あの星を守れ(3)
そんな中、F-3とF-4が誕生した。F-4はそののち改称されF-233となった。どちらも21世紀後半世界のベストセラー機として君臨した。しかしそのとき日本はまさしくどん底に落ち込んでいた。まさしく『戦闘機成って万骨枯る』ともいうべき悲しい事態だった。しかしどの程度それを回避するために少子高齢化や経済対策に予算が回せたか、その予算の効果がどれほどこの日本の没落を阻止できたかも歴史の『もし』でしかなく、詮無いことであるのだった。
そのF-3のパイロット・大槌1尉はやはり荒れていた。多くの航空自衛隊パイロットも同じだった。この事態が始まってからずっとそうだった。彼のいる百里基地ではそれでも戦闘機の再出撃準備が進んでいる。各搭載機器と各部のアクチュエーターの動作をチェックし、燃料を補給し、ミサイルを搭載し、最後にパイロットがそれを整備員と確認する。今はF-3・F-233ともに無人機を引き連れて戦うのでその無人機のチェックもあるのだが、事態が始まってから無人機の厳密なチェックは省略された。高い燃料費と人件費を費やして錬成したパイロットの生還に比べて、無人機の値段はそれでもなお安いのだ。無人機を制御するAIも練成して単独で任務につける所まで来ているのだが、それを実戦に投入するのはまだ倫理的に禁忌とされている。しかしそれも時間の問題だろう。戦争で追い詰められないから戦争のスタイルにグダグダ言ってられるだけの話、追い詰められれば倫理も残虐行為を思いとどまる気持ちも吹っ飛ぶ。そして吹っ飛んだらあとは人間はどこまでもエスカレートする殺戮の獣となるのだ。それも歴史上よくあることで、それを留めるほどの理性を人類は未だに獲得していない。
列線と呼ばれる基地に並んだF-3を見る。F-35よりさらにシェイプされ優美になった流線型。そこにあいたキャノピーには銀色のコーティングがされ、電子戦時の電波から機内とパイロットを守る。
F-4のような格納カナードこそ無いものの、ステルスベクターノズルを採用していて格闘戦にも強い。そしてF-35譲りの高度な拡張性を持つ情報兵装。これはかつてのイージス艦のセントラルコンピュータを超えた演算能力をもつユニットが4基搭載されている。それによって駆動するAIが姿勢制御と言った記法性能から空中戦機動戦術だけでなく複数機による編隊戦闘、さらには任務飛行全体の評価と次の任務の組み立てまでを実施する。
電子兵装もパワフルな米国との共同開発エンジンの余力を使った大容量であり、かつてのワイルドウィーゼルと呼ばれた専門部隊を超える強力な防空網制圧作戦を可能にしている。
そして兵装は機銃とともにアタックレーザーを搭載、敵UAV(無人機)の制圧と敵戦闘機への大距離先制攻撃を可能にした。もちろん各種ミサイルや爆弾も機内及び機外に搭載可能である。
そして自衛用アクティブデコイも装備し、全体のステルス性能と組み合わせることで高度な生残性を発揮する。
F-35はその開発遅延から失敗機と揶揄されたが、現実にはJSFの名にふさわしい多任務対応能力を発揮し、その汚名を返上したのは知られている。そしてF-3の開発ではその計画遅延すら管理し、遅延は最小限に留められた。もちろん新規開発機としてトラブルゼロは無理であったが、トラブルゼロでの開発は神への挑戦に等しく、これほどに少なくできただけで満足すべきだった。それでもマスコミが叩いたのだから、全くどうかしている。
それでもF-3は無事実用化し、予定通りのスケジュールで初度作戦能力を獲得した。
しかしその初陣は、この列島分断事態であったのは残念であった。中国空軍に攻撃を仕掛けて勝てると思わせた時点で防衛力としては満足できないのである。理想の防衛力とは自然にしているだけで敵対する勢力がいなくなっているようなものだとされている。威嚇するまでもなく敵をいるだけで駆逐するのが理想である。
だが、大槌は思い出した。自衛隊はあの震災まで日陰の存在だった。その存在も誇らなかった。しかし震災で自衛隊は災害派遣で普通、日常の存在となった。それまで名前さえ書けば入れるというほど募集倍率が低かった。入隊しても「なぜ自衛隊なんかに」とすら言われるのだった。それが「人助けをしたくて」自衛隊に入る子供が増えた。そこまで自衛隊員の子供は教師にいじめられることもあったのに、将来自衛官になりたいと普通の子が言うようになった。だが、それは旧帝国海軍陸軍と同じ道だった。彼らもまた、おなじように日陰だった時期があるのだ。
誰もがそうはなりたくなったが、なってしまったのだった。




