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9.お初にお目にかかります

「お初にお目にかかります。アンジェラと申します。本日よりこちらの御屋敷でメイドとして働かせていただきますわ。何卒宜しくお願い致します」


 そう言って、私は体の前で手を纏め、きちんと礼をした。

 目の前のルーカス・フェイ辺境伯から名を名乗るように言われ、名を告げてそのままの体勢で待っているのだけれど…ええと。ルーカス様が体勢を解くようにおっしゃらない限り、こちらから動くのは失礼にあたる。


「…」

「…」

「坊ちゃま、坊ちゃま!」

「んあっ!!あ、そ、そうか。そうだな、…楽にしていいぞ」

「失礼いたしますわ」


 そう言って私はゆっくりと顔を上げて、そこで初めてルーカス様のお顔を見る。

 ―――?ハゲでデブでキモいおっさま…?とは到底思えないお顔立ちなのだけれど。

 そう、そこには今までお会いしたどの貴族令息より、美しい顔立ちの男性がいた。

 灰色の短髪に、アイスブルーの瞳。少年よりは青年に近い顔立ちだけれど、おそらく年齢は私より10は上。28歳くらいね。若く見えるタイプだわ。

 社交界に辺境伯家はなかなか参加をされない。前々辺境伯ご当主が、廃嫡された元王太子というのは歴史書に載るくらい有名な話。それも、王族との確執故の廃嫡ではなく、その一つ前の辺境伯が東の国との諍いを収めたことに心からの賛辞と感謝の意を込めて、王太子を廃嫡し、一人娘に婿入りさせたのだとか。


 だから、この目の前の現辺境伯ご当主は王族の血が流れている。ということになる。灰色の髪にアイスブルーの目というのは王族の特徴だもの。


 ―――なんて情報が脳内を奔走していることは表情には出しません。それは淑女の嗜みですわ。


「…アンジェラ、と言ったな?ファミリーネームは?」

「ア…ございません」


 アークライト、と言いかけて慌てて否定する。いけないいけない。侯爵家の名を出してはいけないとお義兄さまとお義母さまから再三口止めされてきたんだわ。


「…そうか。それならアンジェラ、お前の得意分野はなんだ?」

「得意分野…ですか。そうですね、一通りなんでもできますわ。あと、畑を作ることも大好きです」

「そうか。午前中は屋敷内の掃除。午後からは庭師のバズという男がいる。そいつの手伝いをして庭仕事をしてもらおうか。朝は9時から、夕方は5時までだ。休憩は1時間。休暇は週に2回ローテーションで使用人たちと話し合って決めてくれ」


「…!?!?」

 ルーカス様の言葉に私は目を丸くする。ええと、なんておっしゃったの???

「おい、どうした?」

 ルーカス様が怪訝なお顔を見せている。は!!いけない私としたことが。あまりの好待遇に我を忘れそうになりました。表情を読まれるだなんてまだまだ淑女として鍛錬が足りませんわね。


「…失礼いたしました。あまりにも聞き及んでいました内容と現実の違いに動揺してしまいました」


 私の言葉にルーカス様がふっと笑う。

「ああ、お前も聞いてきたんだろう。我が家の噂を。今まで来たメイドが自分の本分も忘れて余計なことに時間を使いまくってたもんでな。そういうやつらには倍以上の仕事を与えていたんだ。そうすると勝手に辞めて、街中で勝手にいらん噂を吹聴してたってわけだ。まぁ、ここに残っているやつらはそんなことをしないから、きっちり毎日8時間労働だ」


「…承知いたしました。失礼ですが一つお伺いしても?」

 私の言葉にルーカス様は眉だけで続きを促す。

「ルーカス様は現ご当主でいらっしゃるのであれば、執務などでお帰りが夜分になられることもございましょう?そういった場合、五時に使用人が業務を終わってしまったらご身辺のお世話などはどうなさっているのでしょう」

 私の言葉にルーカス様が眉を大きく持ち上げた。ずいぶんとびっくりされたお顔だ。

「…ああ、そのことについても話さなければならないな。基本的に週に一回夜勤日がある。その次の日に休暇を取るように調整してもらう。大体だが、夜分は3人もいれば十分だ」


「たったの3人ですの!?」


 私の驚いた声に今度はルーカス様と執事様がびっくりしている。失礼、とコホンと咳ばらいをするけど、私は内心とても驚いていた。侯爵邸では夜中でも常に数十人の使用人が起きていてくれたからだ。辺境伯ともなれば夜襲の危険なども考えてもっと必要だろう。


「…お前は随分と令嬢のようなしゃべり方をするな」

 ルーカス様の言葉にひっとなる。侯爵家令嬢だとバレたらいけないのに!でも、小さな頃からこの言葉遣いしか知らない私は、他の言葉遣いなど使えるはずもない。

「…令嬢の言葉遣いは憧れでしたの。独学ですわ」


 苦しい!苦しいわアンジェラ!ルーカス様がジト目で見ていらっしゃる!


「…まあ、いい。使用人は全員この屋敷の一階に自室があるからそこを使え。ローガン、案内してやってくれ」

「かしこまりました。お嬢様、こちらでございます」

「あら、ありがとう存じます。ローガン様」


「…」

「…」


 ルーカス様とローガン様の間に変な空気が流れた。


―――――


「あの…本当にここが私の部屋で間違いないのですか…?」

 私はローガン様に恐る恐る尋ねた。

「ええ、間違いありませんよ。少し狭いですがどうぞおくつろぎください」

「狭いだなんて…こんなに広い上に床に穴が開いていたり、窓が割れていたりしないだなんて…!なんという高待遇ですの…?!ルーカス様はお心の広い方ですのね」


「…失礼ですがアークライト邸では今までどのような待遇を?」

「最初は本邸に住んでいたのですが、色々御座いまして、離れで住むようになりました。でもその離れが素晴らしくって!秘蔵の蒸留酒に、高級チーズが底なしに置いてあるんですの」

「…おお、それはそれは、結構なことですな」

 ふぉふぉふぉ、と目の前の初老の男性は美しく笑う。


「湯あみなどは人間が入りそうな缶がございまして、そこに毎夜薪をくべてお湯を張り、星空を眺めながらお酒と共に湯にのんびりと入る、これまた至高の日々でしたわ」

「ふぉ…ん゛ん゛!?」

「ご飯もでなかったんですの。それで畑を作りましたわ。ふふ、お野菜なんて一から作ったんですのよ!おかげで、新鮮なお野菜を毎日食べられました!お肌の調子が一番いいんですの今!」

「…ごはん、が出ない…?」

「あら嫌ですわ、ローガン様。大したことじゃございません。ないなら作ればいい。足りないなら足せばいい。たったそれだけのことですの」


 ローガン様が心から微妙なお顔を見せた。


――――――――

「…どう思う?ローガン」

「…正直、訳が分からないというのが本音です」

「奇遇だな。お前と意見が合うなんて…」


 夜も遅い自分、ルーカスとローガンは書類を整理しながら今日来たアンジェラについての話をしていた。


「…所作が、庶民のそれじゃない。言葉遣い、歩き方立ち方、なにもかもがあれは一流の令嬢だ。独学でどうこうできるもんじゃない」

「私も思いました。ですが…あれだけぼろぼろの服、ぼろぼろの手、長いこと手入れの行き届いていない御髪。佇まいは令嬢そのものなのに、あまりにも令嬢とは言えない身なり」


 ルーカスは今日の一連の流れを思い出す。

「目上の者が、目下の者に号令をしない限り、姿勢を崩したらいけないなど、いままで来たメイドの中にはそんなものはいなかったからうっかりしていた…それに、表情を隠すのもうまい。あれはかなり訓練されてないか」

 ルーカスの言葉にローガンは頷いた。

「夜勤のことを当たり前に聞いてきたのにも、驚きました。当主というものの動きを知っているということですから。…まあ、これに関してはアークライト邸でも働いていたのであればさして驚くようなことではないのですが」

「こういう質問をしてきたのがメイド希望の人間だという事実に驚いているんだ」

「…そうなんですよね…」


 そう、侍女であればほぼ貴族の娘。だが、メイドとなると、庶民の出がほとんどなのが通例だ。夜勤はあっても当主と顔を合わせることはほぼない。…はずなのだが。

「たったの3人…か」

 ルーカスの言葉にローガンは頷く。


「一介のメイドが、人数に驚くか?あれは確実に通常辺境伯レベルの屋敷には何人常駐しているかを把握している人間のセリフだ」

「私もそう思います。人数など捨て置けばよい話ですから」


「あとは…」

 ルーカスがぽつりともらした言葉にローガンも重ねる。


「「ありがとう存じます」」


…しばらくの沈黙の後、ルーカスがぶほっと噴き出した。

「どんだけ育ちが良ければそんな言葉づかいが出るんだ!!」

 もう訳が分からない、ちんちくりんで、ちぐはぐで、ぼろぼろに汚れていたけれど、瞳だけはその中で宝石のように光り輝いていた。そして、ぼろぼろでもわかるあの造形の美しさ、所作の美しさ。


「だめだ、訳が分からないアンジェラという女」

「おや、坊ちゃま、楽しそうですな」

「楽しいさ。俺の顔を見て顔色一つ変えなかった女は久しぶりだ。…楽しくなりそうだな。もしかしたら稀に見る逸材かもしれないぞ」


 そう言って笑うルーカスの横顔に、ローガンはおや?となにかの片鱗を見つけていた。

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