37.勇者になんてなりたくない
世界がぐるんとひっくり返るような感触があって、気がつくとじゅうたんが頬に当たっている感触があった。何がどうなったかは分からないけど、とにかく即死はしていない。よっしゃ。
しかしそれにしては目の前が暗い。打ちどころでも悪かったのかな。サクヤ、前みたいにさっさと治療して……。
そう考えていると、突然あることに気がついた。目の前が暗いのはそこに何か布のようなものがあるからで、そしてその布のようなものには見覚えがある。これはカイのジャケットだ。つまり私のすぐ目の前にあるのはカイの胸で、ええっとこれはもしかして。
我に返って恐る恐る首を動かし、状況をうかがう。いつの間にか、私はカイの胸にしっかりと抱きしめられていた。彼の肩越しに、みんなの総攻撃をくらって鉄くずと化したナイト・シータの残骸がちらりと見える。
どうやら近くにいたカイが、とっさに私を抱えて避けてくれたらしい。その時にかすったのか、彼の腕には何かでばさりと切ったような傷ができていた。袖が裂けて血がにじんでいる。
けれどもカイは自分の傷に気づいていないのか、私を抱きしめていた腕を緩めてそっと上体を起こすと、優しく私を助け起こしてくれた。
「……大丈夫か」
ほんの少し眉を寄せて、心配そうな顔をしながら彼は尋ねてきた。至近距離から見つめあう形になってしまっている。
私はどこを見ていいか分からなくて困っているというのに、カイは何の迷いもなくその黒い瞳をまっすぐにこちらに向けてくる。
「わ、私は大丈夫です。でもカイさんが怪我しちゃってます」
「かすり傷だ。この程度なら問題はない」
ああ、前にもこんなことあったなあ。あれは確か初めてセンターに向かった時、ナイト・アルファと戦った時のことだ。あの時の私は今よりずっと弱くって、正直死んだと思ってたけど、こうやってカイがかばってくれて……。
とくん。
その時、心臓がひとつ大きく脈打った。思わず胸元を押さえる。私の様子がおかしいのに気づいたのか、カイがさらに心配そうな顔をするとこちらをのぞきこんできた。やはり至近距離で。
『アムーレテルネル、第一段階ロックを解除します』
その瞬間、そんなアナウンスが頭の中に聞こえてきた。どうやら今の一連の騒ぎの中で、兵器がちょっとだけ完成に近づいたらしい。いくらなんでもきっかけがささいすぎやしないかと突っ込みたくはあるけれど、それは後回しだ。
兵器が完成に近づいたのなら、マザーを抑え込む力も上がっているはずだ。上がっていてほしい。上がっていてくれないと困る。
カイに助け起こされながらもう一度シロカさんの方を向くと、ナイト・シータを倒し終わったサクヤが懲りずに彼女に向かって突撃しており、毎度ながら空気の壁に阻まれていた。
さらにそのサクヤをヒマリが追いかけているし、立ち直ったらしいマサキもシロカさんに突進を始めていた。なんか混沌としている。いや、いつも通りかも。
どうやらシロカさんが呼んだマーキノイドがあらかた片付いたせいで、みんな手が空いてきたらしい。
そして当のシロカさんはサクヤもマサキも全力で無視して、こっちをものすごい目でにらみつけている。怖い。
まあそれもそうか、気に入らない恋敵を始末しようとしたら、片思いの相手が捨て身でかばっちゃったんだから。いや、不可抗力っていうか、この場合私は悪くないと思うんだけど……。
立ち上がりながら急いで自分のステータスを確認する。装備の欄には「アムーレテルネル(第一段階)」と表示されていた。
第一段階が何を意味するのかは私には分からない。シロカさんの「辞書」スキルなら何のことなのか調べることができただろう。でも今彼女はある意味敵だ。ああややこしい。
「カイさん、私と一緒に彼女のもとに向かってくれませんか」
第一段階が何のことか分からなくても、一つ確かなことがある。私の内の兵器を完成に近づけたのは、カイだ。ならば第二段階のロックを解除するのにも、彼が必要になるはずだ。近くにいてもらうに越したことはない。
兵器を完成させる気なんてさらさらなかったけど、こうして一歩進んでしまったことだし、いい加減腹をくくるべきなんだろう。
そう、今ぐだぐだ言っていたら、シロカさんをマザーに奪われてしまう。それだけはさせない。さっき彼女に殺されかけたような気がするけどそれはそれ、だって彼女は友達だから。
カイは私以上に訳が分かっていないだろうに、それでも何も言わずうなずいてくれた。私の様子から、何かただ事でないのを察してくれたのだろう。今まで一緒に時間を過ごしたことで、それだけ信頼してもらえたということなのかもしれない。
私はカイと並んで、こちらを恐ろしい目でにらみつけているシロカさんの方に歩いて行った。そのまま彼女と私たちを隔てる空気の壁に全身でぶつかっていく。
私に触れたところから空気の壁が淡く光り、そして部屋中がまぶしい光に満たされる。弾むような空気の壁の感触が消えていった。
サクヤたちの驚く声が聞こえ、続いて誰かが走る音が聞こえた。
光が消えた時、そこにはシロカさんをしっかりと抱きしめるサクヤの姿があった。
「放して、放しなさいサクヤ!」
「いいや、放さないよ。放したら君はマザーの力を手に入れて、マザーになってしまうんだろ?」
「それが私の望みなのよ。だから邪魔をしないで!」
「君の望みであっても、そんなのは駄目だ。どうしても帰りたいのなら、君は人間のままその方法を探すべきなんだよ」
「それじゃ時間がかかりすぎるのよ! 知った風な口をきかないで!」
サクヤはシロカさんをしっかりと抱きしめたまま、少しずつ彼女を通信機から引きはがしている。いいぞ、その調子だ。ここで男を見せてやれ。
現在の彼女のマザーとの同化率は76%。サクヤが彼女のもとにたどり着いてから、同化率は上がっていない。
シロカさんはなおも何事か叫んでいる。その剣幕に、私たちは口を挟むことができない。ただ一人、サクヤを除いては。
「あなただって元の世界に帰りたいんでしょう? 一緒に帰りましょう」
「もちろん帰れるものなら帰りたいよ。でもそのために君がマザーと同化するのは嫌だ」
「どうしてそんなことにこだわっているの、あなたには関係ないでしょう!?」
「関係あるさ、だって俺は……」
お、この流れはもしかして。ずっと前からもろばれだったけど、ついに言っちゃうかー?
不謹慎ながらちょっとわくわくしてしまった。こっそりみんなの様子をうかがうと、どうやらそう思っていたのは私だけではなかったらしい。みんな万が一に備えて武器を構えながら、それでも興味を隠せていない。
「……君のことが好きだから」
はい言ったー! 告っちゃいましたー! みんなが完全に沈黙しているにもかかわらず、ちょっと自分に酔った感じでサクヤは喋り続けた。
「元の世界にいた時から、ずっと君にあこがれてたんだ。こっちの世界で君に再会できた時は、運命なんじゃないかって思ったよ」
ちょっと語りがくさくなっている。いや、告白してる途中って傍から見たらこんなものか。これだけのギャラリーを無視して語れるやつの心臓はすごいと思う。毛でも生えてるんじゃなかろうか。
みんなが息を飲んでシロカさんの出方をうかがう中、彼女は抵抗をやめておとなしくなった。これはうまくいったか、と思い始めた時、今までの剣幕とは打って変わって静かな声で彼女がつぶやいた。
「……うまくいかないものなのね。私に思いを寄せる人はたくさんいるのに、私の思いはかなわない。それはサクヤも同じ」
これって遠回しに振ってるようにしか聞こえないんだけど。サクヤもそう思ったのか、彼女を抱きしめている腕からわずかに力が抜けたように見える。けれどシロカさんは逃げ出そうともせずに、私とカイを見てにっこりと微笑んだ。
「そういうものなのだと理屈の上では納得できても、感情はそうはいかないの。だから私は感情に従うわ」
その笑顔を見た時、背筋がぞわりとするのを感じた。何か危険が迫っている。カイも同じものを感じたらしく、私をかばうように半歩前に出る。私は彼を引き留めるように、その腕に手をかけた。
その瞬間、視界が黄緑色で塗りつぶされた。シロカさんの目の色だ、そう思う間もなく気が遠くなっていった。




