あの星を守れ(2)
日本人は日露戦争以前はロシアに、その前は清国に、そのまえは先進国の黒船におびえていた。しかし黒船には日本を占領する能力はないし、その先進国も日本に大規模上陸はしようがなく、薩英戦争ではなんと勝ったはずの英軍のほうが損害が大きかったのだ。そして日清戦争では眠れる獅子のはずだった清国海軍は急成長する日本海軍に対して善戦したのだが清国国内の政争で内側から崩壊した。そして日露戦争でも日本は外交では英国と組み、諜報ではロシア革命を導き、そして陸軍は苛烈な旅順軍港を攻略し奉天会戦でロシア陸軍を圧倒、海軍は際どいところで強運の連合艦隊長官東郷平八郎が長い航海の末に疲弊したバルチック艦隊をしっかりと撃滅した。
だがその実態は薄氷の勝利であったし、その勝利と引き換えに日本人に間違った自信をつけた。それゆえその後のシベリア出兵では日露戦争にはなかった軍規の乱れから泥沼状態となった。それでも第一次世界大戦では運良く戦勝国になり多くの信託統治領を得るとともにその特需で潤って、イケイケドンドンになってしまった。そこまでの脅威への不安のたがが緩むとどこまでも緩む。日露戦争で郷里の多くの若者を失ったことでその緩みに「勝利の配当を」のような欲求が加わり、もうだれも止められなくなった。
一等国日本、日本バンザイ、日本は優れている。そう日本人は思った。理性的なはずの人々も帝国海軍の強さには疑問を持たなかった。陸軍もつよいとおもった。しかし陸海軍は強かったのではない。陸海軍はある面では確かに優れていたが別の面では劣っていて、それを均せば普通の軍隊なのだ。そしてそれを勝利させたのは周到な準備、根回しと勝利条件を意識した戦略であった。しかし太平洋戦争に向う中で誰も当時の中国の真の弱みを突いて屈服させる戦略を持っていなかった。ただひたすら事態に対応し、一部は八紘一宇に五族協和、日本がすべての民族が和解する世界を築くのだという思い上がりのお花畑的発想と結びついたり、その裏で陰湿な民族差別を行ったりといった支離滅裂な態勢で「えいや」で日米開戦に向かっていった。すなわち勝てるわけがなかったし、かといってそれを止めることもできなかった。
それに当時の昭和天皇ですら精一杯に反抗したのだが、結局止めることはできなかった。歴史を後世から判断し断罪する行為が愚かだというのはこれを踏まえれば自明なのだ。昭和天皇は2・26事件の時に自らが任じた政治家が次々と殺されたことに激怒し自ら近衛師団を率いて反乱部隊を鎮圧するとまで言った。しかしそれも結果は虚しかった。2・26事件は陸軍内の皇道派と統制派の勢力争いに利用されてしまい天皇の力の限界が出ただけであった。天皇の政治利用をタブーとするが、いつの世もすでに天皇は戦後も戦前も利用される象徴だったのだ。それゆえに敬愛を集めているのだが、にもかかわらず象徴なのだ。
そして本稿での日本もまた、同じ方向になってしまったのだった。政争に明け暮れ意味のない議論にうつつを抜かし本当に議論すべきことは任せてくれと言ってみたりわかりようがないと言ってみたりで議論を回避してしまうやり方に国民は辟易し、その結果政権交代が起きてしまった。投票では何も変わらないと絶望する人々に代わって、無邪気に右だの左だのとわかりもしないのに行動だけする『意識高い』人々の支持で彼らに迎合することにすべてをふった政治のわからない金持ちが総理になった。彼は総理になることが目的で、総理として何をするかにはほとんど関心がなかった。もっといえば日本版のトランプであった。アメリカの5年後に日本で同じことが起きるというのはそのとおりだった。あれほど日本で隆盛を誇ったイオンのショッピングモールも潰れ、小売業はアマゾンの一人勝ちになった。そしてアマゾンが潰したイオンや個人商店の雇用を引き受けるわけもなく、失業率はさらにひどくなった。そして意識高い人々が不正受給だとか高すぎると言っていた生活保護に多くの人々が甘んじることになって、その批判の結果程度の悪化した生活保護で自ら苦しむ羽目になった。
そして日本の制度にタダ乗りすると批判した外国人労働者が日本人に代わって職場の主役となって責任を背負っていき、それゆえにもとからの日本人との軋轢も激しくなった。もともと低賃金でも働くタフな外国人の就労が単純労働以外まで解禁となったら、日本人をその職から蹴落とすのは当然であった。日本経済の主役は日本人ではなくなってしまう。それに焦りを抱いた日本人が排斥活動をし始めた。もちろんそれは全てではなくごく一部だったのだが、それでもその悪しき一面は日本の治安への信頼を崩してしまった。
そしてその上中国共産党とロシアが浸透を図り沖縄と北海道が日本のものでなくなった。北海道庁もまた無能な知事のもと、ロシアの浸透に屈することを恥とも思わなかった。ロシアにとってはオホーツク海が安全なものとなり太平洋を脅かす基地として北方領土を使えるので大いに満足であった。そして中国と日本が泥沼の『事態』で疲弊してくれるのも望み通りだった。沖縄への浸透もそうだった。知事以下沖縄県庁が分離独立に舵を切るのを多くの日本人が『まさか』と思った。分離独立と沖縄県の主張は『直接関係ない』と思った。しかしそれは自己憐憫で、間接的には関係していたのだ。誰が一番得をするか考えればあたりまえなのに、日本人の多くはそれを考えることすら避けた。考えない日本人に対し目的意識をしっかり持ったロシアと中国が策を打った結果、日本はあまりにも易易とその策にはまったのも当然であった。それでも日本人は考えなければ、口に出さなければそうなはならないと信じたいままだった。しかし現実がそれに配慮して進むわけがないのだ。
そして緊縮経済で溜め込んでいた内部留保の金が一気に腐っていった。『孫子に借金を残さない』はずの財政改革はその結果、食いカスのように落ちぶれたどうしようもない日本を孫子に押し付けることになった。財政改革がなんのためかもわからず考えもしなかったつけを払う羽目になったのだ。その自己目的化した財政改革の結果、日本は潰れてしまい、日本の富は使い所を逸して無駄になった。




