10.ピカピカに磨き上げられて
ここ最近の毎日の習慣で、雄鶏が鳴く前に目覚めてしまう。ふふ、お義母さまの訓練の賜物。
日もまだ上がらぬうちから、支度を始める。
昨日可愛らしいメイドの制服が支給された。アークライト家でまだ本邸に住んで、綺麗な暮らしをしてた頃にも何度か触った方がある、かなり貴重な綿の素材で誂えられたそれはす、と肌に馴染んだ。
少しきしむ髪の毛を結え上げる。ここ数ヶ月髪を整える油を使っていない。金色だった髪はもはや輝きはなく、少しばかり枝毛も見えていて。
「やはり、ツバキも植えるべきだったわ…」
そうしたら髪に良い油が取れたのに。ふぅ、と鏡に映る自分を見つめる。
「侯爵令嬢、どこへやら、わね!」
くすくす、と笑ってしまう。髪から化粧から爪から下着から服から全て整えられていた令嬢時代を思い出す。
「あの頃はあの頃。今は今だわ!さあまずは掃除をいたしましょう!!」
そう意気込んで、屋敷の中の掃除を始める。
手始めは廊下。
「あらあら、こんな髪の毛が落ちていたらお義母さまは怒られるわ」
「まぁまぁ、前日のごみをすててないだなんて…!これはお義兄様からゴミ箱を投げられる案件だわ…!」
アークライト家でのあれやこれやを思い出し、テキパキと片付けを始めていく。
…と。
「お前は朝から何をやっているんだ?」
呆れたような声が後ろから聞こえて、私は思わず薄暗い廊下の中でびくりと肩を震わせ、後ろを振り返った。
「あら、ルーカス様!おはようございます。ご機嫌麗しゅう」
きちんとメイド服の裾を摘んで、簡単な挨拶をする。
「ああ、おはよう…ではなくて。こんな朝っぱらから何をやっているんだ?」
ルーカス様の言葉に私は首をこてん、と傾げた。
「何って…お掃除です」
あら?私に任せられたのはお掃除ではなかったかしら?と昨日のルーカス様との話し合いを思い出す。
いや、確かに言われたはずだわ。午前中は屋敷内の掃除と、午後からお庭仕事だと言われたはずなんだけど…
私の不思議そうな顔にルーカス様はそのお美しい眉をひゅ、と顰められた。
「違う、そうではなく、俺は始業時間は8時だと伝えたはずだが…なぜ、もう働いているんだ?」
「ああ、申し訳ありませんわ。なかなか前の家での癖が抜けなくて。あっ!!早く働いたとしても、お給金その分いただこうだなんて思っていませんわ」
「いや、違う。そういうことを聞いているんではない。アークライト家はそんなに使用人に厳しい環境だったのか…?こんな時間から働かなければならないほど?」
ルーカス様の言葉に私は首を振る。アークライト家は、使用人の労働環境は適正だったと思う。
アークライト家の雇用環境が悪かったなどと噂を立てて家名に泥を塗らせるわけにはいかない。
「…お義…ご夫人から、特別に訓練を受けていましたの。いずれどこかに嫁いだ時に料理や家事全般が出来るように」
まあ、そう言われたことは一度もないのだけど。私の勝手な解釈なのだけれども。
「…虐められてたのか?ご夫人から」
「いいえ」
即答する。だって本当に虐められていたわけではないですもの。
でも、私の即答にルーカス様は怪訝な顔をする。
「…少なくとも、我が家のメイドがそんなぼろぼろの手と髪の毛で、がりがりの体で、いかにも不健康な様子でいることは許さんぞ」
「不健康…ですか?」
「ああ…!カスガ!!!」
突然ルーカス様が大声で叫んで、私はびっくりしてしまう。
「はぁーい!カスガでぇーす。ルーカス様およびー???」
可愛らしい声が聞こえひょこっと現れたのは、黒髪黒目の超絶美少女。歳は20歳前後だとはおもうけれど、どう見ても15歳くらいにしか見えない。
というか、この方って…
「もしかして、トゥーケ国の方ですか?」
私の問いかけに一瞬で目の前の二人の温度が下がる。ええと…?
「…そうだが、それがどうした?何か問題でもあるのか?いっとくが…」
ルーカス様が話してるのを遮るだなんてとても失礼だけれど…!!!
『はじめまして!!私はアンジェラと申します!!トゥーケ国の方とお会いできるなんて夢のようですわ!私、トゥーケ国の歴史や伝統が大好きでずっと小さな頃から勉強しておりましたの!!』
小さな頃にトゥーケ語を一生懸命練習した甲斐があった。正確にはトゥーケ国だけではなく、我が国と隣接する外国語はすべて幼いころから叩き込まれてきたのだけど、別に今言うことでもない。
『え…っ!!!え!?あなたトゥーケ語話せるの!?』
カスガと呼ばれた女の子…もとい女性が目を丸くする。
『ええ、トゥーケ語ってとっても発音が面白くて素敵よね!嬉しいわ!国内で話せる機会なんてどこにもなかったから』
「ちょちょちょちょちょちょっと待て待て待て待てアンジェラ!!!」
ルーカス様が慌てて制してくる。
「どうしました?」
きょとん?と返すと。
「お前、トゥーケ語が話せるのか?」
「ええ、話せますよ」
「ちょっと待て」
「ええ、待ちますがどうされました?」
私の問いに、ルーカス様ははー…と溜め息を吐いて、言葉を発した。
「ちょっと情報量が多くてついていけないんだが…まぁ、とりあえずはなんだ。それはおいおい聞くとして、今はカスガ。アンジェラを風呂に入れて身支度を整えてこい。隅々までぴっかぴかに磨き上げろ。あと、厨房に、滋養の高い朝食を用意させておけ」
「はーいルーカスさま~合点です~」
「え、ちょ、ちょっと私はまだお掃除が」
何やら私をお風呂に入れる流れになっていることに驚くけど、ルーカス様はその美しい顔で私をぎん、と睨まれた。美人の迫力半端ないわ…
「さっきも言っただろう。俺は、俺の屋敷で働いているやつが不健康な様子でいることが耐えられない。今日のおまえの仕事は、その身なりを綺麗にして、たらふく食って、休養することだ」
そして有無も言わされず私はあれよあれよとカスガさんに湯あみに連れて行かれることになった。
――――――
誰かにお風呂に入れてもらえるなんて、何ヵ月ぶりだろう。離れに入れられるまでは、常に4、5人の侍女が私の湯あみの世話をしていてくれた。
「ええと、カスガさん」
「カスガでいいよ~」
「ええと、じゃあ、カスガ。私はどこまで甘えていいのかしら?」
「…………。ん~と、任せてくれるなら、全部任せて」
「わかったわ、それならよろしくね」
そういって、本当に私は服を脱ぐところからすべてカスガに甘えさせてもらった。
たっぷりの保湿剤が入ったお湯に入るのも、髪の毛を洗剤で洗われるのも、香油で整えてもらうのも、お風呂上りに全身に保湿剤を塗ってもらうのも、何もかもが数ヵ月ぶりで、私はあまりの安堵感に包まれて、そのまま眠ってしまった。
まさかこの出来事がルーカス様を動かす起爆剤になったなんて知らずに。
―――――
「朝食を摂る前に寝てしまったと?」
「そうなんですよ~。よほど気が抜けたみたいで~。でも、おかげでやばいもん採掘しちゃったきぶんです~」
あのあと、お風呂で寝てしまったアンジェラを着替えさせ、ベッドまで運んだという報告をカスガは今ルーカスにしていた。
「やばいもん?とは」
「まぁ、女性の寝顔を覗くなんて~紳士なルーカスさまはしないとおもいますけど~…はっきり言ってやばかったです」
「だから何がやばかったんだ」
「…見てみればわかりますよ~」
にやにやぐふふと笑ってる様子を見ると、虐待されていた後だとか傷だとかがあったわけではなさそうだ、とルーカスは若干胸を撫で下ろした。
「で、どうだった?」
「どうだったとは?湯あみしてた彼女の様子ですか~?やだ!!ルーカスさま助平」
「んな…っ!違う!そういうわけではなくて!」
「あはは、冗談ですよ~。…そうですねー。まあ、率直な感想で言えば、手入れをされている様子ではありませんでしたね~。髪の毛もごわごわ、肌もごわごわ。保湿剤ですぐに良くなったので、数日もすれば元に戻ると思いますよ~」
「元に戻る…?とは」
「元々、ものすごい手入れされていた人間の肌ですね~あれは。何もしてこなかった人間の肌じゃないです~。ここ数ヵ月、全く手入れができてなかったような、そんな感じです~」
カスガの言葉にルーカスはふむ、と考え込む。
「他に何か気になった点は?」
「…んー。彼女、私に全部させてくれたんですよね~」
「?????」
ルーカスは首を傾げる。そりゃ、全部してあげたんじゃないのか?湯の準備とか。着替えの準備とか。
「えっとねールーカス様。普通の庶民は、服を脱ぐのも体を洗うのもなにもかも自分でするんですよ~」
「庶民じゃなくても俺もそのくらいは自分でしてるぞ」
「殿方はね~~でも貴族女性は服を脱ぐところからお湯番の仕事なんですよ~」
「いや、それくらい俺だって知って…まさか?」
ルーカスの言葉にカスガはにやりと笑った。
「そのまさかです~。庶民だったらお湯番に手伝ってもらうのなんて百人が百人恥ずかしがります~。でも彼女はちがいました~すんなりと恥ずかしがりもせずにぜーんぶこのカスガにお任せでした~」
「…どこかの貴族の令嬢ということか?」
カスガはこくんと頷く。
「まあ、その可能性が一番高いとかそういうレベルの話ですけど~。なにがどうしてあんなボロボロでこの館にメイドとしてきたかわからないですけど~まあ、ルーカス様も彼女を見てみればわかりますよ~~。では、私はこれで~夜勤明けなのでおいとましますです~」
あ、ああ。と頷いて、カスガを見送ってからしばらく逡巡したのち、ルーカスは執務室に向かうのだった。




