18.一緒にお仕事
更新遅くなりすみません~ドタバタでした~
朝食を終えて、メイド服に着替えてからまた執務室に来ます、というとルーカス様はそれを制された。
「そのままのドレスで。今日は来客がいくつかある予定なんだ。補佐としてアンジェラにも同席してもらいたいから、そっちの方が都合がいい」
「あ…でも、これリカさんの物なので、一日中お借りするわけには」
「リカなら衣装持ちだから、一日中着ていても問題はないと思うが…ローガンに言って今日一日借りられるかどうか聞いてもらってこよう。とりあえずそのまま執務室に来い」
ルーカス様の言葉に私ははい、と言って彼の後をついて執務室へと向かった。
―――――――
ルーカス様の仕事は多い。辺境伯として国境警備の管理、財政管理、領地の管理、またトゥーケ国との国交。国境付近で諍いがあれば遠征に行かなければならないし、災害などが起きれば視察にも向かわなければならない。
いったいこの人はいつどれだけ眠れているのだろうと思うほど、膨大な仕事量をローガン様と話し合いながらひとつひとつ丁寧にそして素早く片付けられていくのを半ば感動して見ていた。
「アンジェラは…」
つい先日領土内で洪水が起き、流された橋の改修工事があったらしい。それに寄付や人員を派遣してくれたトゥーケ国や、我が国内の貴族や商家への令状を書いている時、不意にルーカス様から声を掛けられた。
「はい」
「…結婚とか考えているのか?」
隣でローガン様がぶふぉぉ、と何かを吐き出されたけど…大丈夫かしら?
「結婚ですか?…そうですね、とくには考えておりません」
「だがその美貌なら引く手あまただったろう。もう十八だ。縁談はいくつもあったんじゃないのか?」
「…そうですね、確かに釣書が毎日いろいろなところから届いておりました」
「「毎日!?」」
ルーカス様とローガン様が頓狂な声を出す。
「…いいと思う者はいなかったのか?」
「というか、ですね。釣書自体見たことがありません。…お父さまがお母さまを亡くされて、それはそれは見てられないくらいに意気消沈してしまったのです。八年間、ずっと。なので、お父さまがまた元気を取り戻すまでは、結婚はしないと決めていたんです。私までいなくなったらきっとお父さま目も当てられないほどに寂しがられます」
「…そうだったのか。父親思いなんだな」
「ええ、お父さまと二人三脚でずっとずっと頑張ってきましたから。本当に父と仲良かったんです。…だから、キャロル様とレイブン様を昔のような笑顔で紹介してくださったとき、私本当に本当に嬉しくて」
そう、本当に嬉しかったの。前みたいに花が咲いたように笑うお父さまの顔を見たとき、ああ、やっと。やっとお父さまも前に進めるようになったんだわ、と思って。
でも、だからこそ…
「…辛いな」
ルーカス様の言葉にどきり、と胸が跳ねる。
「…大事な人の記憶の中に自分がいない、というのは…辛い、な」
「辛かった…ですね」
「『かった』?なぜ過去形なんだ?」
「離れに行かされた時、死ぬほど死ぬほど泣きましたから。あの時、もう前に進むと決めたのです。記憶がないことを嘆いても仕方がない、と思いました。これが現実なのです。日常が簡単にひっくり返るのが、現実なのです」
「随分と達観している」
「そうでしょうか?そうですね。でも10歳でお母さまを亡くしたときに思ったんです。どれだけ泣いても喚いても、時間は戻りません。亡くしたものは帰ってこないのです。何をどう願っても。…それなら、常に前を向いて生きようと」
「…」
「もしかしたら私はあの日、お父さまも亡くしたのかもしれませんね。だからこそ腹を括ったのです。前を向いて生きていくと」
しん、と沈黙が走る。ローガン様も、目を丸くして私を見ていらっしゃる。しまったわ。ちょっと神妙になりすぎたかしら。
「あの…ルーカ…」
「…前を向いていても、元気になれるわけではないだろう?」
どきり、とした。
「一人で泣いたんだろう?一人でいっぱいいっぱい泣いて、誰にも慰めてもらえなかったのは…辛かっただろう」
「…そう、ですね。それは辛かったです。でも、現実問題、泣いてばかりもいられませんでした。食べるものも無く、世話をしてくれる侍女もいませんでしたから。生きなければいけなかったので、泣くのは一度で充分だったんです」
「そうか」
それきり、ルーカス様は黙ってしまわれた。ううん、本当に大丈夫だし、今はこうやって毎日快適に暮らせているから大丈夫なのだけれども。
そんなことを考えながら手紙の続きを書こうとした時だった。
「嫌なら、拒んでくれ」
そういうルーカス様の声が聞こえたと思ったら。
――――ふわり、といつの間にか私の後ろに回ってきていたルーカス様が私を背後から優しく抱きしめた。
「!?!?!?!?」
突然のことに思考が追い付いていかず、私は思わず目を白黒させてしまう。あれ、というかローガン様はどちらに…?と思って見渡すが、すでに彼の姿は部屋の中には無かった。
「…君が誰にも慰めてもらえず、泣いていたのを想像すると…俺もつらい」
「なんで、ルーカス様がそんなこと思うのですか…大丈夫です」
「…すまなかった。その時傍にいてやれなくて」
「ふふふ、それは現実問題無理でしょう?」
「それでもだ」
くぐもった声が頭の上から降り注いでくる。
優しくて、温かい。嫌なら拒めと言われたけれどこんなに優しくて温かい腕の中を拒めるわけがない。
「辛かったな…でも、大丈夫。アンジェラの父君はきっと記憶を取り戻せる。一刻の辛抱だ」
「そう…でしょうか?」
「ああ、絶対に。また、前みたいに朗らかに暮らせる日が来る」
「…ほんとう、に?」
「ああ。絶対、本当だ」
一語一語丁寧に、言葉を紡ぐルーカス様の優しさに、何かがこみ上げてきた。と思ったら。
――――ぽつ、と涙が零れ落ちた。
ああ…私はきっとずっと誰かにこうして欲しかったのだわ。ご飯がないことも、綺麗なドレスが着られないことも、湯あみを1人でしなければならないことも、全然苦痛ではなかった。
むしろ、今まで本でしか知り得なかった知識を実践できる場ができたと思って嬉しかったほどだった。
でも、お父さまのことだけはダメだった。いつでも優しくて、私にほんの少しだけ甘くて、そんなお父さまが大好きだった。お父さまの瞳が私を映していない、と知ったとき。記憶がない、と聞いたとき。あの悲しみのどん底にいたとき、誰かにこうして抱きしめて欲しかった。
抱きしめて、慰めて、大丈夫だよ。と言って欲しかったのだわ。
自覚した途端、また涙が次から次へと溢れてくる。
「ルーカス様…わた…し」
「話すな。頑張った。よく頑張った。…大丈夫だ」
ルーカス様が大丈夫と言ってくれる。それだけで、本当に大丈夫な気がして、私はその腕の中でただひたすら泣き濡れた。
――――――
「落ち着いたか?」
しばらくして、私を抱き締める腕をほどいたルーカス様は手ずから紅茶を淹れてくださった。
私がするといったのに、「人に茶を入れるのが好きなんだ」と言って、流れるような動作でさささと紅茶を淹れてくださった。
「…ええ、久しぶりの人肌は、とても温かかったです。…ルーカス様、ありがとうございます」
紅茶に口を付けて、ほう、と人心地つく。
「温かい…か」
ルーカス様のお顔が自嘲気味になる。
「?どうされました?」
「いや、いつも貴族令嬢からは冷たいだのなんだの言われるからな。温かいというのは新鮮だな、と思ったんだ」
ルーカス様の言葉に私は首を傾げる。
「私は貴族の男性でルーカス様以上にお優しい方を知りませんわよ?」
「それは君が箱入りだったからだろう。…通常の貴族の男はもっと紳士で優しいさ」
「まあ、失礼ですわね。これでも一応社交界には顔を出していたんですのよ。振る舞いや言葉が優しい男性はもちろんたくさんいます。でも、ルーカス様の優しさは…そうですね。例えるなら、ひだまりみたいですわ」
「ひだまり…似合わな過ぎて笑えてくるな」
そんなことないのに。と思う。
ルーカス様の優しさは心に寄りそってくれる誠実さだ。使用人だろうと誰だろうと、自分の手元に置く人間を知ろうとして、気を配り、その心に寄り添おうとすることのできる男性がどれだけいるだろうか。
この屋敷に来て数週間だけれど私は知っている。ルーカス様は嘘を吐かない。貴族社会にありがちの嫌味な言葉も使われない。常に使用人や私の着るものや食べ物まで気遣って、不足が無いように屋敷中に気を配っている。どこの屋敷の主人が、一介の使用人が衣装持ちだなんてこと知ってるんだろう。
お父さまでさえ、屋敷のことはスティーブンに任せきりで、使用人の細かなところまでは把握していなかったというのに。
「…ルーカス様のお傍にいると心がポカポカするんです」
「そうか」
ルーカス様が、ふ、と微笑まれた。君がそういうなら、それでいい。言外にそう言われた気がして、少し照れてしまう。
「俺も、アンジェラの傍にいると最近心が忙しいよ」
「あら、忙しいんですか?私、そんなにせかせかしていませんけれど…」
「ははははっ、そういうことじゃないんだ」
少年みたいに笑うルーカス様にどきり、としてしまう。あまりに屈託のない超絶美形の笑顔は破壊力がすごいのだわ…と妙に感心してしまう。
「だめだな。ずっとこうしてアンジェラと喋っていたいが、仕事が終わらない。どうする?泣きすぎたもんな。仕事、できそうか?…今日は部屋に戻って休むか?」
「あら、数件来客があるのでは?」
「あああ…そうだった。すっかり忘れてた」
「ふふ、ルーカス様でも忘れたりするんですね」
「俺だって人間だ。失敗なんて毎日してる。来客だが、数人来るんだが、そのうちの1つが俺の幼馴染でな。アンジェラにも紹介したいと思っているんだ」
「まあ、それは楽しみですわ。ぜひ!あ、それなら一旦部屋に戻って、お化粧を直してきても大丈夫でしょうか?」
さすがに泣きすぎて、お化粧もすべて剥げてしまった。この顔のまま来客を出迎えるのはいただけない。
「元々が綺麗なんだから、化粧なんてしなくてもいいのに」
「はいはい、坊ちゃん攻めすぎです。すこしずついかないと、女性は逃げてしまいますよ」
「ぬおっ!!?!??ローガンいつ戻ってきたんだ?」
「『落ち着いたか?』あたりから戻ってきましたとも」
「最初の方だな!??!?!?そうやすやすと気配を消すな!!!」
わあ!びっくりしたわ。いつの間にかローガン様が戻ってきて、涼しい顔をして机に向かいペンを走らせている。…いつ出て行ったかも戻ってきたかもわからなかったわ。
「28年間色々と女性問題では拗らせてますので、不愉快なことを坊ちゃんがしてしまったら、いつでもこのローガンにお申し付けくださいね。アンジェラ様」
「不愉快だなんて滅相もありませんわ。ふふっ、28年間なにがあったのか今度お聞かせくださいませね」
「絶対聞くなよ!?お前も絶対しゃべるなよローガン!!」
「さあさ、アンジェラ様はお化粧を直しにいってください。私はその間に昼食の準備をさせておきますので」
「ふふ、はい、では一旦退席いたします」
「聞いてるか!?」
部屋中にルーカス様の慌てる声が響き渡った。




