めてなかったら意味がないわ。笑顔で出迎えてあげましょ」
「……はい」
六花はティーカップを両手で挟む。いつもなら六花も迷宮内で怯えながら走り回っている頃だ。スキルを多用し、体力増強剤を飲み、必死に柱の場所を探る。こうして微かに揺れる紅茶の水面を見つめていると、自分がそんな状況に置かれていることをすっかり忘れてしまうようだった。
(そうだ……いまは、忘れていいんだ)
ゆっくりと紅茶を啜る。いまの六花にはそれが必要で、フランクランの四人が求めていること。いまは「異界に迷い込んだ魔力値ゼロの素人」を捨て「ただの鈴谷六花というひとりの人間」としてソファに深くもたれる。父はきっと、四六時中、六花のことを心配しているだろう。それを忘れることはできないが、父は六花が泣いていないか心配している。こうして落ち着いて過ごせていると知れば、きっと安心するだろう。
「リッカちゃんは、家にいるときは何をして過ごしているの?」
セヴィリアンの問いに、六花は向こうの世界の自室を思い浮かべる。
「本を読んでいる時間が多いですね。あとは学校の課題をやったり……テスト勉強をしたり……。特に面白いことはないですね」
「あら、面白い日常なんてなかなかないわよ」
「日常に大事なのは、いつも通りを過ごすこと。それが日常というものですよ」
「そうですね」
いまとなっては、あの自室での日常は懐かしい。ただ本を読んで過ごした時間。課題がわからなくて投げ出した瞬間。ゲームで現実逃避した怠惰。そして父と過ごした穏やかな時間。
父を思うとどうしても悲しみが湧いてくる。早く父のもとへ帰りたい。きっと、いまもひとりで六花の帰りを待っていることだろう。
「……さて、リッカくん。今日の診療をしましょうかね」
「あ、はい」
よっこいしょ、とクォルツは重そうに腰を持ち上げる。奥の診療所に向かうクォルツに六花が続くと、じゃあ、とセヴィリアンも立ち上がった。
「アタシは研究所に戻ってるわ。起きる頃に迎えに来るから」
「はい。ありがとうございます」
セヴィリアンは明るく笑って診療所をあとにする。異界であるこの街で、こうして自分に良くしてくれる人がいるということが、六花にとっては救いだった。
「さ、どうぞ」
クォルツに促され、六花は診療ベッドに横になる。祖父によく似た顔が上から六花を覗き込み、ひたいにそっと手のひらを当てた。
「ゆっくり目を閉じて。そう。静かに息を吸って……――」
クォルツの声は、あっという間に遠くなる。いまはこの微睡に身を任せていればいい。ただ、静かに眠っていればいい。
* * *
フランクランが迷宮を脱する頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。以前は六花がいなくても問題なく攻略できていたはずが、今日は随分と時間がかかってしまった。六花のスキルがあることに慣れすぎてしまったらしい。
「はあ……こんなんじゃ、リッカに顔向けできないわ」
ルーラが肩を落とす。迷宮専門クランの最高峰と称されたクランが情けない。エセルは自戒の念とともに頭を振り、軽く手を叩いた。
「とにかく街に戻ろう。リッカも宿に戻っているかもしれない」
「ええ」
ルーラが転移の魔法を発動する。宿に直行したいところだが、まずは冒険者ギルドで今回の攻略の報告をしなければならない。
冒険者ギルドもすでに人がまばらで、攻略を終えて帰る時間にしては遅くなってしまった。
「おっ、帰って来たか」
カウンターでブラントが軽く手を振る。職員の数もすでに少なくなっていた。
「随分と苦戦したようじゃないか?」
「ほんとに情けないよ」ロザナが息をつく。「リッカがいないだけで、あんなに立ち回りに苦労すると思わなかった」
「はは、リッカのスキルは優秀すぎるからな。……そんなお前たちには悪い報せなんだが」
ブラントが笑みを消すので、ロザナとルーラが顔を見合わせた。ブラントがこの表情になったとき、いつもフランクランにとっては「悪い報せ」が訪れる。それはこれまで避けることができなかった。今回も、良くないことが起こるだろう。




