35.心の準備がまだできてない
そこはスイートルームの居間らしく、繊細なつくりの豪華な椅子やソファ、低いテーブルが並んでいた。
そしてその奥に、不釣り合いに不格好な機械が一つ。さっきコテージで見た旧式の通信機に似ていて、もっと大型の何かだ。
シロカさんはその機械の前に立ち、タッチパネルに手を当てたままうつむいていた。彼女から離れたところでは、サクヤが呆然と突っ立っている。
「いた! サクヤ、何やってるのよ! あれってマザーが封印されてるやつでしょ? こんなところで油売ってないで、さっさと戻ってきなさいよ」
「俺だってそうしたかったんだけど、これ以上近づけないんだよ!」
私が呼びかけると、サクヤは必死の形相で叫び返してきた。
「近づけないって、そんなはず……」
サクヤの言葉の意味が分からなかった私は、そう言いながらシロカさんに近づこうとした。すると、突然見えない何かにはじかれて強制的に下がらされてしまった。ちょうど空気がトランポリンになったみたいな感じで、一定ラインから先に進むことができない。
「シロカさん、大丈夫!? ここは危ないし、戻ろうよ」
私はどうにかシロカさんに近づこうともがきながら、彼女に呼び掛けてみた。伏せられていた彼女の顔がゆっくりと上げられ、こちらを向いた。
隣でサクヤが息を飲むのが分かる。後ろでみんながざわついているのが聞こえた。
こちらを見ているシロカさんの目は、いつもの黒ではなく、ぼんやりとした黄緑色の光を放っていた。
「シロカさん……?」
「アイラさん、来たのね。それにみんなも」
「いきなり走り出したって聞いて、心配したよ。……あと、その目……どうしたの?」
聞いていいのかどうか悩みつつ、そう切り出す。シロカさんはそれを聞いてふっと微笑んだ。それはこんな状況に似つかわしくない、とても艶やかな微笑だった。
みんな私たちの会話に口を挟むことなく、黙って成り行きを見守っている。隣のサクヤが、どうにかして彼女に近づけないかともがいているのが目の端に見えている。
「目? ……ああそうね、少し変わったかもしれないわね」
「それ、大丈夫なの?」
「大丈夫よ。だってこれは、私が力を手に入れた証だから」
「力? あ、もしかして兵器を完成させたとか?」
前に彼女のステータスをこっそりのぞいたことを思い出す。確か、あの時既にサクヤのLOVE度は99になっていた。シロカさんとサクヤはしばらく二人きりになっていたみたいだし、その間に何かが起きて兵器が完成した可能性はある。
けれど、そんな私の希望を打ち砕くように、彼女はまたにっこりと笑って首を横に振った。
「いいえ、私が手に入れたのはマザーの力よ」
彼女の言葉に全員が凍り付いた。おそらく、誰一人として彼女の言葉をちゃんと理解できなかったに違いない。
「マザーの力を手に入れたって、どういうこと……?」
「私は兵器を宿していたでしょう? それを介して、マザーにアクセスできたの。マザーは情報体だから、基本的には機械の中に存在している」
そう言ってシロカさんは目の前の通信機を愛おしそうにそっとなでた。反対の手を胸に当てている。
「けれどマザーの居場所は、情報を保存できるものの中であれば何でもいいのよ。今は私の中にいるわ」
「それでは、君が聞いたという声は……」
「レン、あなたが想像している通りよ。私はマザーに呼ばれてここに来た。そしてマザーを宿すことにした。この世界を終わりにするために」
「な、なに言ってるんだよシロカさん!」
サクヤが叫んでいる。みんな考えていることは一緒だ。まだ比較的冷静を保てているらしいヨウが、静かに口を挟む。
「シロカ、なぜ世界を終わらせたいんだ」
その問いに、彼女は少し困ったように笑った。さっきから彼女はよく笑う。いつもの物憂げな表情を浮かべた彼女とは大違いだ。
「だってこの世界には、何もないんですもの」
シロカさんは目線を上げて、窓の外を見た。私たちの世界と何も変わらない、自然にあふれた光景がそこには広がっていた。
「私、こっちの世界に来てからずっと、戻りたくて戻りたくて仕方がなかったの。この世界に興味なんてこれっぽっちもなかった」
彼女ならそう考えても仕方ないだろう。眉目秀麗で文武両道、学校中の注目の的だった彼女には、こんな世界は空しくてたまらなかったんだろう。
「ようやくこの世界でも欲しいものを見つけたのに、それも手に入れられなかった」
強引に迫ってくる彼女に対応しきれなくなったのか、最近のカイはかなり露骨に彼女を避けるようになっていた。元の世界では手に入れられないものなどなかった彼女が、生まれて初めて手にした挫折。それも彼女をこんな行いに走らせた原因の一つなのだろうか。
「だからもういいのよ。私はマザーとして、この世界を支配する。そうしてこの世界に残された技術を解析して、元の世界に戻る方法を見つけてみせる。マザーの力があれば、不可能ではないわ。この世界はめちゃくちゃになってしまうだろうけど、そんなの知らないわ」
そう言って笑う彼女の微笑は、聖母像のように美しく清らかだった。
彼女の告白に、私たちはただ立ち尽くすしかなかった。予想をはるかに超えた事態が、目の前で進行している。のんびりしている暇はなさそうなのに、何をしたらいいのか分からない。
真っ先に我に返ったらしいサクヤが、また空気の壁に体当たりをし始めた。シロカさんは少し困った顔をして、片手をサクヤの方に向けた。
と、静電気が走った時のようなバチッという音がして、サクヤの体が大きく後ろに吹き飛んだ。ミヅキとヒマリが駆け寄っている。
「お願い、邪魔をしないで。この世界が壊れてしまうのは構わないのだけど、あなたたちに直接手を下したくはないの。一緒に旅をした仲だし、私にもそれくらいの情はあるのよ」
「な、なあシロカ! あんた、俺たちの世界がめちゃくちゃになってもいいって、本当に思ってるのかよ」
一歩前に進み出ながらマサキが叫ぶ。いつもの彼らしくない、必死な声だ。
「残念だけど、そうね。私が帰りたい世界はここじゃないから。この世界を犠牲にすることで元の世界に戻れるのなら、私はそちらを選ぶわ」
涼しい顔であっさりとシロカさんが返す。マサキは絶望したような顔になると、そのまま棒立ちになってしまった。
そんな彼らを見ながら私はまだ考えていた。何か、何かここからできること。
シロカさんがマザーを宿しているのなら、私やサクヤの兵器で抑制できるんじゃないか。いやしかし、さっきサクヤは弾き飛ばされてた。未完成の兵器よりもマザーの力の方が強いのかもしれない。
そもそも、人間の中にマザーが宿るってどういうことなんだ。シロカさんの中に宿ってる兵器はどうなってるんだ。
……あ、そうか。「鑑定」してみればいいのかも。
顔を上げてシロカさんを見、鑑定スキルを発動させる。
私の目に映ったステータスウィンドウは、いつもとは全く違うものだった。
『マザー Lv.0(同化率:30%)
アムーレテルネル(封印)』
いつもなら名前にレベルにステータス、色々な情報にあふれているはずのウィンドウに表示されたのは、その二行だけ。
それでも、ここから分かることは多い。まず、まだシロカさんはマザーの全てを宿してはいない。つまり、マザーとしての彼女もまた未完成なのだ。そして彼女の内にはまだ兵器がある。封印されてはいるけれど。
この情報を踏まえれば、やるべきことは一つ。私は後ろで呆けているサクヤに向かって叫んだ。
「サクヤ、ぼけっとしてないで行こう! シロカさんはまだマザーの力を全部手に入れてない! だったら、二人分の兵器の力を合わせれば押し切れるかもしれない!」
「お前……そうか、『鑑定』したのか。まだ……シロカさんは戻ってこれるんだな」
「今なら、たぶん」
「分かった!」
吹き飛ばされて尻もちをついたままだったサクヤの目に力が戻り、飛び跳ねるようにして立ち上がると私のところまで走ってきた。互いにうなずきあうと、二人三脚のように肩をそろえてシロカさんに突撃する。
トランポリンのような空気の壁にぶつかったが、そのまま前向きに走り続ける。はじき返されてたまるかとふんばると、少しずつではあるが体が前に進み始めた。よし、いける。
ところが私たちのそんな地道な努力は、シロカさんによりあっさりと無駄になってしまった。ねばつくように重い周囲の空気がパリパリと小さな音を立てた次の瞬間、さっきと同じようにバチッと大きな音がして衝撃が走った。私たち二人がまとめて吹き飛ばされる。
そのうちこの攻撃が来るだろうなと予測していたこともあって、二人とも無様に吹っ飛ぶことなく、きちんと受け身をとって着地する。
「私はもう少しここにいなければならないの。邪魔をしないで」
シロカさんが不満そうに窓の外を見る。と、彼女は何かを思いついたように小さく笑った。
「そうね、そんなに暇ならこの子たちと遊んであげて」
微笑む彼女の後ろの窓には、空飛ぶマーキノイドの姿がいくつも現れていた。




