16 sideフランシス
婚約破棄から三日が過ぎても、エリーゼは王宮へ姿を現さなかった。だが、フランシスは気にすることもなかった。
魔力移植の術が完成するにはあと五年かかるが、全ての魔力を奪ったことに安心していたのだ。
術の完成要件であるエリーゼからの愛情と信頼。これが消えるなどあり得ないとも思っていた。だから三日ほど姿を見せなくても、焦る理由などどこにもなかった。
しかし四日目の朝、その余裕は侍従の一報によって打ち砕かれる。
「フランシス殿下、大変です。マルベール公爵家より報告がありました。マルベール公爵令嬢は婚約破棄された翌朝、王宮へ向かうと言って屋敷を出られたまま、お戻りになっておりません」
「……何だと?」
フランシスが思わず立ち上がると、向かいに座っていた王妃も目を見開いた。
最初に頭に浮かんだのは事件だった。高位貴族の令嬢を狙った誘拐か、それとも事故か。
だが、侍従が「部屋の宝石箱が空になっていた」と続けた瞬間、その考えは消え去る。宝石を持ち出して姿をくらます――それは、自らの意思で逃亡を図る貴族令嬢の常套手段である。宝石は持ち運びしやすいし、すぐに換金ができるからだ。
(まさか……自分の意思で私の前から消えたのか?)
胸に小さな違和感が芽生える。ふと、フランシスはあの日のことが気になった。
「エリーゼが最後に王宮へ来た日だ。マルベール公爵家の馬車が正門を出たのはいつだ?」
フランシスに呼び出された門番は、少し考えた後に自信ありげに答えた。
「夕刻の鐘が鳴る少し前でございます。ちょうど交代の時間でしたので、よく覚えております」
エリーゼがサロンを退出したのは午後も半ば。
そこから夕刻まで、彼女はどこにいた?
その瞬間、フランシスの背筋に冷たいものが走る。
あの日、薔薇の庭園で父上と母上、ヴィヴィアン、そして自分は何を話しただろうか?
エリーゼから魔力を奪ったこと。
完全に魔力が定着するまであと五年かかること。
それまでは愛しているふりを続けなければいけないと愚痴ったこと。
本当に愛しているのはヴィヴィアンなのに、と口走ったこと。
あと五年すればエリーゼは死ぬとも、ヴィヴィアンは言っていた。
(誰もいないと思っていた。だが、本当にそうだったのか? ……まさか――)
エリーゼはあの会話を聞いていたからこそ、翌朝すべてを捨てて姿を消したのではないだろうか?
そう考えた途端、全身から血の気が引いていく。
もし彼女が立ち聞きをしていたのなら、フランシスへの信頼も愛も、すでに失われつつあるのかもしれない。そしてそれは、フランシスの破滅を意味していた。
「捜せ! 王都中を探せ! 宝石商、質屋、宿場町、街道、すべてだ! 国境の警備も強化しろ! 絶対に国外へ逃がすな!」
怒号に騎士たちが一斉に駆け出す。その騒ぎを聞きつけた国王がサロンへ姿を現し、侍従から事情を聞くと、フランシスに向かって庭園の大木を指差した。
「フランシス。今すぐ、あの木を切ってみよ」
「えっ? わ、わかりました……風の刃よ、樹木を断ち切れ――ウィンドブレード!」
呪文を唱えると、圧縮された風が鋭い刃となって放たれる。しかし、以前なら一瞬で切れていたはずの大木は、幹の半ばまで裂いただけで風刃が霧散した。
「……嘘だ、こんなはずでは」
もう一度、さらに魔力を込めようとする。
だが今度は、風の刃そのものが生まれなかった。
「そんな……」
喉がひりつく。
奪った魔力は、まだ完全にはフランシスのものではなかった。
魔力の定着に要する五年間にエリーゼが彼への愛情と信頼を失えば、魔力は少しずつ本来の持ち主へ戻る仕組みで、エリーゼの命が失われることもない。そのことを知っていたにも拘わらずフランシスは油断した。
どうせエリーゼは、自分のもとを離れない。そう高を括り、一日でも早くヴィヴィアンを王妃に迎えたいという自分の欲を優先した。
フランシスは彼女が決して疑わないよう振る舞ってきた。優しく接し、未来を語り、愛していると囁き続けた。しかし、最後の最後で愚かな判断をし、すべてを狂わせたのだ。
ゆえに彼のものになるはずだった魔力は、今この瞬間も少しずつ、確実に正当な持ち主であるエリーゼのもとへ戻っていた。
「なんてことだ……だから、余はもう少し待てと言ったのだ。それを王妃とフランシスがヴィヴィアン可愛さに、エリーゼより優先した。あのままエリーゼと婚姻し王妃に据えて大事にしてやれば、魔力移植の術は完成したのだぞ!」
国王の顔は青ざめ、責任はフランシスと王妃にあると主張した。
「だって……フランシスが本当に愛しているのはヴィヴィアンなのですよ。それにヴィヴィアンもフランシスを愛しております。愛し合う二人を応援したくなるのは当然ではありませんか」
王妃は床にへたり込み、肩をがっくりと落とした。
一年後にはフランシスの戴冠式が控えている。この三人は激しく民や貴族達から責められるだろう。
ポワブール王国では、新たな王は戴冠式で自らの魔力を民と貴族たちの前に示し、その圧倒的な力によって王たる資格を証明するのが古くからの慣例である。
歴代の王たちは巨大な炎を天へ噴き上げたり、大河のような水流を生んだり、暴風を自在に操る姿を披露し、民はその力に歓声を上げ、貴族たちは新たな王へ忠誠を誓ってきた。
だが、このまま魔力が失われ続ければ、そんなことは到底できない。属性魔法どころか生活魔法すら満足に扱えず、民衆の前で無様な姿をさらすことになるだろう。
生まれつき魔力を持たない王太子。それはずっと隠されてきた事実だ。しかし、エリーゼの魔力を奪うことで、フランシスは王になれるはずだった。
魔法を使えない事実が白日の下にさらされた瞬間、失うのはフランシスの面目だけではない。王家が代々築き上げてきた威光は地に落ち、王も王妃も王族としての立場を失うことになるのだ。
「あり得ない……私から魔力がなくなっていくなんて。エリーゼが私を嫌いになるなんて……」
額を冷たい汗が伝う。たった一日の油断が、命取りになったのだ。
指の隙間から零れ落ちるように失われていく魔力を感じながら、フランシスは戴冠式で罵詈雑言を浴びせられる恐怖に震えた。
「頼む……エリーゼ! 戻ってきておくれ!」
フランシスはこの期に及んでも、なんとか誤魔化せばエリーゼの心を取り戻せると信じていたのだった。




