木鉛綾理EYES-Ⅰ
泣き声がします。
子供の泣き声です。
悲しくて寂しくて堪らない、そういう泣き方です。
助けて。誰か助けて。救って。救い上げて。
同情します。誰だって、誰かに側にいてほしいものです。
独りだと涙が出ます。人は寄り添って生きる生き物です。けれど。
貴方、忌まれてますね? 私もそうでしたけれど。
慣れるしかないのです。その涙は誰の目にも留まりません。
望んで産まれたわけではない貴方は、望んで死ぬこともできません。
待ちましょう。いつか、死の方が貴方を捕まえにくるその日まで。
さあ、静かにしましょう。忌み子。
仕方がないのです。全ては既に決められたことなのですから。
人は毛色の違う貴方を仲間とは見ないでしょう。違う貴方が悪いのです。
受け入れて貰おうとするのは我侭です。大人しくしていましょう。
調和した世界は尊いものです。
貴方にそれを乱す権利はありません。そうでしょう?
……それにつけても。
貴方には強い親近感を覚えます。
まるで私のようですね。あ……私、なのですか……そうですか。
いいんです。もう私は泣きませんから。
この生自体が夢のようなもの、こういうこともあるのでしょう。
いいんです……どんな悪夢も、いつかは終わるのですから。
◆ ◆ ◆
悪い夢でも見ているようです。
「あの御門殿が……まさか、そんなことが……!」
「式神は!? 式神は用いなかったのか!?」
「当代随一の奇門遁甲の使い手だぞ! どうして彼が殺される!?」
金翅鳥王の間は紛糾しています。
この朝に集った誰もが、突きつけられた事実を受け入れられないのです。
御門清貴さんの殉職。
遡ればあの安部清明にも繋がるという、由緒正しい家柄の大陰陽師です。
百の式神を自在に操ります。あらゆる危険から身を隠す秘術を使います。
風水を知り、虚実を操り、軽やかに不思議を支配する人です。
『天桐』でも最強の1人と言われる人です。
その人が死にました。殺されました。一刀のもとに斬られたようです。
「なぜ、彼1人で追跡などさせたのだ!」
「貴殿は彼に補助が必要だったとでも言うのか、この今更に!」
「敵は何者なのだ! あの無能なオカルティストどもではないのか!?」
御門さんは昨晩、1人で探索に出ていました。
渋谷区内の高校で、理由はわかりませんが神子を保護していたと思われる少年。
その少年につけた方術的印を追っていって……物言わぬ姿で戻ることに。
少年の逃走に力を貸した者の正体はわかっています。
『月盟騎士団』の実戦部隊の1人。神出鬼没の単独襲撃者。トンファー使い。
これまでも幾度か被害が出ていますが、全体から見れば微々たるものです。
少なくとも、御門さんが遅れをとるような相手ではありません。
「いっそ『日高』ならば、まだ納得できるのだが……!」
「口を慎んだがよかろう。『日高』とて御門殿の破れる道理がない」
「……ならば、その『日高』を破った者ならば?」
その発言に注目が集まります。
「筑波研究所は、我らに先んじた何者かによって襲撃され、壊滅した」
筑波研究所……『日高』が『卵』を孵化させた施設です。
電気式の結界に覆われ、私たちの占術からも長く隠れていました。
通常戦力、方術戦力ともに充実していたと聞きます。
「我らより遠くを見通し、我らよりも速く動いた者ならば、或いは……」
「研究所の襲撃は『月盟騎士団』の仕業ではないのか?」
「奴らにそんな力などあるものか。取るに足らんよ。主犯は別と見るべきだ」
「その何者かこそが、此度、御門殿を討ったと?」
単独、もしくは少人数の戦力と見るべきところです。
大人数であれば私たちが感知できないはずがありません。
この国の警察機構は全て私たちの味方なのですから。
けれど、それはつまり。
あの御門さんが、軍隊でもない、少数に敗れたことを意味します。
「馬鹿な……どういう敵だ、それは」
「有り得ん話でもあるまい。何しろ神子絡みだ。あらゆる臥龍も立とう」
「未知の勢力が神子を奪取したとでも言うのか。そして御門殿を討ったと」
「恐ろしい想像だな。そんなことが出来るとしたら……」
視線が私に集まります。仲間たちを見る目とは異なる、その目。
はい。私なら出来るでしょう。私1人で、研究所も御門さんも滅ぼせます。
そうであるべく産み育てられた私ですから。
私の名は木鉛綾理。
『天桐』の当主にして、『天桐』に管理される身の上。
日本国の対霊決戦存在。あらゆる霊的脅威から神国を守護する者。
有体に言うのなら……対霊決戦兵器を扱うためだけに在る人間。それが私。
「……ご当主のお出ましを願うことになりますかな」
「然り。事は重大にして時を争うものだ」
「であるな。もしも神子が覚醒してしまったなら……世界は……」
神子。
この世界に出現した大いなる存在。
人智を超えた存在ですから、その力の内容も正体も計り知れません。
何を理由として現れたのか。何を目的として行動するのか。
何を用いて目的を追うのか。何をもってして、目的を達成したとするのか。
世界にどのような影響を及ぼすのか。
何もわかりません。何か決定的な影響をもたらすことだけが予想されます。
それはとても恐ろしいことです。用意のしようがないのなら、尚更に。
封じなくてはなりません。
調和がまずあって、変化とはそこから緩やかに為されるべきものです。
「ご当主の露払いを選抜しよう。手勢は使うとして、精鋭の即応部隊が必要だ」
「それならまずは魁尊であろう。あやつは御門殿と共に行動していた」
魁尊さん。
法力を使う仏僧の人です。大きな大きな体をしています。
方術を肉弾戦の補助に使う戦い方をします。私とは真逆の姿勢ですね。
「魁尊は本人の希望もあろうし、確定だな。しかしまず挙げるべきは……」
「うむ。霊験兵器の使い手は全て出すべきであろう」
「3人ともか。前代未聞だが、必要性は明らかであるな」
霊験兵器。
私の決戦兵器には及ばないものの、強力な霊威を発する武器のことです。
使い手ともども、重大な国家機密でもあります。
皆さんにお会いするのも久しぶりになりますね。
易々と動くわけにはいかない私と異なり、御三方は方々へ派遣されます。
……私ほどには異形でない、私と世界との中間に立つ人たちです。
「4人か。いかにも少ないが、質が重視されるべきところ。こんなものか」
「ふむ……ならばもう1人推挙しよう。変わり種だが」
「いるのか、匹敵するだけの強者が」
推挙すると言ったのは、霊能力者を統括する役職にある方です。
各宗教に由来する方術者に比べ、突飛な者が多いと聞きますが。
「特異な方術を使う者でな。搦め手だが援護には優秀な者だ」
「ますます珍しい。どういった術を使うのだ?」
「それは……何と表現すればよいやら……貴殿は難しいことを聞く」
「そ、そうかな……いや、しかし、それでは試さないわけにもいくまい」
魁尊さんや霊験兵器と肩を並べられる方術者……とても興味を惹かれます。
搦め手で表現の難しい方術とは、どのようなものなのでしょう?
どういった方が、そのような力を身につけているのでしょう?
「うむ、では午後にも試験の場を設けよう。ご当主にも臨席していただく」
「無論だ。判断して貰わねばならん。3人の招集も急ぐぞ」
「今は折伏任務もあるまい。なるべくなら試験に間に合わせたいな」
連絡のために一時中断するも、会議は続きます。
私は上座にあって、その推移を聞いています。一言とて発することなく。
それが私の役目だからです。兵器は静かに待機するものなのですから。
「彼女の名は椋本六月。福岡県出身。中学2年生」
モニターには1人の小さい女の子が映っています。
不思議な装いです。和服と洋服を混ぜてエプロンをつけた、という印象です。
黒い帽子には猫のような耳がついていて、その下の髪は青みがかった白色。
つと、自分の髪を一房手にとってみました。薄桃色。
彼女もまた先天的な色素異常症なのでしょうか。
「ご覧の通り奇抜な格好だが、全て自作。髪も染色。いわゆるオタクと思われる」
……私とは違うようです。歳は近いですけれど。
「その方術については……見てもらうよりない。説明できん、あれは」
彼女が立っている場所は地下演習場です。
照明に照らされた広い室内には土が敷き詰められています。
何と戦わされるのでしょうか、彼女は。
「最初に言っておくが、勝算があると思ってのことだぞ?」
奥のシャッターが開き、出てきたものは……蠢く肉の塊のようなもの。
半ば物質で半ば幽体。不定形なるおぞましき捕食者。分類名、百蟲。
「昨年、樹海で封じられた個体か。難敵だ。しかし……」
「うむ。あれを単独で折伏できるのなら、魁尊よりは強いことになるな」
「相性もあるがな。お手並み拝見といこう」
百蟲の姿を見ても、彼女には何の動揺も見られません。
純粋な方術使いなのでしょうか。素手のままに、悠然と両手を万歳にしました。
「きしゃああああああ!!」
…………威嚇、でしょうか。
百蟲ではありません。彼女が奇声を発したのです。
「あの娘、頭の方は……」
「まあ見ていてくれ。見るしかないのだ、あれは」
あ、百蟲が体から幾本もの触手を生やしました。あれは首を狙います。
鞭のようにしなり、唸って迫るそれらが……空振りです。
彼女がいません。消えました。遁甲術でしょうか?
「上だ。第4カメラだ」
いました。
天井から下がった照明灯にしがみついています。
その……凄くしがみついていますね。
地表からの高さは10メートル以上あります。それを跳躍したのでしょうか。
「ワイヤーによる移動だ。袖に射出・巻取り装置を隠している」
「何!? では『日高』の関係者なのか!?」
「鹵獲品だ。それを分析し、使いこなすことも彼女の特技でな」
万歳をしたときに細工をしたのですね。威嚇は擬態でしたか。
百蟲は彼女の移動に気付いていません。しかも上を取っています。好機です。
何というか、あまり外聞を気にしない格好で体勢を整えた彼女。
両手で手印を組みました。密教系の方術でしょうか。
「む、出るぞ。耳を澄ませて体験すべし」
詠唱に何かあるのですね? 注目です。
彼女は肘を張って大仰に手印を掲げ、目をつぶり、大きく息を吸い込みました。
「古池や、蛙飛び込む、水の音……スプラッシュレイン!!」
え。
ええと……え?
ば、芭蕉?
百蟲を直下とする位置に、俄かに黒雲が生じました。六畳位の大きさですが。
雷鳴が響くなり、そこから猛然と雨が降り始めます。機関銃のような勢いです。
普通ではない密度と速度です。バチバチバチと着雨音が連続します。
百蟲の体表が歪み、所によっては穿たれ、所によっては砕かれています。
これは……本当に凄い。降雨の方術なら幾種類か見たことがありますが。
執拗で徹底しています。百蟲を包む範囲以外には雫の1滴も降りません。
雲の大きさに矛盾したその水量……術の凄みを感じさせます。
「これがまあ、終のすみかか、雪五尺……アイスコフィン!!」
またも俳句です。小林一茶です。
降り止まぬ豪雨もそのままに、百蟲の周囲が白く白く凍り付いていきます。
これも凄い速度です。どれほどの冷気が生じているのでしょうか。
次第に雨脚が弱まり、やがて雲も消えたその時には。
まるで抽象芸術のような、大きな氷像がそこに在りました。
無秩序で捉えどころのない輪郭。遠近感を狂わせる疎らな透明度。
その内側に強力な妖がいることもあって、狂気の印象です。
スルスルと、恐らくは透明なワイヤーを伝って、彼女が降りてきました。
まだ警戒しているのでしょうか。小走りに氷像の周囲を周ります。
「いと芸術的! 我満足なんですけど!」
……氷像の出来栄えを確認していたようです。
百蟲は完全に封じられています。それは、普通の氷ではないことを意味します。
「これは……確かに、筆舌し難い方術だな」
「珍妙かつ滑稽ではあるが、威力と応用性には目を見張る思いだ」
「俳句詠唱だそうだ。本人によるとな」
その本人は何やら踊っています。勝利の喜びでしょうか。
氷像の周りを練り歩きながらなので、何やら儀式めいて見えます。
「他にも多くの術を使うのかね?」
「使うには使うが、どれも水に関するものばかりだ。特化している」
「そうであっても充分に合格だな。思わぬ術者がいたものだ、この日本に」
同意します。非常にユニークな存在だと感じました。
モニター越しなのではっきりはしませんが、恐らく、彼女は。
半ば妖ですね? そうでなければ、術の威力を説明できません。
古今東西の方術は、力の源泉によって2種に大別できます。
大自然の諸力を利用するのか。それとも、己が内にある力を利用するのか。
御門さんの陰陽術は前者で、それゆえに人の限界を凌駕して強力でした。
椋本六月という名の彼女の術は、見たところ、後者です。
不思議なあの詠唱は自然界に何ら影響しないものでした。手印も同様です。
つまりは、全てが彼女自身への暗示です。己の力を引き出すための。
それでいて、あの威力。
彼女が純粋な人間であろうはずがありません。
次は彼女との面接です。
胸元にしまった懐剣を意識します。きちんと制御しなければいけません。
寸時でも油断すれば、その本性の赴くままに、彼女を殺しかねません。
日本国対霊決戦兵器たる、この懐剣。
神威の刃『天津白風』は。