25話 (終) 大好き
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「ふぅ、うう」
誰も居ない小さな一室。一人暮らし用の小さなキッチンがあり、シングルベッドに冷蔵庫、机と椅子がある、質素な部屋。その机でパソコン作業をしていた僕は、丸くなっていた背中を伸ばす。視線は白い天井へ。
今日見た夢をパソコンに打ち出し、保存して終了。今日の仕事は、これにて終了。
手早くパソコンをカバンに入れ、部屋を出る。白い廊下をカツカツと歩き、すぐ見えてくる一室の前に立つ。一応ノックしてから入った。
───ガチャ
入ると、そこには、筋肉隆々で銀色のスーツに身を包んだ一人の男性が、腕を組んでパソコンとにらめっこしていた。ノックに気付かないくらい集中しているけど、もう14年も付き合いのある僕は構わず話し掛ける。
「創さーん」
僕の呼び掛けに、苺谷創さんは、パッと晴れやかな顔で振り向く。
「おー、駆馬。終わったか?」
「終わりました。いつものファイルにありますんで、よろしくお願いします」
「おう! 任せとけ!」
「じゃ、お疲れ様でーす」
「あー! ちょっと待て!」
創さんが何かを思い出したようで、厚紙の箱を僕に見せる。
「何ですか? それ」
「めちゃ旨ぇ水まんじゅう。ほら、ゴルフ場の落雷のやつ。助かったお礼を駆馬にしたいってさ」
「なるほど。じゃあ遠慮なく……1個食べました?」
「悪ぃな! つい! はっはっは!」
「相変わらず仕事が早いですね」
このやり取りも慣れている。微塵も呆れる事は感じなくなった。
「何だ、駆馬。最近は塩対応じゃねぇか。ここに来た最初の頃は、早すぎですよ! とか言って反応良かったじゃんよ!」
「そんな時もありましたね。もう……14年ですか」
そう。僕は、創さんの会社に就職して、14年。表向きには道路整備の会社なんだけど、僕の未来を見る力によって新聞に載るような不慮の事故や事件を防げると気付いた創さんが、その幅広い人脈を活かして警察長や市長と連携して街の平和を陰ながら守っている、という仕事をしている。
今回みたいに、死なずに済んだ人からの贈り物が来るのも、例を挙げきれない。僕自身、やりがいを実感している。
「俺からも礼を言わせてくれ。駆馬のお陰で皆ハッピーだ。いつもありがとうな」
「はい。誰だって長生きしたいですもんね」
そう……誰だって。
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電車に揺られて帰る途中で。今日は久しぶりに早く仕事が終わり、特に疲れも無い。手持ち無沙汰になった僕は、何となく外の流れる景色を見る。
外は、いつもと変わらない街並み。ちらりと見えるトヨカドの壁面は、昔と比べてやや色褪せている程度。
振り返ればあっという間に感じる、10年。
花恵さんと再会したあの日から、時が経ち、今年で僕は32歳。
あの世界で再会した頃を思い返す。
花恵さんの説得もあって、僕は、長く生きられる運命を引き寄せるべく、死の未来を見ては花恵さんに伝えて、そこに行かない人生計画を組んで長く生きる工夫をして、未来を変化させて……という事を繰り返した。びびりだった僕は死が早まると思っていたけれど、そこは花恵さんの予想の通りになり、死が遅まる未来も出てきた。当然だけどそこに行かない計画を組むから、それを繰り返すうちに少しずつ寿命が伸びていった。
変化させた数の合計は、6666回。その多くを占めるのが交通事故で、次いで肺炎。外出先や旅行先で不幸な目に遭う未来がそんなにも。花恵さんは、これからの一生涯をかけて、その6666もの膨大な数の死の危険を警戒しながら生きる事になった。
……でも。そこから先は無い。6667回目は見れない。
天寿を全うして90歳より長く生きられる未来を僕は求めていたけれど、叶わなかった。
6666回目を境に、左手薬指から見られる未来が、変わらなくなった。つまり、それ以上長く生きられないに等しい。花恵さんの寿命が、決まってしまった。
その未来の内容は……
76歳で脳の橋出血を起こし、一命を取り留めるも手足が麻痺して会話や呼吸が難しくなり、1年間寝たきりの後……享年77。静かに眠るように生涯を終えるという未来。
……付随してそれが意味するのは、花恵さんは僕と結婚すれば、天寿を全うする未来が訪れないという事。
77歳。
早すぎる。
本当なら花恵さんは90まで生きられる健康な体なのに。何が悪いのか。僕と結婚する事が間違いなのか。どうにか予防する方法は無いものか。タイミングさえ分かっているから発症する時に病院にいて即手術すれば寝たきりにならない程度に麻痺を軽傷で済ませられてもっと命を長らえる事が出来るのでは。僕は、そんな疑問を抱いた。しかし、そこは人の呼吸を司る替えの効かない大事な場所であり、出血を予防する方法がいくつかあれど確証が出来ない事や、麻痺や呼吸を回復させる事が人の手でどうにか出来るものでは無いという結論に、調べても調べてもそこに辿り着いてしまった。
22歳だった当時、その変えられない運命を恨み、自分自身への憤りが煮えたぎっていた。
けれど、そんな僕に花恵さんは、笑顔で、こう言ってくれた。
『これから55年、いっぱい、いーーっぱい! ご飯作る! いっぱい食べてね!』
息が、震えていた。
自分に残された時間と、その人生の終え方を知らされ、受け入れたくないのに。死の恐怖を知った上で、55年という少ない時間を僕と過ごす人生を選んでくれた。
そんな覚悟を含んだ笑顔を見た時、僕は目が覚めた。その日を最後に、僕は結婚を悔いる事を止めた。過去を後悔したり、手の届かない未来を羨望したりしていては、手元の小さな輝きを見失ってしまう。
だから、僕は前を向く。
だって、いつまでも下を向いてたら、花恵さんは僕の顔を見られない。僕にしか見せない花恵さんの幸せな笑顔は、僕も花恵さんも前を向かないと見られないから。
───ガチャ
そんな事を考えながら、表がパン屋の一軒家の裏口にある扉を開ける。すると、奥からドタバタと足音が聞こえてきて……
「キャハハハハ! 帰ってきたー!」
「パパー!」
8歳の娘と、6歳の息子。
そして…
「おかえり」
キッチンでジュージューと炒めている、エプロン姿の花恵さん。ホッと安心して笑顔をほころばせている。
「ただいま」
「ふふ、何か良い事あった?」
「花恵さんの笑顔が見れた」
「ふふっ、そっかぁ。私もだよ」
そう。僕と花恵さんは、結婚した。出産で死ぬ26歳になる前に、23歳の時と25歳の時に子宝を産んでくれた。死ぬ未来を何度も書き換えている途中から、26歳になる前に出産すれば死なない事も分かった。
結婚してから見られなくなった他の19の未来では、よくよく調べたら、あの子たちは養子だった。養子の子たちも涙を流して看取っていたから、間違いなく愛のある家族だった。
だからこそ、今ここにある景色は、僕にとっても、19パターンある養子の子ども達にとっても、ずっと欲しかった未来。
花恵さんが、ずっとずっと叶えたかった未来。
花恵さんを産む時に亡くなってしまったお母さんが花恵さんに注いであげられなかった愛情の分を、花恵さんが死なずに産んで愛を注いで子ども達の成長を見守っていける、最高の未来が、今ここにある。
「はは……ははは」
「どうしたの?」
「何でもない。今日も賑やかだね」
「ふふふ! そうだね。目が離せないよ」
子どもの成長は本当に早い。ゆりかごで眠ってると思ったら、あっという間に大きくなって、今では家中を走り回っている。思いっきり遊んだり、花恵さんの家事の手伝いをしたり、転んで泣いたり……そんな毎日があっという間に過ぎていった。
時間は、限られている。
だからこそ、より強く思う。今この瞬間にしかない幸せを大切に噛みしめて、大切な人と一日一日を一緒に過ごしていきたいと。
「駆馬くん。オムライスどれくらい食べる?」
「お皿山盛りで」
「は〜い」
そんな、嬉しそうに笑って僕のために料理を作る最愛の妻を、後ろから抱きしめる。
左手で左手を包むと、指輪と指輪がカチリと当たった。
「花恵さん。大好き」
「私もだよ。大好き」




