闘イノ果テニ-Ⅱ
東京の空に奇奇怪怪な空戦が繰り広げられていた頃。
同じ場所で見えざる魔闘もまた戦われていた。
攻めるは入江恵。迎撃するはソウル。報酬は木鉛綾理。
1人の白き少女の精神内における攻防戦である。
武器は互いに精神力だ。防具もまた精神力である。
火花が散るでもなく、掛け声がするでもない、無明の闘争。
誰の目にも触れることなく、それどころか存在も察知されずに。
しかし、誤魔化しの効かないがっぷり四つの力比べだ。
初め、ソウルはそれを片手間の児戯と捉えていた。
何しろ彼は数千年で足りないほどの時間を越えてきた存在だ。
例え魔法を使う人間とはいえ、真剣に相手をする必要などあるまい。
だが、それは油断どころの騒ぎではなかった。
入江恵……さる世界における名をイリンメルという、この女の精神は。
歪み、偏り、変質的で、特異な形質を持ち、気味が悪く、粘着質で。
多くに無能のようでいて特定分野に極めて万能、そして執念深い。
人間のある種のエゴを煮詰めに煮詰めた結果生じた、特殊な妖怪だ。
しかも何千年という単位で、エゴを極めては記憶を消し、また極める
という無駄を繰り返してきた精神である。筋金入りの狂精神なのだ。
一方のソウルはといえば。
彼は基本的にこだわりのない性格だ。多少悪徳に酔う性質はあろうと、
執着心に欠け、熱しやすく冷めやすい。刹那的な快楽主義者だ。
であればこそ、このような強大な存在になる過程で故郷を滅ぼせた。
何にも囚われないことは、畢竟、何をも突き詰めないということだ。
我慢を嫌い、易きに流されていく精神……その過ごした年月など。
総合的な力を比べたならば、それはソウルの圧勝であったろう。
しかし、こと精神の強度でいったならば、実は恵の圧勝だったのだ。
それを相撲に例えるならば、問答無用の寄り切りである。
欠片の抵抗も示せぬまま、ソウルの精神は土俵の外へと運輸された。
木鉛綾理の精神から、ものの見事に放り出されたのである。
そしてその様子は、それを唯一目撃した人間に、多大な影響を与えた。
綾理である。綾理の心の目に、それは1つの英雄像として映ったのだ。
(何て自信に充ち溢れた精神なのだろう。一切の迷いなく、己の周囲と
異なる在り様を肯定し、熱意をもって堂々と邁進していくなんて……!)
ガイストの群れの中に2人が眼を開いたとき、そこには。
若干鼻息を荒げ、それに気付くなり必死で取り繕う傾国の男装麗人と。
そんな彼女の様子を頬を染めて見上げる甲冑少女とがいるのだった。
「貴方の心を痴かn……もとい、侵入した敵は払いました。しかしまだ
上にいます。そしてそれを打倒するには貴方の力が必要なのです」
性別を問わず正気を奪いそうな、美しく真摯な表情で、恵が言う。
どこか大正の浪漫を想わせる服装もあって、倒錯的な妖しさもある。
「ありがとうございます。私はまだ戦えます」
答える少女もまた美しい。透き通るような白い肌。薄桃色の髪。紅眼。
身にまとうは白き艶やかな大鎧。手にするは神威の宝剣・天津白風。
再び湧き立たんとする風の龍の霊威。
それはしかし、恵の手と表情によって止められた。
「空に舞われては助力できません。繰り返しになります。ここは戦術を
駆使しましょう。ハイマリア中将、聞こえますか?」
手にした小さな通信機に呼び掛ける。反応は早かった。
「おー、聞こえておるよ。復帰御苦労。いけるのじゃな?」
「はい。敵の中枢部について看破できましたか?」
「無論じゃ、待ちくたびれたわぃ。じゃが桁違いの霊的強度のようじゃ。
位置は示してみせるが、そちらでも一撃必殺は難しいじゃろうのぅ」
「でしょうね」
片や空にて戦闘機動中に、片や地にて化物に群がられての会話だ。
平常の声音で語る両者は、肝が据わっているといより、異常であろう。
「けれど、外殻を砕くことは充分にできるでしょう。そして道を作ること
もまたできます。止めは第三の矢にて刺すしかありません」
「例の者か……本当に来るのか?」
「来ます。ただしもう少し時間が掛かります」
「わかった。空は任せよ。地は任せるぞ」
再び花開くはミサイルの光。中には潜水艦からのミサイルだけでなく、
日本各所の自衛隊から放たれた物もあるようだ。無人と化した東京に
降り注ぐ兵器の塵芥。先進国の首都としては物凄まじき光景だ。
地では、綾理に休むよう告げた恵が、徐に取り出したものがある。
己の影の内からよっこらしょと、茶色の紙袋を出現させたのだ。
重そうなその中に手を入れ、ムニャムニャと何事かを唱えたる後に。
「鬼はぁー外ぉー」
化物の群れに向けて撒いたのは、一掴みのパチンコ玉だ。
しかし……何というパチンコ玉か!
光を放って超高速で飛び、化物を粉砕しつつビルを穿ち、地に爆ぜる。
初級精神魔法『魔力付与』だ。
無機物に魔力を一時的に付加し、強化する魔法だが。それにしても。
何と凄まじい強化なのか。どれほどの魔力を持つのか、入江恵は!
「福は内」
ニコリと笑って綾理の頭を撫で、その後、楚々として口元をぬぐい。
「鬼はぁー、外ぉーぅ」
再び撒き散らされるは圧倒的な魔力散弾……と化したパチンコ玉。
呆れるばかりの蹂躙だ。装甲に自信があるだろう甲虫までも貫いて。
倒せば倒すだけ集まる化物たちを、その骸ごと駆逐粉砕していく。
戦況はここに一気に傾いた。天も地も、もはや殲滅戦の展開だ。
しかし忘れるなかれ。それらはソウルに届いているわけではない。
焦りではあるまい。怒りであろう。
ここにソウルは、遂に、その本気の一端を見せることになる。
禍つ雲の中心に生じ始めた不穏の霊威は、全世界にまで感知された。
世界中で動物が半狂乱となり、赤子が泣き、霊感者が叫びはじめた。
それは駄目だ。それは駄目だ。それはそのままに世界を終わりだ、と。
かつて池袋の地下において、ソウルが戯れでも控えた力がある。
彼が故郷世界を代償に手に入れた究極の力は、2種あるのだ。
1つは「創世力」という。神の如く何物をも創り出す力だ。
身体の傷を服ごと復元し、ソファーを生じさせ、中年男を少年として
創り変えるまでしてのけた力だ。化物を産んでいる力でもある。
もう1つは「破界力」という。神の如く何物をも滅ぼす力だ。
巴山渚子の膝を消滅させたのは微々たる「漏れ」に過ぎない。
本当にその力を振るったならば、文字通り、世界そのものが壊れる。
神々が闘争に用いるその力。その破壊の側面を、今、ここで。
見よ、東京上空に現れたそれを。暗黒の球体の如く視認されるそれを。
大きさはサッカーボールほどか。しかし世界全体を震撼させて。
断言できよう。
その黒点が地表に到達したとき、この世界が滅亡するのだと。
上空に悲痛な叫びが上がっていた。ハイマリアだ。彼女は見たのだ。
見てはいけなかった。その黒い球の正体を探るべきではなかった。
それは神の力だ。神の恐ろしの側面だ。人が直視できるものではない。
綾理もまた絶望に震えた。九頭龍ですらが怯えたのだ。その黒い球に。
この世界を1つの舞台演劇とするならば、その黒は問答無用の閉幕だ。
人の営みの全てを、あらゆる在り様を、刹那に無と化す純粋消滅。
そんな「終わり」が、ゆっくりと、重力も無視してただ降りてくる。
終わる。世界が終わる。あれが降り到ったならば、全てが終わるのだ。
「ワッタシが幸せに浸ってるってのに、何しやがるんだお前ぇぇぇ!!」
誰だ。誰とも知れない奇声が終末の世界に響き渡った。
いや、それよりも黒い球だ。それを諸手を上げて受け止めた者がいる。
入江恵だ。
その身は立ち上る魔力によって炎上しているようにすら見える。
特に両手だ。激烈な閃光が絶え間なく発生し、黒球を止めている。
おお……その光こそは……「創世力」ではないか!
異界にて大魔導師と呼ばれた君よ、イリンメルよ、その真なる力よ。
彼女は神ではない。
神ではないが、その雛として、力を1種のみ授けられていたのだ。
悠久の物語が彼女の背景にあり、その全てがここに発揮されている。
だがしかし、それも不完全な代物か。力の差は否めない。
美しきその魔導師はあまりにも小さい。鋼鉄の精神の持ち主とはいえ。
止めているに過ぎない。押し返すことなどできていない。
1秒1秒が甚大な努力のもとに稼がれている。必死だ。必死の抗い。
追撃がないことが幸いか。ソウルにとっても大消耗の一撃に違いない。
また、その無防備を化物たちも襲えない。力の波動に近づけないのだ。
綾理すら離れて固唾を呑んでいる。それはそうだろう。
今この時、入江恵の身長分だけが、この世界の余命なのだ!
その両手に「終わり」を押し支えて。その背に世界を背負って。独り。
誰も援けることかなわない神の領域に、死力を尽くす立ち姿である。
もはや宗教の誕生ではないだろうか。この世界のアトラスは女神か。
あと何分……あと何秒、世界を生かせるのか、君よ。
その答えは、彼女の口元に確認することができよう。見るがいい。
笑っているではないか。
その笑顔の何と凶悪であることか! 泡立つ涎すら口端に垂らして。
狂ったか? 否! 仮面が透けているのだ。誰だ、お前は誰だ?
彼女こそは、イリンメル。その姿形。
入江恵の美麗に透けて、1人の人外の魔女の顔が覗いている。
柳の葉のように長い耳が。怜悧を超えて峻厳な切れ長の双眸が。
同様に美麗ではある。しかし美よりも何よりも狂おしい、その表情。
欲を極め、数千年を愉しみ続けた、美しきエルフの魔法使い。
大魔境に地下迷宮を築き上げ、背徳の「萌え」を極めた錬金術師。
宇宙諸神を育んだ存在の意図も計画も一顧だにしなかった、我意の人。
その彼女が、断固として、拒絶しているのだ。
あと何秒? 馬鹿な。あと何百年、あと何千年と聞くべきであろう。
狂気の魔女にとっては、艱難辛苦など日常の一場面に過ぎないのだ。
止めさえすればいいのだ。いつまででも止めてみせようとも。
さぁ来い。来るがいい。あのド阿呆を滅ぼす神刀よ、ここに来い!
その意思に応じたものか。
極限の死地に参上したバイクがあった。跳躍したその車影。
残存の化物たちを掻き分けてきたのか。ボロボロのその車体。
それでも一切の減速をせずにきたのか。唸りを上げるエンジン。
だが……何という在り様か、運転する松島冬彦よ。
血塗れの体に絡む包帯。左脚は膝からもげ、右目は潰れ、右肩は抉れ。
それでも右手はハンドルを握りしめている。口には霊刀を咥えて。
背後の荷には傷1つ無い。運んでみせたのだ。反撃の刃を。
彼の信仰する本物の「終わり」を。三船秋生を。この決戦地へ!
着地とともに、バイクは廃車へと変貌することにしたようだ。
外れる後輪。砕けるマフラー。けれどバランスを崩させない。
両の足で体勢を保たんとする。右足の骨が折れる。左膝が削れる。
瓦礫の地上に3回転半の軌跡を赤く黒く描いて、停車。
奇しくもそこは、木鉛綾理の目の前であった。
「ほい、到着。後は任した」
ゆっくりと降りる秋生を見届けて、冬彦はその場に崩れ落ちた。
運ばれた魔剣士は、それを支えるどころか、見向きもしない。
秋生の目は既に雲間に向けられている。魔剣が鍔鳴りを発している。
1発の照明弾が、忌まわしい邪雲の一画を照らしている。
ハイマリアの指示によってストーム大佐が射出した弾。その意味は?
「高天原の天津神々よ、導き給え……征け! 貫け! 穿て!」
綾理が叫ぶ。それは力ある言霊だ。たちまち渦巻く白き大霊力。
九つの風龍が三つずつ合わさり、三本となって、天翔ける。
それぞれに1本の矢を運んでいるのだ。それこそは天羽羽矢。
天の神が地を征服する際の証とした、太古の神器だ。
1本が澱みの雲を大規模に消し去った。露になるは禍々しき妖気の塊。
1本が妖気を凍結し、固形のものとした。金平糖にも似たそれ。
1本がそれを砕いた。残ったのは裂け目。空間に。世界の破れ目だ。
絶望的なまでの虚ろ。
この世界の全てを茶番と嘲るかのような、無色無形の何某か。
それこそがソウルか。異世界からの侵略神の真の姿か。
秋生は跳んだ。
無音の、しかし尋常でない速度の跳躍だ。そこに重力の枷はない。
それは重力操作魔法ではないか。魔剣は未だ抜剣せざるというのに。
学帽の下に密かに灯る眼光も冴え冴えとして、絶望への一跳躍。
迫る接触の時。
遂には魔剣が独りでに抜き出でた。吸い付くように右手へ。握る。
世界そのものを己の背景に見捨てきって、切っ先を敵に向けて。
その接近する様を遠景に見たならば、凍てついた黒金の真っ直線。
冷厳にして峻烈な突撃。一切の余分無き透徹の突貫。純粋の滅意。
神の刀の一刺突。
刺さらずにはおかない、滅ぼさずには済まさない、膺懲のそれは。
接触した。
秋生の視界の中で、世界が弾け飛んだ。




