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終わりの玉座と、星を紡ぐ白銀



塔の最上階へ続く最後の扉は、拍子抜けするほど軽く開いた。


吹き抜けたのは、血の匂いでも、冷気でもなく、どこまでも澄み切った『無音の風』。


アッシュたちが足を踏み入れたその場所は、天井が完全に崩落し、ひび割れた赤い空を直接仰ぎ見る巨大な円形の玉座の間だった。


そして、その空間の中央。


全てを吸い込むような漆黒の巨大な球体――『原初の虚無』を背にして、あ(・)の(・)は立っていた。


「……来てくれたのですね。私の、小さなたった一つの希望」


振り返ったその人物は、純白の甲冑を纏った女性だった。


透き通るような白銀の髪。悲哀と慈愛を湛えた青い瞳。


エリスに酷似したその面影は、しかしエリスよりも遥かに長い年月と、絶望的な孤独を背負い続けてきた静けさを纏っていた。


彼女の体は、背後の漆黒の球体から伸びる無数の黒い棘に貫かれ、玉座に縫い留められている。


彼女自身の命を楔にして、この世界の崩壊をギリギリで食い止めているのだと、一目でわかった。


「……君が、僕を置いていった人」


アッシュが、ゆっくりと歩み寄る。


「はい。私は、星の意志を代行する最初の器……名を、アリアと言います」


女性――アリアは、痛みに顔を歪めながらも、愛おしそうにアッシュを見つめた。


「神話の時代。私はこの『原初の虚無』を封じるため、自らの魂ごと星の記憶をこの次元に切り離しました。けれど、全てを道連れにするには、虚無の引力は強すぎた」


アリアの青い瞳から、一筋の光る涙がこぼれ落ちる。


「だから私は、星の未来となる『生命のあなた』だけを外の世界へ逃がした。そして、虚無があなたを追えないよう、大自然の力を五つの欠片に分けて世界に散らしたのです」


アッシュの記憶のフラッシュバック。


真っ白な光に包まれて頭を撫でてくれたあの温もりは、アリアが最期に残した、渾身の愛だった。


「……一人にして、ごめんなさい。記憶も力もないまま、冷たい森で、あなたを泣かせてしまった」


アリアが懺悔するように目を伏せた、その瞬間。


ドゴォォォォォォンッ!!


アリアの背後にある『原初の虚無』が、脈打つように膨張した。


アッシュの中に揃った五つの欠片の存在に気づき、喰らい尽くそうと暴れ出したのだ。


「しまっ……! 下がりなさい、アッシュ! 今のあなたでは、この虚無の残滓に呑み込まれて――」


アリアが警告を叫ぶ。


玉座の間を埋め尽くすほどの黒い棘が、津波のようにアッシュへ向かって押し寄せてきた。


大自然の力は使えない。


だが、アッシュの足は一歩も下がらなかった。


「させないわよ!!」


シルヴィがアッシュの前に飛び出し、魔力のない杖を両手で構え、物理的な防壁となって棘の波を弾き返す。


「私たちの主の魂に、これ以上触れさせるものか!」


カレンが闘気のない大剣を力任せに振り回し、迫り来る棘を粉砕していく。


「セフィラ、右の死角を!」

「はいっ!」


セフィラの矢が棘の急所を射抜き、エリスが白銀の剣でアッシュへ続く道を切り開く。


「な……ぜ……」

アリアが目を見開く。


ただの人間が、絶望の概念そのものに物理で立ち向かうなど、あり得ない。だが、彼女たちは満身創痍になりながらも、決してアッシュの前から退かなかった。


「アリアさん」


棘の雨を抜け、アッシュはアリアの目の前に立った。


そして、彼女の体を貫く黒い棘を、ためらうことなく両手で掴んだ。


「ダメです! そんなことをすれば、あなたの体が――」


「痛かったよね」


アッシュの静かな声が、玉座の間に響いた。


「僕を守るために、ずっとここで、一人で泣いてたんだね。……ごめんなさい、気づくのが遅くなって」


アッシュの手から、血が滴る。大自然の光はない。ただの青年の、無力で温かい手だ。


だが、その手が棘を力強く引き抜いていく。


「どうして……力も封じられているのに、虚無を恐れないのですか……?」


震えるアリアに、アッシュは振り返り、満身創痍で戦う仲間たちを見た。


「僕は、一人ぼっちじゃなかったから」


アッシュがふわりと微笑む。


「エリスが、剣になってくれた。シルヴィが、道を教えてくれた。カレンが、背中を守ってくれた。セフィラが、真実を見つけてくれた。リリィが、笑顔をくれた」


アッシュはアリアの冷え切った両手を、自分の血塗れた手でしっかりと包み込んだ。


「みんなが僕に『温かさ』を教えてくれたんだ。だからもう、こんな空っぽな暗闇、ちっとも怖くないよ」


その瞬間。


アッシュとアリアが繋いだ手から、この死に絶えた世界には存在しないはずの、純白の光が溢れ出した。


魔法ではない。奇跡でもない。


それは、アッシュが外の世界で仲間たちと紡いできた『絆』という名の、生命の熱そのものだった。


「あぁ……」


アリアの青い瞳から、堰を切ったように涙が溢れ出す。


「あなたは……私が残した希望以上の、こんなにも温かい光を、自分自身で手に入れたのですね……」


パァァァァァァァンッ!!


アッシュの想いに呼応するように、彼の中にあった五つの『光の欠片』が一斉に眩く輝き出し、アリアの体を貫いていた虚無の棘を、光の粒子に変えて吹き飛ばした。


「エリス! 今です!」

「はいっ!!」


仲間たちの援護を受け、エリスが地を蹴る。


彼女の持つ白銀の剣――それはかつて、アリアが使っていた星の剣のレプリカ。


エリスはアッシュの背中を飛び越え、玉座の奥で蠢く『原初の虚無』の中心へと、その刃を深々と突き立てた。


「終わらせます! アッシュ殿の、そして貴女の悲しい過去を……!」


ピキ……ピキピキピキッ!


エリスの一撃を起点に、虚無の球体に無数の亀裂が走る。


そして、アッシュとアリアから放たれる生命の光に包まれ、漆黒の絶望は音を立てて砕け散った。


赤い空が晴れ、灰の雪が止む。


記憶の世界が、温かな白い光に包まれて解けていく。


「……ありがとう、アッシュ。そして、気高き戦士たちよ」


光の中で、アリアの体が少しずつ透明になっていく。彼女の役目は、今度こそ本当に終わったのだ。


アリアは最後にエリスを見つめ、優しく微笑んだ。


「私の剣の意思を継ぐ者よ。どうか、あの子を……大自然の愛し子を、よろしくお願いします」


「……っ! はい! この命に代えても!」


エリスが涙を浮かべながら、深く頭を下げる。


「もう一人で泣かないでね、アリアさん。おやすみなさい」


アッシュが笑いかけると、アリアは「ええ。とても、温かいです」と呟き、光となって完全に消滅した。


その光はアッシュの胸へと吸い込まれ、ついに『六つ目の欠片(星の核)』として完全に融合を果たした。


同時に、失われていた全ての大自然のマナが、アッシュの元へ爆発的な勢いで還ってくる。


「……帰ろう。みんなが待ってる、僕たちの世界へ」


過去の悲劇を乗り越え、真の完全覚醒を果たした大自然の愛し子。


アッシュたちは眩い光の奔流に包まれながら、次元の裂け目を越え、現実世界への帰還を果たすのであった。

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