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8話 どうすれば天羽さんの笑顔を守れる?

 あれから、カピバラざえもんの会場を出た僕たちは、フードコートでランチを食べ終えた。


「ねぇねぇ。この後行きたい所ある?」

「え? いや、特に無いよ。天羽さんは?」

「私も、特には。だから、その、もし良かったら、すぐ近くのカラオケなんて、どうかな」


 ついに来てしまった。


「あ、嫌だったかな?」

「あ、ああ、ごめん。そうじゃなくて……ちょっとトイレ」


 僕は、何とか笑顔を作り、その場を離れる。

 ここ、だ。

 携帯を見る。まだ1時間半ある。しかし、今このタイミングでどの選択をするかが、未来の分岐点だろう。

 今回は、規模が違う。今までは天羽さん1人が死ぬ状況で、天羽さん1人をその場から離れさせればそれで解決していた。

 だけど、火災は……多くの人が死ぬ。そんな未来を見てしまった以上、人として普通に見過ごす訳にはいかない。

 火災は止める。しかし、それを絶対に見られてはいけない。だから天羽さん達がカラオケ店に入る前に他のお店に行くよう誘導する事を最初のうちから考えていた。なぜなら、もし、何の訓練もしていない僕が火災を止めるような命知らずな事をする所を見られたら、何か未来が見える事を疑われるし、今までの不自然な奇跡を疑われて寿命が見える事を勘づかれる原因にもなる。それに……僕が危ない目に遭う事で、天羽さんをもう悲しませたくない。

 ここで、決まる。

 覚悟を、決めろ。

 デートを終わらせる覚悟を。




◆◆◆◆◆




 再び、天羽さんの所へ。

 ランチを食べ終えたお皿が片付いている。


「お待たせ」

「ううん、大丈夫だよ」

「お皿、ありがとうね」

「いいよいいよ」

「…………あの、さ」

「うん? 何?」

「カラオケ、また今度でいいかな」

「え? うん。いいけど……どこか行きたいの?」

「うん。あのね……喋りながら……」


 挙母市(ころもし)駅の方面に歩きたい、と言おうとして、ふと止まる。外はまだまだ暑い。今朝、天羽さんが帽子を被って来たほどに日照りが強い。だからと言って帽子を被れば良い訳ではない。今のファッションに、その帽子は似合わない。普通に考えて、こんな事を提案すれば天羽さんが困るだけ。

 何か、上手くいくプランは……。


「ごめんね」


 なぜだろう。天羽さんが謝ってきた。


「私、こういうの初めてで。どこに行けば石上くんと楽しめるかな〜って、すぐに答えを出そうとしてた。急に難しい事聞いてごめんね」

「あ、ううん、大丈夫だよ。僕こそ、遊びに誘ったのに……頼りなくて、ごめん」

「そんな事ないよ。誘ってくれて嬉しかった」


 空気が重い。今すぐこの空気を変えたい。でも、方法が分からない。

 せっかく街中に来た。お洒落してくれた。2人きり。なのに、街を離れる。必要性は充分分かっている。僕が楽しむでもなく、天羽さんを楽しませたい事でもない。どう繋げれば辻褄が合う? これ以上、どうすればいい……。


「石上くん。もしかして、この後何か予定あった?」


 的を射るような、一言が刺さる。


「何となくね。今日は元々、会う約束してなかったけど、石上くんは、どうしてここに?」

「それは…………」


 言えない。上手い嘘も、咄嗟に出てこない。

 言ってしまおうか。なんて本音を、僕は振り払う。

 自分があと何日で死ぬかなんて、そんな悲しい未来を知りながら生きる事を、天羽さんにはしてほしくない。

 天羽さんには、パン屋になる夢がある。食べる人の笑顔のために新しい事に挑戦していく、芯の強さがある。そして、その食べた人が喜べば、一緒になって喜んでくれる、心の清らかな女の子。ちっぽけで情けない僕だけど、守りたいと思えた可愛い女の子。天羽さんには、このまま長い人生をまっすぐに楽しく過ごしてほしい。そう願って止まないから。だから僕は、絶対に天羽さんに言わない。


 ……可愛い……まっすぐに……

 そうか、その手があった。


「天羽さん。頼みがある」

「うん、言って」

「今日は、まっすぐ家に帰ってほしい」

「理由を聞いてもいい?」

「うん。理由は……」


 今。この土壇場で、ふと出てきた。絶妙に天羽さんを誘導しつつ、伝えていい本音が。


「天羽さんがめっちゃ可愛くて、直視できないから」


 確かに思うその一言をぽつりと言う。

 すると、天羽さんは、みるみる顔を俯かせ、少し小さくなってしまった。


「……そんなに、なんだ」

「うん。そんなにも。だから、このまま人混みで遊んでたら、他の男に目を付けられる。それは嫌だから、今日は帰ろう」


 何とも無茶苦茶な理論。でも、確かにそれも本当に思う事。今の僕には、これが最善手。

 天羽さんの反応は……。


「…………分かった。じゃあ、家まで送ってくれる?」

「……うん」


 一瞬、移動時間を計算して、頷く。

 僕らは、無言で、手を繋いで、店を出ていくのだった。




◆◆◆◆◆




 それから僕らは挙母市駅へ向かい、電車に乗り、地元の井上駅へ。歩き慣れた暑い道を、手を繋いで一緒に歩く。天羽さんは緊張しているようだけど、僕は、心のどこかにぽっかりと穴が空いているような虚しさがあった。


「着いちゃった」

「うん」


 気付けば、天羽さんの家に到着。


「じゃあ、またね」

「……うん」


 手を、離した。


「石上くん」


 離した直後。天羽さんが、両手で包むように握ってきた。


「ど、どうしたの?」

「他の男の人に……ってさ。家の中なら大丈夫だよね」

「!?」


 それが何を意味するか、分かってしまう。


「家なら、そういうの気にしないで、一緒にいられる。それに、今は誰もいないし」


 天羽さんの握る両手が、わずかに震える。


「もう少し、一緒がいいな」


 震えが大きく……僕の心臓までも震わせる。というか、僕も震えてきた。心臓の鼓動が強すぎて、手先まで揺れている。頭が熱い。

 天羽さんの、恥ずかしさで隠れたいのに目だけは僕の返事を待っている、そんな繊細な表情を見てしまった。僕にしか見せない、僕だからこそ見せてくれた、そんな特別な表情を。


「天羽さん」


 僕は、揺れた決意を、定める。


「ごめん」


 マグカップの入った紙袋を、天羽さんの手に持たせる。

 手を抜き、背を向ける。


「本当に、ごめん。天羽さんは、何も悪くない。僕が悪いんだ。不器用で……ごめん」


 僕は、振り返らず、走る。

 天羽さんの視線を感じる。

 でも、僕は振り返らない。振り返れない。

 



◆◆◆◆◆




 僕は、消火器を持って、カラオケ店のあるビル1階を走る。

 もう既に天羽さんは安全な所にいる。時間は余裕がある。大勢の命は守れる。走る必要は無い。それでも、走る。


『もし良かったら、すぐ近くのカラオケなんて、どうかな』

『お願い……もう少し一緒がいいな』


 天羽さんが勇気を出して言ってくれた、僕の傍にいたい願いを、叶えられなかった。

 それを叶えれば、火災で大勢が死ぬ。

 火災を防げるのは僕だけ。僕がやるしかない。

 その様子を天羽さんに知られる訳にはいかない。死の未来が見える事を疑われ、寿命が短く、僕が守るしかない人生なのだと自覚されたら……パン屋になる夢はどうなる。明るい未来を夢見る事が出来なくなる。他者と一緒に喜べる清らかさが曇るかもしれない。

 だから。

 ずっと。

 ずっと僕は。僕だけが、犠牲になってもいいと思って。

 見たくもない無惨な夢を……天羽さんが死ぬ夢を、何度も何度も見る事ですら、耐えられてきた。

 その行く末に、天羽さんが笑っていてくれると信じて。

 でも。

 守れなくて。悔しくて。苦しくて。

 天羽さんが、悲しみを見せまいと無理して呼び止める言葉を我慢していたのも、振り返らずとも分かった。心にぽっかり空いた穴から、どうしようもなく自分が情けないと痛感した。

 好きな女の子の笑顔を守る事が出来ないのか。あれほど守りたいと言っていたのに、僕は口先だけなのか。肝心な時に守れない。今まで積み上げたものは、これほどに薄っぺらいのか。


「きゃああああ!」


 ぽつんと立って思考に沈んでいると、目の前で悲鳴が。1階にいる客のリュックから、煙が。その持ち主が慌てて振りほどくが、そのリュックが炸裂音を出して燃えていく。

 周りの人が逃げ惑う中、消化器を持った僕だけが、何の感情もなく近付いていく。

 白黒の夢で何度も見た。夢の中なら僕は息苦しくならないから、火の中を進み、火元を調べる事に成功していたから。原因は、ごく普通の客の携帯電話のモバイルバッテリーの発火。それがリュックの中の本で燃え広がり、投げられた先にある足マットに燃え移って……天羽さんが逃げられないほどの事態になるのだ。

 でも、燃え移る前に消してしまえば済む話。


「……」


 火を消し、中身を出したのになぜか重く感じる消火器を捨て、僕はゆらりゆらりと前を見ず歩く。

 騒ぎの少ない静かなビルの隙間へ、僕は崩れるようにもたれた。気力が抜けて体が重い。日照りの暑い中を走った事や精神的な疲労がどっと押し寄せてきて、心の中は冷えきっているようだ。

 これからどうする。どんな顔で会えばいい。どうすれば天羽さんの笑顔を守れる?


 誰か……教えてくれ。


「石上くん」


 苺谷さんの声が。


「私見てた。なぜか君は花恵ちゃんと帰った。君だけがここに来て、火事をすぐ止めた。まるで、火事が起きるのを分かりきってたように、迷いが無かった。君、本当に何者なの?」


 僕は、すぐには苺谷さんの顔を見られなかった。




◆◆◆◆◆




 場所は変わり、僕と苺谷さんは今、例のカラオケ店にいる。


「ここなら誰にも聞かれない。飲み物も飲めるし」


 そう言って苺谷さんはいちごオレを飲みながら、僕を見据える。


「言っておくけど、私は口が固いから」

「……どれくらい?」

「花恵ちゃんの秘密。沢山知ってるけど誰にも言ってない」

「何それ気になる」

「ダメ。絶対言わない」


 沈黙。まぁ、冗談はさておき。


「今の状況もね、花恵ちゃんにも鈴子ちゃんにも言ってない。……そもそも駅の待ち合わせとかを教えたのも誰にも言ってない。私は、口が固いけど、その情報は頑張ってる人を支える為に使うようにしてる。でも、石上くんが話す話さないは石上くんの好きにしていい」


 そこまで言って、いちごオレを一口。そして沈黙。

 僕を悪いようにしないという信頼の証明。

 確かに、待ち合わせ時間や、どこで買い物をしているのかを苺谷さんが教えてくれたから、今日は天羽さんと素敵な時間を過ごせたし、火災を止められた。僕が誰にも言ってないのに、必要な情報を必要なタイミングで。

 ……。

 少し。ほんの少しだけ、支えてもらってみようか。そう思える芯が、苺谷さんにある。


「聞いてくれる?」

「うん」

「実は───」


 僕は、話す。天羽さんの死ぬ時間と、死ぬ場所で何が起こるのかを見られる事を。

 こんなありえない話を信じてくれるのか? と、話してる僕自身がなぜか不安になりながら話す。


「って、感じ」


 僕は話し終え、烏龍茶を飲み干す。

 苺谷は、無言で、腕を組んで天井を眺めている。


「おかわりは?」


 無言で頷く。


「同じやつ?」


 無言で頷く。

 僕は部屋を出て、ドリンクバーに。

 苺谷さん、表に出さないけど、驚いてるだろうな。すぐ理解できなくて当然だし。何をどう支えればいいかを答えられるのかな。逆に心配になってきた。

 部屋に戻る。苺谷さんは、変わらず腕を組んでいたが、こちらを見て「ありがとう」と。

 コップをテーブルに置く。


「石上くん。今まで一人でよく頑張ったね」


 烏龍茶を飲む口が止まった。


「花恵ちゃんが死ぬ場面を何度も見ながら、花恵ちゃんに気付かれないように、幸せな日常を守り続けるのって、嘘をつき続けるようで、精神的にすり減ると思う。今日みたいに危ない事をすると、余裕が無くなる時もあると思う。もしかして、この前の雨の日の相合傘も、そんな感じ?」

「……うん。その通りだよ。あれは、歩く時間を変えるためだった。でも、すごいね。そこまで推測して、分かってくれてさ」

「だって、私も同じ気持ちだもん。私がその力に目覚めたらって想像してみたら、石上くんと同じ事をしていたと思う」


 いちごオレを一口。


「だから、これからは私も花恵ちゃんを助ける……ううん、石上くんを助けるよ」

「っ!」


 初めてだ。普段から無表情な苺谷が、微笑んでくれた。

 そして、苺谷さんも同じ気持ちだと、寄り添ってくれた。

 僕は、間違ってなかった。ただ、一人で頑張りすぎていたんだ。


「……ありがとう」


 僕は、冷えていた心に熱が戻るのを感じた。




◆◆◆◆◆




「なるほど。10日後、学校の帰り道で電線が勝手に垂れて感電死……ね」


 翌朝、僕は家を出てすぐ、誰もいない道路を歩きつつ、苺谷さんに電話をして、昨晩見た死の未来を話した。


「分かった。ちょっと待ってね。……あ、もしもし」


 すると、苺谷さんは2つ目の携帯電話を出したようで、話し始めた。

 苺谷さんは、慣れた口調でその電話口の人に電線を調べてもらうよう頼んだようだ。特に10日後の下校時間は念入りに。


「お待たせ」

「うん。今のは誰?」

「私の兄。この町の裏ボス」

「……え?」

「まぁ、気にする必要無いよ。たった今、業者を向かわせたから。とにかく、石上くんは何も心配しなくて大丈夫。花恵ちゃんの傍にいてあげて」

「……う、うん。分かった」

「それじゃ」


 そこで、電話は終了。

 たった今……とか、他にも色々とツッコミ所が満載だけど、知りすぎるのも良くない世界があるようだ。

 そう思って携帯電話をポケットに入れて角を曲がった、その時、僕は目を疑った。

 夢で見た電柱に、 大勢の作業員が集まっており、高所作業車がクレーンを上に伸ばし、その先のゴンドラに乗った作業員が、夢で見たその電線を調べていた。

 早すぎて、開いた口が塞がらない。

 僕は、とんでもない人が味方に付いてくれたらしい。




◆◆◆◆◆




「あ」


 学校に着くと、校門で天羽さんを見かけた。いつも通りの制服姿で、栗色の長い髪を揺らして歩いている。

 つい、昨日の事なんだよな。

 天羽さんの右手と、僕の左手が、ぎゅっと繋がれていて。もっと長く傍にいたいとお互いに思っていて。でも、昨日の僕はそんな余裕が無くて。手を離してしまった。

 怒っているだろうか。悲しんでいるだろうか。知りたいけど、知りたくない気持ちが邪魔をする。歩く速さは、速くも遅くもならない、どっちつかず。僕はやっぱり優柔不断だ。


「わっ」

「うわっ!?」


 いきなり後ろで声がして、驚いてしまった。振り返ると、そこには苺谷さんがいた。


「びっくりしたよ……どうしたの?」

「花恵ちゃん、あそこにいるよ」

「うん。知ってる。昨日、酷く悲しませちゃって。どんな風に会えばいいか……」

「石上くん」


 苺谷さんが、僕の隣を歩いて。


「君は、色々あって疲れちゃったと思う。でも、人に助けを求めたり甘える事をちょっとずつやってみよ。花恵ちゃんはね、君が思うよりも強い子だから。思いきって慰めてもらお?」

「苺谷さん……そう、だね」

「よし。じゃあ今からレッツゴー」

「え? ええ?」

「ほら、考えても始まらない。全力で善は急げ。ほら早く」

「えええええっ!?」


 苺谷さんが、僕のリュックを叩く。

 お兄さんの事は知らないけど、きっと兄妹で似ているのだろう。2人とも、全力で善を実行している。

 全力で善は急げ……。優柔不断な僕には、それくらいが丁度良いのかもしれない。


「天羽さんっ!」


 僕は、天羽さんを廊下で呼び止める。

 天羽さんは驚いて少し浮き、ゆっくりと振り返る。目が合うと、天羽さんの目元が少し緩んだ。


「石上くん。おはよう」

「お、おはよう。あの、その……」


 いざ目の前にすると、さっきまで考えていた言葉が詰まってしまった。昨日の天羽さんの落ち込んだ顔が、記憶に新しい。もうそんな事させたくないのに。また昨日みたいな事にならないか、自分に自信が持てない。

 強くもない僕が、何て言えば安心させられるのだろうか……。


「石上くん」


 優しい呼び掛けに、僕は顔を上げる。

 天羽さんは、僕に微笑みながら。


「……」

「……」


 何だろう。何も言わないのかな?


「あ、天羽さん。どうしたの?」

「……ん〜ん」


 軽く首を振り、そしてまた何も言わず目を合わせている。


「……」

「……」


 でも、何となく。天羽さんは、このやり取りを、楽しんでいるような。その小さな笑顔に、そんな温かさを感じた。


「あの。そろそろ行こ」

「……うん。分かった。続きは、また後でね」

「えっ? そ、そんなに楽しかった?」

「うん! 石上くんの目を見てると、楽しいよ」

「そ、そっか……僕も同じだよ」

「えへへ。良かった」


 2人で隣り合って廊下を歩く。

 このままでは教室に着く。その前に、これだけは言わないと。


「あ、天羽さん」

「何?」

「昨日は、長く一緒にいられなくて、ごめんね」

「ううん、私の方こそ、ごめんね。色々と、あれこれ困らせちゃったし」

「あれこれ……うん。びっくりしたけど、でもね、もう大丈夫。これからは、ゆっくり時間を掛けて、天羽さんを見ていくから」


 そう言うと、天羽さんは立ち止まる。


「ふふ。分かった。ちょっとずつ、お洒落していくからね」

「お、お……お手柔らかにお願いします」


 ゆっくり時間を掛けて、段階を踏んで平常心を鍛えていこう。僕はそう心に誓った。

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